For nowadays

「朝ですよー、起きてくださーい」

「ん……あと10分……いや、5分でいいから……」

「ダメでーす。今日は一緒に絵を描きにいくって約束したじゃないですかー」

「わかった……じゃあ、あと3分……」

「往生際が悪いですよ、智也さぁーん」

 強引に布団が剥ぎ取られる。窓も全開にされ、まだ寒い2月の風が吹き込んできた。

「さ、寒いよ、みなも」

「えへへー、だったら早く起きて着替えてくださいねー」

 太陽のような笑顔。北風さえ忘れさせるそのぬくもりに、俺はようやく全面降伏して布団から起き上がり――。
 そして、知るのだ。あの笑顔が、もう失われていることを。
 カーテンを開け放した窓からは、暖かい日差しが差し込んでいる。夕べ、カーテンを閉め忘れて寝てしまったらしい。
 その窓をぼんやり眺めながら、俺は考えた。
 ……以前は、あの窓を叩いて起こしに来る少女の夢をよく見た。
 そして、今は――。

「……っ」

 どうしようもなく、涙がこぼれる。
 俺は……俺は、同じことを繰り返しているだけなんだろうか?
 いつも……なにもできなかった。俺に、人を好きになる資格が、あるんだろうか。
 膝を抱えて、うずくまる俺。あの日と同じように。そうだ、もう動けない……。
 そう考えたとき、彼女が、耳元で囁いた。

(違うよ、智也さん)

「みなも……?」

(智也さん、優しかった)

「それが……なんになった? なにもできなかったじゃないか! みなものために……なにも……してやれなかった……」

(ううん……わたしを、海に連れてってくれたじゃない)

「……」

(金色の海……。嬉しかった。智也さんとの約束が果たせて)

「みなも……」

(デートも、してくれたよ?)

「1回だけじゃないか」

(うん……でも、いいの。わたし、智也さんと逢うときはいつも、これが最後かもって考えてたから)

「……」

(だから……だから、そのときそのときを、とっても大事にしてた。今この一瞬が、かけがえのないものだから……)

「みなも……」

(智也さんだって、ほんとはわかってるんでしょう? 大切なのは『今』。前へ、進まなきゃ)

 彼女の気配が、遠ざかっていくのがわかる。
 俺は思わず立ち上がって、叫んでいた。

「待ってくれ、みなも! 俺はまだ……」

(前へ……前……へ……)

 囁きが、かすれていく。
 なにかを、引きとめようとして、手を伸ばしたとき――。
 部屋のドアが、開け放たれた。

「おっはよー、智ちゃん。朝だよーっ! ……って、あれ? もう起きてた?」

「唯笑……」

 茫然と部屋の真ん中で立ち尽くす俺を、唯笑が怪訝そうに見つめた。
 俺の顔に残る涙の跡に気づいたのか、心配げに眉を寄せる。

「どうしたの……? なにかあったの?」

「い、いや、なんでも……。唯笑こそ、どうしたんだ?」

 わざと背中を向けたままで俺は答える。赤い目を見られたくなかった。
 俺の様子がおかしいことに、唯笑は当然気づいていただろうが、なにもそのことには触れずに、いつもの調子で話を続けてくれた。

「どうしたじゃないよぉ。今日は海を見に行くって約束したじゃない」

「海……?」

「そうだよ……。あの、オチバミした海……」

 そういえばそうだった。だから、あんな夢を……?
 黙りこんでしまった俺を元気付けるように、唯笑が笑顔でさらに声を張り上げる。

「もう、みんな待ってるんだからぁ。早くしないと、どんな目に遭うか、わかんないよ?」

「みんな……?」

「うん。ほら、下見て」

 窓を開けて、玄関の前を見下ろす。そこにはいつもの連中がたむろしていた。
 顔を出した俺に気づき、次々に悪態をつき始める。

「あーっ、やっっっぱりまだ寝てやがった。早く出てこいよ、智也!」

「年上の女を待たせるなんて、偉くなったわねー?」

「これは当然おごりよね」

「……紅茶、冷めますよ」

 口々に勝手なことを云いやがる。誰もが、笑顔のままで。
 そして、俺の隣には、最高の笑顔があった。

「ね?」

 自然と笑顔を返してしまう。
 そうだ、今のこの笑顔のために、俺は……前に、進まなきゃ……。

「……ちぇっ、好き勝手云ってるなあ」

「寝坊するほうが悪いんだよーん。早く着替えなよ」

「……了解。ところで、唯笑……」

「ほえ?」

「俺の着替え、見たいのか?」

「……! み、見たくない、見たくないよ!」

 顔を真っ赤にして、慌てて唯笑は部屋を飛び出していく。去り際にドアから顔を出して、「早くね」と念を押すのは忘れなかったが。
 俺は手早く着替えをすませながら、今日のことを考えた。弁当は誰が作ってくれたんだろう? 唯笑か? それは危険だな……。小夜美さんだと、変なパン持ってきてそうだし……。かおるや双海はどうだろうな? 信は問題外として……。
 玄関に出ると、唯笑が立っていた。手にした包みを嬉しそうに見せる。

「じゃーん。お弁当作ったよー」

「……」

「ほえ? どうしたの?」

「……嬉しくって、言葉が……」

「ほんとぉー? 今日は素直だねえ、智ちゃん」

 相変わらず疑うことを知らない唯笑が、満面の笑みを見せる。
 俺は苦笑いしながら玄関を出て、待っていてくれる人たちの輪に加わった。
 そうだ……前に、進まなきゃ。

(前へ……前へ……)

 彼女の囁きが、最後にもう一度だけ聞こえた。




2001.3.14

あとがき

ようやく気持ちが落ち着いてきたので、書いてみました、みなもシナリオ。
やっぱこういう形にならざるを得ないですね(T_T)。あのあと、奇跡的に回復しました、ばんざーい、とはやはり考えられない……。
ほんとはもっと長いお話を考えていたんですが、今はこれが限界です(T_T)。
タイトルはみなものテーマからいただいていますが、内容的には「This may be the last time we can meet」です。あの歌詞、みなもシナリオとかぶりすぎ(T_T)。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

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