Memories Off Next Generation
still in the groove

 一目見たときから、気に入らない、と思った。
 小柄だけど、弱々しい感じはしない。どちらかといえば、無駄に元気そうだ。
 長くてボリュームのある、明るい栗色の髪を、高々とポニーテールに結わえている。
 面には、笑顔。転校生としての不安なんて微塵も感じさせない、太陽の欠片のような、屈託のない朗らかな笑顔。
 ――それが、なんだかとても癇に障った。

「音羽さやかです。よろしくお願いします!」

 勢いよく頭を下げる彼女。可愛らしい、よく通る声。
 ああ、本当に愛らしい子だ――きっと皮肉げな笑みを浮かべていただろう私は、次の瞬間、彼女と目が合ってしまった。
 それはただの偶然だったはずだ。彼女は教壇の前に立ち、何気なく教室全体を見回していただけなのだから。
 けれど、彼女は真っ直ぐ私の目を見て、にっこりと微笑んだ。
 思わず眉をひそめてしまう。すると、彼女は不思議そうに首を傾げて、私から目をそらした。

「みんな、仲良くして、色々教えてあげるように。席は――」

 担任がおきまりの台詞を口にして、彼女の座席を指定しようとした。
 そこで私はようやく、自分が奇妙に苛立っていた理由の一つに思い当たった。
 教室の中で、空いている席は一つだけ。私の右隣だ。
 先週まであの子が座っていたあの場所を、もう違う誰かが埋めてしまう。
 何を今更、つまらない感傷を。私は内心、自分を嘲りながら、担任の言葉の続きを聞いた。

「鳴沢の隣だな。――鳴沢も、みんなも、仲良くな」

 わざわざ念を押すように私の名前を呼ぶのに、私は優等生風な微笑で答えた。
 クラスで孤立しがちな生徒を気遣っているつもりなのだろうか。ちゃんちゃらおかしいったらない。
 促されて、彼女は私の隣にやってきた。相変わらず周りに笑顔を振りまきながら、椅子に座る。私にも会釈されたので、一応軽く頭を下げて、私は窓の外に目を向けた。
 ホームルームが終わり、担任が教室を出て行く。一時間目まであまり間がない。私は鞄から教科書を取り出して、準備を始めた。すると。

「あの……」

「え?」

 呼びかけられた方を振り向くと、彼女が真新しい教科書を手に、こちらを見ていた。はにかんだ笑みで、ぱらぱらと教科書をめくっている。

「どこからか、教えてもらえますか?」

 ……前後左右に人はいるのに、どうしていちばん取っつきにくそうな私に訊くんだろう。まさか、担任がわざわざ私の名前を挙げたりしたものだから、世話役だとでも思われたんだろうか。
 煩わしいことだけど、無視をする理由もない。私は教科書を開いて、彼女の前に差し出した。

「ここから」

「あ、ありがと。……あの、よろしくお願いします、音羽さやか、です」

「知ってるわ」

 自己紹介はさっき聞いた。
 無愛想な私の返事に、彼女はしばし目を丸くした。しかし、気まずそうに視線をそらすかと思えば、再び笑顔で話しかけてきた。

「あの、鳴沢さん、ですよね?」

「ええ」

「お名前、教えてくれる?」

「鳴沢」

「……」

「……」

「……?」

「……」

「……えっと、だから、その……」

 はじめは期待に目を輝かせ、次に不思議そうに首を傾げ、やがてあたふたと彼女は慌て始めた。よくもまあ、これだけくるくると表情が変わるものだ。
 対照的に、私は表情を全く変えないまま、答えた。

「夢深。鳴沢夢深」

「なるさわゆめみ……」

 確認するように繰り返し、そして、彼女は嬉しそうに笑った。本当に満面の笑顔。

「綺麗な名前だね! ゆめちゃんって、呼んでもいい?」

 突然、そんなことを云いだした。
 彼女はきっと誰からも愛されて、それが当たり前だと思える育ち方をしたのだろう。うらやましいことだ。
 周囲の善意を無条件に信じている、そんな彼女に対して、私は。
 にっこりと、極上の作り笑顔で。

「嫌よ」

 吐き捨てるように、言葉を返した。

     ◇ ◇ ◇

 あんまり素敵な笑顔で云われたものだから、あたしは、彼女の言葉の意味がしばらくわからなかった。

「嫌よ」

 眼鏡の似合う、知的で、とても大人っぽい印象のある人だった。そして何より、なんて綺麗な人だろうって、教壇の前で目が合ったときから、ドキドキしてた。
 その人と隣になれてすごく嬉しかったのに、彼女のあたしへの返事は、きっぱりはっきり「拒絶」だった。
 そう、拒絶。はじめは冗談かも、とか少し期待したけど、彼女は一言吐き捨てるなり、たちまち表情を消してしまい、もうあたしの方を見ようともしなかった。
 あたしはバカみたいに笑顔を貼り付けたまま、しばらく茫然と、そんな彼女の横顔を見ていた。
 どうして? いきなり馴れ馴れしくしたから、怒らせちゃった?
 気に障ったのなら謝りたかったけど、彼女はもうあたしなんてここにいないみたいに、完璧に無視している。とりつく島もない、とはまさにこのこと。
 そうやってためらってる内に、先生がやってきて、授業が始まってしまった。
 授業中も、あたしは気になって、横目でちらちらと彼女を伺っていた。でもやっぱり彼女は毅然と背筋を伸ばして、真っ直ぐに黒板を見ているだけだった。
 思わずため息が漏れる。と、そのとき。髪を軽く引っ張られた。

「?」

 首を巡らせると、右隣の女の子が苦笑いを浮かべていた。ショートカットで、ボーイッシュな印象がある。勝ち気そうな目の色をしていた。

「気にしない方がいいよ。そいつ、偏屈だから」

 シャーペンの先でゆめ……鳴沢さんの方を指しながら、その人は小声で云った。眉をひそめて、不快そうに。
 ――親切な助言のつもりだったのだろうけど、あたしには何故か、彼女のその言葉の方が不愉快だった。
 あたしの沈黙を戸惑いと取ったのか、彼女は小さく笑って、名乗った。

「あたし、真島祐子。よろしくね」

「……あ、うん、よろしく……」

 ニッと笑うと、真島さんも前を向いた。あたしも初めての学校で最初の授業なんだから、集中しなきゃ、と思っていたんだけど、どうしても左隣――鳴沢さんのことが気になってしょうがなかった。

     ◇ ◇ ◇

 本当は、少し後悔していた。
 誰が見ても、大人げない態度だったと思う。彼女は何も悪いことはしていないのに。
 そう、私はただ、自分の後ろめたさを認めるのが嫌で、彼女を拒絶するポーズを取ってみただけなのだ、きっと。情けない話。
 ――だけど、今になって考えれば、やはりそれでよかったのだと思う。
 彼女は、真島祐子に目をつけられていた。ああいう目立つ子を自分のグループに引き入れたがるのは、いかにも真島らしい。
 だったら、「鳴沢夢深から嫌われている」という風評は、彼女にとってプラスになるだろう。少なくとも、私をかばっていじめられるようなことはない。
 あんな想いは、もうたくさんだった。
 そこまで考えて、ふと私の頬に自嘲気味な笑みが浮かんだ。
 滑稽だ。私はこんなことで、彼女を守ったつもりにでもなっているのだろうか? そんなことが、何かの贖いになるとでも?
 電車が止まり、ドアが開いて、人の波が吐き出される。
 私も意味のない思考を停止して、改札へ向かって歩き出した。
 後ろから私を追い越そうとしたサラリーマンの肩がぶつかり、軽く舌打ちをされる。あまり速く歩くことのできない私は、人混みの中では邪魔な存在なのだ。
 慣れているので、特に気にならなかった。だけど。

「ひっどい、自分からぶつかっといて。大丈夫?」

 よく通るそんな声が響いて、伸ばされた手が、少しよろけた私の身体を支えた。
 鼻白んで軽く振り返った男を、声の主が大きな瞳で睨む。ずいぶんと小柄なのに、一歩も譲らない迫力があって、男は気まずげに足を速めて立ち去った。

「なにあれ、かっこわるーい。……あ、おはよう、ゆめちゃ……じゃなくて、鳴沢さん」

「……おはよう、音羽さん」

 やむを得ず挨拶を返すと、彼女――音羽さやかは、満面の笑顔を浮かべた。
 昨日のことなんか何もなかったみたいに、どうしてそんな風に笑えるんだろう。私は不審げに眉をひそめて、彼女を見つめてしまった。

「……ん? どうしたの?」

「……手」

「手?」

「手、放して」

「……あ! ご、ごめんねっ」

 ようやく、私の腕を掴んだままだったことに気づいて、彼女は顔を真っ赤にして手を放した。そこまで大げさに反応されることじゃないと思うけど。
 私はわざとらしく腕をさすりながら、改札の方へ足を戻した。

「ご、ごめんね、痛かった?」

 あたふたと頭を下げながら、彼女が私についてくる。
 本当に申し訳なく思っていて、本当に心配している。そんなことは、疑う余地もなかった。
 ――本当に。おめでたい子。

「平気よ」

「よかったぁ。ね、一緒に行っていい?」

「……」

「……ダメ?」

「行き先は一緒でしょ」

「――うん!!」

     ◇ ◇ ◇

「行き先は一緒でしょ」

 とてもぶっきらぼうな調子だったけど、彼女のその返事にあたしは嬉しくなって、笑顔で頷いてしまった。

「――うん!!」

 彼女が云ったことは、勝手にすれば、というのとほとんど変わらない。でも、「拒絶」でも「無視」でもない分、一歩前進、と考えていいはずだ。うん、誰がなんと云ったって、あたしはそう考える。
 本当は、昨日はやっぱり落ち込んだ。
 あのあと、結局、鳴沢さんとは一言も話せなかった。彼女は休み時間も一人きりで、人を寄せ付けない雰囲気で本を読んでいた。
 一方、あたしはと云えば、真島さんとそのお友達に囲まれていた。転校生に親切にしてくれるのはありがたいんだけど、あたしはちょっと歯がゆい思いで、笑顔を作っていた。
 せめてお昼休みには一緒にご飯を……と思ったのに、彼女は早々に教室から姿を消し、昼休みが終わる直前まで戻ってこなかった。放課後も同様。ホームルームが終わるやいなや、彼女は席を立って帰っていった。
 その後ろ姿に声をかける勇気が持てず、じっと見送っていたあたしは、そのとき、彼女が少し右足を引きずるようにして歩くことに気づいた。

(足が……?)

 そう考えた瞬間。

「事故の後遺症らしいよ」

「――え?」

 不意に上がった声に振り向くと、真島さんが立っていた。あたしの視線を辿るように、教室から丁度出るところだった鳴沢さんの背を見据えている。

「詳しいこと、知りたい?」

「……ううん、いい」

 あたしは硬い表情で、首を振った。
 なんだかぶしつけな詮索のような気がしたし、それに何より、真島さんから彼女の話を聞きたくなかった。一時間目の授業のときの、彼女に対する態度が、どうしても引っかかっていたのだ。
 真島さんはちょっとつまらなそうに口をとがらせたものの、軽く肩をすくめて流した。

「そ。じゃあさ、カラオケでもやって帰ろうよ」

「――あ、ごめんね、まだ手続きとかあって、先生に呼ばれてるから」

「少しぐらいなら待ってるよ?」

「ありがと。でも、どのぐらいかかるかわからないから、いいよ。ごめんね、また誘ってくれる?」

「……りょーかい。じゃ、また明日ね」

 軽く手を振って、真島さんとその友達も教室を出て行く。あたしは手を振り返したあと、小さくため息をついた。
 少しだけ、嘘をついた。職員室に呼ばれていたのは本当だけど、手続きなんか、すぐに終わる。
 だけど、どうしても、騒いで遊んで帰る気にはなれなかった。
 うつむき加減で家路を辿る。自分でもこんなことは珍しいと思う。
 家に着くと、もうお姉ちゃんも帰っていた。お母さんは買い物に出かけてるみたいで、お姉ちゃんはリビングに一人、制服姿のまま座ってお煎餅を食べていた。澄空学園の制服は可愛らしくて、うらやましい。

「あ、お帰り、さやか」

「ただいま、お姉ちゃん、早かったんだね」

「うん、手続きがあるから残れって云われたんだけど、すーぐ終わっちゃってさ。これなら友達に誘われたとき、待っててもらえばよかったよ」

「あはは、おんなじ」

 ほんとはちょっと状況は違うと思うけど。
 あたしはお姉ちゃんの向かいに腰掛けて、お煎餅を一つ拝借した。

「もう、お友達できたんだ?」

「んー、そうねー……」

 ちょっと苦笑いに近い笑顔で、お姉ちゃんは軽く首を傾げた。
 うちはお父さんの仕事の都合で引っ越しが多いから、転校もこれが初めてじゃない。幸い、あたしたち姉妹は人見知りする方じゃないからどちらも周りにうち解けるのは早いけど、それが本当に「友達」なのかは、ちょっと微妙なのかも知れない。
 特にお姉ちゃんはあんなことがあったばかりだから、少しナーバスになってるのかも。軽率だったかな。

「ま、面白い奴ではあったわね」

「……面白い?」

「うん。面白い……というより、ヘンな奴、かな? あはは。さやかはどうだった?」

「あたしは……」

 云いかけて、やはり最初に浮かんだのは、眼鏡をかけたクールな美貌だった。
 つい暗い表情で言葉を途切れさせてしまったあたしを、お姉ちゃんは心配そうに眉を寄せて覗き込んできた。

「どうしたの? まさか、いじめられたんじゃないよね?」

「う、ううん、違うの、そうじゃなくて……」

「? だったら?」

「うん、あのね――」

 あたしは鳴沢さんとの一件を話して聞かせた。もっとも、話すことなんてほとんどないんだけど。彼女と言葉を交わしたのはほんとにわずかなのだから。
 案の定、お姉ちゃんも腕組みして頭を傾げるだけだった。

「うーん、それじゃ全然わからないね? 特にさやかがまずいこと云ったわけじゃないと思うけど」

「うん……」

「まあ、好き嫌いは理屈じゃないけどね」

「……やっぱり、あたし、嫌われてるのかな……?」

 そう感じてはいたけれど、改めてはっきり言葉にしてみると、すごくショックなことだった。涙がにじんできてしまう。
 お姉ちゃんは優しく微笑んで、そんなあたしの涙を拭ってくれた。

「だから、まだわからないってば。単に虫の居所が悪かっただけかも知れないじゃない」

「だけど……」

「さやかは、どうしたいの?」

「――え?」

 思いがけない質問だった。
 あたしは、鳴沢さんはどう思ってるんだろう、あたしのこと嫌いなんだろうか、とかそんなことばっかり考えていた。

「あたしは……なる……ゆめちゃんと、お友達になりたい……」

「うん。じゃあ、頑張れ」

 満面の笑顔で、お姉ちゃんはそう云ってくれた。
 今日一日、ずっとうだうだと考えていたことの答えが不意に現れたような、そんな気がした。

「――うん、頑張る!!」

 あたしも笑顔で頷き返すと、お姉ちゃんはもう一度笑って、あたしの髪をくしゃくしゃと撫でてくれた。
 そんなわけで。あたしは電車で彼女を見つけて、一世一代の勇気を振り絞って声をかけることに決めたのだ。
 もっとも、彼女が突き飛ばされるのを見て(大げさだ、とあとで云われた)、反射的に動いちゃったっていう面も大きかったんだけど。
 とにかく、これで一歩前進。あたしは、くじけない。

「私に構うと、痛い目を見るわよ」

「――え、なに?」

「……昨日の今日で、よく私に声かける気になったわねって云ったの。相当、鈍いの?」

「……鈍くないもん」

「じゃあ、どうして」

「あたしは、ゆめ……鳴沢さんと、友達になりたいから」

「……」

 息を詰めて、まるで告白でもするみたいな気分で。
 思い切ってそう口にしたあたしを、彼女は横目でちらっと見て。

「アホね」

 ……頑張る。あたしは、負けない。


to be continued...


2003.8.31

あとがき

掲示板で連載したものをまとめた再録です。
本当はもうちょっと長いお話の第一話として、リメイクしてから正式公開するつもりだったんですが……すみません、今、ぶっちゃけ余力がありませんのでm(__)m。
とりあえず予告編みたいな感じで、少しでも楽しんでいただければ幸いです。へたれですみませんm(__)m。

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