キン……シュボッ………

 呆気ないほどに、白い煙は雨の中へと溶けていった。
 淡い幻のような風景が、灰色の世界に一瞬だけ過去を連れてくる。
 胸が痛まないはずが、なかった。
 慣れてしまうなんてことのない、静かで、鋭い、痛み。
 けれど、そんな痛みを感じなければ、この場所に立っていることなんて出来ないんだろう。
 彩花の墓石は、冷たく、柔らかく、雨に濡らされていた。

「もう、5年だぜ、彩花」

 誰もいない墓地。
 誰に向けるわけでもなく、俺はひとりそう呟いた。
 その声は、煙草の煙より儚く、雨音より意味のない声。
 行き場をなくした言葉は、細い雨の隙間を縫って、風に流されて消えていった。

「長いようで、ずいぶん短いもんだよ。5年っていったら、オリンピックが2回も見られちゃうんだぜ?」

 そんな、あまりに長すぎる時間。
 それだけの時を経ても、俺はこうしてこの場所に立っている。
 悲しみが癒えようとも、記憶だけは消えていくことはない。
 消えない記憶だからこそ、人はそれに縛られるんだ。
 こうして、ここに居ない誰かのことを、想い続ける。

「明日、唯笑が帰って来るんだ。ほら、あいつ、地方の大学受かっただろ?
 久しぶりにさ、映画でも見に行くつもりなんだ。高校の時の友達と一緒にさ」

 そう、時を共に生きる人々と。
 巡る季節を、共に過ごしてきた人々と。
 だからこそ、勘違いしてしまう。
 認めたくない心が、どこかで生き続けてしまう。

「そんなだからかな、期待しちまうんだ。有り得ないことを、どこかで待ち望んでるんだよ。
 ホントに、なんでもない風にさ」

 そして、その現実と希望とは、当たり前のようにすれ違っていく。
 ただ一筋の、深い傷だけを俺に残して。

「「煙草なんて体に毒だよ!」って、お前がさ。言ってくれるんじゃないかって。
 そんな期待を、しちまうんだ」

 ……キン………シュボ……

 線香の煙が、細く靡いた。
 煙草の煙とは違って、どこまでも続いているように俺には思えた。
 ……繋がっていればいい。
 傘の下の俺と、雲の上のお前とが。
 そうすれば、少しだけ、……ほんの少しだけだけど、強くなれる気がする。

「また来る。今度は、花もちゃんと持ってくるよ。あと、ああ。
 次は、ちゃんと晴れてる日に、な」

 いつの間にか、煙草は雨で消えていた。
 その代わりに、線香の煙が空へと昇っていく。
 傘の下から見上げた空は、どこまでも灰色に渦巻いていて。
 だから、背を向けるのが、とても辛かった。

「なぁ、彩花」

 それでも、背を向けて、次の煙草に火をつけて。

「俺の隣には、やっぱり、彩花が居て欲しいよ」

 そして、歩き出した。
 自分を女々しい奴だと、嘲笑いながら。
 それでも、俺は振り返れなかった。

 振り返るわけには、いかなかった。