intermission - II

 殺風景な部屋だった。
 女性らしい調度品などは、まったくない。ベッドと机、クローゼットと、必要最低限の家具しか置いていなかった。
 まるで自身の心象風景をそのまま映したような寂寥とした部屋で、ルルージュは独り、グラスを傾けていた。傍らには、すでに半分ほど中身を失った火酒のボトルが置かれている。
 手にしたグラスを、ルルージュが揺らしてみる。透き通った氷が、カランと音を立てた。
 血のような赤に浮かぶその姿は、突き立てた刃を思わせた。

(チーム名? そうだな、『ルージュ』ってのはどうだ?)

ルージュ?)

(そう、俺たちにピッタリだろ?)

 胸の底から甦る懐かしい言葉。忘れることのできない笑顔。
 ルルージュは一瞬、微笑みを浮かべたあと、ひどく疲労感をにじませて、ため息をついた。
 そのとき、インターホンの音が響いた。

「……」

 ルルージュを訪ねる人物など、一人しかいない。承知していたけれど、ルルージュは無視を決め込んだ。今は気を遣ってなどほしくない。
 しかし、訪問者は辛抱強くインターホンを押し続け、それどころか、やがてどんどんとドアを叩き始めた。

「ルルージュ〜。いるんでしょ〜。わかってるんだから〜。開けてよ〜、千鳥ちゃんだよ〜」

 ……ほとんど酔っぱらいが騒いでいるとしか思えない。深い深いため息と同時に、ルルージュがうっとうしげに立ち上がろうとしたとき。

「も〜、勝手に入っちゃうからね〜」

 そう聞こえると同時に、部屋の中にまばゆい光が現れた。わずかに眉をひそめて見つめるルルージュの前で、光はやがて、千鳥の姿となった。

「えへへ〜、こんばんは〜」

「……」

 ルルージュは特に驚きもしない。ただ不機嫌そうにじっと千鳥を見つめ、再び深いため息をついた。

「……誰かに見られたら、どうするんですの」

「あはは〜、実験動物だって、ばれちゃうね〜」

「……千鳥」

 ルルージュの視線と口調が険しいものになる。千鳥は変わらずニコニコと微笑んだままだった。

「ごめんごめん、云わない約束だったね〜。でも、ルルージュが、すぐに入れてくれないから、いけないんだよ〜?」

「……」

 ため息で答えるルルージュ。
 千鳥は笑顔でベッドに腰掛けた。

「いい加減、私の分の椅子ぐらい、用意してよ〜」

「……必要ないでしょう」

 素っ気なく答えながら、ルルージュは新しいグラスを千鳥に差し出した。千鳥がそれを受け取ると、両手に自分のグラスとボトルを持って、千鳥の隣に腰を下ろす。そして、千鳥のグラスに、赤い酒を注いでやった。

「ありがと〜。それじゃあ、かんぱーい」

「……」

 グラスの重なる音が、静かな部屋に響いた。
 ルルージュは一口だけで軽く喉を湿らせ、千鳥は一息に飲み干してしまった。

「ぷは〜っ。働いたあとはおいしいね〜」

「……」

「お代わり、もらうね〜」

「……」

「う〜ん、おいしい〜。やっぱり、私が選んだだけはあるよね〜」

「……」

「でも、一緒に飲もうねってプレゼントしたのに〜。一人でもうこんなに空けちゃって、ずるいよ、ルルージュ〜」

「……千鳥」

 最初からハイペースで飲み続ける千鳥と対照的に、手の中でグラスをもてあそんでいたルルージュは、やはりいつもどおりあらぬ方向に視線を向けたままで呟いた。

「用があるなら、早くすませなさい」

「……つれないなあ、も〜」

 微笑みつつ、千鳥は珍しくため息をついた。そのまま空になったグラスをじっと見つめている。ルルージュも二度は促すことなく、その姿を横目で見ていた。

「……ねえ、ルルージュ」

「……なんですの?」

 グラスから顔を上げて、千鳥はルルージュに面を向けた。その表情から微笑みが絶えることはなかったが、少し悲しげに瞳を翳らせていた。

「北都ちゃんに嫌われちゃったかな〜、私」

「……」

 ルルージュの過去の傷を抉ったジョルジュの言葉。それを聞いたとき、千鳥は思わず我を忘れた。そのことを間違っていたとは思わないし、後悔もしていない。けれど。
 ルルージュは千鳥のグラスに酒を注ぎ直してやりながら、いつもどおり、つまらなそうに答えた。

「あの程度で嫌われるなら、私など顔も見たくないと思われているでしょうね」

「……ルルージュ……」

 一瞬、千鳥の目が丸くなる。しかし、次の瞬間には、満面の笑顔で強く頷いていた。

「あはは〜、うん、そうだよね〜」

「……そうまで強く同意すべきところではないと思いますけど」

「あはは〜、ごめ〜ん」

 ルルージュは深いため息を吐き出す。そこでようやくグラスを口元に運び、赤い酒を飲み干した。

「……それで、本題はなんですの」

「……え〜?」

「あなたが自分の悩みだけで、私のところに来ることはありませんもの」

「そんなことはないと思うけどな〜」

 ルルージュは答えない。本題に入るまで、無駄な話はする気がない、という態度だ。
 千鳥がなんの話をしたいのか、ルルージュにはわかっていた。だから、はじめ部屋に入れまいとしたのだし、話を始めた以上、早く終わらせてしまいたかった。
 千鳥にもそのことはわかっていたので、彼女は伏し目がちに言葉を続けた。

「うん……じゃあ、訊くけど……」

「……」

「チーム名……ほんとにいいの〜? 『ルージュ』って……」

「……」

「やっぱり嫌だって思うなら……、私から、北都ちゃんに云うよ〜?」

「……無用ですわ」

 口調こそそっけないままだったが、ルルージュはわずかに微笑んでいた。千鳥は驚いて、その横顔を見つめた。

「チームを組むことなんて、二度とないと思っていましたけど……」

「ルルージュ……」

「私がいるチームは、『ルージュ』以外ありえませんもの。あのひとがくれた、大切な名前……。想い出も、痛みも、傷も、死神の鎌も……あのひとが残してくれたもの……何一つ捨てられない……」

 記憶の中に沈み込むように、ルルージュは目を閉じた。
 その姿を、千鳥は痛ましげに見つめていた。
 千鳥には、わからなかった。ルルージュの言葉を喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
「チーム」という意識をルルージュが持つようになったのは、いい変化のように思える。頑なに他者に心を閉ざしてきた、これまでに比べれば。
 けれど、一方では、やはり彼女は未だに過去しか見ようとしていないのだろうか。『ルージュ』というチーム名は、新しい一歩ではなく、ルルージュを過去に縛り付ける鎖に過ぎないのか。
 ……そうだとしても。
 ルルージュがそのチーム名を名乗る気になったのは、過去を乗り越えようとする意思の表れだと、千鳥は信じたかった。自身の罪を忘れないためだなんて、そんな風には、考えたくなかった。

「……千鳥こそ」

「――え、え〜?」

 不意に呼びかけられ、千鳥は狼狽した。その様子に、ルルージュはいぶかしげに眉をひそめたものの、何も追求せず言葉を続けた。

「ラフィールに、弥十郎のことを聞かなくて、よろしかったんですの」

「……あ〜、そのこと〜」

 困ったように千鳥は面をそらし、今度はルルージュがじっとその顔を見つめることになった。

「ラフィールは何も知らないようでしたけど……彼女のところに、弥十郎もいるのでしょう?」

「うん〜、そうみたいだね〜」

 歯切れの悪い台詞。しかし、ルルージュは構わずに話を続けた。

「あなたがどんな想いで助け出したかも知らないで、またこの世界に戻ってくるなんて……本当、不出来な弟ですこと」

「あはは〜、ひどいな〜、ひとの弟をそんな風に〜」

「事実ですわ」

「も〜、ルルージュったら〜」

 苦笑しつつも、千鳥は嬉しくて涙が出そうだった。ルルージュは自分のために、弥十郎に対して腹を立てているのだから。

「あのコももう子供じゃないから〜、自分で考えて、そう決めたんなら、しょうがないよ〜」

「……」

 沈黙が降りた。
 それは互いの過去の痛みに触れた気まずさから来るものではなく、ただいたわりに満ちた静けさだった。だから、千鳥は穏やかに微笑み、ルルージュは何事もなかったようにグラスを傾けていた。

     *

 同じ頃、シティの一角では、新しい邂逅が生まれようとしていた。

「あ……」

「……よお」

 北都は少し前に別れたばかりの紅い髪の少女と再会し、思わず言葉を詰まらせた。
 正直、少し気まずかった。ケンカ別れに近い別れ方だったからだ。
 だが、一方の少女――ジョルジュは、少し困ったように頬をかいたものの、ニカッと破顔して見せた。その笑顔に、北都は密かに胸を撫で下ろした。

「さっきはどうも。いい経験させてもらったよ」

 自分の頬を軽く叩きながら、ジョルジュはウィンクした。北都は赤面して、慌てて首を振る。

「ご、ごめん、あたし、つい、カッとして……」

「いいって。認めるのは癪に障るけど……あれは……あたしが悪かったよ」

「ジョルジュ……」

「ひとり? だったら、ちょっとつきあってよ」

 そう云って、ジョルジュが北都を伴ったのは、ハンターズが多く集まるバーだった。入口の前で、北都が思わず足を止めて、目を白黒させる。

「え、こ、ここって?」

「へ? バーだよ。来たことあるだろ?」

 ごく当たり前のように尋ねるジョルジュに、北都はぶんぶんと大きく首を横に振った。
 ジョルジュは意外そうに目を大きく開くと、笑いながら北都の肩を抱いた。

「なーんだ、ルルージュ辺りに悪い遊びを教わってるんじゃないかと思ったけど、見た目通り、ウブなんだね」

「ル、ルルージュは、そんな……」

「はいはい、じゃあ、勇気を持って大人への一歩を踏み出そうねー」

「え、そ、そんな、ちょっと、ジョルジュ……」

 結局、北都は強引にバーへ連れ込まれてしまった。慣れた様子で歩くジョルジュのあとをおっかなびっくりでついて行き、テーブルにつく。

「連れがもう一人、あとから来るんだけど。始めてよ」

「う、うん」

「あたしはラム酒ね。北都は?」

 オーダーを取りに来た店員にそう云い、ジョルジュは北都を振り返った。
 北都はこういう場所で何を頼めばいいのか、想像もつかない。ただ、自分が飲み慣れているものを口にした。

「えっと、じゃあ、ミルク」

「……かしこまりました」

 オーダーを控える店員の口元が、微妙に歪んだ気がする。やっぱり場違いなものを頼んじゃったんだろうか、と北都が顔を赤くしたとき――。

「おい、お前、今、笑っただろ」

 ジョルジュが声を荒げて、立ち上がっていた。今にも店員につかみかかりかねない形相に、北都の方が驚いてしまう。

「ミルク頼むと、なんかおかしいのか? 何様だ、お前」

「い、いえ、そんなつもりは……」

「ちょ、ちょっと、ジョルジュ、あたしはいいから……」

 慌てて北都が止めようとするが、ジョルジュは収まりがつかない。店員の胸倉を掴んで、拳を振り上げた。

「ダチを笑われて、黙ってられるか!」

「ひっ……」

 店員と同時に、北都も思わず目を閉じる。だが、ジョルジュの拳は店員の頬にヒットする前に、後ろから伸ばされた手に止められていた。

「こんなとこで騒ぎ起こすなよ。またラフィールに怒られるぞ?」

「……え……?」

 恐る恐る北都が目を開けると、一人の男性が立っていた。
 ハンターだろう、おそらく。種族はヒューマン……だから、ヒューマーということになる。歳は北都やジョルジュと同じぐらいに見えた。穏やかな風貌で、誰かに似ているように北都は思った。

「……邪魔するなよ、弥十郎」

 ジョルジュが不機嫌そうに、弥十郎と呼んだヒューマーの腕を振り払った。弥十郎は苦笑しつつ、肩をすくめた。

「まあ、落ち着けって。……あんたも、さっさと行きなよ。あ、俺もミルクね」

 弥十郎がそう云うと、店員は慌てて何度も頷きながら、下がっていった。
 その姿を見送って、ジョルジュは憮然としたまま、弥十郎は微笑んで腰を下ろした。期せずして、二人で北都を囲む形になる。

「……えっと……」

「あれ? 失礼。ジョルジュの友達?」

「は、はい、はじめまして、北都です」

「弥十郎です。よろしく」

 笑顔で差し出された手を握り返しながら、北都は考えた。そうやって笑うと、やっぱり誰かに似てる――。

「でも、珍しいよな、ジョルジュの友達なんて。どういう知り合い?」

「……なんか、失礼な言い草だな」

「ほんとのことだろ。血の気が多いから、敬遠されるんだよ」

「人のこと、云えた義理かよ」

 ぽんぽんとやり取りされる応酬を、北都は目を丸くして聞いていた。
 本気のケンカではないことは、見ていればわかる。二人は笑顔で軽口をたたき合っているだけだ。
 そうした気軽な「仲間」同士の会話を、北都はほんの少しうらやましく思った。キャリアが違いすぎる千鳥やルルージュとは、いくら打ち解けようとも、こんな風には喋れない。

「……で、話を戻すけど、どういう知り合い? 訓練所で同期とか?」

「ううん、そうじゃなくて――」

「タイマン張って、ぼこぼこにされたんだよ。あたしは今日から、北都の舎弟さ」

 どう説明したものか、考えながら北都が口を開いた横から、ジョルジュがとんでもない解説をした。北都は顔を赤くして、思わず立ち上がってしまった。

「なっ……なに、云ってるの、ジョルジュ!」

「はははっ、まあ、似たようなもんじゃん」

 意地悪く、ジョルジュは笑ってみせる。ビンタしたこと、本当はかなり根に持ってるんじゃないか、と北都は内心考えた。

「ん? ……あー、ひょっとして、今日、バトルしたって相手か?」

「……はい」

「ま、そゆこと」

「あったく、人を散々待たせておいて、やっと連絡来たと思ったら『ちょっとバトルしてくるから、解散』だもんな」

「それはラフィールに云ってよね」

「どうせ、きっかけはお前なんだろうが」

「……うるさいな」

 放っておくと、すぐに二人はこの調子になる。これはラフィールも大変だ。北都はついつい笑ってしまいそうになるのを、どうにかこらえていた。
 しかし、次にジョルジュが口にした話題に、北都の表情はさっと翳った。

「それにしても、ルルージュの性格の悪さは知ってたけど、あの千鳥ってのも、おっかないんだな」

「……千鳥……?」

「あー……うん……あれは、あたしもちょっとびっくりしたけど……」

 北都は千鳥の笑顔が大好きだった。どんな不安も寂しさも、あの笑顔を見ていると消えていった。
 憎しみや怒りなんて、千鳥には無縁だと、なんの根拠もなく思い込んでいたのだが――。

「でも、あれも、ルルージュを大事に想ってるからだよ。それだけ。あの二人の結びつきは、あたしなんかに想像できないぐらい強くて、それで」

「……わかってるよ」

 ぶっきらぼうに呟いて、ジョルジュは北都から目をそらした。この話をしてしまったことを、後悔しているようだ。
 だが、意外なことに弥十郎が、話を切り上げさせてくれなかった。

「ちょっと待ってくれ、千鳥って……?」

「ああ、この子のチームメイトだよ。ルルージュと千鳥とチーム組んでるんだ。たいしたタマだよな」

 からかうように、ジョルジュが笑う。北都はそれに頬を膨らまして抗議しようとしたが、突然、弥十郎に肩を掴まれ、目を瞠ることになった。

「わ、な、なんですか?」

「姉さんと……一緒のチームなのか?」

「え? え? 姉さん?」

「おい、ヤジュ、お前、何を云って……」

「姉さんのこと教えてくれ! 頼む!」

「え? え? え? 姉さんって……千鳥のこと……?」

     *

 ボトルをすっかり空にしたところで、千鳥は立ち上がった。お互い、結構な量を飲んだはずだが、二人とも少なくとも見た目には、変化は見られなかった。

「じゃあ、そろそろ帰るね〜」

「……」

 無言で頷くルルージュ。その横顔に、千鳥は少し淋しそうな視線を向けた。
 千鳥はルルージュの部屋に泊まったことがない。――というより、ルルージュは絶対に、誰かがいる場所で眠ろうとはしない。たとえ、それが千鳥であっても。
 その本当の理由を知っているから、千鳥にも無理強いすることはできないのだった。

「あ……そうだ〜」

 ドアの前まで進んだところで、千鳥は足を止めて振り返った。ルルージュはベッドに腰掛けたままで、千鳥の方を見ようともしない。ぼんやりと空を見据えていた。

「肝心なことを忘れてたね〜。今日のバトルに、細工したのは誰かってこと〜」

「……」

 ルルージュは全く興味がない様子で、答えない。千鳥は何度かためらったが、一度唇を噛むと、話を続けた。

「ブラックペーパーの意趣返しっていうのが、妥当な線かな〜って思うけど……」

「……」

「ひょっとしたら……『教授』が絡んでるかも知れない……」

 ……その言葉に。ルルージュはゆっくりと面を上げた。
 唇の端が歪む。笑顔と呼ぶにはあまりに恐ろしい、狂気を湛えた――。

「望むところですわ」

「ルルージュ……」

「ずっと姿をくらませていた卑怯者が、向こうから仕掛けてくるなんて。願ってもないこと」

「……」

 息を飲んでルルージュの言葉を聞いていた千鳥は、深いため息を吐き出した。いつも太陽のようにおおらかに笑う千鳥が、そのときばかりはひどく疲れ果てて見えた。

「……北都ちゃんは……巻き込みたくないね……」

「……」

 ルルージュの表情から狂気の笑みが消える。物憂げに千鳥を一瞥し、そしてまたあらぬ方向を見据えながら、呟いた。

「それは、北都さんが決めることでしょう」

「……うん……そうだね〜……」

 答えながら、千鳥はうなだれていた。
 仲間として、一緒にいたいと北都は云ってくれた。自分もそう望んでいると思う。絶対に口にしないけれど、ルルージュだって、きっと。
 だけど、やはり私たちは彼女を拒むべきだったのかも知れない。彼女と共に歩むには、私たちはあまりに、血にまみれすぎている――。

「それは、千鳥も同じですわよ」

「……え……?」

 思いがけない言葉に、はっと千鳥は我に返った。
 ルルージュが、いつの間にかまっすぐ千鳥を見つめている。貫くような、厳しい視線。

「私に義理立てする必要はありませんわ。あなたはあなたの進むべき道を、自分でお選びなさい」

「ルルージュ……」

 その言葉を聞いて、沈んでいた千鳥の顔に、笑みが広がっていった。明るく、穏やかで、とても悲しげな微笑。

「私は自分で選んで、ルルージュと一緒にいるんだよ〜」

「……」

「ルルージュをひとりにはしないから……絶対……」

「……くだらないことを」

 やはりいつもどおりに。つまらなそうに、ルルージュは呟いて、面をそらした。
 しかし、その伏せた瞳には、悲しみが宿っていた。千鳥はそれだけで報われた気がして、微笑んだままドアを開いた。

「じゃあね〜。おやすみ、ルルージュ〜」

「……おやすみなさい」

 ルルージュの声と共に閉じたドアに背をもたれさせ、千鳥はしばし立ち尽くしていた。
 もう一度、深いため息を吐く。そして、自分の部屋に向かって歩き出した。
 すでに深夜なので、居住区を歩く人影もない。千鳥は誰にも会うことなく、自室に辿り着いた。
 ドアを開けると、暗闇が広がっている。千鳥はなぜか灯りをつけないまま部屋に入り、ドアを閉ざした。

「ただいま〜」

 何もない闇に向かって、ニコニコと微笑みながら帰宅のあいさつをする。
 返ってくるものは、無論、静寂。
 しかし、千鳥はやはり微笑んだままで、首を軽く傾げた。

「家の人が帰ってきたら、『お帰りなさい』って云うものだよ、マリア〜?」

「……」

 闇の中で、気配が動いた。それは、苦笑、だっただろうか。
 次の瞬間、二つの光点が浮かび上がった。そこに潜むものが、目を開いたのだ。

「さすがね。驚かそうと思ったのに」

「あはは〜、残念でした〜」

 マリア、と呼ばれた者が、ゆっくりと部屋の隅から歩み寄ってくる。闇に慣れた――もとより、千鳥には暗闇など意味がなかったのだが――千鳥の目には、黒いレイキャシールが映っていた。

「お久しぶり〜。あなたがいるってことは……やっぱり、そうなんだね〜?」

 千鳥は笑顔だった。だが、それは、今日、ジョルジュに向けた笑顔と同じものだった。感情のない、仮面の笑顔。

「ええ。『教授』がお待ちかねよ。いい加減、機嫌を直して帰ってこいって」

「……ルルージュなら、『寝言は寝てから云うものですわ』って云うだろうね〜」

 マリアは冷たい目を千鳥に向けた。
 そもそも、アンドロイドである彼女に、多彩な感情表現は望めない。だがそのことを差し引いても、マリアの表情はあまりに冷徹で、無機質だった。

「それが、返事だと思っていいのかしら?」

「うん〜。よろしく〜」

「いつまで、ルルージュなんかに肩入れしてる気なの? 傷の舐め合いなんて、見苦しいわよ」

「マリアこそ、人間嫌いのくせに、どうしていつまでも『教授』の言いなりなのかな〜?」

 辛辣な応酬に、マリアが肩をすくめた。無表情だった顔に、感情が浮かんでくる。
 それは、嘲笑だった。

「造物主には逆らえないわ。そうプログラムされているもの。あなたもそうじゃないの?」

 ――電光が走った。
 千鳥が抜きはなったダブルセイバーの刃が、マリアの首筋を狙う。
 同時に、マリアの抜いたハンドガンの銃口が、千鳥のこめかみに押しつけられた。
 あと一歩で、どちらかの命が失われる。あるいは、両方の。
 そのままの姿勢で、二人の視線は激しくぶつかり合っていた。
 いつもの笑顔さえ失った千鳥の表情は、冷たく無機質で、あまりにマリアと似ていた。

「……消えて」

 千鳥が刃を引きながら、呟く。
 マリアもハンドガンを下ろし、何も云わず部屋から出ていった。
 孤独な暗闇の中。
 千鳥はいつまでも立ち尽くしていた。


end


2002.7.30

あとがき

「幕間」にしては、ちょっと長かったですね〜(^^ゞ。
大事な話が、いっぱい入ってるし〜(^^ゞ。
新キャラ2人も出てきてるし〜(^^ゞ。
どんどんふろしき大きくなるし〜(^^ゞ。
千鳥が主人公みたいだし〜(^^ゞ。
はてさて、話はうまくまとまるのでしょうか。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

補足
「弥十郎」はBanGさんの1stキャラ、「マリア」は私の3rdキャラです(^^ゞ。
色々悩んだんですが、マリアにはこの際、悪役になってもらいましたー。

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