喫茶店の窓から、小さい女の子が二人、手を繋いで駆けていくのが見えた。
一人は漆黒の髪、もう一人は明るい茶色の髪をしている。どちらも背の半ばまで伸ばしていて、走るたびにそれが柔らかく揺れていた。
私は紅茶を口に運びながら、ふと目を細めた。彼女たちの笑顔が眩しくて。
あの頃の私は……いつも、泣いていたように思う。
*
あれは私が七歳か八歳ぐらいの頃だろうか。
その日も、私は公園で一人泣いていた。
毎日、学校でいじめられていたからだ。
みんなとは違う目の色、髪の色。上手に話せない日本語。そんなことで。
周りの何もかもが嫌いだった。
そして、それ以上に、自分が嫌いだった。
もしこんな風じゃなくて、みんなと同じように生まれていたら、きっといじめられることもなかったのに――。
毎日を、そんな繰り言で過ごしていた頃。
「わぁ、綺麗……」
「……え?」
突然、近くで声がして、私は思わず顔を上げた。
すると、黒髪の綺麗な顔立ちをした女の子が、びっくりした顔で私を見つめていた。
私と同じ年ぐらいに見えるその子は、けれど、私とはあまりに対照的に、深い闇のような黒い髪と瞳を持っていた。
だから、私がその子に持った第一印象は、「反発」だったと思う。
今、彼女が驚いているのも、私の瞳を見たからに違いない――そう、思った。
でも、その子は、心配そうに眉をひそめて、首を傾げたのだった。
「どうして泣いてるの?」
「……」
私は思わず目をそらしてしまった。どんな顔をしたらいいのか、わからなくて。
だって、これまでそんな風に心配してもらったことはなかったから。
その子は答えない私に腹を立てるでもなく、しばらくそこに佇んでいたが、やがて、私の隣に腰を下ろした。そして、私の銀がかった薄茶色の髪を、優しい仕草で梳った。
「あ……」
今度こそ茫然と、私はその子を見つめた。その子は猫のような切れ長の瞳を細めて、微笑んでいた。
「ほんと綺麗。銀の髪に金の瞳……お姫様みたい」
「……そんなこと、ない」
再び硬い表情で、私は首を振った。
結局、この子も私の外見が珍しいだけなのだ。私はあなたのような黒髪・黒瞳こそがほしかったというのに。
その子は怪訝そうに、眉をひそめた。
「どうして? みんな、綺麗だって云うでしょう?」
「……」
無言で首を振る私。本当はもう立ち去りたかったが、その子がしっかり私の髪を掴んでいて、立ち上がるわけにもいかなかった。
「うそ。お母さんは?」
「……え……」
思いがけない言葉だった。
その頃、私の母はすでに亡くなっていた。けれど、いつも私の髪を愛しんでくれたのは、覚えていた。毎朝、母と同じ色の髪に、母が櫛を当ててくれるのが嬉しくて――。
「……うん……」
「でしょ? 私もね、綺麗な髪だって、お母さんがいつも褒めてくれるの。だから、私はこの髪が好き。あなたもそうでしょ?」
そうだ。母が残してくれたこの髪、この瞳。母に生き写しであることが、幼心にも誇りであり、何より嬉しかったはずだ。それなのに。
「……うん」
気がつくと、私は笑顔で頷いていた。
その子は、ニッ、と唇の端だけで器用に笑って見せた。まるで猫が笑ったみたいだった。
そのとき、大人の女の人が、公園に入ってきた。誰かを捜すように首を巡らしながら、声をあげている。
「――、どこにいるの?」
「あ、こっちこっち!」
声を聞いて、その子は立ち上がって手を振った。そして、私に振り向いて、もう一度微笑んだ。
「私、もう帰らなきゃ。ね、また会えるかな」
「あ……ごめんなさい、私、もうすぐ引っ越し……」
そう、このときにはすでにまた父の都合で、海外へ移ることが決まっていた。私はこの瞬間まで、そのことに何より安堵していたものだったけれど。
「そっか、残念。でもきっと、また会えるよね」
その子は一瞬、悲しげに表情を曇らせたあと、精一杯の笑顔を浮かべてくれた。
「私、――。あなたは?」
「……しおん」
「しおんちゃんか。じゃあ、またね!」
またすぐ明日にでも会える友達のように、その子は手を振って、迎えに来た女の人――たぶん、その子のお母さんだろう――の元へ走っていった。
揺れる黒髪を、私は眩しい想いでいつまでも見つめていた。
*
「――詩音ちゃん、詩音ちゃん、どうしたの?」
「……あ、いえ、何でもありません、失礼しました」
ずいぶん長い間、ぼんやりと窓の外を眺めてしまっていたらしい。
私は苦笑しながら、向かいに座る男性を見つめ返した。
「ちょっと、昔のことを想い出していました」
「昔のこと? へー、どんな?」
「……秘密です」
「どわっ。秘密多いよ、詩音ちゃん……」
そう云いながら、けれど、彼は嬉しそうに顔中を笑顔にしていた。こちらもつい笑ってしまうぐらいに。
本当、不思議なひとだ。この稲穂信というひとは。
「で、どう? ここの紅茶は? 今度は俺、自信あるんだけどな」
「そうですね……65点……というところでしょうか」
「つう……まだそんなもんか……。厳しいなあ……」
頭を抱える信さんに、もう一度苦笑しながら、私はまた窓の外を見た。
もう、さっきの少女たちはいない。
――あの想い出の中の黒髪の少女、あの子の名前を、私はどうしても想い出せなかった。
本当に大切なものを気づかせてくれた、とても大事な出来事なのに。
もう一度会いたい……そう考えたとき、なぜか私の頭には、同じく黒髪・黒瞳の凛とした女性が浮かんでいた。
「まさか……ね」
「え?」
「いえ……その……真冬さんは、お元気でしょうか」
私がその名前を口にするのが意外だったのか、信さんはやや驚いて目を瞬かせた。そのあと少し悲しげに微笑んで、首を振った。
「どうかな……あのあとは会ってないし……連絡もないから」
「そうですか……。でもきっと、また会えますよね」
本心からの言葉だった。私は、そのつもりだった。
そのことをきっとわかってくれているから、彼は今度は驚きもせず、ただ穏やかに微笑んで頷いた。
「そうだな」
頷き返した私は、もう一口紅茶を飲んだ。
もう一度会いたい。それはきっと予感――。
あとがき
ちょっと長めの話を書き上げたあとって、テンションがハイな状態が続いて、その勢いで即興で短編書いたりしませんか? 私はそういうタイプなんですが。
ということで、久しぶりにしおにゃんの登場です。
一応、『Can You Keep A Secret ?』と『冬物語 Second Season』を繋ぐエピソードなのですが、この「想い出」が何かの伏線になっているのかどうかは、未だ謎です(^^ゞ。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。