あいにくの雨の中を、唯笑は白い傘をさして歩いていた。
彼岸でもなければ、霊園には人気がない。
唯笑にとっても、今日は特別な日というわけではなかった。
ただ、彩花に会いたくなったとき、ここへ来ていた。墓前でしばらく佇み、言葉をかけていく。はたから見れば独り言にしか見えなかっただろうが、唯笑には彩花が聞いていてくれることがわかっていたし、時には彩花の声が聞こえるような気もしていた。
そして、今日もまた、誰もいないだろうその場所へやってきた。
……しかし、今日、そこにいるのは、唯笑だけではなかった。
(彩ちゃん……?)
ふと彩花自身がそこに立っているような錯覚を覚えた。
だが、すぐにまったく違う人物であることがわかった。似ているのは、髪の長さぐらいだろうか? 雨に濡れるのもいとわず、墓石を掃除し、花を捧げている、そのやや冷たく整った美貌を、唯笑は茫然と見つめた。
「双海さん……?」
呟きながら、ゆっくりと歩み寄る唯笑。その足音に気づいて、詩音が振り向いた。唯笑と目が合っても表情を変えず、頭を下げる。
「こんにちは」
「あ……こ、こんにちは」
慌てて唯笑も挨拶を返す。詩音はそのまますぐに向き直り、墓地の清掃を続けた。
最後に彼女が線香をあげ、手を合わせるまで、唯笑は手伝うことも声をかけることもできずに立ち尽くしていた。
「……どうぞ」
詩音の声に、ふと我に返る。気づくと詩音は立ち上がり、場所を譲っていた。
「あ……ありがと」
答えながらも、唯笑はその場を動けなかった。詩音の顔を、じっと見つめてしまう。詩音が小首を傾げた。
「なんでしょう?」
「あ……ごめんね。でも、どうして? ……あ、智ちゃんと来たの?」
それしかありえないと思った。智也はどこにいるのだろう、と周りを見回す。
しかし、詩音の答えは唯笑の予想を裏切っていた。
「いいえ。私ひとりです」
「そう、やっぱり……って、ええ!? どうしてぇ?」
場所にそぐわない大声を出した唯笑を、詩音はやや咎めるように見た。そしてその視線を、彩花の墓に転じた。
「私にできるのは、これぐらいですから」
その静かな一言に、唯笑は激しい怒りを覚えた。
なんて……なんて傲慢な台詞だろう。
「それは……彩ちゃんから智ちゃんを奪った、償いってこと?」
「……」
唯笑の痛烈な言葉に対して、やはり詩音は表情を変えずに、静かに唯笑を見つめ返した。
その静かな瞳を見ていると、さきほどの自分の台詞に、嘘があったように唯笑には思えてきた。
(唯笑から……智ちゃんを奪った……)
そう云いたかったのではないか。唯笑は自己嫌悪に唇をかんだ。
「……違います」
唯笑の葛藤も何もすべて見通したようなタイミングで、詩音が答える。やはり表情は変わっていないが、少し悲しげに目を伏せているように見えた。
「あのひと……智也さんは、過去を振り切って、私を選んでくれました。そして、私を傷つけないために、過去を一切見ないようにしています。……でも」
「……」
「そんな……風に、過去を切り捨てる必要はないんです。囚われてさえ、いなければ。今の私は――、智也さんを、信じられますから」
「……」
「智也さんも……もう少し時間が経てば、そのことをわかってくれると思います。だから……それまでは……」
そこまで云ったとき、詩音の頬に一筋、涙が伝った。
その涙を、美しい、と唯笑は思った。
(ありがとう)
思わず口をついて出そうになった言葉と――、彩花の声が、重なったような気が、した。
「どうして、泣いているんですか?」
「……え?」
詩音に云われて、初めて気がついた。大粒の涙が、次々と零れ落ちている。
一方の詩音は、すでに涙の跡もなく、不思議そうに唯笑を見つめていた。だが、唯笑には詩音が自分を気遣っているのがわかった。
「ううん、なんでもないの。ありがとう」
両手で涙をぬぐいながら、唯笑は笑顔を浮かべた。
今なら――、今なら、心からふたりを祝福できるように思えた。
「智ちゃんが双海さんを好きになった理由、わかったよ」
「……え?」
これまで表情を変えなかった詩音が、戸惑ったように視線をさまよわせた。そして、はにかんだ笑顔を浮かべて、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ほえ? なんでお礼云うの?」
「あ……なんとなく……」
「変なの」
「……変ですね」
顔を見合わせて、ふたりはひとしきり笑った。
彩ちゃんも笑ってる。唯笑は、そう思った。
*
「それじゃあ今坂さん、ごきげんよう」
霊園の出口で、詩音は丁寧に頭を下げて挨拶をした。
唯笑は手を振りながら、答える。
「うん、またね。……あ、唯笑って呼んでよ」
「はい。私は詩音です」
「詩音ちゃんかあ……。綺麗な名前だよね。うらやましい」
「ありがとうございます。……でも、唯笑もいいお名前だと思いますよ」
微笑みながら、詩音は云った。
唯笑は誉められたことより、その笑顔が嬉しくて自分もつい笑ってしまう。
「えへへ、そうかな」
「はい。どんなことがあっても、いつも笑っていられるように、と願いを込めてつけられたと、智也さんから伺いました」
「あ、どーせバカにしてたんでしょー。いつでもへらへら笑ってるとか云って」
そのときの様子を想像して、膨れっ面になる唯笑。しかし、詩音は真顔で首を振った。
「いいえ。とても大切そうにお話していました」
「……えぇ?」
「私、少し悔しかったです」
「……」
真顔で話す詩音に対し、どんなリアクションを取ったものか、唯笑は困ってしまった。
詩音はそんな唯笑の困惑にお構いなしに、先ほどと同じように頭を下げる。
「それじゃあ唯笑さん、ごきげんよう」
「あ……ごきげんよう……って、そういうバカ丁寧なのもやめない?」
顔を上げる詩音。表情を変えないままで、
「これは癖です」
「あ……そう……」
その一言を最後に、詩音は踵を返して歩き去った。
唯笑はその後姿をしばらく茫然と見送っていたが、詩音が角を曲がろうとしたところで、大きく手を振りながら大声を張り上げた。
「詩音ちゃん、ばいばーい!」
その大声に驚いたように詩音は足を止める。そして唯笑を振り返ると、小さく手を振った。
ばいばい、と云ったのかな?と考えて、唯笑は少しおかしくなった。
傘を下ろして、空を見上げる。
雨は、いつの間にかやんでいた。
あとがき
唯笑シナリオクリア記念……にはなってませんね(^^ゞ。
正直云って、唯笑タイプ、『久遠』で云えば栞ですね、こういうキャラは私にとってかなりプライオリティが低いんですよ。なので、どうやって動かせばいいのかわからないんです。唯笑メインで一本は……難しいなあ。
全然違う理由ですが、みなもシナリオも書けないと思います。悲しすぎるから(T_T)。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。