その名はルージュ

−後編−


     5

 一気に高まった緊張感に、あたしは身動きも取れなくなっていた。
 本当は、この二人が争うところなんて、見たくないのに。どうにかして止めなきゃって思ってるのに。
 だけど、二人が互いに結んでいる視線の激しさは、とてもあたしなんかに踏み込める余地はなくて。ただおろおろと、ルルージュとジョルジュの顔を見比べるだけだった。

「不意打ちがどうこうなどと、人質を取ろうとするような輩に云われる筋合いはありませんわ」

 一歩踏み出しながら、ルルージュが呟く。
 ジョルジュは大剣を構え直しつつ、眉をひそめた。

「人質……?」

「もう一度だけ云います。北都さんから離れなさい」

 え……? 人質って……あたしのこと……?

「そんな、ルルージュ、ちが……っ」

「――なるほど」

「……え……?」

 慌てて事情を説明しようとしたあたしの喉元に、ジョルジュが大剣の切っ先を当てた。
 あたしは驚いてジョルジュのほうを見たけど、彼女はあたしを見ていない。ただルルージュしか目に入らないように、強い眼差しをルルージュに向けていた。

「そういう手もあったか。それであんたが本気になるんなら、いいかもね」

「ジョルジュ!? そんな、嘘だよね?」

「……下劣な真似を」

 険しく眉をひそめて、ルルージュが吐き捨てた。苛立ちを示すかのように、ソウルイーターを振りかぶる。

「やはりあなたには、『ジョルジュ』などと名乗る資格はありませんわ、ミアン」

「――その名前であたしを呼ぶなって、云ってるだろう!」

 叫ぶやいなや、ジョルジュは大剣を突風のような激しさで振り回し、ルルージュに斬りかかった!
 岩さえも砕きそうなその斬撃は、しかし、ルルージュの手にした鎌で、簡単に受け止められてしまった。
 双方の刃越しに。ジョルジュは炎と燃える瞳で、ルルージュは氷のように冷えた視線で、互いを睨み据えていた。

「そもそも、勝って生き残るためならどんな手でも使うってのが、あんたのやり口だろうが。下劣だって? 笑わせるんじゃないよ」

「……」

「それとも、そんなあんたでも、仲間は大切だっての? それこそお笑いだよ。だったら、なぜ、あのとき――」

「……黙りなさい」

 ルルージュが体勢をわずかにずらし、ジョルジュの剣の勢いを流した。思わず体が泳ぎそうになるジョルジュに、躊躇なくルルージュがソウルイーターを振り下ろす。ジョルジュはかろうじてそれを剣で弾きつつ、後ろに下がった。
 ……ダメだ。ジョルジュの渾身の一撃さえ、ルルージュはあっさりいなしてしまう。やっぱり、今のジョルジュにはまだ、勝ち目がないよ。
 あたしは祈るような気持ちで、ルルージュを見上げた。だけど、彼女はいつも以上に感情のない表情で、ジョルジュを見据えていた。

「おしゃべりには、もううんざりですわ。あなたが『ジョルジュ』の名に、そしてそのドラゴンスレイヤーの使い手としてふさわしいと云うのなら、実力でそれを示してごらんなさい」

「……!」

 唇を噛みしめ、ジョルジュが大剣――ドラゴンスレイヤーというらしい――を大きく振りかぶる。全身をバネに、ルルージュに向かって跳躍しようとした刹那。
 静かな詠唱が響いた。
 はっと全員が声のした方に振り返る間もなく、氷の散弾がジョルジュに向けて飛来した。

「なっ……」

 慌ててジョルジュが飛びすさったものの、間に合わず、何本かの氷柱が彼女にダメージを与えた。
 これは……ギバータ?

「油断大敵〜」

 ころころと鈴を鳴らすような声で笑いながら、詠唱の主が現れた。
 白い装束に天使の微笑――千鳥だ。

「あんた……! 何の真似だよ!?」

「何って〜? だって、これはチームバトルだよ〜?」

 激昂するジョルジュに対して、千鳥はいつもと変わらない笑顔で、しれっとそんな風に答えた。
 ……驚いた。千鳥って、意外とそういうとこシビアなんだろうか? シティでルルージュとジョルジュが争ったときは、なるべく口を挟まないようにしてるように思えたんだけど……。

「ラフィールはどうしたの〜? もしかして、ジョルジュちゃんも迷子〜?」

「……」

 ジョルジュの顔がかすかに赤くなる。
 なんだ、ジョルジュもあたしと同じように、はぐれてたんだ。

「三対一じゃ勝ち目はないと思うよ〜。ラフィール探した方がいいんじゃないかな〜」

「……ちっ」

 舌打ちし、最後にもう一度ルルージュを睨むと、ジョルジュは走り去った。
 ルルージュは追い打ちをかけるでもなく、不機嫌そうに千鳥の方を見ている。千鳥はその視線に気づいていないふりをしながら、あたしの方に歩いてきた。

「北都ちゃん、大丈夫〜?」

「う、うん、あたしは全然平気」

「よかった〜。迷子になっちゃダメだって云ったそばから、いなくなっちゃうんだもん。心配したよ〜」

「うん……ごめんね」

「いいのいいの〜。じゃ、気を取り直して行こうか。ね〜、ルルージュ〜?」

 振り返り、軽く首を傾げて千鳥はルルージュに笑いかけた。
 だけど、ルルージュはやっぱり不機嫌そうな表情のままで、小さくため息をついた。

「……余計な真似をしてくれたものですわ」

「え〜? なんのこと〜?」

「今度邪魔をしたら、千鳥でも許しません」

「ん〜、わかんないけど、わかった〜」

 ころころと、千鳥が笑う。ルルージュは再びため息をついた。
 それで、あたしはようやく千鳥の行動の意味がわかった。
 千鳥はルルージュとジョルジュの勝負にあえて水を差すことで、二人の対決を止めようとしたんだ。
 ……叶わないなあ、やっぱり。

「ねえ、ルルージュ。……やっぱり、もう……やめない?」

「……」

「あたしがやろうって云いだしておいて、何を今更って思うのは当然だけど……。でも……」

「……行きますわよ」

 ムダと知りつつ云ってみたんだけど、やっぱりムダだった。
 ルルージュはあたしの言葉なんてまるで耳に入らないように、端然と歩き出す。
 肩を落として、あたしはそのあとに続こうとした。そのとき、前を向いたままで、ルルージュが呟いた。

「戦いたがっているのは、あちらの方ですわ」

 いつもと同じく、独り言のように。だけど、わずかに苛立ちをひそめて。

「とりあえず、お互い気がすむまでやらせるしかないかもね〜」

 口調こそ変わらなかったけど、やっぱり千鳥も少し沈んだ様子で、あたしにそう囁いた。

「うん……そうなのかな……」

「しょうがないよ〜。ひょっとしたら、思いっきりケンカしたあと、仲良くなるかも知れないし〜」

 ……それは絶対ないと思う。
 だけど、責任を感じて暗くなっているあたしを案じて、千鳥はそんな風に云ってくれるんだろう。
 うん、止められないんなら、せめてどっちも大ケガしないよう、フォローに回ることにしよう。……ルルージュの邪魔をすると、自分が大ケガすることになるかも知れないけど。
 強いて笑顔で頷いて、あたしは今度こそ迷わないよう、二人のフォマールのあとに続いた。

     6

 その思いがけない事態は、あたしたちが歩き始めてから、ほどなくやってきた。

「北都さん」

「は……はいっ!?」

 あたしは思わず背筋を伸ばして、授業中、居眠りをしているところを突然指された生徒みたいな返事をしていた。
 だって、ルルージュがあたしに呼びかけることなんて、そうそうあることじゃなかったから。ひょっとしたら、こないだのドラゴン戦以来、初めてかも……。
 自分から話しかける分には、だいぶ慣れてきたんだけど、話しかけられると、今でも緊張してしまう。
 そんなあたしの様子には相変わらず無関心な様子で、ルルージュは振り向かずに言葉を続けた。

「ミアンから、何か聞かされたんですの?」

 ミアン……ああ、ジョルジュのことか。
 なぜルルージュはジョルジュをミアンと呼ぶのか……、そして、ジョルジュはなぜそれをああまで嫌がるのか……ほんと、わからないことばっかりだ。
 千鳥が心配そうに表情を陰らせて、あたしたちを見守ってる。
 あたしは軽く首を横に振った。

「……ううん、なんにも」

「……」

「ただ……ルルージュより強くなりたいって……そう云ってた」

「……くだらないことを」

 やはり表情を変えずに呟くと、彼女はもう口をつぐんでしまった。
 ルルージュとジョルジュの間にあった出来事……それをあたしが聞いたのかどうか、確かめたかったのだろうか。そういうことを気にするのは、とてもルルージュらしくない気がするけど……それだけ、重要な話だってことかな。
 正直、すごく気になるし、教えてほしい。だけど、ルルージュの背中はそんな問いかけを完全に拒絶していた。
 それに、ジョルジュでさえ語ろうとしなかったことなのだ。あたしなんかが、ただの好奇心で踏み込んでいい問題じゃない……そう、思えた。

「ああ、それともう一つ……ルルージュと千鳥とラフィールが、今のハンターズじゃ三強だって聞いたよ」

「……」

「あはは〜、それは、私に関しては買いかぶりだね〜」

 千鳥が満面の笑顔でそんなことを云った。

「え……どうして?」

「ルルージュとラフィールは別格だもん〜。私なんて、全然相手にならないよ〜」

「……」

 ルルージュが横目でちらっと千鳥のほうを見た。思いっきり異議あり、という視線だ。
 千鳥は涼しい顔でその視線を受け流して、相変わらずニコニコしている。

「ルルージュの強さは、もうよく知ってると思うけど〜、ラフィールもすごいよ〜」

「そ、そうなの?」

 ラフィールも、どちらかといえば物腰穏やかで、上品な感じの女性だった。彼女がどんな風に戦うのか、想像もつかない。
 もっとも、見かけによらないのは、今、あたしの目の前にいる二人が、最たるものだと思うけど……。

「そうだよ〜。ラフィールがなんて呼ばれてるか、知ってる〜?」

「ううん」

 ジョルジュから「もの知らず」と呼ばれたあたしだ。ラフィールの存在自体を知らなかったのに、あだ名を知っているわけがない。

「……女豹」

「――え?」

 ぽつりと、ルルージュが呟いた。
 ルルージュが会話に参加してる! ……なんて、あたしは本人に知られたら、睨み殺されそうなことを考えていた。
 ……そして。例によって、周りへの警戒が、おろそかになっていたのだ。

「そう〜。豹みたいに、静かに近づいて、いきなり爪を立てるんだよ〜。……こんな風にね〜」

 緊張感の欠片もない台詞とは裏腹に、電光の素早さで千鳥はダブルセイバーをあたしの前に掲げた。
 ガシッと何かが激しくぶつかる音がして、フォトンの刃が重なり合う火花が散る。
 目を丸くしたあたしの目の前で、千鳥のダブルセイバーと……いきなり飛びかかってきたラフィールのクローとが重なり合っていた。

「……ちぇっ。やっぱりあなたたちには、不意打ちなんて意味ないわね」

 実に嬉しそうにそう云うと、ラフィールは唇をぺろっと舐めて、後方に飛びすさった。そして、少し腰を落として、両手にはめられたクローを構え直したんだけど……。
 あれは……あの武器は、クローなんだろうか、果たして?
 まず、サイズがとんでもなく大きい。両腕をすっぽり包み込むような感じだ。前方の文字どおり「爪」だけでなく、後方、肘のほうにも大きなトゲが伸びている。装飾も豪華で……なんというか、ものすごくゴージャスな武器だ。

「……ハート・オブ・ボウム」

「相変わらず、派手だね〜」

 目を白黒させているあたしの疑問に、ルルージュと千鳥が答えてくれる。
 ――ハート・オブ・ボウム!
 もの知らずなあたしでも、その名前は知っていた。ルルージュのソウルイーター同様、ううん、それ以上に伝説的な最強武器。名前だけで、実在しないんじゃないかとまで云われていた、あの――?

「うふ。そうやって驚いてもらえると、やっぱり嬉しいな」

 云いながら、ラフィールはにっこりと笑った。とても上品で……だけど、なんだかとても恐ろしい笑顔。獲物を前にした、肉食動物みたいな。

「うちの新人、だいぶ可愛がってくれたみたいじゃない。あんなへこんだ姿、初めて見たわ」

「……ラフィール、余計なこと云わなくていいよ」

 ラフィールの背後から、憮然とした表情でジョルジュが姿を現した。手にしているのは真紅の大剣、ドラゴンスレイヤー。
 彼女たちも、うまく合流してたんだ。

「私はあなたたちの間に何があったか知らないし、興味もない。でもね、身内をコケにされて、黙ってるわけにはいかないの」

 笑顔のままで、ラフィールの目がすぅっと細くなっていった。
 いや、あれはもう笑顔じゃない。だって、瞳の奥には、あんなにも敵意が燃えさかって――。

「遊びのつもりだったけど。本気になっちゃうね」

 その言葉が耳に届いた瞬間、ラフィールの姿が消えた。
 あたしの目では捉えられないほど速く跳躍したんだって気づいたのは、ラフィールの攻撃をルルージュが弾いた音が響いてからだった。
 ラフィールは怯みもせず、矢継ぎ早に両手のクローで攻撃を繰り出す。ルルージュは後ろに下がりながら、ソウルイーターでそれらをさばいていた。
 なんてことだろう。あのルルージュが、防戦一方で、反撃の隙を見出せないでいる。
 さらに、驚いたことに。ラフィールの背に向けて、千鳥がゾンデを放とうと詠唱に入った瞬間、ラフィールは身を翻して千鳥に矛先を転じたのだ。さすがに千鳥はそれをよけたものの、詠唱は中断されてしまった。

「やだ〜、チーム戦なんて、云うんじゃなかった〜」

「……口より、手を動かしなさい」

 ルルージュと千鳥が同時に斬りかかるけど、ラフィールは素早い動作でそれを避ける。それだけじゃなくて、避けると同時に蹴りを放って、二人を牽制するのを忘れない。とにかく手数が多くて、それを受けるのが精一杯だ。
 ……まずい。やっぱり、接近戦主体じゃ、いくら二対一でもフォースとハンターじゃ分が悪すぎる。
 せめて、あたしが牽制して、ルルージュたちが反撃する糸口を作らなきゃ。そう思って、あたしがハンドガンを構えたとき。

「あんたの相手はこっちだよ!」

 叫びと同時に、ドラゴンスレイヤーが振り下ろされた。
 あたしは無様に地面を転がりながら、どうにかそれを避ける。

「ジョルジュ!」

「悪いね。ラフィールがその気になっちゃったからさ。個人的な勝負ならともかく、チームの看板背負ってる以上、負けるわけにはいかないんだ」

「そんな……!」

 あたしは、どうにかしてルルージュとジョルジュの対決を止めたいって思ってたのに、それがこんなチーム同士の総力戦になるなんて。あたしの考えが甘かったってこと? バトルやろうなんて、あたしが考えなしに云っちゃったから……。
 表情をゆがめたあたしを見て何を思ったのか、ジョルジュは剣を下ろして、笑いかけてきた。その笑顔は、なぜだか、カチンと来た。

「ギブアップしなよ。そうすれば、ケガせずにすむ。ルルージュなんかに、そこまでつき合う義理はないだろ?」

 ……その言葉に。あたしの中で、何かがぷつんと切れた気がする。
 あたしはハンドガンを持ち上げると、続けざまに引き金を引いた!

「ど、どわっ!?」

 慌ててジョルジュが飛びすさって避ける。あたしはもうためらわず、彼女に照準を向けた。

「あたしたちだって、チームだもん! 仲間見捨てて逃げるなんて、絶対しない!」

 そうだ。あたしにはジョルジュみたいに、誰かを越えたいという強い目標もない。ルルージュが胸に秘めているような、燃えるような情熱もない。
 だけど、それでも、あたしが戦っていられるのは。きっと、ルルージュや千鳥と一緒にいたいっていう、ただそれだけの想いだから。
 だから絶対に、逃げたりしない! それが誰かを傷つけることになったって!
 その叫びに、ジョルジュは茫然とあたしの銃口を見つめた。
 いや、ジョルジュだけじゃなくて。なぜかラフィールも、千鳥も、そしてルルージュも動きを止めて、みんな、じっとあたしのほうを見つめていた。……な、なんで?

「……だってさ。ルルージュ、聞いた?」

 ジョルジュが嬉しそうな――それでいて、泣き出しそうにも見える表情で、呟いた。
 ルルージュは答えない。いつもと同じく、無表情に、ほんのわずか物憂げに眉をひそめて。
 ジョルジュがドラゴンスレイヤーを振り上げた。

「あんた、根性あるね。そういうの、好きだよ、あたし。……だから、もう手加減しない」

 紅い旋風が巻き起こった――そんな感じだった。ジョルジュは本当にあの小柄な体のどこにそんな力があるのか、ドラゴンスレイヤーをぶん回して、あたしに斬撃を繰り出してきた。
 あたしはもう見栄もへったくれもなく、地面をごろごろ転がってどうにかそれを避けつつ、文字どおり闇雲にハンドガンを撃ちまくった。
 こんなことで勝てるとは思ってなかったけど、とにかくあたしがジョルジュを引きつけておけば、ルルージュと千鳥はラフィール一人に専念できるんだ。
 その心意気やよし、と、自分を褒めてやりたいぐらいだった。――あたしがちゃんと地形を考えて戦えるぐらい、しっかりしていれば、ね。

「う、うわ、まずっ」

「もらった!」

 ここが迷路みたいに細い道筋で構成されてるってことをすっかり忘れていたあたしは、袋小路に追い詰められてしまった。もう逃げ場はない。
 迫り来る一撃を観念して、せめて一矢報いようと、ハンドガンをまっすぐ構える。
 ――しかし。今度もまた、真紅の大剣はあたしの頭を直撃しなかった。
 それはジョルジュがさっきのように、ぎりぎりで止めてくれたわけじゃなくて。

「ルルージュ!」

「……周りを見なさいと、いつも云っているでしょうに」

 ソウルイーターを逆手に持ち、その刃でドラゴンスレイヤーを受け止めてくれたルルージュが、やはり独り言のようにそう呟いた。
 ルルージュがとっさに飛び込んで、あたしを守ってくれたのだ。
 だけどそれは云うまでもなく、致命的な隙を生むことになって。
 ラフィールのハート・オブ・ボウムがルルージュの背後に迫る。千鳥のフォローも間に合わない!
 思わずあたしが目を閉じそうになった刹那。
 ルルージュは、ソウルイーターを捨てた。
 そのまま素早く身を翻して、避けるのではなく、ラフィールの懐に飛び込み――。
 パン、と、乾いた音がした。

「な……」

「え……」

「うわ……」

「あはは〜、痛そう〜」

 場違いな明るい声で、千鳥が笑う。だけど、もっと場違いだったのは、ルルージュが使った技のほうだっただろう。
 技……と云っていいんだろうか。
 ルルージュは、ラフィールの頬に平手打ちをお見舞いしたのだ。わかりやすく云えば、ビンタしたってこと。
 ラフィールは頬を押さえて茫然とし、ジョルジュもぽかんと口を開けている。
 一方、当のルルージュはいつもと全く変わらない端然とした様子で、ソウルイーターを拾い上げた。そして、やはりいつもどおり、つまらなそうに呟いた。

「武器やテクニックだけが、戦う道具ではありませんわ」

「……」

 目を点にして、ラフィールはルルージュを見つめている。やがて、その口元がゆがみ、肩が震えだした。

「……ぷ……くくく……ははははははっ」

 ついにこらえきれない様子で、ラフィールが大笑いした。笑いすぎてにじんだ涙を、指の端ですくう。
 ……どうでもいいけど。あんなごつい武器つけてて、器用だなあ。

「さっすが『緋の蠍』よね。あのタイミングでソウルイーターを振り直すのは、絶対間に合わないもの。詠唱だってもちろん。あそこで武器を捨てるって決断が、とっさにできるなんて。やっぱりあなたがナンバーワンかしら」

 ……ほんとに。あたしなんて、もうダメだ!って意識しか出てこなかったのに。
 ルルージュはいつだってクールに、正確に状況を分析して行動する。そして、決して諦めない。それがルルージュの強さを支える理由のひとつなんだって、あたしにもわかった。
 そうして「最強」武器を持つ相手から惜しみない賛辞を受けて、だけど、ルルージュの態度はやっぱり変わらなかった。ラフィールのほうを見るでもなく、独り言のように呟く。

「……それで。続けますの」

「ん……どうしよっか。正直、毒気抜かれちゃったな」

 その言葉に、あたしは心底ほっとした。ルルージュの平手打ちが、ここまでの効果を狙ったものだったらすごいと云うしかないけど……実際はどうなんだろう? もちろん、ルルージュの横顔からは、そんなの窺い知ることはできないけど。
 しかし、ラフィールの豹変には、予想通りジョルジュが噛みついてきた。

「ラフィール! あたしはまだ……」

「ま、今日はこの辺にしておきなさいよ。今はまだルルージュに叶わないって、あんたも学習したでしょ?」

「……っ」

 血がにじむほど唇を噛みしめて、ジョルジュはうつむいた。本当、悔しいんだなあ。
 ルルージュを敵視する気持ちには同意できないけど、あの純粋さは……なんて云うか、心を打たれるものがある。
 ラフィールも同じように考えているのか、とても優しい目をして、ジョルジュの髪をくしゃくしゃと撫でた。

「いつか、勝てばいいのよ。焦らないの」

「……ん……」

 ジョルジュは小さく頷いた。
 ルルージュはやっぱり無関心な風に立っていて、なぜか千鳥は、とても悲しげな表情をしていた。
 これで本当に一件落着。
 そう思ったのは、やっぱりあたしの早とちりで――。
 ギャァァァ!と耳障りな叫び声が上がった。
 とっさに振り向くと、今では見慣れたモンスター、ブーマがこちらに迫ってこようとしているところだった。
 そういえば、モンスターも出るんだっけか。でも、こっちにはハンターズ三強が揃ってるんだし、ホログラフィーだって話だし。
 それに何より、せっかくいい雰囲気でまとまりそうになったところへ水を差された感じで、あたしたちの間には、どうにも白けた空気が漂ってしまった。

「――うるさいよ!」

 ジョルジュがドラゴンスレイヤーを掲げて、ブーマに走り寄っていく。沈んだところを見せてしまった照れ隠しもあるんだろうな、なんて、あたしは気軽に考えていた。
 そのとき、ルルージュがふっと眉をひそめた。

「……違いますわ」

「……え、ルルージュ、なに?」

「――! ジョルジュ、下がりなさい!」

「……へ?」

 目を丸くしてジョルジュが振り返ったとき、ブーマが太い腕を振り下ろした。とっさに駆け寄ったラフィールがジョルジュを引き寄せたものの、ぎりぎり間に合わず、鋭い爪がジョルジュの脇腹をかすめた。吹き出す鮮血。
 ……え? 鮮血?

「ジョルジュ! ……そんな……!?」

「……本物ですわ」

 ソウルイーターを構え直しながら、ルルージュが呟いた。

     7

「いってぇぇぇぇ! 何これ、どういうことっ!?」

 傷口を手で押さえながら、ラフィールに抱えられてジョルジュが下がった。代わりに、あたしたち三人が前に出る形になる。
 そんな、モンスターはすべてホログラフィーのはずじゃなかったの? 実物が紛れ込んでるなんて……そもそも、「紛れ込む」なんてあり得ないはずだ。

「誰かが……細工したってことね」

 ラフィールがジョルジュにレスタをかけつつ、呟く。
 細工? そんな、なんで? いたずらにしては、タチが悪すぎる。
 だとしたら、そこにあるのは……明確な悪意?

「心当たりは? ……ありすぎか」

「……」

「お互い様でしょ〜」

 千鳥の言葉に、ラフィールが軽く肩をすくめて見せた。
 誰かが、あたしたちを殺そうとしてる? そんな、なんで?

「……来ますわよ」

 すぐパニックに陥りそうになるあたしを、いつもルルージュの低い声が現実に引き戻してくれる。ブーマは腕を振り回しながら、あたしたちに迫ろうとしていた。

「ど、どうする? 今の武器じゃ――」

「ラフィール」

 こんなときでもやっぱりルルージュは取り乱したりしない。ブーマを睨み据えたまま、いつもと変わらない調子で呟いた。

「とにかく管制室に連絡して、シミュレーションの中断を」

「OK。……でも、任せて大丈夫?」

「……」

 ルルージュは答えない。その姿に、ラフィールは小さく微笑んだ。

「ごめん、バカな質問だったわね。ジョルジュはまだ動けないから……頼んだわよ」

 云い残して、ラフィールは駆け去った。端末のところまで戻って、シミュレーションを中断させるためだ。
 その背を見送っていたジョルジュが、ドラゴンスレイヤーを支えに立ち上がった。

「あたしが……食い止める。あんたたちは、逃げなよ」

「な……何云ってるの、ジョルジュ! そんなケガで……」

「こんなケガだから、さ。一緒に逃げることはできない。なら、ここで時間稼ぎするよ。ラフィールが管制室と連絡をつければ、それでおしまいさ」

「そんなの……!」

「いいから、早く!」

 叫びながら、ジョルジュはルルージュを睨んだ。どれだけ衰弱していても衰えない、強い瞳の光で。

「あんたに守ってもらうなんて、あたしはまっぴらなんだよ!」

「ジョルジュ……」

 ルルージュは興味なげにジョルジュを一瞥した。そして、すぐに視線を前に戻すと、ため息を吐き出した。

「あなたが生きようが死のうが、私には関係ありませんわ。死にたいなら、どうぞご自由に」

「ルルージュ! そんな……」

「けれど、私は逃げません。……二度と逃げない。それが、私がこのソウルイーターを振るう、唯一の資格」

「……!」

「……」

 ジョルジュが息を飲み、千鳥が目を伏せた。
 ルルージュはいつもどおり、優雅に、艶やかに進み出る。舞踏会にでも出るみたいな足取りで。だけど、その手には禍々しい大鎌を携えて。

「千鳥」

「は〜い」

「奴の気をそらして」

「了解〜」

「北都さん」

「は、はいっ」

「千鳥をフォローしてください」

「……はいっ」

 あたしが答えたときには、もう千鳥は走り出していた。ダブルセイバーを回転させながら、ブーマの体に叩き込む。だけど、シミュレーション用に抑えられた出力じゃ、本物のブーマに傷ひとつ負わせることはできない。
 ブーマが腕を上げて、その爪で千鳥を引き裂こうとする。あたしは慌ててハンドガンを向けて、引き金を振り絞った。ブーマの注意がそれた隙に、千鳥が腕をすり抜けて再びダブルセイバーを振るう。
 その間に、ルルージュはブーマの背後へ回っていた。
 だけど、どうするつもりだろう。たとえ後ろを取ったって、今の武器じゃブーマを倒せない。まさか、またソウルイーターのあの忌まわしい力を使うつもりなんだろうか。
 あたしは不安と焦燥でルルージュの顔を見つめたが、やっぱりその表情に変化はなかった。ただ何かを狙うように、鋭い瞳で鎌を振り上げていた。
 そして。完全にブーマの死角に回り込んだそのとき。
 空を裂く唸りと、ブーマの耳障りな悲鳴が、同時に響いた。辺りに鮮血が飛び散る。

「……う……」

 あたしはその光景に、思わず口元を押さえてしまった。
 ソウルイーターの刃は、ブーマの左目に深々と突き刺さっていたからだ。
 確かに、ブーマの体を貫くことはできなくても、あそこなら今の武器でもどうにかなる。だけど、ブーマの目は、その巨体に似合わずずいぶん小さい。動き回っている敵のその一点を、過たず狙い打てるなんて。
 ……そして、その残酷とさえ云えるような行動を、ためらいもなく取れるなんて。
 しかも、ルルージュはそこで刃を引いたりしなかった。細い華奢な腕からは想像できない力で、さらにソウルイーターを深く抉り込ませていく。あの大きな鎌はやがて脳髄に達し、致命傷となるだろう。
 ブーマの断末魔の叫びと、まき散らされる血飛沫に、あたしは思わず耳を塞いで、目を閉じてしまった。
 あまりに正視しがたい、凄惨な図だったから。そして、その返り血を浴びて、ルルージュが笑っているように思えて……それを見てしまうのが、とてもとても怖かったから。
 次の瞬間、辺りがぱーっと明るくなった。
 シミュレーションバトルは、終了したのだ。

     8

 シティに戻ったあたしたちは、ハンターズギルドから事情聴取を受けた。
 だけど、あたしたちは訳もわからず襲われた方だ。事情なんて、わかるわけがない。ギルドの方も、ルルージュ、千鳥、ラフィールという豪華なメンツに恐れをなしたのか、早々に解放してくれた。
 ……なんだったんだろう、ほんとに。とりあえず全員無事だったからよかったけど……冗談じゃすまないよ、こんなこと。

「大変なことになっちゃったわね。ごめんなさい、私がバトルしようなんて云ったから」

 ラフィールがジョルジュに肩を貸しながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
 千鳥がニコニコと笑いながら、首をぶんぶんと横に振る。

「ラフィールのせいじゃないよ〜」

「ありがと。ジョルジュも無事で、よかったわ。――ほら、あんた、お礼云いなさいよ」

 ラフィールに促されて、ジョルジュは憮然とした顔であたしたちを見回した。
 ……結果としては、ジョルジュはあたしたちに――ルルージュに守ってもらった形になった訳だ。ジョルジュにすれば、それは耐え難い屈辱なんだろう。
 ジョルジュは何度かためらったあと、キッと顔を上げてルルージュを睨んだ。

「……あんたは、強いよ、ほんと」

「……」

「あのときも、それだけ戦えりゃ、彼は死ななかっただろうに」

「――!」

 ルルージュの表情が、変わった。
 彼女が怒りを露わにするのは、もう何度か見たことはある。心に刺さるような悲しみも、一度だけ。
 だけど、今は。蒼白になって、小刻みに震えてさえいた。
 まるで、何かに怯えるかのように。込み上げるものに、じっと耐えているかのように。
 その姿に驚く間もなく、ヴンッという音が響いた。見ると――なんと千鳥がダブルセイバーを抜き、フォトンの刃をジョルジュの首筋につきつけていたのだった。

「千鳥……!?」

 シティで武器を使うのは御法度だ。見つかったら、ハンターズライセンス剥奪じゃすまない。
 だけど、あたしは止められなかった。
 そこにいるのは、あたしが知っている千鳥じゃなかった。
 表情は変わらず、ニコニコと微笑んでいる。でも、そこには暖かみなんて、欠片もなかった。感情のない、「笑顔」という名の仮面――。

「云っていいことと悪いことがあるよ〜、ジョルジュちゃん」

「……」

 あたしと同じく、息を飲んでいるジョルジュ。千鳥はやっぱりおっとりした口調で、恐ろしい言葉を続けた。

「もう一度、云ってみる〜? そしたら、殺してあげるから〜」

「……」

「ち、千鳥……」

 ラフィールも、もちろんあたしも為す術がない。
 凍り付いた空気を、やがて低い、静かな声が破った。

「おやめなさい、千鳥。似合いませんわ」

「……」

 千鳥は無言でダブルセイバーを収めた。一瞬前の氷のような雰囲気は消え、いつものように優しく、悲しげな様子でルルージュを見つめる。
 ルルージュは誰とも目を合わせず、端然と立ち尽くしていた。

「云われるまでもありませんわ。そう……この緋色はあのひとの血の色……。忘れるはずがない……」

 そう呟いて、静かに瞳を閉じた。
 その姿を見た瞬間、あたしは考えるより先に行動していた。
 ジョルジュの前に立ち、その頬をひっぱたいたのだ。

「な……っ」

「謝って」

 目をむいたジョルジュに、あたしは涙目でそう云った。まっすぐ、その紅い瞳を見つめて。
 もちろん未だあたしには事情はわからない。立ち入るべきことじゃないかも知れない。
 だけど、やっぱり、許せないと思った。

「あたし、ジョルジュを嫌いになりたくない。だから、謝って」

「……」

「お願い」

 ジョルジュが戸惑ったようにあたしを見つめ返す。そして、ラフィールの方に目を向けると、ラフィールも少し厳しい顔で頷いた。
 ジョルジュは唇を噛みしめて、ただ無言で、頭を下げた。

     *

 ジョルジュとラフィールが帰ったあと、あたしたちはその場で何をするでもなく、ぼんやりと佇んでいた。
 これは、実はすごく珍しいことなのだ。
 いつもなら、ルルージュは用が終わればすぐ引き上げてしまう。彼女とプライベートな時間を過ごしたことは、全くない。千鳥も、似たようなものだ。
 だけど、このときは何故か誰も帰ろうとはしなくて。だけど、特に話題もなくて。ただ意味もなく、時間を三人で共有していた。
 それはすごく贅沢なことだったのかも知れない。そのときはそんなこと、わかりもしないことだったんだけれど。

「……あ、そうだ! あたし、考えたんだけどさ」

「……」

「え〜、なになに〜?」

 いつもと同じように、ルルージュは無関心で。千鳥はニコニコと微笑んでいて。

「チーム名! 『三色旗』なんて、あんまりじゃない?」

「あ〜、そうだね〜。あのセンスはないよね〜」

 ころころと千鳥が笑う。ルルージュがため息をつく。
 あたしは勢い込んで、言葉を続けた。

「でしょでしょ! それでね、考えたの!」

「ほんと〜? どんなの〜?」

「んっとね、『ルージュ』!」

「……え……」

「……ルージュ……?」

 千鳥が言葉を失い、ルルージュが物憂げに眉をひそめた。
 あたしはその反応は予想していたので、怯まないよう自分を内心鼓舞しながら、思いっきり早口でまくしたてた。

「そう! やっぱ、うちのチームのリーダーはルルージュでしょ? それで、ルルージュのシンボルカラーは赤だもの!」

「……」

「……」

「あたしはね、ルルージュにその色、すごく似合ってると思うんだ。髪の色も、すごく素敵。他の色は、やっぱりちょっと考えられないな」

「……」

「……」

「ルルージュがそのことをどう考えてるのか、あたしにはわからない……。でもでもっ、あたしは、すごく好きだからっ。ルルージュや千鳥と同じチームだって、あたしは誇りに思って……それで……っ」

 だんだん、声が小さくなってしまう。いやだ、泣きそう。
 そのとき、ルルージュが身を翻した。口元に小さな笑みを浮かべて、小さな小さな声で呟きながら。

「ご随意に」

 そして、振り返らずまっすぐ歩き去るその後ろ姿を、あたしは茫然と見送っていた。

「じゃあ、そろそろ帰ろうか〜」

 千鳥の声に、やっと我に返る。あたしは千鳥の穏やかな笑顔に、すがるような視線を送っていたかも知れない。

「ねえ……やっぱりまずかったかな? 今の……」

「ルルージュがいいって云ってるんだから、いいんじゃないかな〜」

「そ、そうかな」

「私も、いい名前だと思うよ〜」

 ニコニコと微笑みながら、千鳥はそんな風に云ってくれた。
 それでやっと、あたしは笑顔で頷くことができた。

「……うんっ」

     *

 のちにハンターズギルド史に刻まれるチーム「ルージュ」が、このとき誕生した。
 だけど、このあと、あたしたちを襲う出来事を知っていれば、あたしはもっと違う名前を考えたかも知れない。
 そう、こんな、血の色を連想させる名前じゃなくて……。


Phantasy Star Online Ver.2
'Story of Scarlet Sorceress' Episode II
"Call us, 'Rouge!'"
end


2002.7.23

あとがき

「後編は短くなる」そんなこと云ったのはどこの誰でしょうね? はい、私ですm(__)m。
どこが短いんでしょう。今まででいちばん長いっす(^^ゞ。
ジョルジュ、動きすぎっ。やはりつきあいの長いキャラだけに、一度出すと、なかなか止まりませんです。
ルルージュの平手打ちは、ゲームを知らない人には「なんだそりゃ」って感じでしょうね(^^ゞ。PSOでは武器を持たない素手攻撃モーションというのもあって、フォマールのそれは往復ビンタなんです。
さて、いよいよお話は本題に入りつつあります。ハンターズギルド史に残る「ルルージュ事件」、その顛末はいかに?
……って、まだ全然まとまってませんが(^^ゞ。ジョルジュ編も書かないとなー。
ということで、またしばらくお休みさせていただくと思いますが、ご容赦くださいませ。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

トップページへ戻る