部屋に入るなり、ルルージュは大きなため息を漏らした。
さすがの彼女にとっても、今日は色々なことがありすぎた。
北都の感情の振幅の大きさは、正直、ルルージュの理解の外にある。彼女が笑い、怒り、涙を流すその理由が、ルルージュにはわからない。あの日から壊れてしまった心では、受け止められない。
けれど、それはけして不快なものではなく、ルルージュはただ戸惑いと、不可解な感覚を抱えていた。以前の彼女なら、それが「ぬくもり」だと、知っていたはずだったのだが。
デ・ロル・レのことは、正直、どうでもよかった。敵として立ちふさがるものは、すべて斬り伏せる。それが何者であれ、変わらない。
そう、そして。
「……」
ルルージュはソウルイーターをゆっくり持ち上げた。
冷たい刃に頬を寄せ、愛おしむように呟く。
「もう少しですわ……あなた……」
仇敵を為す術もなく見逃したのは、確かに悔しい。
しかし、向こうから意図を持って接近してきたのだ。必ず、もう一度自分の前に現れる。
その意図がなんなのか、そんなことはどうでもよかった。意味のない殺戮の日々が、ようやく終わる。終わらせてみせる……。
再び大きな息を吐き、ルルージュは壁にソウルイーターを立てかけた。
頭に手をやり、髪を結んでいたリボンをほどく。緋色の鮮やかな髪の毛が、肩先に流れた。
「――そうやって、髪を下ろしたところも素敵だよね〜」
誰もいないはずの部屋に響く、おっとりした声。
しかし、ルルージュは驚きもせず、振り返りもしないで、ため息をついた。
「ノックもしないで入るのはおやめなさい、と、何度云えばわかるんですの」
「あはは、ごめ〜ん。北都ちゃんの部屋から、直行しちゃったから〜」
「……北都さんの?」
眉をひそめて、ルルージュが振り返る。その視線の先では、千鳥がいつも通りニコニコと笑っていた。
そう、いつも通り。ルルージュでなければ、そう信じただろう、笑顔で。
「……何か?」
「うん、疲れてたみたいでね〜。転移するなり、気絶しちゃったから、部屋まで送ったの〜」
「……」
「北都ちゃん、びっくりしてたよ〜。ルルージュに優しくしてもらって〜」
「……くだらないことを」
つい、とルルージュは眉間にしわを寄せて目をそらす。
自分でも、わからない。なぜ、あんなことをしたのか。気づいたら、手が動いて、思いがけないことを口走っていた。
「私にも、昔、同じようにしてくれたことがあったよね〜」
「……」
「そのおかげで……私……生きてこられたよ……」
「……千鳥……?」
視線を戻すと、やはり千鳥は微笑んでいた。
その様子は、悲しげではない。慈しみと、感謝と、そして――。
「ごめんね〜、疲れてるとこにおじゃまして。帰るね〜」
千鳥が踵を返した。今度はちゃんとドアから出ていこうとする姿に、ルルージュは呼びかけた。
「千鳥」
「……な〜に?」
「あなたは少し、頭の悪いところがありますわ」
「……も〜、なにそれ〜?」
苦笑しつつ、千鳥は振り返った。しかし、ルルージュの真剣な――睨むようでさえある眼差しを受け、面を引き締めた。
ルルージュは淡々と、言葉を続けた。
「あなたはもう、羅生の身内ではありませんわ。その簡単な事実を、忘れないようになさい」
「……ルルージュ……」
「――おやすみなさい」
云い捨てると、ルルージュは顔をそらし、ベッドに腰を下ろした。もう千鳥の方を見ようともしない。
千鳥はわずかな時間、そんなルルージュを見つめていたが、やがて満面の笑顔を浮かべて、ルルージュに手を振った。
「うん、おやすみ〜、ルルージュ」
「……」
ドアを開けて、千鳥が出ていく。
静寂が戻った部屋で、ルルージュは組み合わせた両手を額に当て、目を閉じた。
その姿は、祈りを捧げている聖女のようにさえ見えた。
*
自室に入るなり、千鳥もルルージュ同様、大きなため息をついた。
乱暴なぐらい勢いよく、白いドレスを脱ぎ捨てる。そして、クローゼットを開いて、以前の青い衣装を取り出した。
そして、着替え終わると、ゆっくり両手を顔の前に掲げた。目を閉じて、少しばかり念を込める。
千鳥の髪を淡い光が覆った瞬間、染料がはじけ飛んで、髪の色が元の青に戻った。
最後に帽子をかぶり、千鳥は鏡の前に立つ。新しいドレスを試すかのような仕草で、色々なポーズで自分の姿を確認する。
「うん、ふっか〜つ」
ニコッと鏡の自分に微笑みかける。が、すぐにいちばん肝心なものを忘れていたことに気づいて、慌ててベッドの下を探った。
そこには一つのケースがあった。鍵を外して、千鳥はゆっくりとその蓋を開けた。
入っていたのは、一振りの投刃だった。
数多の血をすすり、恐怖と憎悪と侮蔑を込めて呼ばれた、「暗殺者のスライサー」。
千鳥はそれを取り上げて、もう一度、微笑んで見せた。
「完全復活、だね〜」
その笑みは、やはりルルージュの部屋で見せたのと同様、悲しげではない。
自分の側にいてくれたひと達への慈しみと感謝と、そして、強い決意を映していた。
ルルージュの言葉が甦る。
(その簡単な事実を、忘れないようになさい)
千鳥は笑顔で、頷いた。
「うん、忘れない……。ルルージュと、北都ちゃんと、一緒にいたこと……。そして……」
スライサーを抱きしめる千鳥。微笑んだままで、涙が一雫、その頬を流れた。
「私が、『青の戦慄』だってことを」
2003.7.11
あとがき
ここで問題です。
主人公は誰でしょう?
……。
…………。
………………えーと。
一応、私は三人とも主人公のつもりで書いております。いや、ほんとに(^^ゞ。
「intermission」シリーズは、千鳥に重点を置いているのは確かですけれど。
さて、今回も引っ張るだけ引っ張っておいて、続きはいつ出てくるか不明です。長い目で見守ってくださいm(__)m。
しかし、連載はローテーション組むんじゃなくて、やはりどれか一本に集中するべきなんでしょうか。知ったこっちゃないですか。はい、すみません。
……あとがきになってないな(^^ゞ。
次は予定通り外伝「青の戦慄」か、もしくは本編「闇より招くもの」になります。多分。本編はかなり大きな動きがあります。おそらく。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。