真紅の絆EX 剣の少女

 月の光は、見慣れているはずの場所を異界に変えてしまう。
 太陽の下では、そこは数多くの若者たちの笑顔で満たされている場所。生のエネルギーに満ちている世界。
 しかし。月明かりを受ける今は、生きるものの気配すらなく、凝固した闇だけがたゆたっている。
 夜の校舎。
 その廊下に、うずくまる姿があった。闇の一部と化したように、身じろぎひとつせず、もうずっと長い間、そうしていた。
 水を打ったような静けさ。そのものの息吹すら聞こえない。
 カツン……。
 静寂を破る、小さな小さな音がした。
 すると、うずくまる影は即座に立ち上がり、月光にその身をさらした。
 月明かりに浮かび上がるその姿は、思わず息を飲むほど美しい少女だった。腰まで届く長い髪を後ろで縛ったリボンが愛らしい。
 ――しかし、そうした形容を許さないほど、その面は凛と引き締まり、張りつめていた。
 そして、もうひとつ月光を照り返すものが。
 少女の手には、一本の細い両刃の剣があった。
 月光の中に、剣を手に立つ少女。
 恐ろしく現実感を欠く構図でありながら、今、この場では、全く違和感なく彼女は存在していた。
 剣を構え直し、少女は前方の闇を見据えた。
 カツン、カツン、という音が徐々に大きく、近くなってくる。
 それは、少女が知っているいつもの「先触れ」の音とは違っていた。明らかに人の足音だ。
 宿直の教師や警備員が見回りに来ている、と考えるのが自然だった。
 だが、そうではないと少女は確信し、剣を下ろさなかった。
 近づいてくるものには、少女が待ち続けていたものと同じ気配があったからだ。
 カツン、カツン……。
 お互いの顔が見える位置まで、そのものはやってきた。
 雲ひとつない今夜は、月明かりで互いの表情まで克明に読みとれた。
 少女の前に立っているのは、20代半ばと思われる女性だった。
 切れ長の瞳がややきつい印象を与える美貌だったが、今は柔らかく微笑んでいた。
 けれどその笑みに少女が笑い返すことは、けっしてなかった。

「こんばんは」

「……」

「なにを待っているの?」

「……魔物」

「魔物?」

「……お前だ」

 呟くと同時に、少女は剣を振りかぶって跳躍した。目の前の女性に向かって一気に振り下ろす。
 しかし血しぶきも悲鳴も上がることはなく、硬い剣戟音と火花が散った。

「……」

 少女の剣は、黒光りする剣によって受け止められていた。
 少女はそのまま力をかけて押し切ろうとしたが、片手で簡単にいなされてしまった。
 体勢を立て直して剣をもう一度構える少女を、女は悲しげに見つめた。

「なにと戦っているの?」

「……」

 少女は答えず、激しく剣戟を繰り出した。女は軽く下がりながら、片手でそのすべてを払った。

「あなたが斬ろうとしているものはここにはいない……。ただ自分自身を傷つけるだけよ」

「……」

 やはり少女は答えず、渾身の一撃を放った。だがそれもまた、女に弾かれてしまった。
 少女は肩で息をしながら、刀身を見た。激しく刃こぼれしている。技量も、剣自体の質も段違いだった。
 ――このままでは、勝てない。
 そう悟った少女は、剣を構えたまま少しずつ移動し、窓際に立った。そして、剣を大きく振り上げ――。
 窓ガラスを、粉々に砕いた。

「なっ……」

 粉砕されたガラスのかけらが、月光を反射しながら少女の体に降り注いだ。
 女が思わず息を飲み、少女のもとに駆け寄ろうとした、そのとき。
 少女が、跳んだ。
 剣先が銀の軌跡を描きながら、女の首筋に走る。しかし。

「……!」

 今度こそ、驚愕に少女は目を見開いた。
 少女の剣は紙一重のところで、女の剣に止められていた。
 絶対に、間に合うはずがなかった。――そう、剣が自ら動きでもしない限り。
 だが、驚愕に目を開いたのは、少女だけではなかった。

「……なんて戦い方をするの……」

 半ば茫然と、女は少女の目を覗き込んだ。
 少女はすぐに表情を消し、剣を握る腕に力を込める。
 そのとき、女の目が一瞬、紅く輝いた。

「……!」

 少女の体から、自由が奪われた。見えない力に押されて、数歩後ずさる。そのまま突風に吹かれたように体が壁に叩きつけられる――直前で、止まった。
 指一本動かせない少女に女が近づいた。

「ごめんね、手荒な真似をして」

 女が少女に手を伸ばす。少女は一切衰えを見せない闘争心を瞳に宿して、女を睨んだ。
 だが女は、少女の体を優しく払い、ガラスのかけらを落としてやるだけだった。

「私の意表をつく行動をすることで、隙を作らせようとしたんだろうけど……無茶が過ぎるわよ」

 女の瞳も、口調も、仕草も、少女へのいたわりを示していたが、少女は頑なな態度を崩そうとはしなかった。ただ敵意に満ちた視線を、女に向け続けた。
 女は苦笑混じりに、ため息をついた。

「あなたはまるで手負いの獣ね。そうまでして、なぜ戦うの?」

「……」

 少女は答えない。女ももはや言葉を期待してはいなかった。ただ少女の瞳をじっと覗き込んだ。
 やがて、女の瞳は深い悲しみの色を宿した。少女は自分が見まいとしていた真実がそこに映っているようで、思わず目をそらした。

「そう……あなたは、ここを守らなければいけないのね……」

「……」

「約束が果たされるその日まで……。それなら、私にはあなたを止めることはできない。だけど……」

 女の呟きを、荒々しい靴音が妨げた。階段を駆け上がってくる足音がする。ガラスが割れた音を聞きつけて、誰かがやってきたのだろう。

(さやっち、やばいよ)

 そこにいるはずのない第三の声が、囁いた。少女は目だけを動かして辺りを見たが、ほかに人影はない。彼女たちふたりと、剣だけしか。
 さやっち、と容姿に似合わない可愛い愛称で呼ばれた女は、しかし、動じた様子もなく頷いた。

「わかってる。この子も……」

(無理だよ。騒ぎを大きくしちゃうよ)

「……」

 女は唇を噛んで頷いた。そして少女に、もう一度微笑んだ。
 その笑みの悲しさは、確かに、少女の胸を打った。

「約束はきっと果たされる。希望を、失わないでね。あなたの待っている人は、必ず現れるから」

「……」

「必ず……」

 女が繰り返そうとしたとき、その手の剣がまばゆい輝きを放った。
 思わず少女が目を閉じ、そして開いたときには、女の姿はかき消えていた。
 同時に、少女の体の呪縛も解ける。少女は壁に背をつき、そのままずるずると座り込んだ。
 懐中電灯を持った大きな足音の主が、近づいてくる。意識を失いかけた少女に、その閃光と靴音は不快だった。
 魔物のほうがずっと繊細だ……そんなことを考えている内に肩を掴まれ、激しく揺さぶられた。

「なんだ、これは!? お前がやったのか? ここの学生だな? 学年と名前を云いなさい!」

「……」

「聞こえないのか! 名前は!」

「……一年……、川澄……舞……」

 呟いて、少女はようやく気を失った。
 遠くなる意識の中で、女の最後の言葉だけが鮮明に浮かんでいた。
 約束。そして希望――。



The RING of BLOOD EX
"Kanon"
END



2001.5.10


あとがき

あははーっ。
やっちゃったよ、って感じでしょうか(^^ゞ。
完全に趣味に走った自己満足の産物ですが、少しでも楽しんでいただけた方がいらっしゃれば幸いですm(__)m。

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