Angel

 小雨がぱらぱらと降り注ぐ中、黒いタキシード姿の智也は、傘もささずにもう長いことそこに立ち尽くしていた。
 2時間は経っただろうか? 何を語りかけるでもなく、ただじっと――、彩花の墓碑を見つめ続けている。
 そして、さらに1時間が過ぎようとした頃、ようやく、手に持っていた花束を墓碑の前に置いた。
 優しく、悲しい微笑を浮かべる。
 そろそろ、約束の時間だった。

「彩花……」

(ありがとう、智也)

 自分の呼びかけに、彩花が答えるのが智也にはわかった。
 そっと背中から彼女が包み込んでくれているような、そんな感覚を覚える。

(来てくれて、嬉しかった。……ほんとだよ? 智也の今日の姿が見られて、私、ほんとに嬉しいの。……でもね)

「でも?」

(花嫁を待たせるものじゃないわ)

 授業中、寝てちゃダメなんだよ。口を尖らせながら、よくそんな風に叱られた。そのことを思い出して、智也は小さく微笑んだ。

「そうだな……。もう、行かなくちゃ」

(うん。行ってらっしゃい)

 頷くと、智也は踵を返して歩き出した。その背中に、彩花の呼びかけが届く。

(智也……)

「なんだい?」

 振り向かず、智也は足を止めて答えた。彩花は泣いているのかもしれない。そう思ったから、振り向かなかった。

(おめでとう。幸せに……なってね)

「……ああ。ありがとう」

 智也は再び歩き出した。振り向くことなく、ゆっくりと。

     *

 教会の控え室で、ウェディングドレスをまとった花嫁が座っていた。
 純白の衣装が、彼女の美貌を引き立てている。
 控え室に遊びに来た彼女の友人たちも、その姿にため息をつくばかりだった。
 ……けれど、肝心なものが欠けていた。花婿が来ていないのだ。
 予定の時間まで、あと5分ほどしかない。
 それでも花嫁……詩音は静かにじっと座っていた。――手にした本を読みながら。

「えーっ、智也の奴、まだ来てないのー?」

「花嫁を待たせるなんて、サイテーですぅ」

「ほんっと、相変わらず甲斐性なしね、あの子は」

「ですよねー? もう、こうなったら、俺が詩音ちゃん、さらってっちゃおうかな?」

「ふーん。信くんの本命って、やっぱり詩音ちゃんだったんだ」

「えっ……ちょ、ちょっと、それは誤解だよ、唯笑ちゃん」

「……大丈夫です」

 詩音の心配を和らげようと、みんな必要以上に騒いでいる。その心遣いは詩音にもわかっていたが、彼女には、不安はなかった。
 智也には、今日、どうしてもやるべきことがあった。それだけなのだ。

「あのひとは、大切な人に報告に行ったんです」

「……え、それって詩音ちゃん、もしかして……」

「もうすぐ戻ります。……ほら」

 どたどたと廊下を駆けてくる足音が聞こえる。
 全員の視線がドアに集中したとき、ノックもなしにいきなりそのドアは開かれた。

「ご……ごめん、詩音、遅くなって……」

 息を切らしながら部屋に入ってくる智也。しかし、彼を迎えたのは詩音以外の人間からのブーイングだった。

「おっそーい。何考えてんの?」

「花嫁の控え室を、ノックもなしに空けるって無神経ですぅ」

「ちぇっ……来やがった」

「な……なんだ、お前らもいたのか」

「いたのかじゃないよー! 唯笑たちだって、心配してたんだからね。詩音ちゃんの気持ちも考えて……」

「――教会では、お静かに」

 静かな、しかしよく通る声が響き、誰もが思わず首を縮めて沈黙した。ここにいるみんなが、一度は図書室で同じようにたしなめられたことを思い出していた。
 詩音は立ち上がり、智也に近づいた。
 白い手袋に包まれた手を伸ばし、智也のネクタイの歪みを直してやる。
 そして、智也の全身を見つめたあと、微笑んだ。

「よくお似合いです」

「あ、ありがとう。……詩音のほうこそ、……綺麗だよ」

「……ありがとうございます」

 詩音が頬を染めてうつむく。

「ひゅーひゅー。お熱いねえ、少年少女」

「……小夜美さん、俺たち、もう26なんですけど……」

「そうよ、それであたしは三十路一歩手前……だから何?」

「いや、誰もそんなことは……」

「ま、まあまあ……。じゃあ智ちゃん、唯笑たちは先に行ってるからね」

 控え室にふたりきりで残され、智也はもう一度詩音を見つめた。
 雨はやみ、窓から柔らかな日差しが差し込んでいる。その光の中、静かに佇む詩音。
 ……綺麗だ。
 それしか、言葉は出てこなかった。

「喜んでくれましたか……?」

 智也の顔を見つめ、優しく微笑みながら詩音が云った。智也も笑顔で、頷き返す。

「……ああ」

「よかった……」

 呟きつつ、詩音は智也の胸に顔を寄せた。智也はその体を受け止め、そっと抱きしめる。
 そして、誓いの言葉を、口にした。

「天使が祝福してくれたから……きっと、幸せになる……。俺が……幸せにするよ……」

「……はい……」

 小さく頷く詩音。閉じたまぶたから、涙がこぼれて落ちた。

「幸せです……私……」

 鐘の音が響く。
 固く寄り添うふたりを天使が抱きしめ、白い羽根が祝福するようにふたりを包んだ。




2001.3.13

あとがき

おいおい、結婚させちゃったよ……ってところでしょうか(^^ゞ。
智也が彩花に結婚の報告をしに行くところを書きたかったんですよね。
なので、このお話の主人公は彩花です。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

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