ねこ猫ヒカル
第4部
【3話 さかりのついた・・】
「はぁ・・。」
アキラは今日の仕事先である市民センターの人気のない廊下の窓辺で、ガラスから染み出ている冷気で頭を冷やしていた。
「どうしたものやら・・・。」
アキラはゴツンとサッシに頭をもたれかけさせた。
昨夜から頭の中は煮えっぱなしだ。
『久しぶりに進藤とお風呂。しかも銭湯・・開放的な空間で裸の進藤が開放的な気持ちになって・・・。』
などと健康な十五歳男子の思考が所狭しと暴れ回り、脳みその温度をかつてない高みに導く。
「塔矢ぁ、早くぅ。」
妄想の中のヒカルは真っ裸で、もちろん小さなタオルで腰を隠したりなんかしていない。しっぽをひらひらさせながら、くるくる回って、まるでお花畑のチョウチョのようだ。
「ほらぁ、おっきなお風呂があるよ。ねぇ、これって泳げちゃうんじゃない?」
ザバンと白いタイル張りの大きな浴槽にダイブするヒカル。アキラはお湯でヒカルの身体が隠れるのを残念なような、ほっとするような気持ちで見つめている。
「アキラぁ、見て、見て!」
ヒカルはクロールから平泳ぎ、そしてあろう事かくるりと回転して・・・。
「うわぁぁぁ!!進藤!背泳ぎはやめろ!」
ガツーン
アキラはサッシの角に思い切りおでこをぶつけて、あまりにもリアルな幻想からようやく戻ることができた。打ったところがズキズキと自分の愚かさを垂れ流している。
しかし、このまま何事もなければ、今晩、ヒカルと銭湯に行くことになるのだ。ヒカルを押し倒し、失敗してからというもの、アキラの男としての自尊心はひりひりしている。獲物を前にした飢えたオオカミのように、息を荒く物欲しげに、ヒカルの身体を見てしまう自分を不潔だと思う反面、「今度こそは」と牙をよだれできらめかせながらいつも機会をうかがっている。
『自分はいつからこんな本能的な人間になってしまったのだろう。感情を殺して無難にやっていくのは得意だったのに。もちろん進藤が好きだから・・大好きだから理性を失うのはしょうがないとも、それが嬉しいとも思うけど・・でも理性的じゃない対象として進藤を見つめるのは良くない。それはボクだってわかってる。でも最近のあの進藤の潤んだ目や、けだるそうに横たわっているのを見ているとますます・・胸を突き上げるものが・・。』
アキラはもう一度がつんと頭をぶつける。ヒカルのことを考えると胸のあたりの熱い蒸気が頭にあがってきてどうにも思考がもやもやとしてくる。
『このままのボクじゃいけない。こんなまるで獣のようなみっともない状態じゃ・・。本当に大事なことはもっと他にある。一緒にいられること、優しくすること・・進藤を喜ばせたい。それが基本。そしてその果てに身体を重ねたとしても・・それは幸せの中のおまけみたいなものだ。・・・と思えるようになれたら・・な・・。』
アキラはしみじみ自分が幼いことに嫌気がさした。大人だったらこういう時どうするのだろうか。どうにもさじ加減がわからない。
『これじゃあ、まるで、さかりのついた動物みたいじゃないか。』
アキラはしんみり悲しくなった。
「さかりぃ?」
ヒカルは塔矢家縁側の日だまりで大福を頬張りながら、すっとんきょうな声を上げた。
「声、でかいって!」
和谷がしーっと指を口に押し当てながら、小声で言った。
「なんで?大きな声で言っちゃ駄目な言葉?」
ヒカルもなぜか声をひそめる。普段は主従関係な二人だが、二人だけになると途端に昔からの友達モードだ。
「はずかしい言葉なの!って、普通知ってるって。」
「ふーん。んで?それって何?」
「だからぁ、近衛第一隊副隊長の飯島がこんな時期にさかりがついちゃって、しばらく休むんだって。普通はさ、春が多いんだよ、さかりって。」
「休むなんて、病気って事?」
「・・・本当にヒカルの君はしらねーのな・・。っていうかここまで純粋に育てられる佐為の君を尊敬するぜ・・。」
「ねーねー、何こそこそ独り言言ってたんだよー、和谷ぁ!」
「あーもーわかった!教えるから。あのな、『さかり』っていうのは病気じゃねーの。『お年頃』って事なんだ。」
「おとしごろ???お年玉の親戚?オレ、お年玉ならだーい好き。」
「ちっがーう!なんつーかな・・オレもまだなったことねーけど、十七とか十八とかになると自然になるんだって。成長の過程っつーか・・こう自分でもどうしていいのかわかんないほど恋人とか欲しくなるんだって。」
「ふーん。」
「んで・・・こう・・抱きしめたり・・いろいろしたくなるらしい。」
「いろいろって?」
ヒカルの無邪気な視線に、和谷は「いろいろ」を想像してかぁっと赤くなった。和谷、実際の経験はなくとも、はやりの恋愛絵巻物で知識だけは豊富である。
「い、いろいろって言ったらいろいろ!」
「それじゃあ、よくわからないー!」
「だから、恋がしたくなって、恋人といちゃいちゃしたいって事だよ。」
「それがよくわかんないよ。だって、恋がしたいから恋人を作るなんておかしいじゃん。」
「なんで?恋人を作らなきゃ恋は出来ねーじゃん。」
「恋がしたいから誰かを選ぶの?逆じゃない?誰かを好きになって恋をするんじゃないの?」
そう言いながらヒカルはアキラの顔を思い浮かべた。自分は恋をしようなんて思わないでアキラを好きになった。アキラを好きになったから、その気持ちが『恋』になったのだ。
「そういう恋いもあるかもしんねーけど、『さかり』はそうじゃないの!突発性のものなの。だから本当は恋なんかしてなくてもいいんだよ。とりあえず・・もやもやした気持ちが収まればさ。異性のネコと・・・ごにょごにょ・・ればとりあえず収まるらしいけど、それだと子供ができちゃうからな。結婚しねーといけねーし。」
「異性のネコと何?」
和谷が照れてごまかした部分をヒカルがいらいらして聞き返す。
「子供ができるような事ってなにー?」
「・・もう、オレ、まじでこんな風に育てた佐為の君を恨むぜ・・。オレと一つ違いなのに・・。」
和谷は頭を抱えた。そして、はっとした。
『待てよ・・。もしかしてオレがこうしてよけいなこと教えちまったこと、佐為の君にばれたらどやされるかもしれねー!』
和谷はさーっと血の気がひくのを感じた。
「和谷ぁ!」
「オ、オレ、帰る。」
「なんだってぇ?まだわかってないのに!」
「今の話、忘れて!ヒカルの君!・・あ、でも飯島が休むのはホントだから。つ、伝えたぜー!」
そういうと、和谷はポンとネコの姿に戻る。ヒカルに借りた洋服がはらりとと落ちる。
「にゃっ!」
和谷は肉球を見せて挨拶し、足早に駆けていった。
「和谷は、すぐオレのこと子供扱いしてさ!いいもん。今度佐為に詳しく聞くから!」
ヒカルはぷんぷんしながら和谷の脱いだ服をかき集めた。