高橋の話。

                     植松眞人

 


 まだ誰にも話してないんやけどな。いや、別にお前にだけは信じてほしいとか、そういうことやない。ただ聞いてほしいんや。誰に話したいと思たこともないんやけど、お前の顔見てたら、話したいと思たわけや。お前とも久しぶりやなあ。高校二年のときからやもんなあ。同じクラスになったわけでもないのに、学校帰りの駄菓子屋の前で一生懸命ゲームしてるお前を見つけたんや。何回か学校で見かけてたからやろな、あ、同じ学校の奴や、思てな。しばらくの間、後ろから眺めてたら、お前、なんて言うたか覚えてるか? おれは覚えてるよ。お前あのときな、「おい、このボタン、連打してくれ」言うたんや。ま、おれもおれやわな。よっしゃ、言うて赤いボタンをそれこそ叩き続けとった。お前はレバーを右へ左へ前へ後ろへ、うまいこと動かしとったなあ。画面の小さな戦闘機が敵機の間をすり抜けて、おれがミサイルを撃ち込むわけや。おれなあ、ゲームなんかしたことなかったんや。あれから後も、あんまりしたことないなあ。あ、そや。学校卒業してから、しばらくぶりにあの駄菓子屋の前通ったら、まだあのゲームおいてあったんや。画面なんか焼き付いてしもてなあ。見にくい見にくい。それでも、百円つっこんで、一回やってみたんや。お前みたいにうまいこといかんかったわ。ほんま、おまえのレバー捌きは神業やったなあ。で、ラストステージまで行って、あともうちょっというとこでやられてしもたんや。覚えてるか。おれは覚えてるよ。お前、あのとき、おれの顔見てびっくりした顔してたやろ。信じられへん。お前が「連打してくれ」言うたから連打したったのに、誰やお前、みたいな顔しとったなあ。思い出しても笑えるわ。お礼や言うて、コーラおごってくれたな。二人でコーラ飲みながらお互いのクラスのことなんか話してたら、あっという間に時間が過ぎて、辺りが暗ろうなってから帰ったんや。あれからも、別にお互いの家を行き来することもせんと、たまあに、あの駄菓子屋の前で偶然会うたときだけ一緒にゲームしてたなあ。おれ、お前の名前も聞かんかったし、お前もおれの名前聞かんかったなあ。まあ、おもろいやないか。お互い名前も知らん友達どうしで、えらい久しぶりに偶然会うて、名前も知らんまま話してるなんてなあ。
 あれからもう何年や。二十年か。そうか、二十年か。もうすぐ四十やで、ああびっくりした。びっくりし過ぎて話がそれてしもたがな。そうそう、おれの話聞いてくれ。
 お前、高橋て知ってるか? そや、お前のクラスにおった高橋政夫や。あいつとばったり会うたんよ。いやいや、だいぶ前のことや。おれももう三十かと思てた頃の話やからな。おれはいっつももう三十やとか、もう四十やとか思いながら生きとんのかなあ。その時は、もう三十か思てたんや。それが証拠に、道ばたでばったり会うた高橋に「お前これからどうすんねん」っていきなり聞いたからなあ。不思議やろ。久しぶりに会うて、しかも、同じクラスになったこともない高橋に、これからどうすんねん、てなあ。おれが人にこんなこと聞くのはだいたい人生迷うときやねん。でな、人生迷うのは、だいたい二十とか三十とか、人生の節目になる年齢を前にしたときなんや。しかも、会うた場所が東京やで。まあ、聞く方も聞く方やけど、答える方も答える方や。あいつ、なんて答えたと思う。「ボクなあ、違う人間になろかと思てんねん」とこう来たんや。
 ボクなあ、高校出てから東京の大学に進んだんや。法律の勉強してな、将来は弁護士になろうと思ててん。けど、試験が難しいてなあ。三十超えてからやっと通るちゅうのが普通やねん。そやから、とりえず弁護士事務所にアシスタントとして入ってん。これが失敗やった。まだ、三年しか働いてないねんけど、いろんなもん見てしもたわ。
 いろんなもん見てしもた、と言う割には、醒めた顔しとんねん。なんや気になる物言いやろ。お前も気になるやろ。大丈夫や、お前の代わりにちゃんとおれが聞いといたった。高橋、お前、いろんなもん見てしもたって、何を見た言うねん、てな。
 ボクなあ、高校時代からけっこう真面目やったやろ? そやから、東京の大学に入ってからもそんなに遊んだりせえへんかったんや。高校の時、ボクのクラスにおった藤原って知ってるか。あいつも同じ大学に進んでん。あいつも高校時代は大人しかったしな、最初はよう一緒につるんどったんや。学部は違ごたけどな、休みの日にお互いの下宿を行き来してたりもしてたなあ。そやけど、それも最初のふた月ほどや。なんや暑いなあと思う日が続くようになったら頃から、藤原との付き合いは薄なっていったんや。なんちゅうのかなあ、あいつ学生生活に目覚めたいうのかなあ。まあ、早い話が女に目覚めよったんやけどな。あいつはそこそこ男前やし、それなりに話もおもろいから、しゃあないわなあ。いっぺん、あいつとこのオカンがうちの下宿たずねてきて、「最近、ヨシタカどないしてねんやろ」いうて聞くんやけど、女に狂てます、言われへんやん。心配することないですよ、言うてオカン帰してんけど、それが心配することあったんやなあ。それから二、三日してからかなあ。ボクの下宿にまた藤原のとこのオカンが訪ねてきたんや。えらいけんまくや。「あんた、うちのヨシタカに女がおること知ってたんやろ!」言うてなあ。そんなこと言われたかて、ボクも藤原の彼女紹介してもろたこともないねんで。そない言うても、「あんたは知ってて、ウチにそのこと隠してたんや!」言うてなあ。
 いや、待て待て。おれも高橋の話がどない展開すんのかわからんかったからイライラしたんや。お前がイライラするのも無理はない。けど、ここからの展開がすごいんや。
 ボクなあ、そんなことすっかり忘れとったんよ。そんな大学に入ってすぐの話、いつまでも覚えとれるかいな。そら、そうやろ。ボクかて自分のことで忙しい。弁護士目指して勉強もせなあかん。藤原みたいに女の子とチャラチャラしてみたいとも思たけど、結局、根が真面目やし、恐がりやから、そういうことにもならんと、真面目なまんま生きてきたからなあ。同い年くらいの女の子から見たら、気色悪っ言われる始末や。ま、それはええねんけどな。そんなわけで、藤原の顔さえすっかり忘れとったんや。そしたら、いきなり、ボクが勤めてる法律事務所に藤原のオカンが飛び込んで来よってん。
 な、意外な展開やろ? おれ、思わず、嘘やん!言うてしもたわ。「嘘ちゃうでえ」って高橋は言うてたけどな。
 嘘ちゃうでえ。ほんまなんや。まあ、向こうはボクのこと忘れてたみたいで、最初はボクにまで「先生、先生」言うてたけどな。で、うちの先生が話を聞いてみると、藤原、あれからいっぺんも実家に帰ってないらしいねん。僕らが大学に入学して卒業して、働いたり、辞めたり、遊んだり、寝たり、起きたり、悩んだり、いろいろした二十代もそろそろ終わりやいう時まで、いっぺんも実家に帰ってない言うねんで。別に死んだわけでもなんでもないらしいねん。たまに電話がかかってきたり、手紙が来たりはするらしい。けどな、オカンが心配して下宿訪ねても必ず留守や。大学時代は講義も受けてたらしいけど、藤原のとこのオヤジさんがそれを待ち伏せしててもいっこうにつかまらん。家族もただ心配してただけやから、元気にやってるんやったら、首に縄付けてでもいうわけやなかったらしい。ただ、暮らしぶりがまったくわからん言うのも、妙に気になって仕方ないいうくらいのもんやったんとちゃうかなあ。まあ、大学時代の四年間くらい、好きにしたらええがな、てなもんでほったらかしにしとってんて。けど、卒業式が終わった後も連絡ないし、大学に問い合わせたら、ちゃんと卒業もしてるいうねん。うちの先生も最初はじいっと話聞いてたんやけど、だんだんイライラしてきはってなあ。小一時間くらい話聞いた後で、結局どういうご相談ですか、いいはったんや。そしたら、藤原のオカン、なんて言うたと思う? 
「先生、うちのヨシタカ死んでるんとちゃいますやろか」とこないきたんや。でな、うちの先生は、それは警察の仕事ですわ、言うたんやけど、オカンは警察は動いてくれません、言うんや。そらそやろなあ。なんの証拠もないんや。さすがのオカンも先生に相手にされへんことがわかると、がっくり肩おとしてな。ボクもなんや可愛そうになったんで、藤原のオカンがうちの事務所出た後を追いかけた。最初、藤原のオカンはボクのこと分からんかったみたいやけど、しばらくたって気付きはって。
「藤原が死んでるって、なんでそない思いはるんですか」
「勘やねん。もう母親の勘やとしか思われへんわ。うちのお父さんもそんなアホなことあるかい。電話も手紙もたまあにやけど来るやないか、言いはる。けどなあ。なんや違うねん。電話いうたって、年に一回くらいかかってくる程度やし、手紙いうたって、はがきみたいなんがこれまた年に一回か二回や。おばちゃんな、だんだん、手紙とか電話がたまに入るいうのが、逆にヨシタカ死んだ証拠とちゃうやろかと思うようになってきてん」
「なんか、犯罪に巻き込まれてるとか、そういうことですか」
「わからへん。わからへんけど、電話も手紙も、向う側になんや人がおるもんやろ。それが、何にも感じんようになったんや」
「いつごろからですか」
「それがようわからんの。なんやいつの間にか、そんな気持ちになってたんや。けどな、もしかしたら、だいぶ前からそんなふうに思てたんかもしれへんわ。気ついてないふりしてたんかもしれん。けど、ほんまにそう思うんや。ヨシタカはもうこの世におらんのと違うやろか」
 そない言わはるねんけど、ボクなんも言われへんやん。そやから、黙ってしもってなあ。
 高橋なあ、あんまり表情も変えんと話しよんねん。おれ、高橋と会うたんが十年ぶりくらいやってんで、その時。そやのに、いきなり、立ち話でそこまで淡々と話しよったんや。さすがにおれもここまで話が込み入ってきたら立ち話もなんやなあと思てな、近くにあった茶店に高橋誘てん。あいつなあ、寒い冬の日やのに、うっすら汗かいててな。ウエイトレスにアイスコーヒーありませんか、言うて聞いてたわ。話の続きし出す前に、目の前に置かれたアイスコーヒー一気に飲みよってなあ。
 ボクなあ、藤原のオカンの言うことなんとなく分かるんや。なんかな、藤原って根無し草言うんかなあ。どこにも属さん感じがあったしな。ほら、さっき、藤原が女に狂たいう話したやんか、あいつ、その女とずっと一緒におったんちゃうかなと思うんや。
 ということは、その女が藤原を何してしもたんか?っておれも高橋に聞いたよ。そしたら、高橋はびっくりした顔して、そんなん殺人やん、言いよった。
 ちゃうねん。ボクが思てたんは、そんな物騒な話やないねん。ただ、その女と藤原は別れてない気がしただけやねん。なんぼボクでも藤原のオカンの話聞いて、そこまで飛躍でけへんわ。実はな、去年の夏、ボク、藤原に会うたんや。いや、人違いかも知れんねんけどな、後ろ姿が藤原やったような気がするんや。ボクも藤原のオカンが事務所にやってくるまで、忘れとった。というより、それまで、そんなこと思いもせんかったんやけどな。去年の夏に見かけた男と女の二人連れがどうも藤原と女やったような気がするんや。場所か?韓国や。
 おれは喫茶店で、アホか、言うてしもたよ。そうやろ、韓国で、見かけた二人連れの後ろ姿が藤原と女やったって、そんなもん、藤原のオカンの話聞いて自分の中でこじつけてるだけやん。お前かてそう思うやろ。そやから、アホか、言うてしもた。そしたら、高橋はなんやぼんやりした顔してなあ。まっすぐこっち向いてんねんけど、おれのこと素通りしてえらい遠く見てるような顔しやがってなあ。
 そら、お前がそう思うのは無理ないわ。けどな、ボクかてそれくらいわかってるで。わかってるけど、思いこみとかそういうこととはちゃうねん。正直、その時の藤原の顔も女の顔もちゃんとは覚えてないねん。けどな、『ああ、あのときの二人がそうやったんや。ちゃんと顔見といたらよかった』と、こない思うねん。そんなん、おかしいやろ。けどな、間違いない。あれは、ボクに見つけて欲しいっちゅう藤原のサインやったと思うねん。
 ボクな、正直に藤原のオカンに言うたんよ。ボクが韓国で見た男女の二人連れがたぶん藤原君やと思いますって。そしたら、藤原のオカン、私もきっとそうやと思うて。けど、もう韓国にはおらへんて。もしかしたら、その時のヨシタカも幽霊みたいなもんやったかもしれへんて。ボクもな、なんかそんな気がしたんや。ただ、藤原のオカンが何年かしたら、ボクと会うこと知ってて、えらい遠回しにサイン送って来たんとちゃうかなあって。ボクな、なんやあんまり無理せんと、自然にそう思たんや。
 高橋はそこまで話したら、見事なくらいにええ顔しよったなあ。『藤原、あんまり不幸やなかったと思うんや』いうてた。なんや不思議な話やろ。けどな、ここまでは序の口や。というか、藤原の話や。おれがお前に聞いて欲しいのは、ここからや。
 高橋な、いきなり『ボク、藤原と一緒に大福作ったことあんねん』言い出しよったんや。
 ボクの家、和菓子屋やってん。父親の代には辞めてたけどな、おじいちゃんのころまで、江戸時代から続いた割と有名な和菓子屋やったらしい。藤原な、その和菓子屋の和菓子を子供の頃食べたことあるらしいねん。で、ある日突然、向こうから『お前、もしかしたら、高橋菓子庵の高橋か?』言うて。そんなこと言われたん初めてやったからびっくりした。そうやで、言うたら『そうか、あの高橋がこの高橋か』言いよんねん。なんか知らんけどおもろい奴やなあと思てなあ。そしたら、藤原が作り方教えてくれ言いよんねん。作り方言われてもなあ。ボクも小さい頃になんべんか食べさせてもろただけやし。『ちゃんねん。なんやレシピみたいなもんはないんか』言いよんねん。それで、その日一緒にボクの家に来てな、うちの親父に作り方を説明してもろてた。なんでも、うちで作ってた大福を小さい頃に食べて、えらい感激したらしいんや。親父もおじいちゃんから習たことを思い出し思い出し説明してたから、説明が全部済んだらもう夜も遅なってしもてなあ。藤原、うちで晩飯食うていきよったわ。
 まあ、待て。おれも、晩飯のことはええから、それからどないしてん、て高橋に言うたった。
 ボクの部屋でしばらく学校の話とかしててんけどな、藤原は、さっきメモした大福の作り方をずっと目で追うとんねん。ボクの話なんか聞いてない。お前、ほんまに作る気なんかて聞いたら、もちろん、言いよるしな。
 次の日から二人で大福づくりや。ボクが親父から聞いた昔の仕入れ先とか当たって、ちょっとだけやけど、なんとか材料分けてください、言うて材料集めや。その間、藤原はうちの親父から借りた鍋を磨いたりしてな。うちの親父も嬉しかったみたいや。自分が和菓子屋を継がんかったことがどっかで後ろめたかったみたいやしな。
 そんなこんなで、結局、実物の大福を作るまでに一ヶ月近うかかったんちゃうかなあ。旨かったなあ、あの大福。うちの家で作ったんやけどな、もうじき完成いう時に、藤原がこない言いよったんや。『なあ、高橋。おれこんな楽しかったことないわ』って。確かに楽しかったけど、高校生が大福作りながら言うセリフとちゃうがな。そない思たんやけど、ボクもなんや楽しかったから黙っとった。そしたら『これよりもっと楽しいことって、これから先あるかなあ』言いよんねん。そやから、ボク、絶対あるよ、言うたったんや。そしたら、『お前、ええ奴やなあ』言うてくれて。
 なんか意外やろ。高橋が和菓子屋の息子やったいうのも意外やけど、藤原が大福作ってたいうのも…。藤原いう奴のことおれは知らんねんけど、高校生と大福の取り合わせがものすごい新鮮やったわ。この大福づくりがあってから、高橋と藤原は仲良うなったらしい。普通の仲がええというのとはちょっと違うかもしれんなあ。しょっちゅう会うては、きなこもちの作り方とか、薄皮もちの作り方とか、一生懸命話してたらしいからな。
 けどなあ、ボクが藤原と一緒に作ったんは大福だけやねん。ボクが次はコレ作ろうとか、アレ作ろうとか言うんやけど、藤原は『いや、ええねん。おれはあの大福が作れただけで幸せや。次に作ったもんがあの大福よりまずかったり、作るときに、あのときほど楽しなかったら、全部台無しになるから』言うとった。
 ボクなあ、思たんや。あんこちゃうかなあって。藤原、あんこみたいなもんが欲しかったんちゃうかなあって。大福の真ん中にドンと入ってるあんこみたいなもんが欲しかったんちゃうかなあって。
 おれな、高橋の話を聞きながら、藤原ってえらいやっちゃなあと思てな。偉大やとか、そういうえらいやのうて、なんか大人やん。誰が高校生でそんなことする? したところで、時間つぶしちゅうか、その程度やろ。人生のあんこか、そう高橋の前でつぶやいてしもたわ。
 そやねん。人生のあんこやねん。そやから、別に藤原はボクと仲がよかったわけやのうて、あんこの隣りにボクがおっただけやねん。それも、いっぺん大福作ってしもたら、隣にもおらんかったんかもしれん。ボクら学校でも仲がええと思われてたかもしれんけど、ほんまはボク藤原のことなんか何にもしらんもん。けどな、大福作ってたときの藤原の顔は、今でも思い出すねん。ほんでな、一緒にあんこの横におるボクのことも思い出してしまうわけよ。なんか、ちょっと情けないけどなあ。ボク、あのとき、藤原ってかっこええなあと思たんやろなあ。こいつと一緒におりたいと思てしもたんやろなあ。そやから、ボクは藤原の金魚の糞みたいなもんやねん。
 そない言うて、高橋なんや寂しそうな嬉しそうな妙な顔しよったわ。おれなあ、なんや哀しいなってきてなあ。もしかしたら、藤原は大福よりうまいもんを探してたんかもしれんなあ。けど、時間が経つほどああいうもんは、なんや神格化されるっちゅうか、他に代えられもんになるっちゅうか。そういうとこあるからなあ。子供の頃、親父につられて食べたフェリー乗り場のラーメンみたいなもんや。ほんまに心の底から素直に「おいしいなあ」なんてなかなか思えるもんやないしな。
 ボクな、藤原は藤原のオカンが言うように、もうおれへん気がするんや。おれへん気がするんやけど、なんやおる気もすんねん。妙な気分や。藤原のオカンは、やっぱり自分の子供やから、もういっぺん藤原に会いたいと思てるんやけど、ボクはもう会いたないねん。会うてしまうと、藤原があの大福よりうまいもんを見つけたかどうかがえらい気になるし、かと言うてそれ聞いて答えがどっちでも、ボクには関係のないことやし。自分の実家が和菓子屋やったのに、藤原を通してしか大福作られへんかった自分もなんや哀しいし。正直ボク、藤原のオカンに会うてから、もう寝られへんねん。何しに生きてるんやろ思たら、天井がものごっつい低なってきたり高なっていったりしよんねん。もう、なんか人の大事な瞬間に立ち会うてしもたことが、ほんまに鬱陶しいねん。そやから、別の人間になりたいねん。
 そやねん。高橋ちょっとおかしなっとんねん。けど、不思議な話やろ。高校生の頃に、ほんの短い時間一緒に過ごした奴が、ええ年した男を不眠症にしてしまいよる。人間て恐ろしいもんちゅうのか、もろいもんちゅうのか。な、そんな気せえへんか。そやけど、高橋のこと知らん奴にこんな話しても、鬱陶しいだけの話やもんなあ。それで、お前に聞いてもろたわけや。
 え、そうか、興味ないか。そうか、興味ないんか。おもろいというか、不思議な話やと思たんやけどなあ。そうか、興味ないか…。あれ、お前もしかしたら、藤原か?
      (2004年1月28日)