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雨のボレックス

 降り出した雨は、高層住宅の窓ガラスに叩きつけられると細かく砕け散り、あたりに霧を張った。窓からの景色はレンズにワセリンを塗られたように柔らかく実体をなくし溶け合った。
 こんな雨の日には必ず、ある友人の言葉を思い出す。まだ学生だった頃、彼は私に「書かない詩人だっているだろう」とつぶやいたのだった。どんな状況で、その言葉が吐かれたのか、記憶は定かではない。ただ、そのつぶやきは憤りを含んでおり、その憤りは私に向けられ、おそらく幾分かは彼自身に向けられていた。書かない詩人は、書かないのであって、決して書けないのではない。そうであるとしたら、彼の言う、書かない詩人は存在するはずだ。しかし、当時の私には詩を書かない詩人は、詩にとりつかれた亡者でしかなく、たとえ下らないと吐き捨てられるような詩でも書いている詩人こそが詩人であった。
 
 私も友人も詩を書くような高尚な趣味は持ち合わせてはいなかった。友人の言葉は比喩として「詩」という言葉のもつ響きに、自らの欲望と期待と絶望を重ね合わせたものに他ならない。しかし、「書かない詩人だっているだろう」という彼の言葉は私の中で、日に日に確かな事実を言い当てているような確信を伴い始めた。書かない詩人がいて、描かない画家がいて、演奏しない音楽家がいるのかもしれない。あの頃、彼は自分の意志とは違うところで、蠢いてゆく世界というものに触れてしまったのかもしれないと近頃思うようになった。あの時も、いまと同じように雨が降っていたのだろうか。霧に町が包まれていたのだろうか。あの言葉は雨の中で吐かれたのだろうか。雨が霧散すれば彼を思い出すのにも関わらず、彼と雨とがどう繋がっていたのかを私は忘れてしまっている。霧散する雨に包まれることで生まれる、いい知れない心地の良さが、底意地の悪いモラトリアムだった私を思い起こさせ、そんな気持ちに一石を投じようとした友人を思い起こさせるのかもしれない。  
 友人とは大学を卒業した後、一度も会うことがない。私自身は書かない詩人にもなれなければ、描かない画家にもなれず、ただ、働きの悪いサラリーマンとして世の中でこそこそと働いていた。
 人にはずっと太陽の当たる場所を歩いている者と、ずっと日陰を選んで歩く者の二つの種類があるらしい。人によっては、その日の気分で時には日光浴を楽しんだり、時には木陰で休んでみたり、ということができる者がいる。むしろ、両方を渡り歩くことで、人は陰と陽のバランスをとって生きるものなのかもしれない。私の場合は、見事に日陰だけを選んで歩く種類のようだ。そんな私にとって、大きな会社に滑り込めたことは幸運だったと言ってもいいだろう。私一人が何をしたところで、目立つこともなく、睨まれることもない。契機を手に入れるための努力ではなく、私はひっそりと時間を過ごせるための努力をしてきた。わずかばかりの世渡りを覚え、自分の顔に無難な笑顔を作ることくらいは覚えて、私は今日、独り身のまま三十三歳を迎えた。

 
 私は誕生日であるこの日、会社を辞めるつもりだった。三十三歳という年齢に意を決するものがあったわけではない。いくら密やかに組織の中で生きようとしても、三十歳を越え、中堅社員と呼ばれるようになると、大きな仕事を任せられたり、部下を持たされたりするようになる。何の責任感もない私が、野心に富んだ若い部下を管理することは不可能だった。もちろん、私の預かり知らぬ所で、部下は私に管理してもらいたがった。裏を返せば彼らはマニュアルをほしがっており、社会で生きていく術を私に求めていたわけだ。だが、私自身がどう生きればいいのかを思いあぐねているのに、どんな示唆が与えられるというのだろう。毎日一つ一つ小さな石を飲み込まされているように、私の会社員生活は足取りの重いものになっていくのだった。

 
 明美は私よりも五つも年下の女だが、私よりも多い稼ぎがあった。私が明美と付き合うようになったのは、その稼ぎがあればどうにか生活ができるだろうという打算があったからだと思う。もちろん、明美が絶世の美女とは言わないまでも、勤めていたスナックに、明美目当ての常連客がつく程度には整った顔をしていたことも大きく影響している。
 私は明美が働いているスナックの常連ではなかった。常連は私の同僚で、何かのはずみに一度、その店に行ったことがある。酒を飲まない私は、同僚が酔いつぶれ、他の酔客が帰って行った後も、その店の中で唯一の素面だった。明美は多情な女で、酔うことでさらに情を濃くし、長らく女っ気のなかった私を刺激した。私は誠実さを装い、同僚のためにタクシーを呼び、帰宅する方向が同じだったのにも関わらず、住まいを偽り、車に同乗せず店に残った。酔った明美からさりげなく住まいを聞き出すと、雇われママに、自転車で帰るとごねている明美をタクシーで送っていくことを約束したのだった。
 
 明美の住まいは、決して高級とは言えないコーポのようなマンションだった。そんな自分の部屋についてからの明美は酔いも手伝って、奔放となり、私たちは服も脱がずに何度も交わい、互いのことを何も知らぬままに互いの身体だけを互いの身体に刻みつけたのだった。
 明美の多情さは、おそらく彼女自身にも自制の効かないものであり、私と交わったからといって、私とだけ関係を重ねることなど無理だと私は考えていた。それならば、別れ際に一悶着あったとしても、次の男が現れることで、きれいに別れることができると私は踏んでいた。しかし、私の値踏みは大きく間違っており、あの夜から明美はおそらく私としか交わってはいない。それは、明美にとっても大きな誤算であったらしく、知り合って一月もすると「うちの身体なあ。あんたの身体から離れられへんようになってしもた」とつぶやいて、何度も何度も私の股間の物を口に含むのであった。私を明美の店に連れていった同僚も、明美と情交を交わした事があったらしく、近頃誘っても乗ってこないと私に嘆いた。どうやら、明美は本気で私との交わりに入れ込んでいるようなのだった。私はそれを重荷に感じることもなく、また喜ぶ気持ちにもなれず、ましてや同僚にうち明けることもせずに、時折、女の身体が欲しいときにだけ、明美の部屋を訪ねていた。

 
 会社を辞めようとしていた日に雨が降ったことで、私の決心は鈍らなかったが、出社することが邪魔くさくなった。どうせ辞めるのだから、真面目な社員を装おう必要もない。迷うことなく、私は明美の部屋を訪ねることにした。
 明美はまだ寝ていた。前夜に着ていた洋服でワンルームマンションのフローリングの床は見えなくなっていた。私はスーツを脱ぐと、明美が寝ているベッドへそっと入った。明美の体臭と、酒の匂いがした。後ろから明美を抱き、乳房を揉みしだいていると、朝日が射し込む部屋の中で、私はいつもより激しく欲情し、寝ぼけ眼の明美をいつもより愛おしく感じながら果てた。明美は再び眠りに落ち、私も瞼を閉じた。
 私が目を覚ますと明美はいなかった。夢を見ていたような感覚に襲われたが、ベッドの下には朝方、私が丸めて落としたティッシュペーパーがあり、現実に引き戻した。まだ日は高く、はめたままの腕時計を確かめると、午後を少し回ったばかりだった。私は起き上がり、以前持ち込んで置いた自分のジーンズとTシャツを着た。脱ぎ散らかしてあった明美の洋服はハンガーにかけられ、半開きのバスルームのドアにつるしてあった。少し部屋が片づけられたせいだろうか。朝は気づかなかったのだが、小さなテーブルの上に、少し大きめの段ボール箱が置いてあることに気がついた。箱には「われもの」「精密機械」というシールが何枚か貼られていた。
 
 ガムテープがはがされていたので、私は躊躇することなく段ボールの中身を確かめていた。そこには、無骨で黒っぽい鉄製の箱のようなものがあった。「BOLEX」と描かれた鉄製の箱には同じ鉄製の棒が装備され、ゼンマイのような形式になっていることが見て取れた。横にはすでに開封された茶色の小さな紙包みがあり、カメラのレンズのような物が三本置かれていた。私は以前、写真を趣味にしていたことがあり、「BOLEX(ボレックス)」というブランドには聞き覚えがあった。それは確かムービーカメラで、主に昔のニュース映画を撮影するための物であったはずだ。なぜ、明美の部屋にムービーカメラがあるのか、私は訝った。しかし、どんな理由も浮かんでくるはずがなかった。
 私の携帯電話が鳴った。明美だった。明美は私が聞く前に「ボレックス」のことを話だした。
「小さな輸入業者の社長がな、昨日閉店間際にきてな、預かってくれ言いはんねん、店のつけがたまってるからって、こんなもん受け取られへんって言うたら、えらい興奮してなあ、これはワシが京都の太秦におったときから使こてるもんやぞって、そない言われても、うちらには何の関係もないしなあ、しかも、ただ太秦に住んでただけで、映画の仕事もしたことない言うやないの、アホらしなってきてなあ、けど、ママが、ほら雇われやろ?そやから邪魔くそうなったんやろなあ、わかった、言いはってなあ」と明美は説明した。
 
「ママがあんたにあげる、言いはるさかい。もしかしたら、藤村さん、こんなん好きかもしれへんて思て、いちおう持って帰ってきてんけど」
 つまり、この鉄の塊は私の物であった。私は電話を切ると、とりあえず、カメラを動かしてみようと考えた。丁寧に埃を払い、レンズが使い物になるかどうかを確かめた後、私は気づいた。このボレックスにはまだフィルムが入っていた。カメラの具合から見て、最近撮ったものとは思えない。恐らく、元の持ち主が若かったころに装填したフィルムだろう。私には、フィルムが入っていることは分かったのだが、それが撮影済みなのか未撮影なのかが分からなかった。


 
 「懐かしいなあ、ボレックスかいな。このカメラはバッテリーがいらんねん。ゼンマイでなんぼでも動きよる」とカメラ屋の親爺はそう言いながら、ボレックスをなで回した後、フィルムの様子を見ながら、「これは撮影済みやな」と言った。
「どないする?現像してみるか?どうせ、色調もなにもグシャグシャやろけどなあ」
 と、笑う親爺に私は現像費にいくらかかるのか聞いてみた。それは私には意外なほど高かった。しかし、私はすでに現像することに決めており、少しくらい高いからといって、撮影済みのフィルムを破棄してしまうという気持ちは微塵もなかった。私はカメラ屋の親父に撮影済みのフィルムを暗室で抜き取ってもらい、現像に回してもらった。そして、ボレックスで撮影ができるフィルムを買いたいと申し出た。
「いやあ、十六ミリフィルムやろ。普通は置いてへんで。ま、問屋に言うたらすぐ持ってくるはずやから注文しとくわ」
 
 私には意外だった。実際、私のものになったムービーカメラで何か試しに撮影してみたいとは思ったのだが、今時、十六ミリフィルムというものが存在するのかどうか疑問だったからだ。カメラ屋の親父が言うには、テレビの時代劇は少し前まで十六ミリで撮るのが主流だったそうだ。今でもたまに十六ミリで撮影されるシリーズがあり、フィルムメーカーも細々とではあるが生産しているという。私がそんなことを思っている間に、ボレックスが入っていた黒い革張りのケースの中を探っていた親父が何かを取り出し、怪訝な顔をした。
「おっと、これはまっさらの十六ミリフィルムや。使用期限は二十年も前に切れてるけどな」
 親父はそう言うと、私の顔を見た。使用期限が切れるとどうなるのか、私が聞くと、撮影できるとは思うが、色のバランスが狂っているはずだ、と親父。私はひとまず、使用期限が二十年も前に切れたフィルムを装填してくれるように頼んだ。

 
 私がまだ子供の頃、ビデオはなかった。家族の記録をするのはスチール写真で、たまに裕福な家庭の父親は八ミリカメラで「動く我が子」を撮影していた。もちろん、私の家庭には「動く我が子」を記録しておくような余裕はなく、ただ、八ミリカメラというものがあるという程度の認識であった。
 会社を辞めようとしていること、小雨になったとはいえ、まだ雨が上がりきっていないことで、少し憂鬱だった私の気持ちはボレックスを手に入れてから変化し始めていた。私はカメラ屋から真っ直ぐ明美の部屋には戻らず、ボレックスを抱えたまま、街を歩いた。時折、何気ない景色をボレックスのファインダーから覗くと、それはいつもよりも暗さを増し、同時に、四角く切り取られることで、はっきりとした輪郭を表した。少しゼンマイを巻き上げ、シャッターを押すと、私のこめかみでカラカラと機械が動く音が響いた。

 
 その日も明美の帰りは遅かった。私はボレックスをセーム皮で磨き、三本のレンズを取り付けたり外したりしながら、時間を過ごした。
 通りで自転車の軋むようなブレーキの音がした。すでに私はブレーキの音だけで明美が帰宅してきたことを知るほどに、明美と深く関わってしまっていた。それは私にとって心地の良さと焦燥とを同時に感じさせる気付きであり、明日からの身の振り方を考え始める切っ掛けとして、充分すぎる感覚であった。ブレーキの音、スタンドを立てる音、そして、自転車のキーをポケットに仕舞う気配と部屋の鍵を取り出す金属音。私は明美の少し疲れた表情と足取りを思い浮かべながら、ボレックスを手に取り、ファインダーを覗き、用意、と小さく声に出し、スタートと呟いたところに、明美はドアを開けて入ってきた。大きな鉄の塊を目の前に構えている私を見て、明美は、小さく声に出して叫んだ。その声に驚いて、私はボレックスをテーブルの上におろした。
「なんやの、いきなり。びっくりするわ」と明美は怒ったふりはしてみたが、本気で怒っていたわけではなかった。それよりも、私が何のためにボレックスを抱えていたのか、ということの方に興味を持ってしまっている様子だった。
 私は、カメラの中にフィルムが入っていたことを明美に伝えた。
 
「役者さんとか映ってたん」
 明美は無邪気に私に問いかけ、私は映ってるかも知れんなあ、と答えた。そら楽しみやなあ、とそれほど期待はしていない声で言い、明美は服を脱ぎ始めた。私はそっとボレックスを構え直すと、ファインダーの中に明美を捉え、昼間聞いたシャッター音を思い出しながら、その動きを追った。ファインダーに切り取られた明美は綺麗だった。下着姿になり、化粧を中途半端に落とした疲れた顔でさえ、私が欲情するほどの艶めかしさをたたえていた。このカメラに詰め込まれていた古いフィルムの中身よりも、新しいフィルムで明美を撮影してみたいという欲求が私の中にわき上がっていた。
 私はシャッターボタンを押さえた。期限切れのフィルムが音を立てて回り始めた。明美はフィルムが入っていないと思っているのだろう。着替えの手を止めることもなく、あきれ顔で私を一瞥しながら、下着姿のまま、先ほど脱いだばかりの真っ赤なスーツを手にした。私はズームレバーに指をかけ、明美の手に持たれた赤いスーツへとズームインする。薄暗く狭いファインダー画面は、赤い色素で満たされた。ピントを合わせようと、レンズリングを何度となく触ってみたのだが、結局ピント合わせが出来ないまま、私はシャッターボタンから手を放した。


 
 私がボレックスを手に入れて一ヶ月が経った。仕事を辞め、自分の部屋を引き払い、明美の部屋に私は転がり込んでいた。明美のワンルームマンションは狭く壁も薄かったが、帰って寝るだけの生活をしていた明美にとっては、毎晩ベッドを共にする私がそばにいることだけで、落ち着くらしかった。明美が生活力のない男にどんな気持ちを抱いているのかはよく分からなかったが、十年間の会社員生活で身につけた処世術が、私にはあり、明美に疎まれない程度の生活を続けることはできた。つまり、昼間は仕事を探しているふりをし、決して世を拗ねたり、人生に絶望している所作は見せてはいなかった。もちろん、職安には通ってはいなかったし、しばらくの間は僅かな退職金を食いつぶしながら、ぼんやり過ごすことに私は決めていた。そんな時、カメラ屋の親爺から十六ミリフィルムの現像があがったと言う連絡が入った。それよりも前に、撮影用の十六ミリフィルムが入荷したという連絡はあったのだが、最初からボレックスに装填されていたフィルムと、その後、明美を映した期限切れフィルムの現像の上がりを私は待っていたのだった。

 
 カメラ屋の親爺は、新しいフィルムの値段を古いレジスターに打ち込みながら、映写機はあるのか、と私に聞いた。
「フィルムを見るには映写機がいるからなあ。八ミリ映写機ならまだ小さいけど、十六ミリはかなり大きいで。値段も結構張るしなあ」
 そう言いながら、親爺は店の奥を指さして、あそこにある中古の映写機やったらいつでも貸してやると申し出てくれた。
「そんなもん置いといても、誰も買うかいな。ビデオの時代に好きこのんで不自由なフイルムの映画なんか撮れへんからな。わしも昔はちょっと八ミリをかじったけど、もう十六ミリの映写機買おか言う酔狂な奴はおらんからな。なんやったら、現像のあがったフィルム、ここで見ていってもええで」と親爺は言ってくれた。しかし、私はフィルムを一人で見たいと強く思い、親爺に映写機の貸し出しを申し出たのだった。自分が撮ったわけでもないのに、一緒に見たかったのだという表情を隠そうともせずに、それでも快く映写機の貸し出しに応じてくれた。
 
 十六ミリ映写機は思いのほか重く、運びづらいものであった。会社員時代の私なら、タクシーを使うところだが、少しでも食い扶持を先延ばしにしなければならない私は、映写機に足を取られながら、電車を乗り継ぎ、明美の部屋に戻った。明美は出かけていた。毎週この日は店が休みのため、店で着るためのスーツを購入したり、一週間分の食料品を買い付けることに当てていた。私が付き合うことはほとんどなく、私が眠っている間に出かけ、夕方になると戻ってくる、というパターンが出来上がっていたのだ。まだ、明美が帰ってくるまでには時間があったが、私はその帰りを待たずに、映写機にフィルムをセットし、カーテンを閉め、部屋から日の光を追い払った。
 最初は、前の持ち主が装填したままになっていたフィルムだ。映写機の横腹にある大きなダイヤルを回すと、まず、モーター部が駆動する音が部屋に響き渡った。次に目も眩むような光が映写機のあちらこちらから漏れてきた。そして、やや黄ばんだ部屋の壁に、光と影が結ぶ像が立ち現れてきたのだった。

 
 色のバランスが崩れ、妙に赤みが強調された画像が、私の視界を覆った。赤く濁った光が明滅し、ピントの合っていない曖昧な輪郭が部屋全体に反映され、明美の部屋は隠微に明滅した。やっとピントが合い、毒々しい赤が小さな女児の衣服の色だと分かった。そして、その映像はいつまでも女児を追い、顔を映し出そうと躍起になっていた。しかし、女児は恥ずかしがり、決して顔をカメラに見せようとしない。嫌がる女児の手をカメラ側から伸びてきた手が無理矢理に退かそうとした瞬間に、フィルムは終わった。私の胸はざわつき、フィルムの切れ端がカラカラとリールに当たる音を聞きながら、眩しいくらいに光り輝く、フィルムを通さない映写機の光を見つめていた。規則正しく明滅する光を見ながら、私は毒々しい赤いワンピースを着た女児の行く末を思っていた。赤が毒々しいのは撮影されてから、フィルムが長期間放置されていたためだし、フィルムに映っていた女児も恥ずかしがっているだけで、無理矢理辱められているわけではない。  
それでもなお、私の胸にはなんとも言えない後味の悪さが残り、しばらく光の明滅を見た後、映写機のスイッチを切り、部屋の明かりもつけずに、薄暮の中で呆然としていた。それは、おそらく、私が映像の力というものを思い知ったからであり、映像の力によって打ちのめされていたからに違いない。普段、街で決して目にすることのないような濁った赤が、私の中に見事に定着され、瞬きをする瞬間に鮮血を走らせる。なにも物語らず、なにも提示しない映像が、なぜここまで体の中に石を置いたように重く入り込んでくるのか。もしかしたら、なにも物語らない映像だからこそ、四角いフレームの中に納められた曖昧な輪郭や、無自覚な動き、そして、毒々しい色がそれぞれに主張しあい、底知れぬ力を持つのかもしれない、と私は思っていた。
 三分に満たないこのフィルムを明美に見せたなら、どんな感想を持つのだろう。それは興味や好奇心という範疇ではなく、見せてはいけないという怯えに似た気持ちとなっていた。私はフィルムを巻き戻した後、もう一本のフィルムを見るべきかどうか迷った。あの撮影がうまくいっていたなら、この部屋の壁には明美の姿が映し出されるはずなのだが。
 しばらく迷った後、私は続けて、もう一本のフィルムを映写機にセットした。

 
 私が撮影したフィルムはカメラ屋の親爺が言ったとおり、自然な色調とはほど遠い、原色を強調した画面になっていた。ピントのぼけた映像が映し出され、明美が驚く表情も部屋の様子も、知っているモノだけでなければ、何が映っているのか、分からなかっただろう。それでも、自分が映した映像が光と影の明滅の中で映し出されていることに、私は喜びを感じた。しかし、その喜びも一瞬、持続しただけで、消えた。私が映した明美の赤いスーツが、画面の中ではさっき見たばかりの女児の服の赤と同じ毒々しさを放っていたからだ。
 赤いスーツは、暗闇を切り取ったような四角い窓の中で毒々しさを増していった。光量が足りないために最初からピントが合ってはいないのだが、それを無理に合わせようとしたために、赤い色の塊は、その輪郭を広げたり、狭めたりしながら、まるで生きているかのように振る舞っていた。私は再び、その赤い色の塊に心を奪われ、そこに明美の顔を重ね合わせていた。
 
 物腰の柔らかい、それでいて芯の強い明美の、その芯の強さばかりが強調され、赤い色の塊の中で、明美の目は熱を帯び、狂気を無理に飼い慣らしているように見えた。その目をじっと見つめている間に、フィルムは抜け落ちた。
 その抜け落ちる瞬間。
 フィルムが終わって、毒々しい赤が消えた瞬間に、私が重ね合わせた明美の狂気を帯びた表情だけが残ったのだった。ほんのわずかな光と影の間に、明美は私の前に立ちはだかった。赤色の塊が過ぎ去った後に残った明美の顔は、青ざめ、さらに狂気が増したように見え、そして、消えた。
 フィルムの端が映写機に当たる音が規則正しく私の耳に入る。規則正しいがために、私は静寂を感じ、その静寂の中で、私は明美の影になぜか私は怯えていた。明美には見せたくない。いや、見せてはいけないフィルムだと私は感じていた。それが色なのか、形なのかは分からないのだが、何か明美を精神的に刺激してしまうものが、そこには含まれていると私は直感したのかも知れない。
 
 私の真横で何かが動いた。
 ふいに灯りがつけられ、そこに明美が立っていた。しばらく前から、明美はそこにいたらしく、私と明滅する光の束を交互に見ている。私は慌てて映写機のスイッチを切り、立ち上がった。
「今の何…」と明美は私に問うのだが、何が映っているのかは分からなかった、と誤魔化し、映写機を片づけ始めた。
 何か不審そうな目をしている明美の横で、カメラ屋の親爺が早く返せとうるさいんだ、と言い訳しながら私は映写機をケースにしまい込み、ボレックスを掴むと逃げるように部屋を出た。

 
 雨がぽつぽつ降り始めていた。
 私は重い映写機とボレックスを抱え、ほんの一時間ほど前に来た道をとって返していた。フィルムの中身を聞きたがるカメラ屋の親爺に言葉少なに礼を言った後、私はボレックスに新しい未撮影のフィルムを装填してもらった。そして、真新しいフィルムの入った古いボレックスが雨に濡れないように身体で包み込みながら、最寄りのJRの駅に定期券で入場した。
 この駅の待合室には誰もおらず、私はそこで、ボレックスについた水滴をハンカチで拭い、膝の上に抱えていた。人影のほとんどないホームを私はいつまでも見つめていた。ホームの屋根をかいくぐって待合室にまで吹き込んでくる雨はいつしか本降りとなり、私は一瞬、その雨にあの毒々しい赤を見たような気がしたのだった。同時に、「書かない詩人だっているだろう」という友人の声が雨音に混ざって聞こえてきた。ボレックスを抱えながら、そこに新しいフィルムが装填されているのだと思った。新しいフィルムはきっと明美の顔を優しく定着するだろうし、赤い色を美しく再現してくれるだろう。待合室の窓から見える空は暗く荒れていて、私が撮影するに値する風景のようにも思えた。しかし、私は窓にレンズを向けることもなく、じっとボレックスを抱え、その中に真新しいフィルムが装填されていることを手のひらに感じていた。
 
 すぐにでも撮影できるボレックスを抱えながら、私は自分の不甲斐なさに身を任せていた。組織にいた頃から、いやもっと遡り学生時代から、私はずっと目立たぬように、自分の責任を回避してきたのだった。自分が何かをフィルムの上に定着するという行為は、私自身を定着するという行為だと私は実感した。土足で上がり込んでくるような暴力的な色彩を自分の手で定着することに、私は恐れすら抱いていたのだ。
 激しくなった雨は、毒々しい赤を消し去り、古い友人の声を消し去ろうとした。しかし、この二つが完全に消え去ることはなく、曖昧になったからこそ余計に、確固とした影を私の中に刻みつけた。
 
 この場から逃げ去りたい足と、何かを定着させようと画策するボレックスと、激しい動悸を蛮勇に変えたいと願う心と、触れることを恐れる手と、激しい雨音さえ消し去ることのできる耳と、都合良く物を選別する目が、私をねじり上げる。町は霧散する雨に包まれていた。あの友人の声が私に甦る。「書かない詩人だっているだろう」と、私は問われ続けてきたが、それは私自身が私に与えた言い訳に過ぎないのではなかったか。友人のふりをした私自身の声が「書かない詩人でもいいじゃないか」と温もりのある声で私を甘やかし、私を立ち止まらせていた。もちろん、私はそのことに気付いてはいた。しかし、断固とした姿勢でそれを認めなかったのだ。だが、緩慢に死にゆく私は、いまこそはっきりとした答えを欲していた。何かを創造し得るボレックスを手に入れたことで、私は期せずして追いつめられたのである。私は私自身をねじり続けた。本当に息が止まってしまうのではないかと思った時、私の名前が呼ばれた。  
 私は追いつめられたまま、何かの力によって立ち上がらされ、待合い室を追い出された。雨に叩きつけられた長いホームに人はおらず、私はふらふらと揺れながら、誰にも邪魔されることなく、ホームの端まで歩いた。突き当たりには、「立ち入り禁止」の看板があり、私はそれを無視して、線路内へと侵入した。列車が入ってくる気配は一切なかった。私は死を手に入れるつもりなど毛頭なく、ただ死の淵を少し歩いてみたかっただけなのかもしれない。
 ほんの少し歩くと踏切があった。踏切を渡ろうとする影があり、その影が線路内にいる私に驚いている様子が察せられた。しかし、私にはその影を確かめる余裕がなく、影の脇を線路に沿ってすり抜けようとしたのだった。その時、影ははっきりとした肉体を持ち、温かな腕がすり抜けようとする私の腕を捉えた。
 明美はしばらくの間、私の腕を掴んだまま、心配そうに見ていたが、やがて、鳴り出した警報機をきっかけに声を発した。
 
「どうする?」
 その声に私はやっとの思いで顔を上げ、明美の目を見た。怒りではなく、哀しみでもなく、ただ真っ直ぐに私を見る明美の目は、とても落ち着いていた。
「付き合ってもええけど、どうする?」
 明美はそう言うと、かすかに笑った。私は下りかけた遮断機を明美の手を引きながらくぐり抜けた。列車の警笛が私たちを遮断機の外へと追いやる。
 目の前を轟音と共に列車が駆け抜けてゆく。明美が何か私に叫んだが、声は列車の轟音にかき消されて聞こえなかった。
 だが、慌てることはない、後でゆっくり聞き返せばそれで済む。
 
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