焚き火のぱちぱちとはぜる炎からふと目を上げたとき、夜空を一条、銀の光が走り去った。
「あ……流れ星」
「え、どこどこ?」
「あっち……ああ、もう消えちゃったわ」
薙に問われて西の空を指差した沙夜だったが、そのときにはすでに星の屑は消え去っていた。それでも諦めきれないのか、薙は立ち上がってきょろきょろと周りを見回している。
「ちぇっ……願い事をする暇もないわね」
頬をふくらませながら座りなおす薙。そんな姿を見て、沙夜はつい笑ってしまった。
「どんな願い事をしたかったの?」
「そりゃーもちろん、パパみたいないい男が捕まりますように!って」
拳を握り締めて、薙が力強く答える。沙夜はもはや大爆笑だ。
「なによぅ。さやっちの願い事だって同じようなものでしょ?」
「え……わた……私……?」
笑いすぎて涙がにじんできた沙夜は、指の端で涙をぬぐいながら、夜空を見上げた。
満天の星空。
こんな降るような星空を、いつか、同じように見上げていたことがあった――。
「私の願い事は……もう叶えてもらっちゃったから……」
「……え?」
「……」
*
「何してる、観樹。急ぐぞ」
「あ、はい、切人様、すぐに参ります」
そう答えながら、けれど、観樹はふと見上げた星空から目を離せなくなっていた。
美しさに目を奪われていたわけではない。流れ星を、探していた。
「……」
舌打ちすると、切人はさっさと歩き出した。
あとでどのような折檻を受けるかもしれない、そうわかっていたが、やはり観樹はそこを動けなかった。大きな瞳をいっぱいに開いて、夜空を見上げ続ける。一瞬の光の軌跡を見逃さないために。
(知ってるか? 流れ星が消える前にお祈りすれば、願いが叶うって云うぜ)
耳に残っている、暖かい言葉。
その言葉を信じて、流れ星を待ち続けた。
しかし、どれほど時間が経っても、星が流れることはなかった。
「……あかんのかな」
ついに観樹は視線を足元に落とした。
自分にはもう祈ることさえできないのだろうか。
――そもそも、何を祈ろうとしていたのか? 何もかも捨てて、あの男とふたりで暮らすことを? ――バカな!
「……流れ星だな」
「――えっ」
うつむいて唇をかみ締めていた観樹は、弾かれたように顔を上げた。しかし、流れ星などどこにも見えはしなかった。
ぬか喜びさせた声の主を睨みつけようと振り返り――。
「……信吾……?」
「よぉ。こんなとこで何やってんだ?」
夜道をゆっくりと歩いて、葛城信吾が近寄ってくる。
胸の高鳴りを悟られないよう、観樹はいつも以上に強い口調で答えた。
「関係ないやろ。信吾のほうこそ、こんなとこで何しとるんや」
「俺か? 俺はただの散歩だよ。でもこうして逢えるなんて、よほど縁があるみたいだな」
「なっ……」
自分の言葉が観樹の心をどれだけ揺さぶるか、きっと信吾にはわかっていない。相変わらず穏やかに微笑むその顔から、観樹は無理やり視線を引き剥がした。
「くだらんこと云う奴や」
「くだらなかねぇだろ」
「……そんなことより! さっき云うたのはなんなんや。流れ星なんか、どこにもないやないか」
「ああ、それは……」
云いながら、信吾は手を伸ばし、観樹の頬に触れた。そこにまだ残る銀の雫の跡を、指先で優しく撫ぜる。
「こいつさ」
「え……」
そのとき、観樹は自分が泣いていたことに初めて気づいた。
「銀色の雫がぽろぽろっとこぼれてな、ああ、綺麗だなあって思ったのさ。流れ星みてえだなって」
「信吾……」
今度は、涙が出そうになるのを自覚できた。だからこそ観樹は、精一杯の笑顔を浮かべて見せた。
「なんや、意外に気障なこと云うんやなあ、信吾。似合わんで」
「ほっとけ」
憮然として横を向いた信吾の背を、笑いながら観樹は軽く叩いた。そしてそのまま、その広い背中に顔をうずめた。
「……観樹?」
「何を……願うたん?」
「え?」
「信吾が見た流れ星に……願い事はせえへんかったんか?」
「……したよ」
「なんて?」
「観樹が……もうそんな風に泣かずにすむように……ってな」
「信吾……」
また気障なこと云うとる。そうして笑い飛ばそうとしたのだが――、今度は、どうしても成功しなかった。
震える手が、信吾の着物を強く掴む。何も云わず、信吾はその手に自分の手を重ねた。
「アホやなあ、信吾……。人のために願掛けしてどうするんや……」
「そうだな……」
「アホや、ほんま……」
あとはもう言葉にならず、小さな嗚咽が続いた。
何も声をかけず、ただ強く観樹の手を握っていた信吾だったが、あるものに気づいて観樹のほうに振り向いた。
「おい、観樹、――見ろ、あれ!」
「え……」
観樹の涙に濡れた瞳に映ったもの――それは、夜空を引き裂く銀の軌跡だった。
「流れ星……」
その輝きは、無論、一瞬のものでしかない。
しかし観樹は星が流れた道筋を、じっと見つめ続けていた。
信吾もまた何も云わず、観樹の肩に手を置いたまま、同じ空を見つめていた。
「……うち、もう行くわ」
ややあって、涙に濡れた瞳をこすりながら、観樹は云った。信吾を見上げて、はにかんだ笑みを浮かべる。
その笑顔に、なぜか胸を締め付ける切なさを覚えながらも、信吾にはどうする術もなかった。
「……そうか」
「うん。それじゃ……」
走り去ろうとするその背中に、信吾は声をかけた。
「何を願ったんだい?」
観樹の足が止まる。
振り向いて、また小さく笑う。
「内緒や」
*
数日後、観樹は信吾の腕の中にいた。血まみれの、事切れる間際の姿で。
「観樹……すまない、俺は……」
「大丈夫や、信吾……。うちら、また逢える……」
「観樹?」
「うち、が……お願い、……しといたから……また、いつか……」
「観樹ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
*
(生まれ変わっても、また信吾に逢いたい。それだけでいい。信吾と同じ時を生きられるなら、それだけで。――そう、私は願った)
(そして、その願いは叶えられた。だからもう……何も望まないわ……)
不意に黙り込んで星空を見上げていた沙夜の瞳から、涙が一雫、流れた。星の輝きを映して。
その横顔を見つめていた薙は、視線を外すと、大げさな身振りで肩をすくめて見せた。
「もう、泣くほど笑うことないでしょ」
「……え」
薙は沙夜に背を向けたまま、流れ星捜索を続行している。
沙夜は涙をぬぐいながら微笑み、薙の肩に手を乗せた。
「ごめんごめん。……ありがと」
「御礼を云われるようなことはしてません。それより流れ星、今度こそちゃんと教えてよ」
「はいはい。……あっ、あれ!」
「えっ、どこどこ」
「ほら、そっちそっち……ああ、消えちゃった」
「もう、どうしてさやっちにばっかり見えるのよ!」
「欲が深い人には見えないんじゃないの?」
「ああっ、すごい暴言! 先生が生徒にそんなこと云っていいの?」
「都合のいいときだけ生徒に戻るんじゃありません」
「ちぇっ。こうなったら、もう今夜は流れ星見るまで寝ないからね。さやっちももちろん付き合うのよ」
「勘弁してよ……。寝不足はお肌の大敵よ」
「ダ・メ」
薙の目は半ば据わっている。沙夜はやれやれとため息をつきながら、焚き火に薪をくべなおした。
もしもうひとつ願いが叶うとしたら、何を祈ろう。
そう考えて、ふっと沙夜の面に笑顔が浮かんだ。
決まってる。
何度生まれ変わっても、あのひとに逢いたい。それだけが、流れ星を待ち続けた少女の願い――。
The RING of BLOOD EX
"SHOOTING STAR"
END
2001.2.21
あとがき
外伝その2です。
タイトルはウルド姐さんの同名の歌からいただきました。知らない人は『ああっ女神さまっ Singles+』を聴きましょう。
この歌のタイトルを見たとき、なぜか観樹の姿が浮かんだのがきっかけでした。
ご感想などいただければ幸いですm(__)m。