祝島を描いた画家
(ほとんどのページがリンク切れしています、あしからず) 「踊子」(GALLERY TSUBAKI ギャラリー椿) 少年 のら猫 人物 静物1 2 3 4 自画像 ![]() ![]() その独特のひょうひょうとした画風に魅せられる人は多く、美術評論家の故洲之内徹氏や随筆家の故白洲正子氏をはじめ、映画監督の山田洋次氏、絵手紙創始者の小池邦夫氏、コピーライターの糸井重里氏、タレントの片岡鶴太郎氏等々、芸術に造詣の深い著名人にも多くのファンがいる。熱狂的なコレクターも多いらしくて、どこかの施設や温泉旅館にひっそりと掛けられているらしい。思わぬところで松田作品に出会うかもしれない。 正平さんが舞鶴で創作活動をされていたアトリエと自宅を購入した夫婦が、 その家を『松田正平アトリエ館』として、作品や資料を展示しています。 松田正平アトリエ館 □開館/毎週土・日曜日 AM11:00〜PM4:00(2月冬期・8月夏期休館) □併設/茶房ひむろぎ ひむろぎ工房 市原市鶴舞658 0436-88-2070 ![]() NHK教育『新日本美術館』より〜撮影・藤原新也 (「テレビの中の祝島」中ほどにスクロールしてください。 「祝島」をモチーフにした「周防灘」シリーズは、やはり祝島出身のぼくにとっては特別なものだ。 年表によると、祝島への最初の訪問は戦後間もない昭和22(1947)年で、 <ネットリした内海の感触が油絵の具の質感に通じることに気付く。それ以来、島行きは恒例>となり、 祝島連作が始まったという。 本や雑誌でしか見たことがなかったので、ぜひとも本物を見たいなあ、と思っていたら、 ちょうど宇部(宇部市文化会館)で展覧会があるという記事を見つけ、しかも、松田作品が一堂に会するのは1987年の回顧展(山口美術館)以来17年ぶりというではないか。これはぜひとも行かねばならぬと、大阪から新幹線と山陽本線を乗り継いで駆けだしたのだ。展覧会の会場に一歩入ると、いきなり「周防灘」の祝島の見慣れた風景が広がっていた。 やっぱ本物はズゲ〜〜ッ 余韻に酔って、もうとろけるくらいに圧倒されましたよ。 でも、その絵をどう表現して伝えたらよいのか、まったくわからない。 思考が停止して働かない。なぜか・・・・。 すごいとか感動したとか、そんなヤワな言葉では言い表せない何かがあって。 松田正平さんの絵の魅力を文章で書き表すのは至難の業で、マスコミや批評家に黙殺されたのはそれが原因のひとつでもあり、正平さんの絵は文字で論評することは難しいのだと、何かの雑誌で読んだことがある。専門家がそんなんだから、ぼくが正平さんの絵をあれやこれやと言語表現できるわけがない。 それ以前に絵のことはさっぱりわからないので、正平さんの「周防灘」シリーズの評が、 洲之内徹・芸術随想『しゃれのめす』の「松田正平の世界」に収録されているのでそこから引用。 《「気まぐれ美術館」の原形を含む、未収録文。》
「あの空の広がりと深さを見ていただきたい。あれを出すために、松田さんは慎重に絵の具を塗り重ね、拭きとり、また塗っては削り、ときには引っ掻いたりしている。そういうことの繰り返しがあって、はじめてそこに空間が現れるのと同時に、松田さんのあの比類のない美しい絵肌も生まれているのだ。絵の具の塗り重ねなしにマチエールというものは考えられない。 空だけでなく、海も見ていただきたい。あのチョンチョンチョンと置いた、気まぐれとも見える筆触が、 いかにキラキラ光る波の、強い実感になっていることか。それとても海に海の空間があるからで、 だからこそ島も舟も、それぞれの場所にちゃんと浮かんでいるのだ。この不思議さ。 いつか松田さんのアトリエに「犬馬難鬼魅易」と書いた直筆の短冊が置いてあったが、このむつかしい言葉の意味は、松田さんに説明してもらうと、鬼魅、すなわち人を脅かすさまざまの恐ろしい化け物を描くのは易しいが、犬とか馬とか、そこらにいるありふれたものを描くのはむつかしい、ということなのであった。昔の中国の人はうまいこと言いますよ、と松田さん言うのだったが、この言葉以上に松田正平氏の仕事をうまく言った言葉はないだろう。」 ・・・・・「児童画みたいだ」という誤解にも明確に答えていて、その全文を引用したいけれど、 あとは本屋さんで覗いてください。 マチエールとは絵肌(密度)という意味らしい。 マチエールを得るためには何度も何度も素描することなんだとか。 季刊「銀花」(2003/134)に掲載されていた安井雄一郎の評。「『周防灘シリーズ』は茫洋とひろがる瀬戸内の海景や祝島の漁港風景の連作である。 空とぶ鴎やトンビ、走る舟、沸き起こる雲、空とぼけた人間観察・・・・。 一見、融通無碍に見えながら、その奥に生きているかっちりした空間構成。 堅牢なマチエールと瓢逸味あふれるフィルムとの絶妙な組み合わせ。 それらすべてが松田洋画の魅力になっている。」
穏やかに凪いだ海のようにゆったりとした字だった。「内海夕日」と題された絵がでてきた。 空高く海上に夕日が赤く輝いて、燦爛と黄色く照った日輪は子供の絵のように七本の光彩で描かれてる。 たっぷりと油絵の具をもり上げた海は赤く映えて、漁船の影が二つ三つ。 手前にはこれまた赤い夕映えの浜があり、真っ赤に染まった犬が歩いている。 天真爛漫の明るい風景に圧倒された。 なんとすごい絵だ、これは。 これも全文を引用したいけれど、興味があればこれも本屋さんででも続きを覗いてください。 石井英夫は正平さんのアトリエにまず驚いていた。 バグダッド宮殿の一室が爆撃されたようだとか、津波になぎ倒されたようだとか。 「松田さんのアトリエは汚いが、汚らわしくはない。そういう汚らわしいもの、他人を意識したものが一切ない。」 と洲之内は表現し、白州正子は自身の著である『夕顔』に、 「松田さんのアトリエの内部は、天井から床まで作品がびっしりつまっていたが、 何ともいえず明るく透明な色彩に満ちあふれており、まさに極楽浄土の観を呈していた。 私はとたんに身が軽くなって、羽化登仙したような気分になった。(中略) つつみ込まれる様な暖かさ、優しさ、松田先生自身のお人柄そのまま不思議な魅力ある空間です。 時はゆっくりと流れます。」と書いている。 松田正平さんの絵に魅せられたひとり洲之内徹は、型破りの美術評論家でユニークな画廊経営者だった。 「正直で卒直な精神」を生涯追い求めていたという。 それらの感覚との出会いのためだけに画商を続け、いろんな画家を登場させる『芸術新潮』の「気まぐれ美術館」の連載を続けてきたといっても言い過ぎではないだろう。 ![]() その『気まぐれ美術館』シリーズの「帰りたい風景〜自転車について」の項で、祝島で絵を描いている正平さんに会いに行く記述がある。 少し長いけどこれも引用してみる。 (祝島のおばちゃんたちとのやり取りも面白くて全文を引用したかったけど、ぜひその本を読んでください) <−先日、雪の降った翌日の日曜日、私が松田さんの家を訪ねると、松田さんはやっぱり素足であった。 私は祝島で撮った写真をアルバムにし、それを持って行って、松田さんと島の話をしながら、できれば、 この島がなぜ松田さんの唯一のモチーフなのかを聞き出してやろうという魂胆だったが、うまく行かなかった。 松田さんが船着場でスケッチブックを開き、鉛筆を走らせていると、 島では知識階級に属すると思われる女性がのぞきこんで、 「あんたは趣味で絵をかいているのかね」と訊く。 そんな話をして、松田さんは笑ってしまうのである。 「どうしてもこの絵を欲しいという若い人が、この辺におるんですよ、 「いまのあたしの絵よりええと言うんですよ」しばらく間を置いて 「とも言えるし、陰気さに耐えられるのが若さと言えるかもしれない」私がちょっとキザなことを言うと、 −自然でも人事でも、それを自分のものにするのに適した速度というものがあるようである。 「祝島の朝日は拝みたくなるくらい美しい」《画文集/風の吹くまま》より 祝島に生まれたことを誇りに思えるくらい素敵な言葉だなあ。 |
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