魔女は笑わない

 少女は生まれて初めて見る光景に心を奪われ、親とはぐれた心細さも忘れて、わくわくと辺りを見回していた。
 生い茂る緑の森林。蒸し暑いほどの濃密な大気。青く澄みきった空。
 船の中はもちろん、母星にいるときさえ、見ることのかなわなかった景色だった。
 目の前を、ふわふわと蝶が飛んでいく。少女は夢中になって、その綺麗な羽を追いかけた。

「……あ!」

 しばらく走ったところで、少女はさらに愛らしいものを見つけた。
 彼女の知っている範囲で考えれば、ペンギンに近い。少女とほぼ同じ背丈で、よちよちと歩いている。黄色の体毛が、ふかふかして柔らかそうだった。
 少女がじっと見つめていると、その視線を感じたように、それが振り向いた。くりっとした瞳が、少女を見つめ返す。
 何度か不思議そうに首を傾げたあと、それはとてとてと少女に近づいてきた。

「わあ……」

 少女も、満面の笑顔を浮かべて、それに駆け寄った。
 それは親愛の情を示すかのように、首を前後に振っている。
 少女はそれの目の前に立ち、手を伸ばして頭を撫でようとし――。
 ひゅっ、と、風を切る音がした。
 次の瞬間、その愛らしい首はすっぱりと切断され、宙を舞った。残された体が、血を吹き出しながら、ゆっくり倒れた。
 少女の頬にも、血が飛び散る。けれど、少女はなにが起こったかわからず、茫然と目を開いていた。
 背後に、いつの間にか誰かが立っていた。
 少女はゆっくり振り向き、長身の誰かを見上げる。
 そこには緋色の装束に、緋色の髪をした女性が立っていた。
 無表情に、感情のない視線で少女を見下ろしている。その手には巨大な鎌が握られていて、その刃にはしたたる鮮血が……。

「い……」

 その血が、刃の輝きが、無表情な彼女の姿が、少女を現実に引き戻した。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

     1

 シティには、ハンターズが集う施設がある。
 そこは主に情報収集やハンターズ同士の親睦に使われているが、本来はハンターズの行動を管理するための場所である。強力な武器を持ち、類い希な戦闘能力を有するハンターズには、毎日の行動を申告する義務があった。それがハンターズの暴走を懸念する軍との協定の一つだったのだ。
 だから、情報収集や親睦に全く興味がない人物も、そこには訪れるのである。
 いつも喧噪に包まれているその場所だったが、彼女が入ってくると、すっと水を打ったように静かになった。
 その変化に対しても、なにも感じていない様子で、彼女はいつもどおり端然と歩いていく。その姿を横目で伺いなら、ひそひそと会話が交わされた。

「……ルルージュだよ」

「相変わらず、おっかないな」

「聞いたか? こないだの話」

「ああ、子供の目の前でラッピーを輪切りにしたって……」

「その子、熱出して寝込んでるって話だぜ。可哀想に」

「さすが『緋の蠍』……」

「魔女だな」

 中には、聞こえよがしな声もあった。
 しかし、ルルージュの様子は全く変わらない。無表情に、ただほんの少し物憂げに眉を寄せたいつもの表情のままで端末まで行き、本日の行動を申告する。そして、すぐにまた踵を返して出ていこうとした。
 ひそひそとした話し声は、まだ続いている。
 と、そのとき。よく通る女性の声が、その場に響いた。

「だったら、ほかにいい方法があったのかい?」

 誰もが、いっせいに声のほうを振り向いた。ルルージュでさえ、足を止めて一瞥した。
 声の主は、ハニュエールだった。腕組みし、挑発的な笑みを浮かべて周りを見回している。かなり整った顔立ちだったが、やや険が強すぎた。

「ルルージュの判断があと少し遅れたら、その子はラッピーのクチバシで頭打ち抜かれて、今頃生きちゃいなかったさ。違うかい?」

 誰もが気まずげに口をつぐんだ。彼女は嘲るように鼻で笑うと、ルルージュに面を向けて、笑いかけた。
 ルルージュはそれに感謝するでもなく、やはり何事もなかったように出ていった。
 ハニュエールは肩をすくめ、仲間のところに戻った。それでやっと、その場にいつもの喧噪が戻ってきた。

「……なんであんなのをかばったりしたんです、姐さん?」

 仲間の一人が、そのハニュエールに尋ねた。誰がどう見ても、柄の悪い連中ばかりだったが、彼女に対しては全員が慇懃な物言いだった。
 彼女は仲間の言葉に、笑みを浮かべた。それはひどく悪意を感じる笑顔だった。

「面白そうな奴だからね。繋ぎをつけておこうかと思って」

「……使えますかね?」

「それをこれから試すのさ。……それに、あの女、ソウルイーターを使ってるそうじゃないか」

「へえ、確かにそう聞きましたが……」

「キリーク愛用の武器を、なぜあいつが持っているのか知らないが……なんか、因縁を感じるじゃない。面白そうだよ」

 そこでもう一度、彼女は微笑んだ。蛇が獲物を目の前にして舌なめずりするような、ぞっとする笑み。

「退屈してたんだ。このスゥを楽しませておくれ、ルルージュ」

     2

 その日も、ルルージュはラグオルでモンスターを狩っていた。
 ラグオルでなにが起こったか調査する、というハンターズ本来の目的は、彼女にはどうでもいいもののようだった。少なくとも、周りからはそう見えた。
 ルルージュは誰ともチームを組まず、ひとり、地表に降りて、そして、その鎌を朱に染めて戻ってくる。その繰り返しだった。
 そんな彼女に、あえて近づこうとする者もいなかったのだが――。

「や。調子はどう?」

 ソウルイーターを肩に置き、一息ついていたルルージュに、声をかける人物がいた。
 ルルージュは、そちらを見ようともしない。最前から、誰かが自分を見ているのは、とっくに気づいていたことだ。
 果たして、茂みから姿を現したのは、シティでルルージュをかばったスゥだった。
 返事をもらえなかったスゥは、周りを見回した。ルルージュの足下には、切り捨てられたモンスターの残骸が転がっている。

「……絶好調って感じだね」

 やはりルルージュは答えず、スゥを見ようともしない。
 スゥは肩をすくめながら、ルルージュに近づいた。

「一応、はじめまして、というべきかな? あたしはスゥ。よろしく」

「……」

「こないだの件は、いい迷惑だったね。あんたは人助けしたってのに。そもそも子供がこんなとこに迷い込んじゃうセキュリティの甘さが、問題だろうにさ」

「……」

「まっ、ずっと船の中じゃ退屈だからって、観光気分でこっそり地表に降りたがる奴が多いせいだけど。知らないってのは幸せだよねえ」

「……」

 ルルージュは全くスゥを相手にしようとしない。それどころか、うっとうしそうに小さくため息をつくと、歩き始めた。
 スゥはニヤニヤとその後ろ姿を眺めながら、言葉を続けた。

「待ちなよ。あんたに頼みがあるんだ」

「……」

「あんたの腕を見込んで、仕事を依頼したいのさ。頼むよ」

 ルルージュが足を止める。振り返ったルルージュは、鋭い視線をスゥに向けた。

「……ギルドの仕事ではありませんわね」

「ご明察。危険な仕事だからね、ギルドでも受けてもらえないんだ」

「……」

「その分、報酬ははずむよ。どうだい、やってくれるだろう? 内容は、あたしを護衛して、ある場所まで行ってくれればいいんだ。それだけさ」

「護衛が必要なようには、見えませんけど」

 皮肉でも嫌みでも不信感を表すでもなく、独り言のように、ルルージュは呟いた。
 スゥはやや鼻白みつつ、無理矢理笑顔を浮かべた。

「な、頼むよ。いいだろ?」

「……」

 頷くルルージュ。投げやりで、無関心な表情のままで。

「そうこなくちゃね。じゃあ、行こうか」

 スゥが先に立って歩き始め、ルルージュは鎌を携えたいつもの姿勢で、そのあとに続いた。
 スゥの思惑など、ルルージュには本当にどうでもよかった。ただ、自らを死地に置いて、その鎌を振るうことができれば、それだけで。

     *

(へえ……)

 スゥは、素直に感心していた。ルルージュの戦いぶりに。
 ソウルイーターのような大振りな武器は、攻撃後の隙も生じやすい。無闇に振り回すだけでは、反撃を受けて危険な目に遭うだけだ。
 ルルージュは果敢に敵中に突っ込んでいくが、戦い方は冷静だった。モンスターとの距離や攻撃のタイミングを計り、決して無駄な攻撃を受けない。テクニックも駆使した、フォースならではの戦いを見せた。
 そして、何よりスゥを驚かせたのは、同行者へのフォローも的確に行うことだ。
 スゥの武器は、クローだ。動きが素早い反面、間合いの狭いクローで戦うには、どうしても敵の懐深く飛び込まなければならない。自然、囲まれる機会も多くなる。
 ルルージュはそんなスゥの行動をいつも見ているようで、囲まれそうになれば血路を開いてくれたし、危険な状態になれば回復や補助テクニックをかけてくれた。
 他人のことなどお構いなし、という風情のルルージュだけに、それは非常に意外なことだった。
 今もまた、スゥの背後から迫ろうとしていたジゴブーマを、ルルージュが切り伏せたところだった。とりあえず、このエリアにいるモンスターはそれが最後だったようだ。

「……ふう。サンキュ。助かったよ」

「……」

 ルルージュは答えない。スゥもすでにそのことには慣れてしまって、自分のほうを見ようもとしない姿に、一方的に話を続けた。

「あんた、チーム組んで戦ったことあるんだろ? でなきゃ、あんな戦い方、できっこないからね」

「……」

 やはり沈黙。だがそのとき、ルルージュの頬がかすかに強ばったのを、スゥは見逃さなかった。
 さりげなく面を背けるルルージュに向けて、スゥは底意地の悪い笑みを浮かべた。

「なんで、今は一人で戦ってるんだい?」

「……目的地は、まだですの」

 ルルージュはあからさまにその話題を避けようとしていた。スゥは喉を鳴らして笑いたくなるのを、どうにかこらえた。
 可愛いとこあるじゃないか。その辺が、つけ込む隙になるかもね。
 そんな考えはおくびにも見せず、スゥは笑顔で歩き出した。

「もうすぐだよ」

「……」

 ルルージュも無言で足を踏み出す。その目が探るように強い光で自分の横顔に向けられたことに、スゥは気づかなかった。

     3

 ルルージュは不審そうに眉をひそめて、辺りを見回した。
 少し開けて、広場のようになっているそこには、多くの人間がいた。ハンターズ風の連中がほとんどだが、科学者のように見える者たちも数名混ざっている。
 しかし、最も目を引いたのは、意識を失って倒れている人々だった。科学者の指示で、柄の悪いハンターズ風の連中が、彼らをいくつかの場所へ運んでいる。
 それは家畜の仕分けを連想させ、見ていて非常に不快になる光景だった。

「……なんですの、これは」

 やはり独り言のように、けれど隠しようのない不快感を声に忍ばせて、ルルージュが呟いた。
 スゥはもはや悪意を隠そうともせず、ニヤニヤとルルージュの横顔を見た。

「あんたも知ってるだろ? 最近、行方不明になるハンターズが多いって」

「……」

「これがその現場ってわけさ」

「……」

 ルルージュの表情は変わらない。ただじっと、目の前の不愉快な情景を見つめていた。
 スゥは科学者たちを指さした。

「あいつらがクライアントさ。なにに使うのか知らないけど、肉体・精神共に強靱な素体がほしいんだと。それならハンターズが打ってつけってわけ」

「私を、その素体の一つとして提供しようと?」

 変わらず淡々と、ルルージュは尋ねる。それでいて、スゥのほうを見ようともしないことに、逆にスゥのほうが徐々に苛立ちを感じていた。

「それは、あんた次第さ」

「……」

「確かにあんたはこれ以上ないくらい、優秀な素体だ。あいつらも喜ぶだろうさ。……でも、正直、それはもったいない」

「……」

 いつの間にか、ルルージュとスゥの周りを、作業をしていた柄の悪い連中が囲んでいた。シティでスゥと一緒にいた面々も見える。スゥの仲間だった。

「あんたがあたしたちの仲間になるなら、歓迎するよ。あたしたち、ブラックペーパーのね」

「ブラックペーパー……」

 それは最近、シティで聞く機会の増えた名前だった。
 正体不明の秘密結社。ギルドでは請け負わない非合法な仕事を生業とするハンターズ集団。ハンターズがならず者と同一視される原因として、まっとうなハンターズからは忌み嫌われる存在。スゥはその中でも幹部級の人物だった。

「さ、どうする?」

 嘲るような笑みを浮かべて、スゥはルルージュの横顔を見た。周りを囲んでいる連中も、薄ら笑いを浮かべている。
 罠にはめられ、窮地に追い込まれて――、けれど、ルルージュはいつもどおりだった。
 つまらなそうに、ふっと軽く息をつく。

「くだらないこと」

「……なんだって?」

「どんな趣向があるのかと思ったら。陳腐極まりないですわ」

「なっ……!」

 思わず言葉を失ったスゥより、周りの連中が先に激昂していた。手に手に武器を持ち、ルルージュに詰め寄ろうとする。

「なんだと、この女!」

「死にたいのか!?」

「……」

 ――瞬間。風を切る音が、した。
 ルルージュがソウルイーターを振った音だと連中が気づくのに、数秒の時間がかかった。
 ルルージュはソウルイーターを構え、いつもと同じく、少し物憂げな表情を浮かべていた。

「生きていたいと、特に考えたことはありませんわ」

「……」

「けれど、それがあのひとの望みなら……軽々しく、命を投げ出すことはできませんの。……それが、私の咎なのだから」

 独り言のような小さな声は、そこにいるほとんどの者には、聞き取れなかった。
 しかし、その華奢な体から発せられる圧倒的な迫力に、誰もが――スゥさえも、身動き取れなくなっていた。
 誰一人動かず、対峙したまま、沈黙の時間が流れる。
 どれだけ時間が経った頃か。ルルージュが何かの気配に顔を上げ、背を向けて走り出した。
 それでやっと呪縛が解かれたかのように、ブラックペーパーの連中も、そのあとを追おうとした。

「逃げるか、貴様!」

「……」

 だが、ルルージュはすぐに足を止めた。ソウルイーターを構えたまま、振り返るその頬は、かすかに紅潮して、微笑んでさえいたかもしれない。

「ここがどんな場所か、そんなこともご存じなかったようですわね」

「なに……?」

 スゥが眉をひそめたそのとき。何か巨大な物体が飛来して、地響きと共に着地した。何人かがそれの下敷きとなり、すでに息絶えていた。

「なっ……こ、こいつは……!」

 それは雄叫びと共に、太い両腕を掲げ、胸を打った。熊とゴリラを掛け合わせ、巨大化させたような獰猛な姿――この森で最も危険なモンスター、ヒルデベアだった。

「ヒルデベアのテリトリーだったのか……!」

 スゥがほぞを噛むその間にも、ヒルデベアは丸太のような腕を振り回し、スゥの仲間たちを叩き伏せていく。
 さらに恐ろしいことに、ヒルデベアは一体ではなかった。その巨体からは想像できない敏捷さで、二体目、三体目が飛来してくる。辺りは逃げまどう人々で大混乱だった。

「ちっ……引き上げるよ!」

 クライアントを守ろう、などという発想は、スゥにはない。仲間さえ救う気はなかった。命あっての物種だ。
 だが、人々の流れに逆らって進む緋の装束を見つけて、思わずスゥは目を瞠った。

「あんた、なにを……!」

 スゥの声は、ルルージュに届かない。ルルージュは大鎌を振りかぶり、ヒルデベアの体に叩き込んだ。鮮血が吹き出し、耳障りな悲鳴が響く。
 傷の痛みからでたらめに腕を振り回すヒルデベアの攻撃を避けながら、ルルージュは氷雪系テクニック・ギバータを放った。ヒルデベアは氷雪系に弱い。ルルージュを襲おうとしたもう一体が足止めされた。
 スゥは息を飲んで、その光景を見つめていた。
 さっき、ルルージュが走ったのも、逃げようとしたのではなかったのだ。ヒルデベアの襲来を察知して、迎撃に最適なポジションを取ろうとした。――ブラックペーパーを盾に使って。

「……死神め……!」

 自分たちの悪評も忘れて、スゥは舌打ちした。
 仲間へのフォローが的確? 人に知られたくない、過去の傷を持ってる?
 冗談じゃない。あいつは、戦って、殺すことしか考えてやしない……!
 ソウルイーターを振って死をまき散らす緋色の魔女が、今のスゥにはとても薄気味悪く思えた。あんなのに関わろうと思ったのが間違いだった。好きなだけ殺していればいい。その間にずらからせてもらうさ。
 そう考えて、スゥが身を翻そうとしたとき。ヒルデベアの一体がジャンプして、スゥの目の前に降り立った。

「……!」

 振り下ろされた腕を紙一重でよけ、クローの一撃を叩き込む。
 これで前後を挟まれた形になった。倒さない限り、生きては帰れない。
 スゥはもう一度忌々しげにルルージュを睨んだあと、覚悟を決めてヒルデベアに挑みかかった。
 ヒルデベアがこちらに来たのは、偶然だったかもしれない。だが、スゥにはそれもルルージュが誘導した結果に思えてしまう。
 はめられたのは自分だったんだ。怒りと屈辱と――そして、ぬぐいがたい恐怖に突き動かされて、スゥはクローを振るった。
 ルルージュはそんなスゥの姿を見ても表情を変えず、やはり何も云おうとせず、ただ死神の鎌を振るい続けた。

     4

「くそったれ……! 散々だよ、畜生!」

 手にしたグラスを、スゥは床に投げつけた。
 甲高い音が響き、一瞬、バーの中が静かになる。だが、スゥとその周りにいる連中を見て、誰もが関わりを避け、元の喧噪に戻った。
 スゥは手を振り上げたときの痛みに顔をしかめ、苛立ちをさらに強めた。
 どうにか生還したスゥだったが、文字どおり満身創痍の状態だった。仲間も、大部分が失われた。ブラックペーパーでの彼女の立場も、微妙なものになるだろう。
 仲間たちは、そんなスゥを冷ややかな思いで見ていたが、表向きは心配している素振りを見せた。なんと云っても、スゥは彼らにしてみれば恐ろしい存在だ。

「ひどい目に遭いましたな、姐さん」

「あの死神め……! 自分だけさっさと逃げやがって……」

 忌々しげに、スゥは床を踏み鳴らす。
 実際には、ルルージュは途中で逃げたりはしなかった。すべてのヒルデベアを倒したあと、ほとんど無傷のルルージュは、スゥたちを無視してすぐに引き上げただけだ。
 スゥを責めることもせず、ブラックペーパーを告発することもなく。何事もなかったように、いつもどおり。
 見事に完璧に、無視されていた。
 そのことが、スゥの苛立ちを激しくさせた。

「見てな。このままじゃ終わらせないから、絶対――」

「あら〜、なんか楽しそうなお話ね〜」

「……な」

 握りしめた拳を振るわせるスゥに、後ろから、おっとりした声がかけられた。
 茫然と一同が振り向き、そして、そこに立つ女性の姿を認めて、スゥの目が大きく見開かれた。
 ルルージュとは対照的に、青い髪と青い装束のフォマールがいた。表情も対照的に、ニコニコと穏やかに微笑んでいる。
 しかし、スゥは冷や汗を流して、椅子から立ち上がることもできずに、彼女を見上げていた。

「お久しぶり〜。元気そうね、スゥ」

「あ、あんた……、どうして……」

「え〜?」

「ハ、ハンターズは廃業したんじゃ……」

「あ〜、そのこと〜。うん、ちょっと事情があってね〜、復帰したんだ〜。よろしく〜」

 相変わらずニコニコと微笑んだまま、彼女はぺこりと頭を下げた。そして顔を上げると、笑みを浮かべたまま、じっとスゥの顔を覗き込んだ。

「ところで、さっき話してたのって、ルルージュってコのことだよね〜?」

「あ、ああ」

「面白そうじゃない〜。ね、そのコのことは、私に任せてもらえないかな〜」

「え……」

「ね。いいよね〜」

 スゥの仲間たちが不審そうに彼女とスゥを交互に見ている。だが、スゥは仲間への体面を考えることもできず、人形のようにがくがくと首を振るだけだった。

「わ、わかった。あたしは、手を引くよ」

「よかった〜。ありがと〜。それじゃ、これからもよろしくね〜」

 スゥの手を取って礼を述べて、彼女は踵を返した。
 最後まで満面の笑顔だった彼女がバーから出ていくのを確認して、やっとスゥは大きく息を吐いた。仲間たちが、明らかにスゥを見下した目で見つめていた。

「……なんなんです、あれは?」

「……」

「ルルージュからも手を引くって……あんなぼーっとしたのに、なんで言いなりにならなきゃいけないんで?」

「……バカ野郎!」

 机を叩いて、スゥは仲間を見回した。その瞳には明らかに怯えの色があり、仲間たちはスゥを侮るより、大きな驚きを覚えた。

「死神に続いて……あの女まで敵に回したら、それこそあたしのツキはおしまいだよ」

「……」

 それきり、スゥは口を閉ざした。仲間たちは薄ら寒いものを感じて、青いフォマールが出ていったドアを振り向いた。

     *

 そうして、彼女たちは出会った。
 目に眩しいほどの木々の緑。毒々しいほどの倒れ伏したモンスターの鮮血。
 あまりに不似合いなその景色に、迷い込んでしまったようにぽつんと佇む緋色の魔女。
 そこにまた不似合いな、青い装束で、笑顔を絶やさない女性が訪れる。

「はじめまして〜。あなたが、ルルージュね〜?」

「……」

 やはりいつもどおり、ルルージュは答えない。
 自分のほうを見ようともしないルルージュに、彼女はニコニコと笑顔を向けていた。

「私、千鳥っていうの〜。よろしく〜」

「……」

 それは、どんな気まぐれだったのか。
 ルルージュが視線を動かし、千鳥のほうを見た。
 二つの視線が交差する。
 一方は無表情に、一方は満面の笑顔で。
 そのどちらもが、本心を隠す仮面であることを、両者は同時に見抜いていた。

「仲良くしようね〜、ルルージュ」

 小首を傾げて、千鳥が云う。
 ルルージュは答えず、じっと千鳥の顔を見つめていた。


Phantasy Star Online Ver.2
'Story of Scarlet Sorceress' EX Episode I
"The Death"
end


2001.11.17

あとがき

千鳥と出会う前のルルージュです。
『緋のデスサイズ』ではちょっとルルージュが「いいひと」すぎたんで、「緋の蠍」「死神」と云われる彼女の怖い面を書きたいと思ったんですが……あんまり怖くないかも(^^ゞ。
スゥはなんか結果的に情けない役回りになっちゃって、気の毒なことをしました。好きなんですけどね、スゥ。
しっかし、ルルージュ一人が相手だと会話が成立しないんで、めっちゃ書きにくかったです(^^ゞ。
千鳥がルルージュに興味を持った理由は、次作『青い戦慄』で明かされる……といいな(^^ゞ。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

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