ポータルを抜けて飛んだ先は、いつもと同じように人でいっぱいだった。
 プロンテラ南。
 王都の正面玄関と云えるここは、城門の中も外も、いつでも大混雑だ。露店商が軒を並べ、冒険の仲間を求める人たちがたむろしている。
 私は適当に露店を覗きながら――属性武器はまだ高くて買えないなあ――、東に向かって歩き出した。
 目的地は、王都の衛星都市イズルード。その沖合にあるバイラン島の海底ダンジョンだった。
 ここのところは、そこをメインの狩り場にしている。自分から襲ってきたり、仲間を助けようとしたりする厄介なモンスターがほとんどいないから、1対多の戦いが苦手な私のようなアコライトにも戦いやすいのだ。髪も服も磯臭くなってしまうのが、悩みの種だけど。
 少し前の私なら、そこに潜む連中を相手取るには、非力すぎた。でも、今ならよほどのヘマをしない限り、まず問題はない(ただし、地下2階までは、という限定付きで)。
 自分でもそれなりに成長したとは思う。もちろん、まだまだ力不足なのはわかっているけれど、それでも第一の目標、プリーストへの転職が認められるのに、あと少しというところまで来た。
「……」
 私は無意識に、胸元のロザリーを握りしめていた。
 今の私は、ほんの少しでも、あのひとに近づけているだろうか。

     *

 ノービス時代、クリーミーに殺されそうになっていた私を助けてくれたプリーストさんは、眼鏡の似合う知的で、穏やかに笑うひとだった。
 彼女はそのあとも私の修行を助けてくれた。私がアコライトになれたのは、彼女のおかげだ。
 大聖堂でアコライトの資格を得て、柄にもなく感極まっていた私に、彼女はいつも通り優しい笑顔を向けた。
「おめでとう。これからもがんばってね」
「はい、ありがとうございます! ほんとに、なんてお礼を云っていいか……」
「いいの。わたしも、最後に誰かの役に立ててよかったわ。しかも、それがアコ志望の子だったなんて、できすぎた話」
「最後……?」
 彼女は冗談めかして肩をすくめたけれど、私はその言葉を聞き漏らしたりしなかった。
 蒼白になった私に、彼女は少し困ったような、だけどやっぱり穏やかで優しい笑顔で頷いた。
「うん。引退、するから。冒険者はもうおしまい」
「そんな……!」
「ちょおっと疲れちゃったかな」
 そう云って笑ったその笑顔には、私が初めて見た、淋しそうな色が浮かんでいた。
 私は何かを云おうとして、何を云う資格もないことに気づいた。
 私と彼女は、たまたま巡り会っただけだ。彼女の善意で、少しばかりつきあってもらっただけ。まだ「友人」でさえないかもしれない。だけど――。
「アコさんがそんな顔しないの」
 いつの間にか、私は唇を噛みしめてうつむいていた。彼女はそんな私の頬を両手で包むと、そっと上を向かせた。
 目に入ってくるのは、やっぱり笑顔。つい、こちらも笑顔になってしまう、そんな笑顔。
「あなたはきっと、これからたくさんの人の助けになり、たくさんの人を癒すでしょう。でも、自惚れちゃダメ。どんなに高位のプリーストでも、救えない人の方が多いのだから」
「……」
「だけど……ううん、だからこそ、わたしたちはいつも笑っていないといけない。そばにいる人たちが、いつでも安心できるように。ね」
「……はい」
 涙を必死の思いで押しとどめて、私は笑顔を浮かべた。――少なくとも、その努力はした。
 端から見ると、みっともない変な顔になってたかもしれない。それでも彼女は、嬉しそうに笑い返してくれた。
「うん、そうそう。あなたがその笑顔を向ける人たちが、あなた自身の癒しになりますように。ずっと、祈っているわ」
 最後にそう云って、彼女は首にかけていたロザリーを外し、私の首にかけてくれた。
 その言葉と仕草は、私にとって、どんな儀式も魔法も及ばない祝福になった。

     *

 ――あれから、長い月日が流れた。
 つらいことも、苦しいことも、悲しい想いもたくさんした。
 それでもこのロザリーと、あの日の言葉があるから、私は歩いていける。歩いていかなければいけない、と思える。
 私はきっと、まだ彼女が歩いた道の半分も歩いていないから。
「お嬢さん、乗るのかい?」
「あ、はい、すみません」
 いつの間にか、バイラン島に渡る船着き場にたどり着いていた。
 私は微笑んで、はしけを渡る。
 彼女のような笑顔が、今の私にもあるといいなと思いながら。