神さんが降りてきた。其の三。
マギーさんのオムレツ。

   植松眞人

 

     一

 ああ、困った困った。えらいこっちゃ。困った時の神頼みいうけど、自分が神さんやからなあ。誰にも頼めんわ。そら、わしの仲間には恥も外聞もない奴らもおって、自分より御利益のある神さんに平気でもの頼むような奴もおるけどな。ワシには無理や。こう見えても、わしはそれなりにプライドもってるからな。
 しかし、困ったことになったなあ。大阪の東住吉を出て東京に流れてきたけど、節目節目に問題抱えた人間さんに出会えて来たからなあ。そら、去年、一昨年当たりはえらい繁盛したでえ。東京出来てきた当初は、ハンパモン仲間の神さん連中と自動販売機に入って、ジュースとワンセットで買うてもろて、無理矢理願い事聞いたりもしたけどな。そのうち、流れ流れていくのがわしの性分におうてるとわかったんや。
 子供のやるガチャガチャの中に入って誰かに拾われるのを待ってみたり、郵便配達の自転車にこっそり乗って、ポストの中にいれてもろたり。ほんま、その場しのぎの自転車操業やったけど、なんとかしてきたもんなあ。我ながら、捨てる神あれば拾う神ありや、と思た。
 けどなあ、不況も一段落すると、みんな慣れてきよるんやな。神頼みとかするより、ちゃんと自分の足で歩いていくのがいちばんや、そない思いはるねん。それなあ、ええことやと思うんや。いやいや、ほんまは商売にならんから困るんやで。困るんやけど、神さんって、所詮人間がうまいこと平穏に生きれるようにアドバイスできたら、それでええんとちゃうかなあ。そんなこと考えてるとな、わしがこんな暇なことになってるのも、それはそれで、世の中がようなってるてなもんかもしれん。
 わしら神さんは、霞でも食うてるみたいに、みな思てるかもしれんなあ。たしかに、わしら別になんも食べんでも、やっていけるんやけどな。へへへ。ただなあ、神さんにもちゃんとした組織っちゅうの、年功序列っちゅうの、そういうのがあるわけよ。ものすごい人気のある神さんは、ほっといても、ぎょうさん人が集まって、ぎょうさんお賽銭もらいはる。で、もらいはったお賽銭は、ちゃんと神社に渡って、それなりに住むところとかきれいにしてもろたり、立派にしてもろたりできるがな。
 わしらみたいな流浪の民みたいな神さんでも、ほら、町中にある小さな神さんとかあるやん。小さなおもちゃのお社みたいなんがあるやつ。ああいうとこに居られるうちは幸せなんやで。わしもしばらく世話になったけどな。まあ、若い人らはなんもしてくれへんけど、年寄りはみな暇やし信心深いからなあ。ちゃんとお供え持ってきてくれたり、掃除しに来てくれたりしよる。
 問題は、いまのわしみたいに、ふらふらしながら、自分らで信者を捜して歩いてるような神さんや。ほんまもう、嫌になるで。そらそうや、こっちから押し掛けるっちゅうことになるから、なかなか信用してくれへん。信用されへん神さんって、なあ。わしら、人間の掌の上にちょこんと載れるくらいのサイズやんか。よう神社なんかに、なんとか神とかいうて、木彫りがあったりするけどな、あれは全部人間の想像やからな。ほんまにあんな大きかったら、身動きとりにくいがな。けど、目に見えるもんの印象っちゅうのは強いからなあ。ほとんどの人間が、神さんちゅうたら、自分と同じくらい、いやもしかしたら、自分より大きいぞ、って思てるのとちゃうかなあ。
 で、こんな小さなわしみたいな神さんが、人間に信用してもらおうと思て、ここまで一生懸命にやってきたっちゅうわけや。わしでもちゃんと御利益はあるからな。無謀なことはでけんけど、それなりに希望をかなえたり、かなえはできんでも、ちょっと楽な気持にさせてやったり、そういうことはできるわけや。けど、御利益があったからいうて、人間はずっと信心してくれるわけやない。のど元過ぎればちゅうやつや。なかには、わしのことなんかなかったことにする薄情な奴もおるからなあ。寂しいこっちゃ。
 けど、そんなことばっかり言うてられへん。わしな、ええこと思いついたんや。
 神さんてぎょうさんおるんや。八百万の神いうやろ、けどな、ほんまはそんなもんやないねん。三千万くらいおるんとちゃうやろか。いや、わしも数えてみたことないから、わからんけどな。それに、みなうまいこと世の中に溶け混んどるから見分けがつきにくいしな。それでも、山ほどおるのは確かなんや。
 このぎょうさんの神さんのなかで、わしみたいに仕事にあぶれてる奴らを集めてな、食堂でもやってみよかいなあと思てるんや。
 実はな、わし、ある人間さんに会うたんや。マギーさん、言うねんけどな。マギーさんって、本名やないで。この人、ずっと小さな食堂をやっててな。なんでも、マギーブイヨンばっかりつこて味付けするから、マギーさんて呼ばれてるらしい。わしら飯食べんでも生きていけるけど、楽しみとして飯は食べることはできるねん。わし、料理にはうるさいでえ。そやから、マギーさんの料理はどれもいまいちやねん。けどな、オムレツだけは舌巻いたわ。ほんまに旨かった。わし、人目につかんようにしてるの得意やから、貧乏たれの学生がオムレツ注文してる時にな、ちょこっと味見したったんや。わしも長いこと神さんやってるけど、人間が神棚にそなえてくれるもんて、大したもんあらへん。あんなうまいオムレツが世の中にあったなんてっ!いうて、ほんまに叫んでしもたんや。
 けどな、マギーさんの食堂、ぜんぜん流行ってないねん。他のもんは知らんけど、あんだけ旨いオムレツが作れるのにやで。わしな食堂の中、見て回ったんやけど、理由がわかったんや。この店にはちゃんと神棚があんねん。けど、そこにおるのが貧乏神なんや。
 あ、みんなたぶん知らんと思うけど、わしらみたいな普通の神さんと貧乏神は、ちゃんとした線引きはないねんで。貧乏神っちゅうのは、御利益が薄なって、何やってもうまいこといかん神さんなんや。そやから、本人は、この店、流行らんようにしてやろう、なんて、こっから先も思てない。本人は本人で一生懸命やってるんやなあ。ところが、願い事と御利益とが微妙にずれて、結局悪い方、悪い方に流れていきよるんや。
 マギーさんの食堂でもこんなことがあったわ。マギーさんがある朝、願掛けたんや。ポタージュスープを店で出したいから、うまいことできますようにって。そしたら、食堂におった神さんが張り切ってしもて。ポタージュスープいうたら、ちょっととろみのあるうまいスープやん。そやのに、その神さんが一生懸命やったら、とろみがなくなってしもてなあ。サラサラのサラサラや。マギーさんがなんぼ頑張っても、とろみがつかへん。そやから、マギーさんの食堂には今もポタージュスープがあらへんのや。洋食屋さんやのになあ。
 とまあ、一事が万事で、マギーさんの食堂は左前になってしもてやな、どうしようもないねん。それでな、わし、貧乏神になってしもた神さんにいうたったんや。あんた、ええ加減にせんとこの店つぶれるで、てな。そしたら、えらい泣きはってなあ。自分はマギーさんのことが好きで、応援してやろうと思ってるのに、何をやってもうまいこといかん、いうてなあ。それはもう哀れなもんやったわ。けど、哀れに思てても、話は前に進まへんやろ。そやから、わし、貧乏神が仕事せんでもええように、仲間を集めてきたんや。みんなあっちこっちで苦労してきた奴ばっかりやから、御利益は多少薄なってんねんけどな。それでも、貧乏神にはなってない。そいつらの薄い御利益でも集めたら、この店なんとかなるんやないかなあってそない思てるんや。え?なんでそんな一生懸命になってるんやて?そやなあ、たまには願掛けされる前に、ええことしようかなあ、と思てな…。え?マギーさんがきれいなんとちゃうかって…。そうやねん。もうええわ。はっきり言うとそうやねん。マギーさんけなげなかわいい人なんや。こんな人不幸にさせて、神も仏もないやろ。別に、一生懸命やったって、人間と神さんの間に愛が芽生えるわけでもないけどやなあ。そこはそれ、やっぱりわしらでも、ブチャイクなんとかわいいのんでは、かわいい方がええがな。なんかな、自分の御利益がちょっとあがるっちゅうのかな、強なるっちゅうのかな。そういう気がするんや。
 もう、みんな張り切ってるでえ。昨日当たりから、みんなあっちのテーブルの下、こっちのガスコンロの横、向こうの蛍光灯の傘の上と、ちらばってなあ。あっちからも、こっちからも御利益を送り続けてるんや。ガスコンロの横におった神さん、こいつは福島の方から東京に出てきたんやけどな、この神さんなんか、あんまり張り切りすぎて、一張羅の着物が焦げてしもた、いうてなあ。それでも、嫌な顔ひとつせんと張り切ってる。みんな、口には出さんけど、神さんとしてのプライドがあるんやろな。大きな神社で奉られてる人気もんの神さんに負けんもんを自分らも持ってるんやっちゅうとこを見せたいんやろな。だいたい、わし思うんやけど、神さんも奉られるようになったらお終いやで。神さんはな、人間の暮らしの中におって、その暮らしを横からちょっとええ方へ導いたるのが仕事や。それが、客を呼び込んで、濡れ手に粟みたいな仕事してたら、きっと御利益もくそもなくなってしまうわ。あ、あかんあかん、こんなこと言うてたら、罰当たるわ。
 マギーさんは昔、結婚してたらしいわ。子供もいてたらしいけど、今は独り身や。その理由はわしも知らん。貧乏神さんは知ってるみたいやけど、わしらには守秘義務があるからな。わしも無理に知りたいとは思わん。なんちゅうのかな、あんまり予備知識みたいなもんを入れとくと、判断が鈍る時があるんや。御利益を授けるっちゅうのは、簡単なことのように見えて、結構スリルの連続なんやで。例えば、電話を掛けてるやろ。その電話かけるのをあと十秒待ったら幸運が舞い込むのにっちゅうことがあるがな。それ、わしらには分かってるんや。そういう時には、最後のダイヤルボタンを押そうとした瞬間に、思いっきり人差し指に体当たりして、番号間違えさせるねん。そしたら、違う相手につながって、十秒ぐらい楽勝で稼げるからな。
 ほら、ようこんなことあるがな。あそこに有ったはずのあれがないっちゅうこと。あれもほとんどわしらの仕事やからなあ。家を出ようと思て、あっと気付くわけや、定期がない、とか、財布がない、とか。で、部屋に戻って有るはずの場所を探したら、ないねんなあこれが。で、あっち探し、こっち探ししたあげくに、やっぱり元の位置に有ったりするやろ。あれなあ、あのお陰で交通事故にあわんで済んだりしてんねんでえ。ま、財布とか隠すのは大変やけどなあ。日頃の信心に、そうやって応えてこそ、神さんの値打ちが上がって、次の仕事につながるわけや。
 わしらがマギーさんの食堂をやりだしてから、まあ、ほんまに店やってるのはマギーさんやけどな、段々と客の入りがようなってきた。マギーさんは、近所に工場ができて、そのこの若いのが食べに来てくれるからやと思てるけどな。その工場かって、わしらの仲間が今の場所のほうがええ、いうて、工場の経営者の耳元で夜な夜な囁き続けたからや。
 そういうわけで、マギーさんの店は経営も上向いてきて、料理の評判もそれなりにようて、万々歳ということになってきた。けどな、わしまだ一つだけ心配事があんねん。いま、この店には五人ほど神さんが来てんねんけどな、その内の一人が気になること言いよったんや。最近、マギーさん、夜になったら出かけるんやって。わしら、ちょっと老いぼれてきてるから、夜は早いんよ。お百度参りとかに対応してる夜型の神さんもおるけど、わしらはどっちかというと、晴耕雨読みたいなタイプやからなあ。マギーさんの夜の生活にまでは気が回ってなかった。
 最初に、マギーさんが夜になったら出かけるっちゅう話を聞いた時も、マギーさんのことより、それを話してる神さんに、なんでお前はマギーさんの夜の生活を知ってるんやということで非難囂々やったくらいやからな。
  ま、それはおいといて、やっぱり、そう言われたら、わしらも放っておくこともできんがな。さっそく、その夜からマギーさんの張り込みや。わしらもともとマギーさんには姿形を見せてないからなあ。見つかる心配もないし、張り込み言うても気楽なもんや。マギーさんの枕元で、静かにしてたらそれでええんやから。そういう時、ほんまわしらみたいな存在は便利やな。時々、ちゃんと姿を見せて、人間の相手することもあるんやけど、どっちかいうたら、そういうことの方が少ないわなあ。
 けど、マギーさんは寝顔もきれかった。いや、きれい言うよりは可愛いいう感じやなあ。もう三十代も半ばやいうのに、寝てるとあどけない顔してるんや。そうやって、マギーさんの顔眺めてたら、一晩中飽きへんかった。
 というわけで、最初の晩はなんもなかった。ただ、次の日に手紙が届いたんや。中身は見いひんかったんけど、どうもマギーさんの様子がおかしい。手紙を受け取ってから、そわそわしとんねん。わし、工場の若い奴がオムレツ食べとったんで、横からちょっと食べさせてもろてんけど、いつもよりマギーブイヨンの量が多かった気がするもん。
 その夜や。案の定、マギーさんが夜になっても寝えへんのや。あれは、何時頃かなあ、確か九時とか十時頃やと思うわ。いつもやったら、とっくに風呂とか入ってる時間やねん。勘違いせんといてや。わし、マギーさんが風呂入ってるとこなんか、のぞいたことないで。これ、ほんま。神に誓うわ。ああ、こういう時に神っちゅうのは外国の神さんやなあ。不思議やなあ、みんな外国の神さんには誓うやろ、わしら日本の神さんには約束するいうんや。国民性の違いいうんかなあ。ま、それはええがな。マギーさんの話や。でな、マギーさん、そのくらいの時間になってから、食堂の二階の住まいから降りてきて、鍵掛けて出ていきはった。わし、マギーさんの肩に乗ってなあ。風の強い日やったわ。わし、襟元掴んで飛ばされんように必死や。
 マギーさん、どこに行ってたと思う? そやねん、息子に会いに行っててん。事情は知らんけど、やっぱり母親いうのは子供が可愛いもんや。離ればなれに暮らしてたら余計に情が募るがな。これがまた、かいらしい子やねん。マギーさんは、隣町まで行って、小さなアパートの前でとまったんや。で、小さい咳してな。コンコンいうて、そしたら、二階の窓がそっと開いて、そこから五歳くらいの男の子が顔をのぞかせて、笑いよんねん。
 わしなあ、男の子が、お母さん、今日はお父さん出張で帰ってけえへんから入ってきて、いうの聞いて涙が出そうになったわ。けど、マギーさん、なんて言うたと思う、タツヤとは会わないってお父さんと約束したから、そこへはいけないの、でも、お母さん、ちゃんとタツヤのこと見てるからねって。ああ、もうほんまに切ない話やないか。わしな、お節介なんはわかってるねんけど、マギーさんの耳元で言うたんよ。明日、ゴミの日ちゃうかなあって。そしたら、マギーさん、タツヤくんに、明日ゴミの日だけど、ゴミ袋とかちゃんと出したのって言いはった。ううん、てタツヤくん、クビ横にふってなあ。わしもう、ほんまに良かった良かった、これでゴミ出しの間、タツヤくんと近くで話できるやないかい、思てねえ。
 タツヤくん、ゴミ袋もってマギーさんのとこまで降りてきたんや。男親との二人所帯なんやろなあ。半透明のゴミ袋の中から、派手な色のカップラーメンの字とかが見えるねん。マギーさん、それ見ただけで目に涙浮かべてな。わしなんか、もう号泣やで。滂沱たる涙っちゅうのは、このことかいうくらいに泣いてたもんな。
 わしもう、ちょっと冷静に話し聞いてられへんなって、途中で『ゴミは収集日の朝に出しましょう』て書いてある看板の上で、二人が話し終わるの待ってたんや。二人はしばらく小さい声でしゃべってたわ。なるべく、楽しい話してたんやろな。時々、タツヤくんが笑うんや。でな、タツヤくんが笑うと、それを見てるマギーさんの顔も笑う。笑うねんけど、目が泣いてるんや。ほんま、たまらんで。
 わしな、長いこと神さんやっとるから、いろんな切ない場面に立ち会ってきた。けどな、子供が絡むと、なんやもうなあ、なんとも言えんもんやなあ。あんまり人目について、父親の耳にでも入ったらえらいこっちゃ。いうんで、マギーさんもタツヤくんを諭して、アパートに帰らせたんや。時間にしたら、ほんの数分やろな。タツヤくんもちゃんと状況分かってるから、無理も言わんし、駄々もこねんと、素直に帰っていったわ。
 マギーさんな、しばらくアパートの窓見上げて、タツヤくんが部屋に戻るのちゃんと待ってるねん。で、またタツヤくんが窓から顔のぞかせるのを待ってるねんけど、顔見せよらへんねん。顔見せんと、手だけ窓から出して振っとんねん。泣いてたんかも知れんなあ。泣いてる顔見せんように、手だけ窓から出して振ってたんかも知れんなあ。
 わし、マギーさんの肩に乗って、その様子を見てたわけやけど、これはもうわしにはどうすることもできん話や。旦那と元の鞘に納めてやるには、時間が経ちすぎてるし、おまけにわしの御利益が弱なりすぎてる。でな、わし、なんやわしが悪いような気がしてきてなあ。マギーさんの肩の上で、ちょっと姿見せたげたんや。最初、マギーさんびっくりしてよったで。いきなり、自分の肩の上に、小さい人間みたいもんが乗ってるんやからなあ。そらびっくりするわ。しかも、よう見たら、着物きた仙人みたいなじいさんやし。けど、ややこしい話するには、ちゃんと姿見せて、しっかり目と目を見ながら話するのがいちばんやて分かってるからなあ。わしも勇気だしたんやで。キャー言われて肩でも払われたら、わしらひとたまりもないからなあ。一つの場所でなんかすんのは、得意やけど、自分で移動することはできんちゅうのは、ほんまに辛いもんや。まあ、わしも賭に出たっちゅうことやな。
 じっくり話てみて、わし気付いたんや。わしら、マギーさんのこと、なあんにも知らんかったんやなあって。神さんでも、千里眼を自慢するのもおるけど、もしそんなもんあったら、わしらももっと大きなお社に住まわせてもろてるはずやからなあ。いや、すねてるわけやないねん。得手不得手というもんがあるから。
 マギーさん、えらい悩んでたんやなあ。わしらに願掛けすることもせんと悩んでたんや。これはもう、わしらにとっては切ないことなんやで、ほんまに。神も仏もないいうて、冗談で言うてるうちは、誰しも知らず知らず願掛けしてるもんなんや、心のなかでな。けど、心の中でも願掛けせんようになったら、それこそ、その人間にとっては、神も仏もないんやからなあ。
 マギーさん、こない言いはった。タツヤが不憫やって。わしが、どないしたいんやって聞いても、なんも答えられへんねん。ただただ、タツヤが不憫や、としか言わへん。わしなあ、マギーさんにちょっと怒ってやったんや。不憫や不憫や言うてても、なんも解決せえへんやないかって。そしたら、マギーさん、こない言うねん。神仏に信心するような余裕のある話じゃないんです、やて。
 わしなあ、ちょっと泣いてしもたわ。困った時の神頼みやないかいな。そやのに、ほんまに困ってるマギーさんは、最後の最後、信心するような余裕がないって、こない言わはるねんで。わしな、こないなったら、なにがあってもマギーさんを幸せにしたらなあかんて思たんや。
 食堂に集まってきてた五人の神さんは、それぞれ役割があって、一人は客を呼び込む担当、一人は料理をおいしくする担当、それから、一人は客とマギーさんの人間関係をよくする担当。わしは全体を見る、まあ、いわば現場監督みたいな立場やな。で、ここで思てるやろ、一人足らんがなって。そやねん、一人失敗してん。他の神さんらはわしと同じように、武士は食わねど、いうか、神はお社なくとも、いう感じやねんけどな。一人だけ自信喪失して、どうしようもない神さんがおったんや。そう、最初からこの食堂におった貧乏神さんや。この人、もとから東京におった人らしいねんけどな。自分ではマギーさんのために頑張ってるつもりやったのに、知らず知らずマギーさんに不幸をもたらしてたっちゅうことに恥じ入ってしもてるんや。しかも、マギーさんが息子のタツヤくんに会いに行ってることがわかったやんか。もしかすると、マギーさんの家族が離散してしまったのも、ボクのせいかもしれないじゃないか、いうて自己嫌悪に陥ってしもて。ボクのせいかもしれないじゃないかって、なあ。お前のせいやっちゅうねん。
 けどな、わし、そういう神さんにこそ、マギーさんのことをしっかりフォローしてもらわんと、と思てなあ。そやろ、貧乏神言われて、自信なくして、自己嫌悪に陥って…。そんな神さんやからこそ、分かるこというのもあるはずやんか。
 いつものように、食堂の営業時間が終わって、今日も一日、それなりに繁盛して、マギーさんの暮らしにもゆとり言うもんがでてきた。けど、マギーさんの目には光がない。なんや、遠いところを見てるみたいな目になってて、それがわしには切ないねん。
 わし、思うねんけどな。神さんの御利益いうのは、本人のやる気いうか、そういうもんにえらい左右されるんとちゃうかなあ。本人がこないしたい、と思てる力に、わしらがほんのちょっと力添えしてやると、思った以上の力になることがあるんや。そのかわり、本人にやる気がなかったら、なんぼわしらが頑張ってもどうしようもないんや。
 そやから、わし、とりあえず、マギーさんがタツヤくんと一緒に暮らしたい、また家族みんなで幸せに暮らしたいと思うことが必要やと判断したんや。
 みんな頑張ってくれたでえ。テレビのリモコンの上にのって、さりげなく親子のドラマを見せてみたり。タツヤくんの手紙の上においてあった新聞どかしてみたり。寝てる時に、耳元で、タツヤタツヤいうて囁いてみたり。ほんま、あの手この手や。けど、いちばん利いたのは、わしが表を歩いてた親子連れを店に引き入れたこととちゃうかなあ。
 小さな赤ちゃん抱いて、タツヤくんと同じくらいの男の子の手を引いた若いお母さんが表の通りを歩いてたんよ。わし、ちょっと悪いと思たんやけど、赤ちゃんの鼻の穴くすぐってやってん。そしたら、赤ちゃんぐずってなあ。お母さんは大慌てや。なんで、こんなにぐずるのかしら、てなもんや。しまいに泣き出して、どうしようもない。そしたら、マギーさん、それに気づきはってな。ちょっとお店で休憩されてはいかがですか、いうことになったんや。
 お母さんは悪いと思たんやろな。男の子に、ここでお昼ご飯にしましょうか、いうて。男の子は、ボク、オムレツがいい、いうんよ。ほんまに元気な子でなあ。マギーさん、よっしゃ、ちょっと待っててね、いうと、いつもより気合い入れてオムレツ作ってあげたんよ。
 他にお客もおらんかったから、マギーさん、オムレツもってくると、そのまま親子連れのテーブルに一緒にすわってな。お母さんが赤ちゃんあやしているのを見てはったわ。男の子は、マギーさんのオムレツを、おいしいおいしいって、食べてたなあ。食べながら、こんなこと言いよんねん。
「おばちゃん、オムレツは幸せの味だよね」
「幸せの味?」
 マギーさんがきょとんとしてると、お母さんが代わりに答えはった。
「うちの主人がよく言うんですよ。オムレツとかオムライスとか卵焼きとか、そういう卵料理を出すと、幸せの味だなあって」
「そうなんですか」
 そう言うたときのマギーさんの、ちょっと寂しげな顔。色っぽかったなあ。あ、ちゃうわ、哀しかったなあ。
「おばちゃんのオムレツ、おいしい?」
「うん、おいしい」
「ボクのお名前は?」
 ここや、ここがチャンスや。この子な、タツヒロいうねん。惜しいやろ。もう、ちょいやろ。こうなったら、わしらもやけくそや。わし、貧乏神言われてた神さんに、合図して、赤ちゃんの肩の上にのってもろた。頼むでえ、ええタイミングでええことしてやあ。
「ボクの名前はね、タツ…」
 よっしゃここや。貧乏神も必死になって、赤ちゃんの鼻の穴、いじり倒してる。ほんなら、赤ちゃんがフギャーってわけのわからん声出して。マギーさんの耳にはタツフギャーって聞こえてはずや。タツフギャー、タツフギャー、タツギャー、タツヤーてなもんですわ。どないや、わしらの力わざ。そう聞こえた証拠に、マギーさん、スクッと立ち上がって、すたすた店の外に出ていってしもたんや。
 マギーさん、帰ってきた時にはタツヤくんの手ひいてた。わしら、神さん仲間みんな、顔見合わせて、大喜びや。本人さえ、その気になってくれたら、あとはいろいろやりようがあるねん。旦那と復縁するという手もあるし、タツヤくんだけを引き取るという手もある。もし、別れた理由がお金やとしたら、お金は天下の回りもんやからな。それこそ、ほんまになんとでもなるねん。なによりも、マギーさんがその気になってくれた。幸せになりたいと思てくれた。それが、わしらを心底喜ばしてくれたわけや。
 その日の晩、わしらもう大宴会ですわ。食堂にあった酒をちょっとだけ失敬して、フライパンにへばりついてたオムレツもおちょこに盛って。わしらも、その時、思たなあ、オムレツいうのは、幸せの味やなあって。わしな、ほんまに嬉しかった。大きなお社もってる神さんでも、こんだけのことはできんやろ、いうて、みんなほんまにええ顔してんねん。みんなも、人に御利益与えるいうのが、久しぶりやったんやろなあ。ほんまにええ顔してた。貧乏神さんも、ええ酒や、ええ酒や、いうてなあ。わしも、酒飲み過ぎて、えらい酔うてしもてなあ。気失うみたいに寝てしもたわ。
 起こされたんは、翌日、お日さんが高なってからや。昨日の晩は、嬉しそうな顔してた貧乏神さんがな、また元の貧乏神の顔にもどってんねん。どないしたんやって聞いたら、なんでも、朝からマギーさんの旦那が店に来て、二人でやり直そういう話になったらしい。そらめでたいやないか、今度は祝言の用意が忙しいで、いうたら、貧乏神さんが食堂のテレビの横にある小さな神棚指さして、わたしらでは、やっぱり力不足みたいです、言いよんねん。
 なにいうてんねん、いうて、わし神棚のとこへ飛んでいったら、真新しい、『明治神宮』って書いたお札が置いてあってん。
 わしら、五人の神さん、腰砕けたでえ。みんな、これからどなしたらええねん。とか、結局、大きいとこには負けんのかい、とか、いろんなこと言うてたけどな。わしもやっぱり、ちょっと悔しかった。そやけど、マギーさんが幸せになる切っ掛けを作ったんはわしらやしな。後は、明治神宮の神さんに任しといたらええか、思てたんや。ま、この食堂は出ていかなアカンやろなあって考えると、正直、うまいことやっていけるかな、とかいろいろ考えたけどな。みんながそんなことわあわあ言うてるときに、貧乏神さんが、えらいしゃきっとした顔してこない言いはった。
「みんなさんこれからのことなんて、神のみぞ知る、ですよ」
 ほんま、貧乏神のくせして、よう言うわ。
                 (了)
二〇〇二年四月十日