ちょうど両手に珈琲カップを持って居間に戻ってきたとき、電話の音が鳴った。
真冬は軽く眉をひそめて、カップを机の上に置いた。無視をするわけにもいかない。来客に非礼を詫びて、真冬はもう一度、居間から出た。
無粋な呼び出し音を鳴らし続けている電話を睨み、受話器を掴み上げる。
「……はい、藤村です」
ため息混じり、というより、はっきりと不機嫌な声であったかも知れない。
しかし、電話の相手はそんなことを気にかけた様子もなく、明るい声を張り上げていた。
『あ、真冬? あたし、あたし!』
「……」
その声に、真冬は今度ははっきりため息をついた。たちまち先方の声が険しくなる。
『ちょっとちょっと、なーに、その態度は!?』
「いえ、別に。何か用ですか、姐さん」
『……その呼び方はやめなさいって云ってるのに』
「じゃあ、小夜美姐さん」
『一緒でしょー!!』
「用件は手短にお願いします」
電話の向こうで、彼女――霧島小夜美がどんな顔をしているのか、手に取るようにわかる。真冬は苦笑しつつ、わざとぶっきらぼうな調子を装い続けた。
『もー、どうしていつもそう、そっけないかなあ。人がせっかく……』
『ちょっと小夜美、話が進まないから、電話貸して』
案の定、すぐそばにいたらしいもう一人の声が取って代わる。真冬はさらに深いため息をついた。いつものこととはいえ、二人揃っているなら、逃げ場はない。
『ごめんね、真冬。忙しかった?』
「……いいえ、大丈夫です」
『ちょぉっと! 静流相手だと、なんか態度が違うんじゃない?』
『だから、小夜美はちょっと黙ってて』
たしなめるような白河静流の声。本当にこの人たちは、私より二歳も年上なんだろうか――、いつも、真冬はそう思う。
「それで、どういったご用でしょう?」
『えっとね――』
息を飲み込む気配がする。なんだろう?と耳を澄ませたのが、罠にはまった瞬間だった。
『誕生日おめでとう!!』
二人揃った大きな声が響いた。真冬は思わず受話器を離す。
眉を寄せて受話器を睨んだあと、吐息と共に再度受話器を持ち上げた。
「……そんなことでわざわざ」
云いながら、口元にはどうしても笑みが浮かんできてしまった。それを悟られないよう、いっそう真冬はそっけなく答えたのだが、残念ながら成功しなかったらしい。
『またまた。照れないの』
小夜美が意地悪く微笑んでいるのが目に浮かぶ。真冬はわずかに頬を赤くして、苦笑した。
「――ありがとうございます」
『ううん。それでね、よかったら出てこられない? お祝いしましょうよ』
「あ、はい、でも――」
今は来客がある。それに。
「ごめんなさい、母のところに行く約束があって。そのあとでもいいですか?」
『もちろん。いっそ夜の方がいいわよね。飲みに行きましょ』
「……はい」
少し返事にためらったのは、この二人の飲み方をよく知っているからだ。
そんな真冬の逡巡に、静流と小夜美は気づく様子もなかった。
『じゃあ、七時でいいかな。待ち合わせは……千羽谷のキュービック・カフェで。知ってるわよね?』
「はい、わかります。はい、じゃああとで」
受話器を置いたとき、真冬はやはり微笑んでしまっていた。
まあ、こういうのも、悪くはない。
自分自身に意味もなく言い訳しながら、今度こそ居間に戻ろうとしたのだが――。
「……」
再び、電話の音が響いた。険しく眉をひそめて電話を睨むが、そんなことで鳴りやみはしない。
真冬は長いため息のあと、置いたばかりの受話器を持ち上げた。
「……はい」
『あ、寿々奈と申しますが……』
「……ああ、鷹乃。どうしたの?」
今度は後輩の寿々奈鷹乃だった。
小夜美に聞かれたらまた文句を云われそうだが、さすがに真冬も鷹乃相手だと邪険な物言いはしない。
しかし、それでも鷹乃は恐縮した様子だった。あんな不機嫌な調子で電話に出たら、当然だったかも知れないが。
『こんにちは、真冬先輩。……お忙しかったですか?』
「ううん、平気よ」
真冬はやはり苦笑するしかない。最近の私は、わかりやすすぎるのだろうか?
『そうですか? よかった。……あの、お誕生日、おめでとうございます』
「……鷹乃まで」
『え?』
「ううん。ありがと」
『いえ、それで、よかったら、お祝いをさせていただきたいんですけど……』
「そんな、気遣わないで。鷹乃は受験で忙しいんだから」
『そんなんじゃなくて、私がやらせてほしいんです。いけませんか?』
相変わらずこの子も生真面目だ。真冬は微笑んで、頷いた。
「わかった。じゃあ、甘えちゃおうかな」
『本当ですか!? ありがとうございます!』
「お礼を云うのは、こっちでしょ。……えっとね」
小夜美たちと一緒に、というのも考えたが、高校生を飲み屋に連れて行くわけにもいかない。
「このあと、母のところに行くんだけど、よかったら一緒に来てもらえる?」
『お母様のところに? いいんですか、ご一緒しても?』
「うん、母も喜ぶから。そのあと、お茶でもしましょう」
『はい!』
「じゃあ……四時前ぐらいに、鷹乃の家に寄るわね」
『はい、わざわざすみません』
「ううん、じゃあまた、あとでね」
『はい、失礼します』
今年の誕生日はなんだか忙しい。受話器を置きながら、真冬はそんなことを考えた。どうしようもなく、笑顔を浮かべてしまいながら。
うん、まあ、悪くない、こういうのも。
真冬は時計を見上げた。
現在、午後一時過ぎ。三時半には家を出るとして、三時には準備を始めないと。
ということは、あと二時間ぐらいは……ゆっくり、できるかな。
自分の想像に少し頬を赤くしながら、真冬はようやく居間に戻ってきた。
「ごめん、待たせちゃって」
「俺は平気だけど……大丈夫か? なんか急用?」
「ううん、そんなんじゃないから」
彼の向かいに腰掛け、真冬は珈琲カップに手を伸ばした。すっかり冷めてしまった珈琲は、猫舌の真冬にとっても、あまりおいしくはない。
入れ直そうか、と考えて、ふと彼の方を見ると、そのカップも手つかずのままだった。
「……ごめん、舌に合わなかった?」
「え? ああ、違う違う、そうじゃなくて」
「じゃあ――」
なんで、と云いかけて、真冬は気づいた。彼が照れくさそうに視線をそらしていたからだ。
待っていたんだ。私を。本当にこの人は――。
「バカね」
そう云うと、束の間、彼は憮然とした表情を作ったが、すぐにまた顔中を笑顔にした。
何がそんなに嬉しいんだか。よくわからない。この稲穂信という男は。
「入れ直すわ」
「あ、その前に、これ――」
「え?」
立ち上がろうとした真冬の前に、信は鞄から取り出した包みを差し出した。淡いブルーの包み紙に、白い大きなリボン。
「……これ……」
「はっぴーばーすでぃ、とぅ、まふゆ」
その満面の笑顔を、真冬はほとんど茫然として見つめた。おずおず、という様子で手を伸ばし、プレゼントを受け取る。
「……ありがと」
「どういたしまして」
小さな包みを両手で捧げ持つようにして、真冬はじっと見つめていた。
不思議そうに首を傾げる信は、気づいているのだろうか。これが、自分からの真冬への初めてのプレゼントだということに。
「……ありがとう」
もう一度呟いて、真冬はリボンをほどいた。破かないよう、丁寧に包装紙をはがしていく。
中に入っていたのは、ペンダントだった。銀のチェーンに、涙の形の飾り。アクセントとして、紅い真珠が一つ入っている。
真冬はそれを手に持ってしばし眺めたあと、信の方を見て微笑んだ。唇の端だけで、ニッと、猫のように。
「綺麗ね。いいセンス」
「はは、そっか?」
「さすが双海さんね」
「そう、やっぱ……って、あ……」
慌てて口をつぐんだところで、手遅れだった。信はばつが悪そうに頭をかき、真冬は少し意地悪く笑みを見せた。
「あんたが私の誕生日なんて、覚えてるわけないもの」
「――いや、それは違うぞ」
「はいはい」
信の言い訳を適当に聞き流しながら、真冬はペンダントを首にかけた。飾りを手に取り、もう一度じっと見つめてみる。
きっと私がマフラーなんかあげちゃったから、何かお返しをするように、双海さんに云われたんだろう。それで、誕生日が近いことを想い出して。
彼女の前であたふたしている姿が、簡単に想像できる。本当、この人は――。
「バカね」
とても優しい笑顔でそう云って、真冬は立ち上がった。珈琲カップを二つ持って、キッチンへ向かう。
そう、悪くない。たまには、こういう時間も。
end
2003.1.23
あとがき
くわー、真冬でほのぼのするのって、やっぱ難しいっすー(^^ゞ。
可哀想だけど、どうしても、似合わないし。ねえ。
ということで、そろそろハードな本編に取りかかりたいなーと思ったりしますが、まだ全然まとまってなかったりします。いくつもシリーズ始めすぎだっての。
まあ、とにかく、ようやく19歳になった真冬をこれからもよろしくお願いしますm(__)m(そう! 真冬はまだティーンズなんですよ!)。
感想などいただければ、幸いですm(__)m。