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道中

朝9時半頃自宅を出発。大阪からだと中国自動車道で福崎まで〜播但自動車道で和田山IC、そこから地道で関宮町まで約20キロという行程です。3時間あれば余裕かなと思っていたら宝塚トンネル前で大渋滞、さらに和田山インター出口で渋滞。結局到着したのが12時45分、HPによると開場1時開始1時半のはずなのに、すでに人が向かっています。とりあえず車を置いて入ってみると、1時開始だったようです。

とりあえず始まる

会場は小学校か何かのとなりの講堂のような所でノビアホールというそうです。

ホール入り口の写真



立ててあった看板の写真です。



最初は,記念館の代表の小谷史郎氏のご挨拶
 
普通のご挨拶でした、風太郎祭りも6回目だそうです。

その次が、生前山田風太郎さんと親交があったいう元編集者、いまは出版社経営の原田裕氏の「風太郎さんの思い出」というお話が30分弱、このイベントに合わせて初期作品集を出版されたとのことで、玄関でも売ってました。

お話の方は昔編集者として蛍雪時代(いまだと中学○年生って雑誌になるのかな)で編集者で最初にあったころの話とか、おかしな話を書いているから変な人だと思われていたけど、家族の中ではいたって常識人であったこと。ただそれには常に彼なりの理由があって、お寺に戒名をもらうのは嫌だから、風々院風々居士という名をお墓に刻んだのは彼の中ではちゃんと理由があったんだというようなお話。あと本の宣伝はちゃんとやっておられていましたね。私も購入しました。

さて、この後が菊地先生の講演です。

この時点で、関係者を入れてだいたい50人いるかどうかの参加者の数、私より若いと思われるのは5〜6人かな。私のすぐ前に座っていたのが関係者とか奥様とかのようです。

いくら田舎とはいえ、もうちょっと入ってもいいんじゃないかな・・・と思いつつ次に。

私と山田風太郎〜作家をつくった作家

さて、略歴の紹介があった後で菊地先生の登場です。


こんなひな壇で喋っておられましたが、撮影禁止というアナウンスがあったので、音声メモモードにしてました。だから喋っている途中の写真はありません。あちこちで携帯で撮っているのは後ろから見えましたけど、まあいいですよね。

ここから、先生が話された内容を書きますが、削ったり要約してますので大意くらいに受け取ってください、一言一句追って書いているわけではありませんので、念のため。青の部分が先生のお話の部分です・
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最初に自分でも略歴を自己紹介されていました。
忍法帳との出会いは。中学生の時に初めて忍法帳を読んでからだということ

プロ作家のファンが多いかどうかで、その作家の力量が判断できるんじゃないかと思いますが、同業者のファンはめったにいない、その中でも渋沢さんをはじめ中島らもさんとか、そうそうたる小説家から評論家までファンがいるのはすごいことです。

私もそうだけど、そのなかでも山田風太郎さんの影響を一番被っているのは私だと思います。

小説を書き出した頃は意識してなかったんだけど、山田風太郎さんの現代的再生産をしてるんじゃないかと、しらないうちにそうなってしまっているのに気がついた。

(風太郎さんの)小説は多岐にわたっていますが、忍法帳でファンになって、それで作家を続けているようなもので、今回(の話)は忍法帳に話を限ってやらせてもらいます。


この後、忍法帳の発行の歴史について解説。
1958年に、甲賀忍法帳が発表されてから、江戸忍法帳などが続き1963〜64、山田風太郎忍法全集の新書版がそれで大ヒットしたことなど

ブームという以上は今だと別のジャンルに発展していくんですが、(その当時)コミック映画アニメとかはありませんので、小説というジャンルの中で、忍法帳物を書く追随者が出てきてもおかしくないわけです。

ところが当時の記憶によると忍法帳と名の付く小説は早乙女貢さんの作品くらいしか覚えていない。だから忍法帳というのは山田風太郎だけしかないんです、あまりに個性的であまりにすごいので、何を書いてもまねになってしまう。だから書く気もおこらないというのが本当の理由だと思います。

忍法帳には三つの特徴があるというお話
その一番目は正史と稗史(はいし)についてです。普通の歴史と裏歴史といった方がわかりやすいでしょうね。

甲賀忍法帳で徳川家康の跡継ぎを決めるのに、伊賀と甲賀の忍者を10人ずつ戦わせるわけです。

我々は当然誰が将軍になったか知ってるわけですが、どういう選択がされたかはわからない、そのわからない部分を山田風太郎さんが書いた。実際問題としてはあり得ないけど、読んでみると本当にあったんじゃないかと、思ってしまう。ここで稗史と正史の逆転が起こるわけです。

架空のことを書いてリアリティを感じさせるのは作家だったら誰でも出来ますが、裏史をここまでリアルに感じさせるのは山田風太郎さん以外にはありません。小説で世界遺産があるのだったら山田風太郎さんがもらうべきなんじゃないかと思います。


ふたつめは奇想天外な忍法であるというお話

人間の発想の限界じゃないかという奇想天外な忍法、それが読んでみるとあっそうかという理屈にあってるんじゃないかと思わせる忍法。現象面だけをみると奇想天外を通り越して荒唐無稽に近い。荒唐無稽はばかばかしくなるんですが、けっしてばかばかしく思わせない。

戦前の立川文庫で忍術物で、猿飛佐助が巻物をくわえて印を結んでどろんどろんとやると姿が消えるという忍術がありましたが、山田風太郎さんの場合は外道忍法帳で忍法玻璃灯籠というのがありまして、この忍者は全身の毛穴から油というか蝋を吹き出し、全身を覆うと見えなくなるというものでした。

登場する忍法には人間の肉体の機能を拡大させて術にしたという部分がかなり多い(汗、血、毛、分泌物、水分などなど)、だから身近な物として理解しやすい。山田風太郎さんは医学教育を受けておられるからその成果かもしれません

ここでちょっと話が変わって

80年代にあった超伝奇バイオレンスブーム、そのときはかなり多くの追随者がいました。このブームの口部を切ったのは夢枕獏さんの魔獣狩り、私の妖魔戦線、魔界行などでした。

超古代のものが現代に影響していて、それにからんだ事件を超人的な主人公が解決するのが伝奇バイオレンス。

戦いの技とか戦いのプロセスが伝奇的であるというのは、魔獣狩りでは、中国拳法、妖魔戦線だと破邪の力を持たせた念法を使いました。
たまたま獏さんも同時期に同じような小説を書いていたので超伝奇バイオレンスの先駆者といわれました

倒す相手も普通じゃない、妖魔戦線だとサタン、特に私みたいな設定をやってしまうと後から来る人は書きやすいわけです。あり得ない敵を設定して、倒す力は伝奇的設定でOKですから

それに舞台が現代だったから、時代小説のように細かい設定をしなくて済むから、大量に同じような話を書く人が出た。ただ書いてみるとわかりますが、現代を舞台にこういう小説を書くことは(逆に)時代小説を書くよりも難しいです。
読者が同じ場所同じ時空間にあるのでごまかしがきかないのですね。

最近は都市伝説とかあって信じている人が多いかもしれませんが、ちょっと前は幽霊とか化け物を信じていなかった、そういう人たちに安直に化け物が出てきて超人的な主人公が倒すような話を見せるとばかばかしいと思われる、そこでページを閉じちゃう、次の作品も買ってくれない、作家にとって悪夢のような循環が生じます、だから伝奇バイオレンスブームは2年くらいしかもたなかった

そのあとが架空戦記ものですね、戦争は(小説の話に)使いたくないので、一作も書いていません。このブームは短かった。
架空戦記はコミックの方に移っています。たとえば、トライガン、彼岸島などがそうですね。


忍法帳に話が戻って

コミックで忍者もののブームがありました。伊賀の影丸ってご存じですか?。知ってるかた挙手お願いします。(半分くらいかな?)
横山光輝さんが1961年から少年サンデーで連載した漫画、私はこれを先に読んでいたので、あとで忍法帳を読んだときに、あまりそっくりだったので驚いた

影丸をちょっと解説、影丸は木の葉隠という、しびれ薬を塗った葉を舞わせて、相手をしびれさせる術を持つ少年忍者で
最初の「若葉城の秘密」という話で、城を守る甲賀者と戦うわけです。甲賀者の忍法が蜘蛛使いとか粘着力のある糸を吐くやつとか、甲賀忍法帳とよく似ていることを説明。

このあたりの少年忍者物の根底にあるのは山田風太郎さんの忍法帳

(その当時)あまり漫画に興味がなかった親父が今一番面白いのは影丸だと言っていたくらい面白い
漫画にまで大影響を与えるというのは山田風太郎さんはすごいなと思ってます。


三つ目の特徴のお話

漫画とゲームに与えた影響のお話、複数対複数のトーナメント制という、例に挙げられた漫画が車田正美のリングにかけろ、聖闘士星矢。

梶原一騎さん原作の、柔道一直線の柔道わざとは思えないような技の数々。SF漫画でいうと、手塚治虫さんの鉄腕アトムのロボイドの巻で、異星のロボット軍団vs地球のロボットたち。SF小説だと豊田有垣さんの襲撃者など、影響のあったと思われる作品をいくつか解説(注1)

子供の時から体が弱くってしらけきっていた、そのときに忍法帳に出会ったときの衝撃は世の中にこんな小説があるのか、面白いを通り越して衝撃を受けた。

伊賀の影丸から引っかかって忍法帳、私の一生を決めてしまいましたね。
小説家になりたいとは夢にも思わなくて、漫画家になりたかった。画用紙を買ってきて、せっせと漫画を書いていた、画用紙を買いに行くとあんたが全部買っちゃったといわれたこともあった。ただ丸い線がどうしても書けない、固い線なら書けるんですけどね。大学に行ってSFマガジンを読んでいた。その前は江戸川乱歩の少年探偵団、事件は奇抜なんだけど、最後は合理的に解決されてしまう。、子供が活躍するし。最後は単に幻想だったとか結末がどうも面白くない。

その中で甲賀忍法帳にでくわした。世の中には運命的な出会いというのはあると思う。
当人がわかんなくても深い部分で残っていて、いつのまにかその人の人生に影響を与えている

私の場合は二つありまして、吸血鬼ドラキュラ、もうひとつが山田風太郎さんです。
一番正しいのは取り憑く、取り憑かれてしまう。英語で言うとホーンテッドかな。
本人はレポライターしたりして、忘れていても、それがどうしてもいつまでも戻ってくることがあるかも。

翻訳もやってから作家になったんですが、魔界都市を書いたときに頭の中にあったのは忍法帳、忍者月影抄、忍法のほかに柳生流剣法が入る最高の剣豪小説だと思っています。(魔界都市シリーズではなく初期の十六夜京也主人公の魔界都市<新宿>もののこと)

主人公は木刀を使います。学生時代に同人誌をやっていて、推理小説サークルに入っていて、いくらでも長い小説を書いてよかった。ただ4年間いたうちで、書いた小説の枚数といったら、30枚に満たない。それくらいしか書けなかった。いま私の著書は長編で300冊いってます。なぜこんなことが可能になったかというと、山田風太郎さんの小説の作り方とか話の持って行き方、主人公の登場のさせ方、終盤の山場の作り方、話の盛り上げ方、がインプットされているらしい。

それで350冊かきあげてきたらしい。26年間作家をやってこられたのも、忍法帳のおかげかと思ってます
なんといって感謝していいかわかりません

最初に長編を書いてもっていったとき、菊地さんはやっぱり長編型だねと言われたことがあります

占い師に手相を見てもらったら、作家にはなれるけど芸術肌の作家ではなくて技能派の作家になるといわれた。技能派というと芸術家じゃなくてある物を加工する職人のような能力。自分の批評はよく読むんですが、その中で読んであっと思ったのは、菊地秀行は本家どりがうまい。ある物を持ってきて自分の物のように出してしまう。あーそうかなと思って反省しないのが私の悪いところですが(笑)

最近は面白いものを自分がさらに面白さを増して出してやるのが何が悪いんだと開き直ってる

プロの漫画家さんに聞いたんですが、アマチュアは自分が面白いと思う物だけしか書かない。だからアマチュアはアマチュアのままにとどまるわけです。学生時代の私はまさにそのまんま、いくら原稿を書いても一円にもならない。プロになったら原稿料や印税があるので猛烈に書き始めた。

私が小説を書く時にまず第一の目標でどういう小説を書きたいかというと、面白い小説。誰が読んでも血湧き肉躍らせる小説、あ〜次が読みたいとページをめくるような小説が書きたかった。まあ作家がどういう小説を書くべきかというのは色々意見がありまして、人間を書くべきだとか世界に対する自分の見解を書くべきだとかいろいろありますが、そういうのは立派なかたがほかにいくらでもいるので、私は面白い小説が書きたい

小説を書くというのは、手と足が裸足と素手で山に登っていくのに等しい作業だと思うんです、手にも足にも血豆が出来て、ひ〜もうやだよといいながらなんとかのぼっていくと峰を越す、一作できあがる。と次の山が見える、降りるわけにいかないからまた必死に登り始める。またへとへとになって、やっと終わったと思ったら、また次の山がある。

その峰の彼方に最高峰が見えるわけです、。何とかそこまで届きたい、あの人のような作家になりたい、あの人のような小説を書きたい。僕の場合はそれが山田風太郎さんです。

ただ最初からそれが出来ないのはわかってるわけです。あまりにも高すぎる、わかってるんですけど何とか近づきたい。ああいう作品を一本でも書いてみたい、そう思って、いままでやってきたようなものです。

なかなかつらい作業ではあるんですが、いまさらやめようがないので頑張ってやっていきたいと思っております。


ジュブナイルを書いていて、アダルト物を書いて、魔界都市ブルースから魔界都市物があるわけですがと、初期の小説の変遷から今の魔界都市シリーズへの設定の説明あり(魔震で閉じこめられた世界とか新宿の住人とか) 

人捜し屋、秋せつら、まず武器の設定を考えた。念法はもうあきたし、ちょっと安直だし、拳銃や刀だと見栄えがしない。で思いついたのは金属製の糸、チタン鋼の糸で何十キロもどこに逃げても相手を追っかけていく。ただ千分の一ミクロンの糸って重さがないに等しいですから、投げても思ったところにいくわけがない。それを小説だからいいだろうと使ったわけです。これどっかの会社のかたがチタン鋼についての資料をfaxしてくれたけど、読んでもよくわかりませんでした。

この糸を使うというのは、風来忍法帳の風閂(かぜかんぬき) 風魔の忍者戸来刑四郎が女の髪の毛をつかう技です。

私は主人公に美しい男を出す癖がある、それも普通じゃなくって、世にもまれな敵でもぽっと頬を染めてしまうという美男子を出してるんですが、よく考えると山田風太郎さんの忍法帳にも、女と見まがうばかりの美男子が出てくるんです。大抵の普通のエンターテイメントだと美男子だと悪役なんです、もしくは薄幸の被害者役が多いんです。魔界転生の天草四郎。私は美しい悪役にひかれまして、悪役らしさの部分をちょっと残して主人公にしたら面白いんじゃないかと思いまして、魔界都市も吸血鬼ハンターDも超絶美形の主人公になりました これも山田風太郎さんのおかげといえばおかげです。


忍法帳に話が戻って

忍法帳でひとついっておきたいことがあるんですが
忍法帳の批評を読みますと、よく忍者というのは絶対的な権力側の走狗になって、戦ったあげくに死んでいくつくづく哀れな存在である。でも(小説を)読んでみるととてもそうは思えない。私はこれには全面的に異を唱えるものです。

戦争体験に基づく個人の持つ運命感みたいな物が投影されている、任務をもらってそれに逆らいもせずに戦って死んでいく、これは太平洋戦争で招集されて亡くなられたかたがたにも重なるわけです。

(忍法帳に)登場する忍者は実は任務を与えられて死んでいくことなんか全く考えてない、それどころか任務を与えたものを小馬鹿にしているところがある。

たとえば甲賀忍法帳で、甲賀弦之介が、なぜそんな戦いをさせるのかと家康に聞きに行くところがあるわけです、そのとき同行した忍者はそんなことは後からでいい、とりあえず伊賀の10人を殲滅させることだと、その後の運命なんて気にもしていない、さらにこの中に登場する陽炎(かげろう)という絶世の美女で、これは法悦の吐息が猛毒の息に変わる。

(この設定は)ラパチーニの娘からヒントを受けたんじゃないかと思いますが、私は伊賀者をすべてころしてみせましょうという。それは伊賀者すべてと寝るという実はインモラルな話なんですが、一般常識を言う前に、敵を殺して自分の忍法がいかに優れているかを証明したい。

この事実に気がついたのは忍者月影抄で、八代将軍吉宗が将軍になったとたん急にモラルとか質実剛健とかを臣下に押しつけるわけです。これに尾張中納言がなにをいってるんだと、若い頃の愛妾を見つけ出して背中に蜘蛛(の入れ墨)を入れて、日本橋でさらし者にしようとする。

お庭番が勢揃いして吉宗にあったときに、公儀への陰謀をとめる覚悟はいいなというと、お庭番たちがふふふと笑った。なぜ笑ったかと考えたとき、任務は別にどうでもいいんだ。戦いに行くのはどうだ俺の方がすごかっただろうと自分の強さをみせびらかすための個人的な目的です。公儀の方の目的は愛妾の始末なんですが、忍者の目的は相手の忍者を倒すこと、ここで目的と手段の逆転がおこっているわけです。

自分は(忍術の)芸術家であるから芸術家同士の相克のような物が行われているわけです。これは(山田風太郎さんが)戦後の焼け野原を見て死んでいた人を見た、人間を襲う理不尽な運命に対する否、断固たる拒否であろうと思います。

戦うときは一般人も平気で巻き添えにする、こういうタイプじゃないと戦いの場では生き抜いていけないと思います。山田風太郎さんは戦争はやらないほうがいいけど、やった以上は勝たなきゃうそだというのはあちこちに書いておられますからそのあたりも投影されているのかも。


映像化作品の話

山田風太郎さんの忍法帳、DVDになって映画ではなくてVシネマ等でいくつか出てますね。魔界転生をはずすとほとんど映画化は失敗している、忍法帳の見た目、現象面だけ見ると映画化しやすいんですけど、そこだけ見て映画化しやすいからって持ってきたら、作者の人間観とか欠落してしまう

今小説は厳しい時代です。ヒットさせるためには映画・アニメとか多ジャンルでの提携が必要なんですが
できれば山田風太郎さんの小説はああいうにはしないでほしい。

見た目の派手さだけで映画にしてしまいました。つまらないから原作も面白くないだろう。原作なんて読まないなんてことになると困るから、できれば小説にしておいてほしい。

SHINOBI(仲間由紀恵、オダギリジョー主演の甲賀忍法帖の映画)もあれ見る限り、なんか変な作りで、理解してない。先行き心配になるんですが。

魔界転生だけが例外的にいいのはあれは忍法帳じゃないんですよね、結局は死んでいった剣豪、宮本武蔵やら柳生宗典とかが、柳生十兵衛と戦う剣豪小説なんだからですね。

さて時間になりましたので質問があればお受けします。
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だいたいこんな感じです
1個だけ質問あったけど横で聞いてても意味がよくわかりませんでした。

注1

車田正美氏のリングにかけろ、聖闘士星矢、は基本5×5のトーナメント方式と必殺技を叫ぶあたりがそうだと思います。ギャラクティカマグナムとかペガサス流星拳とかね。柔道一直線は投げた相手を宙にとばして、もう一回腕をひっつかんで投げる二段投げとか、無茶な設定の技が多かった。逆に伝説の必殺技の地獄車はあんがい地味。

手塚さん(この人も医学博士だった)のロボイドの卷、ロボットが進化したというロボイドと各国から集められたアトムたちロボットたちの戦いは忍者ものの設定と同じ。三つの力を使ったら自爆するロボットとか、いろいろ個性的なロボットがいましたっけ、個人的には鼻を光線銃とかに差し替える豚鼻トレンチコートのおっちゃんが好き。

豊田有恒さんの短編は読んだことがあるけど、忍法帳の影響とは思わなかったです。これも超能力 メデューサ変化とか、重力制御とか技の名前言うのが特徴かな。

関係ないけど伊賀の影丸というと忍法ナナフシが一番印象的だった。


記念館および雑感

講演会はこれで終わって、後はサイン会があったのを横で見てました。
その後時間ぎりぎりだったので見ていなかった、山田風太郎記念館に移動。

色んな資料があって面白かったですね。生原稿もありましたが、とても読みやすい原稿でした。
出ようとしたら菊地先生もこられて誰かと話してました。

私は夜までに広島へ行かなきゃいけないので、そこそこで退散。

全体の雑感としては、次の段取りをマイクの前で相談してたり、さらに質問を受け付けたり、段取りの悪さも多少あったんですけど、おじいちゃんおばあちゃんが頑張ってやってるんだから、おおらかな目でみてあげるのが一番なんじゃないかと思います。

菊地先生の普段トークライブでは聞けないよそいきのお話も聞けたことだし、満足しました。
ひとつだけ気になったと言えば、バイオレンスだけじゃなくってエロスの方も受け継いでいらっしゃると思うんですが、ああいう席ではいいにくいですよね。少ない聴衆しか聞けなかったのがもったいないです。

その後、和田山から姫路東まで戻ってから、広島方面に移動。本日の走行距離480キロ、無事故無違反の自分に感謝。


風太郎記念館の前の駐車場から

                                               (文責 劉貴)