ねこ猫ヒカル
【1話 飼ってよ!】
ある日、塔矢アキラは猫を拾った。
雨の中、濡れて寂しそうにしていた子猫。その猫はアキラを見て、ニャアと鳴いた。その声があまりにかわいくて・・アキラは思わず自分が濡れるのも構わずに、抱き上げて寒くないように制服の前をあけて、中に入れてやった。
「ただいま。」
家に帰って、ずぶぬれの猫を服の中から取り出すと、子猫はすやすやと眠っていた。
「まぁ、かわいい。」
母は、子猫を見て、子供のようにはしゃいだ。父はちょっと猫が苦手なのか、子猫を見た瞬間、一瞬固まって、それから
「随分濡れているじゃないか。アキラ、お風呂で洗ってやりなさい。お前も着替えた方がいい。風邪を引くぞ。」
と言いながら新聞をひろげた。
アキラは、とりあえず、部屋に戻って、眠っている猫を畳の上においたタオルの上に乗せた。猫はむにゃむにゃと体勢を変えた。それを見て、アキラはくすっと笑う。
「かわいいな・・。名前何にしよう・・。」
制服を脱いで、部屋着に着替えた。部屋着といっても、きちっとしたシャツだった。脱いだ制服をハンガーにかけていると、トントンとドアを叩く音がした。多分母だろう。しかし、ドアは開けずに、ドアの向こうで、声がした。
「アキラさん、バスタオル、これを使って。制服はクリーニングに出しましょうか。」
「そうですね・・。明日は土曜で休みですし。お母さん、ありがとう。」
アキラは、そう言いながら、ドアの方に向かおうと振り返った。
「ん?」
何かが視界に入った。
「うわぁ!!」
アキラは思わず大声を出した。
「ど、どうしたの?アキラさん?!」
母は息子の驚いた声にびっくりして、思わずドアを開けた。そこには、畳に寝転がる見知らぬ男の子がいた。
「あら?どちらさま?」
母は、のんきにアキラに聞く。アキラは、驚きで締まらなくなった口を手で押さえながら、
「猫・・のはずです・・。」
と答えた。
猫だった男の子は、じきに目を覚ました。
「うーん。」
腕を思いっきり伸ばしてうにゅーんとのびる。ぱちっと目を開いた。大きな目だ。
「およ?」
親子3人で覗き込んでいる顔を見て、子猫の男の子はますます大きな目になった。
「なんで覗いてんの?」
男の子は、きょとんとしている。アキラが、いぶかしげに、
「き、君は誰だ?!」
と聞くと、男の子はにかっと笑って
「よっと!」
と、勢いよく起きあがった。
身体にはバスタオルがかけてあったが、起きあがったので、ずるっと落ちて、上半身は裸になった。それでも気にせずに、男の子は、言った。
「オレ!進藤ヒカル!お前は?」
無邪気な問いに、アキラは思わず素直に
「ボクは・・アキラ・・。塔矢アキラ・・。」
「おう。塔矢か。よろしくな!ってことは、こっちは塔矢のお父さんとお母さん?」
「そうだ。」
「お世話になりまーす。」
その進藤ヒカルはぺこりと、頭を下げた。つられて、お母さんも頭を下げる。
「うわー、結構いいうちじゃん。オレラッキーかもー。」
ヒカルはきょろきょろと部屋を見回した。アキラは、唖然としていたが、気を取り直して、ヒカルに話しかけた。
「き、君は一体・・さっきまで猫だったと思うんだが・・。」
「うん?猫だぜ?」
「いや、今は人間に見えるんだが・・。」
「あー?そっか。」
ヒカルは、自分の髪をくしゃくしゃっとした。すると、髪の間から猫の耳が現れた。そして、お尻をよっと上げると、にゅっと長いしっぽが現れて、複雑にふわんふわんと動かした。
「しっぽ・・・。」
アキラは絶句した。
「まぁ、猫のお耳。かわいいーー。」
母は、猫の耳のかわいさに、頬を赤くしている。
「触っていいかしら?」
「どうぞ。」
ヒカルは、自慢げににやっと笑う。母は、そーっと猫耳に触れて、耳の付け根をなでてみる。猫の気持ちいいところだ。ヒカルののどがごろごろとなった。
「まぁ、ごろごろいったわ。猫なのね!」
「だーかーらー、猫だって。」
「でも、でも・・。」
塔矢がなんと言っていいのかわからずに、うろたえていると、ヒカルは
「もう細かいこと気にすんなよ。オレは猫なの。猫の進藤ヒカルなの。こう見えても、猫の国の王子様なんだから。」
「猫の国の王子さまぁ?!」
「うん。猫の国から逃げてきたんだー。勉強しろってうるさいからさー。あ、教育係がいるんだけどね。そいつがうるさいの。それで、人間の世界って楽しそうじゃん?で、逃げてきたわけ。でも雨が降ってきてどうしていいのかわかんなくてさー。ほんと塔矢に出会えて良かったー。」
「アキラ・・。」
ずっと黙っていた父が口を開いた。
「・・捨ててきなさい。」
現実主義の父には理解不能の出来事だったのだろう。すると、途端にヒカルはあわてた。
「え?!待ってよ。」
ヒカルは、父の方を向いた。父はヒカルを挟んでアキラの反対側にいたので、父の方に乗り出したヒカルのしっぽが目の前に来る。もちろん裸のお尻もちょっぴり見える。
『!!』
かぁーーと赤くなるアキラをよそに、ヒカルは、父の着物の裾を握って離さない。その時、ふと、部屋の隅にある碁盤が目に入った。
「あ、碁盤。」
ヒカルが、嬉しそうに声を上げた。父は、そのヒカルの反応に思わず目を合わせた。
「碁を・・知っているのか?」
「うん。オレ、碁は得意だぜ!碁ばっかりやってて、勉強しないからいつも怒られてるんだもん。」
「ふむ。」
父は、じっとヒカルを見た。ヒカルはにかっと笑う。そのかわいらしい笑顔に父は思わず、目尻が下がった。
「うん・・。この雨の中・・外に出すのもかわいそうだ。」
と、にやけた顔を隠すように、立ちあがって部屋を出ていった。
「やりぃ。」
「あ、そうだ。お母さん、お夕飯の支度が途中だったわ。」
そう言って、父のあとを母もそそくさと部屋を出ていく。
部屋にはアキラとヒカルの二人きりになった。
「・・・。」
「・・塔矢?怒ってんの?」
ヒカルは、黙っているアキラの顔を覗き込む。アキラは、口をへの字に結んでいる。
「オレが・・ネコの格好のままの方が良かった?」
「・・・。」
「オレのこと嫌い?」
「なっ!」
ヒカルの言葉にアキラはカッと赤くなった。
「ネコの時はあんなに優しかったのになー。オレの本当の姿になったら・・冷たいんだもん。ネコん時はなでてくれたりしたじゃん。」
「それは・・ネコだったし・・。」
「塔矢が・・ネコのままの姿の方がいいなら・・ネコの姿でいてもいいぜ?でも・・それには塔矢がオレに冷たくしてくんないと駄目なんだ。寂しい気持ちとか・・心が沈まないとあの格好にならないから・・。」
「!」
「オレ・・塔矢に拾われて・・幸せが心の中に増えたからさ・・この姿に戻れたんだ・・。だから、塔矢が、オレを『嫌い』とか『どっかいっちゃえ』とかひどい言葉いっぱい言ってくれないと・・ネコの姿でいられない・・。それが無理なら・・捨ててよ・・。」
「そんなこと・・ボクにはできない・・。」
「できないの?」
「できるわけないだろ。」
「じゃあ、オレのこと好きになってくれる?」
ヒカルはアキラの目を見上げるようにじっと見つめた。その視線にアキラはドキドキと心臓が高鳴った。そして、震える声で、
「好き・・になるよ・・。」
と言った。
「やったーー!」
ヒカルは、バンザイをして、思いっきりアキラに抱きついた。
「うわぁ!」
「塔矢!大好き!」
ヒカルのすべすべの腕が、アキラの頬に触れる。アキラはますますドキドキした。しかし、ドキドキばかりしてもいられない。自分を冷静にするために、アキラはこほんと咳払いをして、ヒカルを自分から引き離した。
「進藤・・服着ないと・・風邪ひくから・・ボクの服貸してあげるから・・。」
「オッケー。」
そうして、ヒカルはアキラの家の飼い猫になったのだった。