「ナマステ〜」
いつも通りの挨拶を口にしながら、稲穂信はキュービック・カフェのドアを開けた。
レジの横には、小さな可愛らしいクリスマスツリーが置かれている。こういうのは、本来、テンチョーの好みではないはずだが、例によってバイトの子とのせめぎ合いの結果だろうか。キュートでハッピー、という奴だ。
店内を見回すと、見知った人間が一人、無愛想な視線をこちらに向けていた。それもいつも通りのことなので気にしないが、今日という日に、彼がここに一人でいることは、意外だった。
「ナマステ、智也」
「……だから、その妙な挨拶はやめろっての」
相変わらず眠そうな声で、三上智也はそう返した。信は芝居がかった仕草で、肩をすくめて見せる。
「何が妙なんだよ。お前はインドをバカにしてるのか、智也?」
「話をすり替えるな。ここはインドじゃないし、お前は日本人だ」
「つまらんことを。だから、お前にはグローバルな視点が致命的に欠けてるというんだ。そんなこっちゃ、これからの世界、役には立たんぞ?」
「何がグローバルだか……」
「信さんは、世界を股にかけた男だものね」
くすくすと笑いながら、信に水とおしぼりを運んできたアルバイトの女の子が口を挟む。
智也も信から紹介されて、彼女のことは知っている。千羽谷付属第一高校に通う、荷嶋音緒だ。
「そうそう、音緒ちゃんはやっぱりわかってるよねー!」
「……なんで、この店の連中は、みんな信の肩を持つんだ」
「てへ♪ そんなんじゃないですけど……信さん、ホットでいい?」
「うん、よろしくー。……やっぱ、それは人徳の差だろ」
「はいはい。稲穂信さんは人格者でございますよ」
もはや相手をするのも面倒、とばかりに、智也が話題を打ち切る。信はもう一度、肩をすくめた。
「で、お前、何やってんの、一人で」
「……暇つぶし」
「クリスマスイブにか? ああ、小夜美さんと待ち合わせ?」
「まあな」
つまらなそうに呟いて、智也は店の入り口を見た。
今にも勢いよくドアが開いて、景気のいい声と、子供のような笑顔が覗きそうな気がするのだが、実際にはもうそれなりに長い時間、ここに座っている。珈琲のお代わりも三杯目だ。
煙草は小夜美に止められてるしな……本を読む趣味もない智也は、またひとつ退屈を噛みつぶすあくびをする。
「なんだよ、待ちぼうけって感じだな? すっぽかされたんじゃねーの?」
「ちげーよ。何時でも、用が終わってからでいいって、俺が云ったんだから」
「は? 小夜美さん、他に用事?」
意外そうに目を瞬いたあと、信はその目を輝かせて身を乗り出してきた。同じ距離だけ、智也は鬱陶しげに下がる。信はもちろんそんなことは気にしないが。
「実は二股かけられちゃってるんじゃないのか、智也クン?」
「アホか。……いや」
考えようによってはそうなのかもな。そんなことをふと考えてしまった自分に、智也は苦笑する。
不安ではない。嫉妬とも違う。ただちょっと、悔しいだけだ。
「お? なんか不穏だな?」
「だから違うっての。墓参りだよ」
「墓参り? こんな日に……って……」
そのことに気づいて、信が珍しく口ごもった。智也は苦笑いを口元にとどめたまま、肩をすくめた。
「イベントのときはいつも行ってるぞ。クリスマス、誕生日、バレンタイン、正月もかな?」
「……そうか」
信が椅子の背にもたれかかり、ため息をついた。智也は頬杖をつき、またしてもドアに目を向けてしまう。
少し重い沈黙が流れたとき、音緒が珈琲を持ってやってきた。
「はい、信さん、お待たせ。……あれ? なんか暗いですね?」
「――さんきゅー、音緒ちゃん。なんでもないから、気にしないで」
「……はい」
心配そうに首を傾げた音緒に、信はいつも通り軽い笑顔を向けた。そして、音緒が不審がりながらもテーブルを離れるのを待って、智也に向き直った。
「お前は、それでいいの?」
「死んだ奴には勝てない」
「おい、智也――!」
音緒が驚いて振り返るのにも気づかず、信が声を荒げて腰を上げた。
クールぶってくるくせに、どうしてこいつは、人のことにこんなに親身になれるんだか。智也はそれがありがたく、そして照れくさくて、どうしても笑ってしまった。
「落ち着けよ、信」
「落ち着いてられるかよ! お前ら、そんなつもりで――」
「話は最後まで聞けって」
不承不承、信が腰を下ろした。自分自身、らしくない激昂を気恥ずかしく思ったのか、黙って珈琲に口をつける。
智也はやはりドアに目を向けたままで、話を続けた。
「誰だって、死んだ奴の代わりにはなれないんだ。そんなことは、俺がいちばんよく知ってる」
「……」
「だけど、今、小夜美のそばにいるのは俺だ。これからもずっとそうだし、俺がそばにいてほしいと思うのも」
「……だから、平気だってか?」
「平気、っていうのとは、また違うけどな」
そう云って笑う智也には、変に気負ったところも無理に自分に言い聞かせている風もなくて、信はかけるべき言葉を失った。
智也はその不思議と澄んだ笑顔で、言葉を続けた。
「忘れることなんて、できっこない。だったら、ずっと抱えていくしかないさ。……ふたりなら、きっとそれができる」
「智也……」
親友の横顔を、信は初めて見る思いで見つめていた。
静かな決意を語るその姿は、癪に障るぐらい格好良く思えた。だから、信は祝福の代わりに、思いっきり意地悪く微笑んで見せた。
「ラブラブだねえ、相変わらず」
「……云ってろ」
自分が口にしたことに今更照れて、智也が耳まで赤くしてドアに目を向けたとき。
「お待たせっ。ごめんね、智也、遅くなっちゃって……」
予想通り、勢いよくドアが開いて、景気のいい声で、子供のように明るい笑顔が飛び込んできた。
智也はにやけてしまうのをこらえつつ、軽く手を挙げて答えた。
「遅すぎ。今日は小夜美のおごりな」
「うっわ、それが男の子がイブに恋人に向かって云う台詞!? ほんと、甲斐性なしなんだから、この子は……」
「なに勝手なこと云ってんだよ! そもそもイブに恋人を待たせる奴が――」
「……あー、ふたりとも、公共の場ではもうちょっと静かにしようぜ」
「あ、信クン、いたんだ。メリークリスマス♪」
「……ははは、メリークリスマス、小夜美さん」
存在にさえ気づかれていなかったことに脱力し、信は肩を落とした。
そんなことはお構いなしに、智也と小夜美は口げんかを続行している。信はため息をつくと、珈琲カップを持って、カウンターに避難した。
「信さん、止めてくださいよぉ〜」
小夜美の分の水とおしぼりを持っていくこともできず、目を白黒させていた音緒が、信に助けを求めてくる。けれど、信は苦笑して、首を振るのみだった。
「無理無理。天災だと思って、終わるのを待つしかないね」
「そんなぁ〜」
肩越しに振り返ると、ふたりはますますヒートアップしている。
――俺たちは、似たもの同士だ。
暗い瞳で、智也がそう吐き捨てた日のことを、信はよく覚えている。それがあんな風に笑えるようになったのなら、多少ののろけは我慢して聞いてやろうってものだ。音緒ちゃんには気の毒だけど。
信は気障な仕草で珈琲カップをかかげ、聖夜のバカップルに乾杯した。
あとがき
去年、書きかけで失敗したものをアレンジして再利用しました。想君風味なのはそのときの名残ですね(^^ゞ。穂波さんの「imitation love」や「若葉のころ」の影響で、路線が結構変わってしまってる気がしますが、まあ、それはそれで(をい)。
健ちゃんやショーゴだとダメだけど、智也は割と自然にかっこいいキャラにできるんですよねえ。それは声が緑川光だからでしょうか。関係ないですか、そうですか。
それにしても、智也書いたの、すんごい久しぶりだなあ……。ていうか、「EX」のついてないメモオフSS自体がすごい久しぶりかも(^^ゞ。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。