目を開くと、知らない天井が見えた。
……って、このモノローグ、すでに一度使わなかったっけ? しかも、今朝。
それに、見えているのは天井じゃなくて、剥き出しの岩盤だ。どうして、こんなところで、あたしはひっくり返って――。
「目が覚めた?」
少し低い、落ち着いた感じの声がする。
あたしはその声の方を向きながら体を起こそうとして、激痛に顔をしかめることになった。
「いっ……つっ……」
背中がずきずき痛む。その痛みが、頭をはっきりさせてくれた。
そうだ、あたしはルルージュたちと……その……別れて……一人でさまよってる内、シャークどもに囲まれて、負傷したんだ。
最後まで諦めまいとはしたけど、正直、助かるはずがない状況だった。だけど、そう、今まさに奴らがあたしにとどめを刺そうとした瞬間、フォトンの弾丸が次々撃ち出されて。文字通り、あたしは九死に一生を得た。
その、あたしを助けてくれた射手が、目の前にいるこの人だ。
正確には、アンドロイド。レンジャー仕様の女性型だから、レイキャシールということになる。全身、黒いカラーリングで、闇に溶け込むようにして立っていた。猫みたいに瞳だけを輝かせながら。
「大丈夫? 一応、応急処置はしたんだけど」
「は、はい、ありがとうございます」
「アンドロイドには体力回復アイテムが命綱だからね。悪いけど、気前よく使ってあげるわけにはいかなくて。あなた、ニューマンなんだから、レスタぐらい使えるんでしょ?」
「え……あ……はい」
彼女の云うとおり、アンドロイドはテクニックを使えない。基本的にアイテムだけが、回復のための手段になる。その分、腕っ節が強いし、毒や麻痺に冒されないってメリットがあるんだけど。
あたしは痛む頭をなんとか集中させて、回復テクニック・レスタを唱えた。
実は、あたしがテクニックを使うのは、これが初めてだ。これまではずっと、千鳥やルルージュが回復も支援もしてくれてた。このレスタ自体、千鳥が教えてくれたものだ。
……本当に、あたしは浮かれていただけで、自分では何もできていなかったんだって、思い知らされる。
「どう? 歩けそう?」
「あ、は、はい!」
また、あたしの悪い癖だ。すぐ自分の考えに沈んじゃう。
あたしはまだ多少ふらつくけど、どうにか自分の足で立ち上がって、命の恩人に頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。助かりました」
「いいのよ、気にしないで、北都ちゃん」
「――え?」
今、名前を呼ばれた? 知ってる人だっけ???
あたしはあまり優秀でない記憶力をフル稼働させて、検索をかけた。でも、やっぱり該当者はいない。そもそも、あたしにはアンドロイドの知り合いはほとんどいないし。
もう一度、彼女をじっと見つめてみる。
アンドロイドに体型の話をしてもしょうがないのかも知れないけど、細身で均整の取れた、とても女性的なプロポーションをしてる。ポニーテールのような髪型(実際には、センサー類が詰まったアンテナの一種らしいけど)が印象的だ。
表情は……あまりない。これもアンドロイドなら当たり前だけど、彼女はフェイス部分も非常に人間らしく精緻に作られていて、そのせいで奇妙な違和感があった。
そう、違和感。それは、彼女の無表情さから来るものだけじゃなくて。誰かに……似ている……?
「どうかしたかしら?」
「あ、い、いえ、そのっ」
あまりにぶしつけにじろじろと顔を見てしまったため、彼女が首を傾げた。
あたしは慌てて言い訳を探したものの、結局うまい口実も見つからないことだし、素直に疑問をぶつけてみることにした。
「ごめんなさい、あたし、あなたのこと、覚えていなくて……」
「それはそうでしょうね。今、初めて会ったんだから」
――はい? 初対面? だったら、どうして、あたしの名前を?
「北都ちゃんでしょ?」
「は、はい、そうですけど」
「はじめまして。私はマリア。千鳥の友達よ」
「あ……」
彼女が口にしたその名前が、あたしに深い安堵と、大きな不安をもたらした。
千鳥の友達なら、あたしのことを知っていても不思議じゃない。千鳥から、あたしの話を聞いているんだろう。
でも、それはどんな話なのか。厄介なお荷物? 身の程知らずのお調子者? それとも――。
「じゃ、行きましょうか」
あたしの動揺に気づかなかったのか、それとも、あえて無視したのか、彼女――マリアはそれ以上、何も云わず、背を向けて歩き出した。
「転送装置まで案内してあげるわ。私もテレパイプの手持ちがなくてね」
「あ、はい、ありがとうございます」
云いながら、あたしは小走りにマリアのあとを追った。彼女は大股でスタスタと歩いていくので、ちっこいあたしだと、早歩きをしなきゃ追いつけない。
道順を完璧に覚えているのか、マリアは少しも立ち止まることなく、歩き続けた。そして、あたしの方を振り返らないままで、口を開いた。
「ところで、どうして一人であんなところに倒れていたの? いつも千鳥やルルージュと一緒なんでしょう?」
「……それは……」
思わず口ごもってしまう。
実際、なんと説明すればいいのだろう。あたしの軽率な行動で、ついにルルージュも堪忍袋の緒が切れた……そういうことだろうか、端的に云えば。
でも、少し落ち着いて考えてみれば、それは変だ。あのルルージュが、「我慢して誰かにつきあっていた」なんて。
千鳥が取りなしてくれていた……ってことも考えられるけど、たとえそうであっても、ルルージュが聞き入れるとは思えない。
……いちばん考えたくなかったのは。あたしなんて、いてもいなくても、ルルージュにはどうでもよかった、そういう結論。
「あの二人に見捨てられたの?」
「ちっ……違います、そんなの!」
ムキになるのは、図星だからじゃないの。ちらっとこちらにくれたマリアの流し目が、そう云っているような気がした。
「じゃあ、どうして?」
「ちょっと……その……行き違いがあって……、あたしが、飛び出して来ちゃって……」
「なるほど。あなたの方が、彼女たちを見限ったわけね」
「だから、そんなんじゃ――!」
「違うの? よくわからないわね」
本当に不思議そうに首を傾げて、マリアは足を止めた。
振り返り、腰に提げた銃を持ち上げて、あたしの方に向ける。
「な……っ」
「動かないで」
銃口がほんの少し上がり、引き金が引き絞られる。まるでマシンガンみたいな連射速度で、フォトンの弾丸があたしの背後に叩き込まれた。
耳障りな、金切り声が響く。
驚いて振り向くと、巨大な鎌を振り上げたオオカマキリ――グラスアサッシンというそうだ――が倒れるところだった。気持ち悪いことに、それは小さな虫の群体だったようで、それらが蜂の子を散らしたように逃げ去っていく。
「あ……ありがとうございます」
再び命を助けられたことに気づき、あたしはマリアにもう一度頭を下げた。
マリアは銃をしまい、ショットを構え直すと、また何事もなかったように歩き始める。
「……武器、色々持ってるんですね」
「ハンターズなら、状況に応じて武器を使い分けるのが常識よ。レンジャーなら特にね」
「そ、そうですか」
うう、あたしはまともに使えるのはハンドガンぐらいだ。それも完璧に使いこなしてるとは云いがたいけど。
でも、あたしの知ってる範囲では、みんな自分の愛用の武器を使い込んでいる。ルルージュも、千鳥も、ジョルジュも、ラフィールも。
「だけど、何かひとつ極めるのも、大事かも……」
「それも常識」
すぱっと云いきられてしまった。
ルルージュとはまた違う意味で、マリアとの会話はつらい。助けてもらっておいて、こういうこと云うのはなんだけど。
まるで、機械と話しているみたいだ。……って、それは当たり前なのか。アンドロイドって、みんな、こんな感じなのかな?
「私もこのクラッシュバレットがいちばん馴染んでいるわ。誰だって、そういう武器はあるでしょう」
両腕で抱えたショットを軽く持ち上げて、マリアは云った。
クラッシュバレット。へー、あれがそうなんだ。最近、眼福ものの武器によく会うなあ……。
「そうですね、ルルージュのソウルイーターみたいに……」
「あれはまた特別よ」
マリアが軽く肩をすくめた。
無表情なその面を、一瞬かすめたのは……嘲笑?
「彼女はソウルイーターを使い込んでるわけじゃない。ソウルイーターが彼女を縛って離さないだけ。呪いのようなものね」
「どういう……ことですか?」
さらっとマリアが口にしたことに、あたしは息を飲んで立ち止まってしまった。
ルルージュの過去に、ソウルイーターが関係してるだろうってことは、あたしももうわかってた。でも、それはあたしなんかの想像を遙かに超えて、血生臭いものなんだろうか。
あたしが足を止めたことに気づいて、マリアが振り向いた。
冷たい瞳が、じっとあたしを見据える。興味深い観察対象みたいに。
「ルルージュがなぜソウルイーターを持っているのか、知らないの?」
「……はい」
「そうなんだ。じゃあ、千鳥が『青の戦慄』と呼ばれていた頃のことも、ひょっとして知らない?」
「……」
「なんにも知らないのね」
初めて、マリアの唇が笑みをかたどる。
今度こそはっきりわかった。それは紛れもなく、嘲笑だ。
「それでよく、チームだなんて云えたものだわ」
「昔のことなんて……関係ないじゃないですか……」
「本当? 本当にそう思ってる? だったら、今日、どうして彼女たちと仲違いすることになったの?」
「――!」
知っている。この人、あたしたちの間で何があったか、知ってるんだ!
知ってて、あたしをつけてきて、偶然を装って近づいた?
でも、なぜ? どうして、そんなことをする必要があるの?
「あなた……誰?」
「あら……意外と、鋭いのね。でも、今、質問しているのは私」
微笑んだまま、マリアがゆっくりあたしに近づいてくる。あたしは気圧されるように、後ずさっていた。
「なぜ、ルルージュや千鳥に、昔のことを訊かなかったの?」
「……」
「過去なんてどうでもいい……そんな奇麗事を云う資格は、もう今のあなたにはないわよね? さあ、答えて。どうして?」
「それは……」
「代わりに云ってあげましょうか。あなたはね、聞くのが怖かったのよ。彼女たちと深く関わるのが、怖かった」
「そんな、ちが――」
「違わないわ。何も知らなければ、傷つかずにいられるものね。あの二人がこれまで何をしてきたのか。これから何をしでかすか。『あたしは知らなかった』それがすべての免罪符になる。そうでしょ?」
「……」
気がつけば、マリアはあたしの正面に立ち、間近な距離で、震えるあたしの顔を、瞳を、覗き込んでいた。耳元で囁くように、言葉を続けるマリア。
「勘違いしないで。責めてるんじゃない。誰だって同じだもの。どんな人だって、自分だけは傷つかない位置にいたいものだわ」
……そう、なのかもしれない。
ルルージュは、それを見抜いていたから、あんな風に云ったのかもしれない。
――だけど。
「……うん、マリアの云うとおりだよ」
「……」
マリアが満足げに微笑んで、かがめていた腰を上げる。あたしは唇を噛んで、その嘲りに満ちた目を見返した。
「あたしは、怖かった。ルルージュや千鳥の過去に踏み込むことが。きっと、あたしなんかに想像できないような想いを、あの二人はしてる。それを知ってしまって、それでも変わらずにいられるか、自信がなかった。それは本当」
「物わかりがいいわね」
「でも、それだけじゃない!」
マリアの笑みが凍る。冷たい無感情な仮面を取り戻して、マリアはあたしを見下ろした。
あたしは。この人にだけは、負けたくない。
「あたしが、ルルージュや千鳥と一緒にいたいって気持ち! それも本当だもん!」
「……だから? 互いに深く関わり合うのを避けて、それで『チーム』だなんて云えるの? あなたは彼女たちを利用してただけよ」
「違う!」
理屈なんかなく。あたしはその一言に、マリアの云うことを全否定する想いを込めて、叫んだ。
マリアの表情に、苛立ちが浮かんでくる。
「頭の悪い子ね。何が違うの? 根拠を云ってごらんなさいよ」
「根拠?」
「そう。云えるわけないわよね。そんなもの、ないんだから」
「あるよ」
「……」
「あたしたちは、仲間だもん! それだけ! 他には何もいらない!」
けして長くはない時間だけど、あたしたち三人は、共に過ごしてきた。
その間に、心を通わせ合ったなんて、自惚れてはいない。
だけど、あたしたちは仲間だった。そのことは、あたしがどれだけ不安に思おうが、ルルージュがどれだけ冷たい態度に出ようが、絶対に覆せやしない! ましてや、こんな人の言葉なんかで!
「……仲間……」
押し殺した声でマリアが呟き、腰の銃を持ち上げた。銃口を、あたしのこめかみに押しつける。
「偽善者の奇麗事には吐き気がするわ」
「……」
「あなたは仲間ごっこに浸っていればいい。でも、ルルージュや千鳥は、実際、どう思ってるんでしょうね? たとえば、ここで私があなたを殺せば、彼女たちは仇を取ってくれると思う?」
マリアの細い指が引き金にかかった。
不思議と、恐怖はなかった。あたしは見開いた目で、マリアをまっすぐに睨み据えていた。
マリアが苛立たしげに唇を噛み、引き金を絞ろうとした刹那――。
「その前に、あなたの首が飛びますわ」
低い、静かな声。
とっさに腕を上げて、マリアは首筋を銃でガードした。間一髪、背後から迫った禍々しい鎌の刃が、銃身で受け止められる。鋼の銃身をフォトンの刃が抉る、硬質の音が響いた。
「ルルージュ……!」
「世話の焼ける方ですこと」
やっぱりあたしの方なんて見ようとせず、死神の鎌を振りかざしたルルージュは、とても退屈そうに呟いた。
2003.2.18
あとがき
うぐぅ、引きが「その名はルージュ(中編)」とほとんど一緒だよΣ( ̄□ ̄;)。
……と、己の発想力の貧困さにへこむことしきり。そもそも、今回は(も?)前後編で分けるつもりなかったんですが……久々のせいか、ちょっと最後まで一気に書く体力がなかったもので。先行公開って感じでしょうか。
「絆」ってのは理屈つけて色々考えるんじゃなくて、「ある」って体で信じられるなら、絶対そこにあるんだよ!ってのが、ちゃんと伝わればいいなあと思いつつ。後編、頑張ります(^^ゞ。
ご感想など、いただければ幸いですm(__)m。