昼休み。屋上のベンチに腰掛け、詩音は読書をしていた。
久しぶりにひとりきりの静かな時間。それなのに、なかなか本の内容が頭に入らなかった。同じところを何度も読み返すが、どうしても集中できない。
ほうっとため息をつくと、詩音は本を閉じてしまった。冬の高い空を見上げる。
(私は私です。誰かの代わりじゃない)
どうして、あんなことを云ってしまったんだろう?
あのとき、口をついて出た言葉。胸に沸き起こった、苛立ちと憤りとやるせなさ。
彼がどういう意図で自分に近づいたとしても、そんなことはどうでもよかったはずだ。彼に興味がないのなら。
そう……彼に、興味がないのなら。
「あれ? 珍しいね、こんなとこで」
物思いにふける詩音に、後ろから声がかけられた。
驚いて振り返ると、そこにはクラスメイトの少女――音羽かおるがいた。
「こ……こんにちは」
「こんにちは。……って、クラスメイトに学校の中で会って、わざわざそんな挨拶しなくてもいいんじゃないの?」
笑いながらかおるが云う。唯笑とは少しタイプの違うその明るさが、詩音にはやや苦手だった。
だが、かおるのほうは詩音の気持ちに気づくはずもなく、その隣に腰を下ろした。
「稲穂クンが探してたよ」
「……だから、ここにいるんです」
「なーるほど。彼も報われないね」
またひとしきりかおるが笑う。そんなつもりはないだろうとわかっているが、どうしても詩音は揶揄されているような気になってしまう。
「ひとりになりたいこともあります」
「……そりゃそうよね。私も、だから、ここに来てるんだし」
「……え……?」
かおるの声の調子が変わったことに気づいて、詩音はその横顔を見つめた。
かおるは屋上のフェンス越しに、何かを探すようにじっと視線を注いでいる。
その姿は、教室で智也たちと話しているときとは別人のように寂しさを漂わせ、いっそはかなげでさえあった。
「音羽さん……」
「――ん?」
しかし、振り向いたときにはもう、いつもの笑顔だった。
私はいつも、ひとの表面しか見ようとしていないのかもしれない――、詩音は少しだけ自分を責めた。
「それで、双海さんは何を悩んでたの?」
「え……私は、ただひとりでゆっくり本が読みたくて……」
「読書してるようには見えなかったけど?」
「……」
笑顔のまま、瞳だけ真剣な光で追求してくるかおる。
やっぱりこのひとは苦手だ。詩音はそう思い直した。
「それは……」
「うそうそ。そんなこと、気楽に人に話せたら、こんなところで悩んだりしてないよね」
あっけらかんとかおるは笑った。だが、その目に少し寂しそうな色があることには、詩音も気づいた。
「私たち、そんなに親しいわけでもないしね」
「音羽さん……」
「だけどさ、よく知らない同士だからこそ、云えちゃうこともあるかもしれないじゃない? 相談に乗る、とか大袈裟な話じゃなくてさ、ただ胸にたまったものを吐き出したい、とかね。石仏とでも思えばいいんじゃないかな」
「石仏……ですか」
お地蔵様スタイルのかおるをつい想像してしまい……詩音は、思わず吹き出していた。
「……ん? なあに? 私、何か面白いこと云った?」
「い、いえ……。失礼しました」
「変なのー」
云いながら、かおるも笑っていた。
同年代の女の子と、こうして談笑することも久しくなかったような気がする。詩音はいつの間にか心が軽くなっていることに、自分でも驚いていた。
「悩んでるわけじゃ、ないんです」
つい、思っていることを口に出してしまった。そう、かおるの云うとおり、ただ誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「悩んでるわけじゃなくて……ただ、自分で自分の気持ちが、よくわからなくて」
「そういうのを、世間一般では『悩んでいる』って云うんじゃないのかな? ……あ、石仏はしゃべっちゃダメね、ごめんごめん」
片目をつぶって、舌を出すかおる。詩音も小さく微笑んだ。
「そうですね……。私、ほんと、どうしてしまったんでしょう。……あのとき、裏切られたような気持ちに、なってしまったんです。彼に何を期待していたわけでもないはずなのに……。ううん、それどころか、私は彼をちゃんと見ようともしていなかったのだから……。そんな私が、彼に腹を立てる筋合いはないんです」
「……」
「変ですよね、私」
言葉にすることで、もやもやしていたものを整理することができた。
この心の動きが、なんによるものなのかは、まだわからないけれど。
それは単にプライドを傷つけられたという思いかもしれないし……、もしかしたら、新しい物語の始まりであるかもしれない。
そんなことを、不思議と冷静に考えることができた。
かおるは詩音の呟きを黙って聞いていたが、ふと視線をまた金網の向こうにさまよわせた。先ほどと同じ陰りを漂わせて、自身もまた独り言のように呟く。
「普通だと思うよ」
「……え?」
「一緒に……いるんだからさ、素直に怒って、笑って、泣いて、……そうやって、気持ちをぶつけなきゃ。自分だけ、相手を思いやったつもりになって……気持ちが、すれ違ってしまったら……悲しいよ」
「音羽さん……」
かおるがどんな想いで遠くを見つめているのか、詩音には少しだけわかったような気がした。そして、それを彼女に口にさせたことを、激しく後悔した。
「ごめんなさい、私……」
「――ううん、いいの。私もね、誰かに聞いてほしかったんだ」
振り向くと、かおるはいつものように笑っていた。
いや、「いつもの」ではない。作られた明るさではなく、心の内から自然とこぼれてくる笑顔で。
知らず知らず、詩音も微笑を浮かべていた。
そのとき、鐘の音が聞こえてきた。
「あ、予鈴だ。戻ろっか」
「はい」
「またなんかあったら、ここで石仏の会しようか」
「そうですね。……そのときは、紅茶をご用意します」
「お供え物?」
からかうように、かおるが笑う。詩音もただ笑顔を返した。
*
放課後、信は図書室に来なかった。
なんとなく沈んだ気分で、詩音は階段を下りる。
私は、彼に来てほしかったのだろうか?
かおると話して自分の気持ちに少し整理がついたような気がしたが、それでもやはりまだそれは、詩音自身が持て余す感情だった。
いつもどおり両手に本を抱えて、下駄箱に出た。すると、そこには少年がひとり、立ち尽くしていた。
「……稲穂さん」
「あ、ああ。今、終わったの? お疲れ様」
優しく微笑む信。いったい、いつからここにいたのだろうか?
「私を……待っていてくださったのですか?」
「えっと……うん。あんまりさ、強引に押してばっかりじゃ嫌われるって智也たちに云われて、それで図書室には行かなかったんだけど……でも、やっぱ一緒に帰りたくって。はは、何やってるんだろな、俺」
信は照れくさそうに頭をかいた。
詩音は微笑みながら、手にした荷物を差し出した。
「……え?」
「持ってくださいませんか?」
「あ、持つ持つ、喜んで。……そっちも持つよ」
「結構です」
詩音の荷物をすべて取り上げてしまいかねない信の様子に、詩音は苦笑しながら歩き出した。信が慌ててあとを追う。
夕日がふたりの長い影を、校庭に落とした。
あとがき
調子に乗って第3弾まで書いてしまいました(^^ゞ。
はじめて、かおるをちゃんと書きました。唯笑よりも難しいかも。彼女、ゲーム中でもイマイチ、キャラが立ってないので、わかりにくいんですよね、どんな人なのか。
ゲーム中では詩音との直接的な絡みがほとんどない彼女ですが、ドラマCDでは「転校生同士、仲良くしたい」と云っていたので、その辺りから考えてみました。
ご感想など、いただければ幸いですm(__)m。
追記
気がつきませんでしたが、奇しくもこれ書いた日は、かおるの誕生日でした。Happy
Birthday \(~o~)/