「もう、半年経つんだね」
「そうだな。いつの間にか、もう秋なんだよな」

 騒がしい再会の、しばらく後で。
 他の友人達を待つ、幾ばくかの時の中で。
 香る。
 コーヒーと、唯笑の髪の懐かしい香り。
 窓の外を、どこからか飛ばされてきた色づいた葉が、流れる。
 かおると信はまだ現れなかった。
 待ち合わせの時間まで、あと5分。

「でも、驚いた」
「ん、何がだ?」

 窓の外から視線を戻す。
 半年前とは違う、肩が隠れるようになった唯笑のその長い髪に。

「だって、まだ時間まで30分もあるのに、智ちゃんもう来てるんだもん」

 そう言って、唯笑が嬉しそうに微笑む。

「絶対、寝坊してくると思ったんだけどな」

 そんな唯笑の言葉に、

「ばーか。俺の寝坊癖はもう直ったんだよ」

 俺は得意気に言葉を返した。

「えー、うっそぉ?」
「ホントだよ」
「だって、………え〜? 説得力ないよ」
「…あのなぁ」

 暖かな午後の日差しは全てを幻にしてしまうようで、今自分がいる場所が現実なのか夢なのか、そんな認識すら曖昧にしてしまう。
 四角く切り取られた空はどこまでも抜けるような青。
 漂ういくつかの雲だけが、その形を少しずつ変えながら時の流れを教えていた。

「ってことは、智ちゃん?」

 唯笑が、テーブルの向こうから少しだけ身を乗り出す。
 伸びた髪が、視界の端をゆらゆらと揺れた。

「智ちゃんは、30分もあたしのこと待っててくれるつもりだったんだ?」

 仄かに頬を染めて、照れくさそうに微笑んで。
 そんな唯笑の姿が、どこか儚いもののように目に映った。
 変わらないものは、いつまでたっても決して消えてしまうことはないから。
 だから、変わっていってしまうものほど、その姿は儚く愛おしく心に映しだされる。

「バカ。寝坊しなくなったって言ったろ? そのおかげで、今朝は少し早く目が覚めちまったんだよ」

 そう言って、そっと視線を逸らした。
 唯笑の瞳を、真っ直ぐに見返すことが出来なかった。

「ぶぅ。どうせそんなことだろうと思ったぁ」

 俺の言葉に、唯笑が口を尖らせる。

「思ってたなら言わせるなよ。俺が唯笑のためにそんな無駄な努力をするわけがないだろ?」
「そんなのあたしだって分かってるよぅ。もう、智ちゃんのいぢわる…」

 拗ねた顔で見上げる唯笑。

「はははっ」

 笑いながら、無意識に胸ポケットを探った。
 でも、俺の指が触れるのは柔らかなシャツの生地だけで、俺はつい自分の胸ポケットを覗き込んでしまう。

「うん? どうしたの、智ちゃん?」
「あ、……いや、なんでもないよ」

 煙草もライターも、今日は持ってきていなかった。どちらも今はベッドの上だ。
 きっと唯笑は煙草の煙を嫌がる。そう考えた結果だった。

「……………」
「……智ちゃん?」

 ―――いや、少し違うか。
 心の中で、心の言葉を否定する。
 唯笑は煙草の煙を嫌がる、そう思った。
 だけど、唯笑に嫌われてしまうんじゃないか、とは思わなかった。

『煙草を吸う智ちゃんなんてサイテーだよっ』

 そんな台詞を、唯笑が言うとは思えなかった。
 たぶん、主語が違っている。
 嫌がるのはきっと唯笑じゃない。―――俺自身だ。
 唯笑が俺を見つめる。諭すような瞳で俺を見つめる。そして、あの台詞を言ってしまう。

『煙草なんて……』

 ……。
 それは嫌だった。
 その台詞は誰のものでもなく、この心の中にだけあるはずだったから。

「いや、小銭をここに入れといた気がしてさ。でも、気のせいだったみたいだ」

 だから、苦笑いをしてみせる。
 気付かれないように、決して、悲しませないように。

「あはは、智ちゃんにとっては小銭も大金だもんね」
「馬鹿者。1円を笑うものは1円に泣く、って言葉知ってるか?」

 唯笑が笑う。
 変わらない笑顔で、唯笑が笑う。
 だけど、変わってしまったんだ、俺達は。
 変わらないことを望むが故に、変わっていくことを怖れている。変わってしまったことに怯えている。
 どこまで寄り添っていられるだろうか。
 ふたり、互いの傷を隠したままで。