竜の守護者

−中編−


    5

 サンドリアは、石の街である。
 そびえ立つ城壁に囲まれた中には、石畳の道と石造りの建物が広がっている。区画も整然としており、道幅も広い。
 街は大きく三つの区域に分けられる。北サンドリア・南サンドリア・サンドリア港である。
 この内、サンドリア港は飛空挺乗り場と貨物倉庫がほとんどを占め、人が居住するスペースは少ない。そのため、サンドリアの「街」といえば、一般に北サンドリアと南サンドリアを指す。特に南サンドリアは庶民の居住区であるため、店も多く、人通りが絶えない賑やかな場所である。

「ふわー……」

 南サンドリアでも最も人の多い競売所前で、ロザリアは口を開けたまま奇妙な吐息を漏らした。どうやら感心しているらしい。

「すごいですねえ。ウィンダスと、こんなに何もかも違うとは思いませんでした」

「エルヴァーンとタルタルだからね。対極、と云ってもいいんじゃない」

「それでも、同じ人間なのに……文化が違うって、こういうことなんですね……」

「……」

 物珍しげに周囲の町並みと、長身痩躯のエルヴァーンを見回しているロザリアを、ジョルジュは少し感心した思いで見やった。
「同じ人間」――そう、ロザリアは云ったけれど、今の世界では、すべての種族を指してそう云える人は多くない。

「あれ、どうかしました? ――あ、お上りさんみたいで、恥ずかしかったですか、わたし?」

 ジョルジュの視線に気づいて、ロザリアが頬を少し赤くした。ジョルジュは微笑んで首を振る。

「ううん、なんでも。ロザリアは、ずっとウィンダス育ちなの?」

「はい、ミンダルシア大陸からは出たことなくて……」

「――え?」

 そう云えば、ロザリアはラテーヌ高原でもロンフォールでも大はしゃぎしていた。羊を見たこともなかったという。しかし、それでは腑に落ちない点があった。

「だったら、どうして、ホラの塔にテレポできたの? あれは、行ったことのない場所には行けないはずよね?」

 そう、ゲートクリスタルと波長を合わせて転移するには、その波長を覚えなければならない。それには、一度、どうあっても自分の足でそこまで出向かなければならなかった。
 ジョルジュの当然の疑問に、ロザリアは少し困ったような笑顔を見せた。

「えっと、その、わたし、実はサンドリア生まれなんです」

「……どういうこと?」

「わたしが赤ちゃんのとき、母さんがわたしを連れて、ウィンダスへ渡ったらしいんです。その途中、ホラの塔へ寄ったんだと思います。記憶はないけど、ゲートクリスタルの波長だけは覚えてたみたいで」

「……」

 その説明に、ジョルジュは軽く首を傾げたものの、何も聞き返さなかった。
 ロザリアは「母親が」と云った。「両親が」ではなく。
 彼女のその表情から、なんとなく詮索するのがはばかられた。

「だから、一度サンドリアは来てみたかったんですよ。でも、一人で行くのも不安だったし。ありがとうございます」

「……ううん、こっちこそ助かったわ。ところで、ロザリアはこのあと、どうする? 私は大聖堂に行かなきゃいけないんだけど……」

「大聖堂!」

 その言葉を聞くと、ロザリアは手を打ち合わせ、目を輝かせて歓声を上げた。もう先ほどまでの憂いは欠片も見えない。

「サンドリア大聖堂といえば、アルタナ信仰の総本山ですよね! 白魔道士として、是非一度行ってみたかったんです! ご一緒してもいいですか?」

「もちろん。じゃあ、案内するわね」

「はい!」

 そう云って、二人は凱旋門に足を向けた。
 南北サンドリアを隔てるこの巨大な凱旋門を抜けると、広大な広場が目に入る。そして、その先にはサンドリアの象徴・王城ドラギーユ城がある。

「あれがドラギーユ城よ。大聖堂はその隣」

 指さしながら、ジョルジュはロザリアを振り返った。
 その豪壮な建築に、再びロザリアが歓声を上げることを想像したのだったが――。

「……?」

 ロザリアはなぜか硬い表情で、じっとドラギーユ城を見つめていた。唇を噛み、睨んでいると云っていい視線で。
 文字通り春の日だまりのようなこの少女に、こんな表情があることに、ジョルジュは驚いた。

「ロザリア……? どうかしたの?」

「――! い、いいえ、何でもありません」

 我に返ったロザリアは、慌てて取り繕うような笑みを浮かべた。
 いつでも花のように笑う彼女に、そんな笑い方は似合わなかった。

「……」

 ジョルジュは腑に落ちないものを感じながらも、追求しなかった。
 他人の事情に自分から関わらないのが、彼女の信条だ。関心は執着になり、剣を迷わせる――。

「じゃ、行きましょうか」

「は、はい!」

 言い捨てて、ジョルジュは歩き出す。その後に続きながら、ロザリアが表情を陰らせたことに、ジョルジュは気づかなかった。

     6

 私は依頼人に会ってくるから――大聖堂に入ってすぐ、ジョルジュはそう云ってロザリアと別れ、地下に向かった。
 卵を抱えたまま、行儀悪く足でドアを開ける。鎧や剣の立てる音に顔を上げたユージーンが、彼女の姿を認めて、駆け寄ってきた。

「ジョルジュ! 早かったじゃないか」

「思いがけず助っ人があってね」

「助っ人?」

「ん。はい、これ」

 面倒な説明ははしょって、ジョルジュはユージーンの手にその大きな卵を渡した。
 ユージーンは慌てて両手でそれを抱えながら、驚きに目を瞠った。

「『竜の卵』……! 見つかったのか!」

「たぶん、ね。それが本当にそうなのか、私じゃ確かめようもないし」

「いや、おそらく間違いないだろう。こんな卵は見たことないし……不思議な力を感じる……」

「ふうん。あの子もそんなこと云ってたわね、そういえば」

「あの子? さっき云った『助っ人』かい?」

「そ。シャクラミで会ったの」

 自分から訊いておきながら、ユージーンはジョルジュの答えなどどうでもいいように、熱心に卵をためつすがめつしていた。ジョルジュとしては肩をすくめるしかない。

「……で、どうやって卵を孵すの? 私も飛竜って奴を見てみたいわ」

「……」

 ジョルジュの言葉に、ユージーンの動きが止まる。
 ゆっくりと顔を上げ、目を何度かしばたたいて――。

「……さあ?」

「……はあ?」

「正直、噂にすぎないと思ってたから……どうしようか、これ」

「あんたねえ……」

 人が苦労して、あんな辺鄙なところまで出張ってきたっていうのに。
 思わず頭を抱えたジョルジュが、嫌みの一つも云ってやろうかと思ったとき。

「ドロガロガの背骨だ」

 低い声がかけられ、とっさにジョルジュは背の大剣に手を伸ばしつつ、振り向いた。
 そこには学者風のエルヴァーンが立っていた。穏やかな風貌で、ジョルジュの剣幕に少し目を丸くしている。

「ジョルジュ?」

 不審そうなユージーンの声に、ジョルジュは腕をおろした。しかし、油断なく男の挙止に目を配る。
 ――この男は、気配を感じさせずに、私の背後に立った。

「失礼。驚かせてしまったかな」

 鷹揚に男が頭を下げる。ユージーンも挨拶を返しつつ、男に尋ねた。

「いえ、こちらの方こそ。……失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「私はヤシェミド。ワオーレーズ先生の門下生だ」

「ワオーレーズ先生というと、竜研究の第一人者と云われる……」

「そう。たまたま通りかかったら、面白い話が耳に入ってきたのでね」

 そう云って、男――ヤシェミドは、ユージーンが抱えた卵に目を向けた。学術的な興味というには、奇妙に熱っぽい視線であるように、ジョルジュには思えた。

「『竜の卵』だって? すばらしい! 飛竜の誕生に立ち会う機会に恵まれるなんて、学者として、この上ない幸運だよ」

「ヤシェミド殿は、この卵を孵す方法をご存じなのですか?」

「もちろん。さっき云っただろう? ドロガロガの背骨さ」

「ドロガロガ……?」

「メリファト山地を東西に横切る、巨大な遺跡よ。……化石、というべきかな。文字通り、巨大な背骨」

 それまで黙って二人の話を聞いていたジョルジュが、ドロガロガの背骨について説明した。ヤシェミドが満足げに頷く。

「そう、さすが冒険者。よく知っているな」

「……」

「そのドロガロガの背骨の、首元に相当する場所に、その卵を置くといい。そうすれば、自然とその卵は帰るはずさ」

「それだけのことで、ですか?」

 ユージーンが首をひねった。普通に考えれば、卵を孵すには長い時間温めたりするものなのではないだろうか?

「竜は生まれるべくして生まれる。トカゲと同じように考えては困るよ」

「はあ……それは確かに……」

 たしなめるようなヤシェミドの口調に、ユージーンは少し顔を赤らめて頭を下げた。
 ジョルジュは変わらず、瞳を鋭くして、ヤシェミドを見据えている。そんな彼女に、ヤシェミドは微笑んで、つけ足した。

「場所がはっきりわからなければ、高位の魔道士を連れていくといい。その卵を見つけたような」

「……なぜ、魔道士がこれを見つけたと?」

「暗黒騎士にこの鼓動が感じられるはずがないよ。……おっと、これは失礼」

 白々しい仕草で失言を詫びると、ヤシェミドはもう一度、微笑んだ。どこか作り物めいた、違和感のある笑顔で。

「それでは。朗報を期待しているよ」

 そう云って、ヤシェミドは二人に背を向けた。滑るような足取りで部屋を出て行く。

「――で、どうする?」

 去っていく後ろ姿を見送っていたジョルジュは、そう呼びかけられ、振り向いた。ポニーテールの黒髪が揺れる。
 ユージーンは、フードの陰の顔を曇らせ、気遣わしげにジョルジュを見つめていた。ジョルジュは苦笑しつつ、肩をすくめて見せた。

「どうするも何も、この『竜の卵』は、あなたの依頼で持ち帰っただけ。私の持ち物じゃないわ。どうするかは、あなたが決めることなんじゃないの?」

「……」

 ユージーンはため息と同時に、軽く頭を振った。
 自分の周囲への無関心さを危惧する彼の心遣いに、あえてジョルジュは気づかないふりをした。

「竜の背骨で卵を孵すなんて、そんな話は聞いたことがない。非常にうさんくさいものを感じるけど……可能性が少しでもあるなら、賭けてみたい気はするな」

「そ。じゃあ、改めて依頼する? 引き受けるわよ、お得意様」

 あくまで軽口を装うジョルジュ。ユージーンは顔を上げ、そんな彼女を強い視線でまっすぐ見据えた。

「ああ、頼む。そして、もし本当に新たな竜が誕生したら、護ってやってほしい」

「……」

 特に力を入れて語られた後半部分の台詞に、ジョルジュは眉をしかめた。不機嫌そうに視線をそらす。

「『炎のジョルジュ』が、一度受けると云った依頼を投げ出すはずはないよな?」

「……ほんとにあんたは底意地が悪いわね」

 大きなため息を吐き出すと、ジョルジュは軽くユージーンを睨んだ。彼も小さく苦笑する。

「何かを護って戦うなんて、私の柄じゃないのに」

「僕はそうは思わない」

 ジョルジュはもう答えず、黙って卵をユージーンから受け取ると、踵を返した。背に差した大剣が、歩みとともにガチャガチャと音を立てて揺れる。

「ま、とりあえず行ってくるわ」

「よろしく頼む」

「はいはい」

 背中を向けたままで、ジョルジュはひらひらと手を振って歩いていった。
 その姿を見ながら、ユージーンは何度か口を開きかけてはやめる、というためらいを繰り返していた。そして、ジョルジュが扉に手をかけたとき、ようやく言葉を絞り出した。

「――ジョルジュ」

「ん、まだ何か?」

「……君はまだ、ロゼットのことを、気にしてるのかい?」

「……」

 ジョルジュは振り向かなかった。だが、その表情は一変しているだろうことは、後ろ姿からさえ十分察することができた。
 殺気にも近い緊張感に怯みながら、ユージーンは言葉を続けた。

「君たち三人は、本当にいいパーティだった。だけど、ロゼットが喪われたとき、残る二人も道を違えた。彼は目に映る者を護る力を求めて、ナイトになり――」

「私は暗黒騎士になった。目の前の敵をすべて斬り伏せる力を求めて」

 低い押し殺した声で呟き、ジョルジュは扉を開けた。足を一歩踏み出しながら、軽く振り返って、薄い笑みを浮かべる。

「口の軽い修道士は、信用されないわよ」

「ジョルジュ、君は――」

「何かを護る力なんて、私にはない」

 吐き捨てると同時に、音立てて扉が閉ざされた。硬い足音が遠ざかっていく。
 ただ一人立ち尽くしたまま、ユージーンは小さく呟いた。

「それでも、僕は思うんだ。君たち二人が願った想いは、同じものだったって」


to be continued...


2003.11.25

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