―――見誤った。




 そう気付いたのは、後ろから彼女を抱きすくめた後だった。
 白い傘が濡れたアスファルトに舞い落ちる。
 花弁。
 白い花弁を連想させる。
 それがゆっくり赤く染まる幻想を抱いたとき、腕の力は一瞬にして抜け落ちた。
 雨が降っている。
 雨が、貫いていく。
 いくつもの波紋が2人の肌を浸食し、触れた温度が際限なく広がっていく。
 息が出来なかった。
 声にすることも出来なかった。
 全身を覆い尽くしていく確かな震え。
 それに身を委ねたまま、心音に聴覚を奪われていく。
 雨の音。
 確かな脈動。
 こじ開けるように、そっと触れ合うように、過去の記憶が蘇ってゆく。
 しっとりと濡れた彼女の髪が、一房、その肩を滑り落ちた。
 振り返る。
 彩花じゃないと解っている。
 それでも、その横顔から目を逸らすことが出来なかった。
 灰色の街に降る、白い傘。
 鼻孔をくすぐる、懐かしい香り。
 見つめられたくなくて、見つめられたら壊れてしまいそうで、見つめられたら―――もう戻れなくなりそうで。
 抱きしめようと腕に力を込める。
 恐怖しかなかった。
 怖くて、怖くて、気を失いそうなほど胸が痛んだ。
 振り返って欲しくないのに、それでも、どこかに確かにあった望み。願い。
 腕に力を込める。
 震えと痺れが感覚を奪う。
 冷たい雨の中で、終わったはずの過去の中で、閉ざしたはずの記憶の中で。
 振り返った。
 彼女が、振り返った。




「……お久しぶりです。ただいま……帰りました」




 振り返った彼女の。



 淡い色に彩られた彼女の。



 何度も触れたいと願った、その薄い唇が。




 ―――告げてはならない言葉を、告げてしまった。




 止まれない。止まることが出来ない。押さえつけることも、何もかも。
 帰ってきたのだと。
 帰ってきてしまったのだと。
 それが誰なのか。
 彼女が誰なのか。




 ―――解っていながら。それでも、詩音の唇を塞いでいた。









Memories Off EX
『あんなに一緒だったのに』

詩音編「彼女たちの決断」