Happy, Happy Graduation

 春は駆け足でやってきた。
 三月になってから急に暖かくなり、下旬の今では、すでに桜が咲き誇っている。
 ここ、澄空学園の校庭の桜も、見事な満開だった。
 時折吹く風に、薄紅色の花びらが舞う。その様を、樹の下に立って、じっと霧島小夜美は見上げていた。
 口元にはかすかに笑みが浮かび、けれど、瞳には隠しようのない憂いを湛えて。
 来る春を喜ぶように、去りゆく冬を悼むように。
 そんな小夜美を、校門のそばからは、三上智也が見つめていた。
 いつも子供のように笑う彼女が、時折見せるその表情。それがいつも、智也を切なくさせた。
 今はいない誰かを想うこと。その気持ちが、誰より智也にはわかってしまうから。
 そのまましばし声をかけることもできずに智也は立ち尽くしていたが、やがて小さくため息をつくと、小夜美のそばに歩いていった。

「……よ、小夜美、お待たせ」

「あ……ううん」

 智也に気付くと、小夜美はいつもどおりにこやかに微笑んだ。
 そこには、先ほどまでの陰りはない。
 傷みを抱えて、それでもそんな風に笑える小夜美を見るとき、智也はいちばん「歳の差」を感じてしまう。俺はこんな風に笑えているだろうか、と――。

「ごめんね、呼び出したりして」

「まったくだ。それもよりによって学校なんて。ムードも何もないな」

「あはは……。そうだね、でも、どうしてもここで云っておきたいことがあって」

「云っておきたいこと?」

「……うん」

 小さく頷くと、小夜美はそのままうつむいてしまった。言葉を探すように、智也の足元をじっと見つめている。
 智也は促しもせず、小夜美の話を待った。
 やがて、小夜美が顔を上げた。微笑もうとして、けれど、あまりに瞳が真剣すぎて、失敗してしまって。

「別れよっか」

「……」

 智也は何も云わず、一歩、小夜美に近づいた。
 瞳をまっすぐに見つめてくる小夜美から目をそらすことなく、ゆっくり智也は腕を伸ばし――、小夜美の頭を、軽く叩いた。

「いたっ、何すんのよ、もう!」

「……お前こそ、何云ってんだ」

 心底呆れきった表情で、智也は肩をすくめた。小夜美は頬を膨らませて、智也を軽く睨む。

「ちぇっ。ちょっとは動揺しなさいよ」

「脈絡もなくそんな話されて、真に受けるバカがいるか」

「つまんないのー」

 云いながらも、小夜美は笑っていた。今度こそいつもどおり、子供のような笑顔で。智也もつい、笑みを返してしまう。

「で、ほんとの話は?」

「うん……あのね」

 少し強めの風が吹く。小夜美は髪を押さえながら、智也に向き直り、微笑んだ。

「卒業、おめでとう」

「……はい?」

 今度もまた、智也は目が点になる。しかし、小夜美の言葉は今度は冗談ではないようだった。

「……って、今更、何を? 卒業式は二月にやったし……お祝いだって、してくれたじゃないか」

「うん、そうなんだけどさ……」

 言葉を切って、小夜美は校舎のほうに目を向けた。学校全体をゆっくりと眺め渡していく。

「卒業式のときは、あたし、ここに来れなかったし。智也が澄空ここを出る前に、どうしてもここで、おめでとうって云いたかったんだ」

「小夜美……?」

「色んなこと、あったよね」

 その短い呟きで、智也は小夜美の云いたいことがわかったような気がした。
 智也もまた小夜美の隣に並び、校舎を眺めた。

「そうだな」

「うん……」

 小夜美が智也に寄り添ってくる。そして、視線は校舎に向けたままで、言葉を続けた。

「悲しい想い出も……ここにはあるんだ」

「……」

「だから、お母さんの代わりに購買で働くのも、ほんとは抵抗あったの。今だから云えることだけどね」

「……そっか」

「でも……そのおかげで、智也に逢えたんだね……」

 再び強めの風が吹いた。髪を押さえる小夜美をかばうように、智也が風上に背を向ける。小夜美ははにかんだ笑みを、智也に向けた。

「ありがと。……だからね、最後に智也と一緒に、ここへ来たかったの。ここで智也におめでとうと……ありがとうを、云いたかった」

「……バカだな」

 感謝の言葉は、自分が云いたかったことなのに。どれだけ傷つけても、ただそばにいてくれたことを。
 智也はここが校庭であることも一瞬忘れ、小夜美を抱きしめそうになった。伸ばしかけた手のやり場に困り……ふと、小夜美の髪に桜の花びらがついているのに気付いた。
 そっと優しい仕草で、智也がその花びらを取る。そのまま二人の前に掲げると、小夜美は嬉しげに微笑んだ。

「あは。可愛い」

 その笑顔を、智也は真剣な表情でじっと見つめた。視線に気付き、小夜美が不思議そうに首を傾げる。

「……さっき、実はちょっと焦った」

「さっき? ああ……」

 くすっ、と小夜美がいたずらっぽく笑う。けれど、智也は真剣な表情のままだった。

「桜を見ていた小夜美は……淋しそうに見えたから……そのまま……消えてしまいそうで……」

「智也……」

 わずかに目を丸くすると、小夜美はまた満面の笑みを浮かべた。智也が愛してやまない、子供のような笑顔。

「バカね。どこにも行かないよ」

「……」

「智也こそ……」

「……え?」

「智也は……ずっと一緒にいてくれるんだよね?」

 ……今度こそ、智也はここがどこであるかを忘れた。春休み中とは云え、教師が学校にいる可能性は高かったし、部活で登校している学生もいるはずだったが、知ったことではなかった。
 智也は腕を伸ばし、小夜美を強く抱きしめた。

「ああ。……ずっと、一緒だ……」

「うん……」

 強い、春の風が吹く。
 満開の桜は、惜しげもなくその花びらを風に舞わせていた。


end


2002.3.23

あとがき

大学の卒業式が三月だったんで、私の中で卒業式というと三月、というイメージができあがっていたんですが……よく考えると、高校の卒業式は二月なんですよね(^^ゞ。この作品のネタ自体は、少し前からあったんですが、この事実に気付いたときは、すでに二月は終わっていたという……。
まあ、でも、本作の主題は「桜の下に立つ小夜美ねーさんを書くこと」だったので、いっか、と(^^ゞ。学校を離れる直前の感傷、みたいなものも表現できているといいのですが。
イベントシリーズは(ホワイトデー抜かしちゃったけど)、一応今度こそこれで一区切りです。あとは同じ行事の繰り返しになるので、ほんと、ネタがあればってことで……。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

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