祝島を描いた画家




松田正平さんは50歳を過ぎて世に認められた遅咲きの画家で、晩年は「うちの子もちょうどこんな絵を描くよ」とういうような簡素でユーモアがあって軽妙なタッチの絵が多かったけれど、初期の頃の画風は、対象を真正面から捉え、殴りつけるような迫力のある暴力的な絵だったらしい。

画家の観察眼の凄みという点ではどちらも同じである。
その対照的な絵は、どこかで松田正平さんの人生観にもつながっていたのかもしれない。

作品の一部はこちら
「うべおのだ」の機関誌の表紙の正平さんの絵 『洋梨』 『バラ』 『バラ』 

画家・松田正平の世界(ちょっと気になるストーリー)
『周防灘』 『大威徳明王』 『無題』 『松田正平後援会』(←なぜか消滅している・・・後援会自体は存続してるのでしょうかね??)
(ほとんどのページがリンク切れしています、あしからず)

「踊子」(GALLERY TSUBAKI ギャラリー椿) 少年 のら猫 人物 静物1   

自画像


その独特のひょうひょうとした画風に魅せられる人は多く、美術評論家の故洲之内徹氏や随筆家の故白洲正子氏をはじめ、映画監督の山田洋次氏、絵手紙創始者の小池邦夫氏、コピーライターの糸井重里氏、タレントの片岡鶴太郎氏等々、芸術に造詣の深い著名人にも多くのファンがいる。熱狂的なコレクターも多いらしくて、どこかの施設や温泉旅館にひっそりと掛けられているらしい。思わぬところで松田作品に出会うかもしれない。

正平さんが舞鶴で創作活動をされていたアトリエと自宅を購入した夫婦が、
その家を『松田正平アトリエ館』として、作品や資料を展示しています。

松田正平アトリエ館
□開館/毎週土・日曜日
AM11:00〜PM4:00(2月冬期・8月夏期休館)
□併設/茶房ひむろぎ ひむろぎ工房
市原市鶴舞658 0436-88-2070


   

  
NHK教育『新日本美術館』より〜撮影・藤原新也
 (「テレビの中の祝島」中ほどにスクロールしてください。

「祝島」をモチーフにした「周防灘」シリーズは、やはり祝島出身のぼくにとっては特別なものだ。
年表によると、祝島への最初の訪問は戦後間もない昭和22(1947)年で、

<ネットリした内海の感触が油絵の具の質感に通じることに気付く。それ以来、島行きは恒例>
となり、
祝島連作が始まったという。

本や雑誌でしか見たことがなかったので、ぜひとも本物を見たいなあ、と思っていたら、
ちょうど宇部(宇部市文化会館)で展覧会があるという記事を見つけ、しかも、松田作品が一堂に会するのは1987年の回顧展(山口美術館)以来17年ぶりというではないか。これはぜひとも行かねばならぬと、大阪から新幹線と山陽本線を乗り継いで駆けだしたのだ。展覧会の会場に一歩入ると、いきなり「周防灘」の祝島の見慣れた風景が広がっていた。

やっぱ本物はズゲ〜〜ッ
余韻に酔って、もうとろけるくらいに圧倒されましたよ。
でも、その絵をどう表現して伝えたらよいのか、まったくわからない。
思考が停止して働かない。なぜか・・・・。
すごいとか感動したとか、そんなヤワな言葉では言い表せない何かがあって。

松田正平さんの絵の魅力を文章で書き表すのは至難の業で、マスコミや批評家に黙殺されたのはそれが原因のひとつでもあり、正平さんの絵は文字で論評することは難しいのだと、何かの雑誌で読んだことがある。専門家がそんなんだから、ぼくが正平さんの絵をあれやこれやと言語表現できるわけがない。

それ以前に絵のことはさっぱりわからないので、
正平さんの「周防灘」シリーズの評が、
洲之内徹・芸術随想『しゃれのめす』の「松田正平の世界」に収録されているのでそこから引用。
《「気まぐれ美術館」の原形を含む、未収録文。》

  《題字・扉字・装画は松田正平さん。》

「あの空の広がりと深さを見ていただきたい。あれを出すために、松田さんは慎重に絵の具を塗り重ね、拭きとり、また塗っては削り、ときには引っ掻いたりしている。そういうことの繰り返しがあって、はじめてそこに空間が現れるのと同時に、松田さんのあの比類のない美しい絵肌も生まれているのだ。絵の具の塗り重ねなしにマチエールというものは考えられない。

空だけでなく、海も見ていただきたい。あのチョンチョンチョンと置いた、気まぐれとも見える筆触が、
いかにキラキラ光る波の、強い実感になっていることか。それとても海に海の空間があるからで、
だからこそ島も舟も、それぞれの場所にちゃんと浮かんでいるのだ。この不思議さ。

いつか松田さんのアトリエに「犬馬難鬼魅易」と書いた直筆の短冊が置いてあったが、このむつかしい言葉の意味は、松田さんに説明してもらうと、鬼魅、すなわち人を脅かすさまざまの恐ろしい化け物を描くのは易しいが、犬とか馬とか、そこらにいるありふれたものを描くのはむつかしい、ということなのであった。昔の中国の人はうまいこと言いますよ、と松田さん言うのだったが、この言葉以上に松田正平氏の仕事をうまく言った言葉はないだろう。」

・・・・・「児童画みたいだ」という誤解にも明確に答えていて、その全文を引用したいけれど、
あとは本屋さんで覗いてください。

マチエールとは絵肌(密度)という意味らしい。
マチエールを得るためには何度も何度も素描することなんだとか。

 季刊「銀花」(2003/134)に掲載されていた安井雄一郎の評。

「『周防灘シリーズ』は茫洋とひろがる瀬戸内の海景や祝島の漁港風景の連作である。
空とぶ鴎やトンビ、走る舟、沸き起こる雲、空とぼけた人間観察・・・・。
一見、融通無碍に見えながら、その奥に生きているかっちりした空間構成。
堅牢なマチエールと瓢逸味あふれるフィルムとの絶妙な組み合わせ。
それらすべてが松田洋画の魅力になっている。」


そして、産経新聞の『産経抄』を35年間も書き続けてきたコラムニスト・石井英夫の『コラムばか一代』の著書「忘れられぬひと」という章で正平さんのエピソードに触れている。

「恥ずかしいことに洋画家・松田正平の名を知らなかった。
絵手紙の小池邦夫さんから一冊の画文集を贈られるまでは。

小池邦夫さんが届けてくれたその本は『松田正平画文集/風の吹くまま』という大判の堂々たる画文集である。最初のページを開くと写真があった。それを見てたまげた。(中略)

「周防灘」の墨の三文字があり、ひょうひょうとして枯れ切った筆蹟で書かれてる。
穏やかに凪いだ海のようにゆったりとした字だった。「内海夕日」と題された絵がでてきた。

空高く海上に夕日が赤く輝いて、燦爛と黄色く照った日輪は子供の絵のように七本の光彩で描かれてる。
たっぷりと油絵の具をもり上げた海は赤く映えて、漁船の影が二つ三つ。
手前にはこれまた赤い夕映えの浜があり、真っ赤に染まった犬が歩いている。
天真爛漫の明るい風景に圧倒された。
なんとすごい絵だ、これは。


これも全文を引用したいけれど、興味があればこれも本屋さんででも続きを覗いてください。

石井英夫は正平さんのアトリエにまず驚いていた。
バグダッド宮殿の一室が爆撃されたようだとか、津波になぎ倒されたようだとか。

「松田さんのアトリエは汚いが、汚らわしくはない。そういう汚らわしいもの、他人を意識したものが一切ない。」
と洲之内は表現し、白州正子は自身の著である『夕顔』に、
「松田さんのアトリエの内部は、天井から床まで作品がびっしりつまっていたが、
何ともいえず明るく透明な色彩に満ちあふれており、まさに極楽浄土の観を呈していた。
私はとたんに身が軽くなって、羽化登仙したような気分になった。(中略) 
つつみ込まれる様な暖かさ、優しさ、松田先生自身のお人柄そのまま不思議な魅力ある空間です。
時はゆっくりと流れます。」
と書いている。


松田正平さんの絵に魅せられたひとり洲之内徹は、型破りの美術評論家でユニークな画廊経営者だった。
「正直で卒直な精神」を生涯追い求めていたという。

それらの感覚との出会いのためだけに画商を続け、いろんな画家を登場させる『芸術新潮』の「気まぐれ美術館」の連載を続けてきたといっても言い過ぎではないだろう。



その『気まぐれ美術館』シリーズの
「帰りたい風景〜自転車について」の項で、祝島で絵を描いている正平さんに会いに行く記述がある。 少し長いけどこれも引用してみる。
(祝島のおばちゃんたちとのやり取りも面白くて全文を引用したかったけど、ぜひその本を読んでください)

<−先日、雪の降った翌日の日曜日、私が松田さんの家を訪ねると、松田さんはやっぱり素足であった。
私は祝島で撮った写真をアルバムにし、それを持って行って、松田さんと島の話をしながら、できれば、
この島がなぜ松田さんの唯一のモチーフなのかを聞き出してやろうという魂胆だったが、うまく行かなかった。

松田さんが船着場でスケッチブックを開き、鉛筆を走らせていると、
島では知識階級に属すると思われる女性がのぞきこんで、

「あんたは趣味で絵をかいているのかね」と訊く。

松田さんの絵がとても本職の画家の描く絵だとは、その女性には思えないのだ。
そして、
「うちの子もちょうどこんな絵をかくよ」と、言う。

そんな話をして、松田さんは笑ってしまうのである。
それから、アルバムを脇に置くと、アトリエの隅から板ッぺらに描いた一枚の魚の絵を取り出してきて、

「どうしてもこの絵を欲しいという若い人が、この辺におるんですよ、
金を溜めて買いにくるから置いといてくれと言うんだが、こんな絵に、
どこか取り柄がありますかねえ」
と、私に言う。

近頃は全くみられなかった桂のスケッチ板だから、だいぶ古い作品だろう。

「いまのあたしの絵よりええと言うんですよ」しばらく間を置いて
「陰気なものには、あたしはマイナスをつけるんですよ。しかし、
若い人には陰気なのがいいのかな」

「とも言えるし、陰気さに耐えられるのが若さと言えるかもしれない」私がちょっとキザなことを言うと、
松田さんは、
「ウーン、そうだなあ」とばかに感心してしまった。私と正平さんとは同い年で、
今年中にはどちらも六十六歳になる−
(洲之内徹は1987年に他界。)

−自然でも人事でも、それを自分のものにするのに適した速度というものがあるようである。
(中略)祝島には乗用車があるかどうかも知らないが、あってもあまり役に立たないだろう。
私の見たところでは、ここでの乗り物はもっぱら自転車と、他には、例の蜜柑運搬用の軽トラック、
そのまた代用の耕運機のようであった。

その自転車も、急な坂道ばかりの村の中では邪魔になるだけだ。
私は旅館で借りた自転車を坂の上り口の、雑貨屋の軒下へ置きっぱなしにして、
村の中を歩きに行ったのであった。

松田さんが自転車に乗るかどうかも知らないが、自然と人生との中での松田さんの速度のことを、
私は自転車で走りながら、ふと思ってみたのだった−


洲之内は松田正平の描く「うちの子もちょうどこんな絵をかく」ような子どもの落書きみたいな、
祝島の絵
(周防灘シリーズ)を絶賛している。彼の生まれ故郷の風景でもある「瀬戸内海」つながりもあったのかもしれない。

『人魚を見た人』という本の中でも
(カバーの絵と題字を描いている)松田正平さんとの対話もひんぱんに登場して、
いろいろな話があってとてもいい。

《正平さんの薔薇の絵を見るとき、私は薔薇の見方を教わっているのだ。
そうではあるまいか。いい絵は、物の本当の見方を教えてくれる。》
というふうに締めている。

  

この直前、洲之内と松田正平は、好みの女についてしゃべっていたりもするのだけれども、
他のページでは、松田正平のデッサン、女を描いた絵を何枚も見ることができて、
このスケッチブックがどれもこれも実に素敵で、そして実に「いい女」。
「凄いねえ、女をこれだけ描けるのは松田正平しかいないよ」と洲之内は言う。


正平さんのエピソード&対談が収録されてる本&雑誌。

        

<福田和也・著『グロテスクな日本語』のエッセーにも正平さんの記述があるが、この本、探したけどどこにも、ない〜>


 編集者は知っている
《ほぼ日刊イトイ新聞》

山田洋次監督は季刊『銀花』で、
「世の中には大声で悪口を言いたくなるような人がいる。最近では無欄に戦争を起こしたがる某国の大統領や彼を支持する粗暴な人々など。その反対にいくら褒めても褒めたりない人、その人を褒め称えることが自分の幸せにつながるような人もいる。ぼくにとっての松田正平さんはそのような人である」と言ってるし、
<その人を褒め称えることが自分の幸せにつながる>ってすごいねえ、なかなか言えんぞ。

さらには、
「存在自体が芸術だ」by洲之内徹
「松田作品は本物中の本物」by白州正子
「一本の線を引くだけで人を幸せにする」
by小池邦夫

いまふと考えたんだけど、もし『松田正平物語』という映画を撮るなら、もちろん監督は山田洋次監督しかいないだろうなあ。
で、主役の「松田正平」役はイメージ的にぴったりなのは晩年は笠智衆かな。

自身絵も描く、奥田英二、榎本孝明、石坂浩二らはちょっとスマートすぎるかな。
個人的には岸辺シローが面白いと思うし、あのエヴァンゲリオンの庵野秀明なんかはまりそう。彼は宇部出身でもあるし。
でも、やっぱり鶴太郎で決まりでしょうかね。


画文集/風の吹くままの扉には、

「油絵がわからんから、生涯描くでしょう。本気で。
だから絵を描くのに邪魔になるものは、できるだけ捨ててきた。
自分がきれいだなと思ったものを、率直に表現したいというのが、私の願いだ。」
と書いてある。

「絵を描くのに邪魔なもの」・・・って、なんなんだろう。
例えば、写真を撮っていて、あそこの電柱が邪魔やの〜というような光景的なものじゃあないんだろうなあ。

ぼくが子どもの頃は祝島にやって来るヨソの人といえば、釣りん坊か絵描きくらいのもんだった。
嫌悪も歓迎もされず彼らは空気ような存在で祝島の風景によく溶け込んでいたように思う。
長尾和、室積在住の山下郁太郎さんもたびたび祝島を訪れて絵を描かれている。
そして熊谷守一も祝島の猫を描いたことがある(という噂。
未確認ですけど・・

   

     

  

「瀬戸の祝島は離れ島の感じがします。
船着き場がないので少し波風がたつと船便は来なくなります。
大昔は海賊の根城だったそうで、家屋敷は頑丈に囲われています。
島の斜面にかたまった古風な家並みも、年毎に手が加えられ昔の面影を次第に失っていくようです。」
(画文集より)

その時代に<昔の面影を次第に失っていくようです>と憂いているくらいだから、
今の祝島の景色は正平さんの目にはどう映るのだろうか・・・。
正平が描いた「周防灘」に原子力発電所が建てられようとしています。
皮肉にも建設許可を出した山口県知事室にはその「周防灘」の絵が掛けられています。

あれは・・小学5年くらいのときだったか・・・・・
西波止場で山側に向かって描いていた人の絵を覗いていたら、
その描いたスケッチブックの画用紙をペキペキと裂き、「ぼくっこれあげる」と言って手渡されたことがある。
ぼくは絵よりも画用紙にときめきを感じた。くっきりした風景画だった記憶はあるけれど、
その絵描きの顔はまったく覚えていない。

こんな頑丈な紙でぴーろいろ(紙ヒコーキ)を飛ばしたらよく飛ぶだろうなあ、と、ウキウキしながら、
実際にその足で水源地に行き、画用紙を半分に割り、2機のびーろいろを織り、おもいっきり空に投げた。
ぴーろいろは視界点に達するくらいその空の向こうへ飛んでいった。

風の吹くままに。



「祝島の朝日は拝みたくなるくらい美しい」《画文集/風の吹くまま》より 
祝島に生まれたことを誇りに思えるくらい素敵な言葉だなあ。


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