中沢房子


藤山一郎

歌のアルバイト

中沢房子
               

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今から50年くらい前、戦争体験者の方々がまだ現役で働いていらした時代です。芸大声楽科で学んでいた私は時々歌うアルバイトをしていました。主に歌っていた所は、政治家の講演会・応援パーティや結婚式の余興でした。カラオケなんて無い時代だったので、伴奏は生のバンドでした。アルバイトは禁止の時代でしたが、もう時効ですね。

当時はテレビなど公共の場では放送されなくなった軍歌がまだ一般にはうけていた頃です。会場には歌謡曲・民謡歌手以外にも、軍歌専門にしている若い男性グループもいました。有名な藤山一郎さんや霧島昇さんもいらした事もあり、大先輩の間で緊張している私に、藤山さんは「お前どこの学生だ。芸大生はアルバイト禁止だろう」と話しかけていただいたのを覚えています。その頃はいま朝ドラ「エール」小関裕二(こぜきゆうじ)さんの曲は沢山演奏されていたと思います

今は楽譜はコンピューターで書くのが当たり前ですが、あの頃は手書きの譜面でバンドが伴奏していました。一度手違いで、当日私の曲がバンドに届いていていなかった事があり、本当に焦りました。私はバンドのリーダーに「五線紙(音符を書く紙)をください。直ぐに書きます」と、サラサラと譜面を書き、事なきを得ました。

私の持ち歌は「愛国の花」「日本国歌」や日本舞踊の舞い付きで「荒城の月」などでした。「愛国の花」は皆に愛されており、結婚式の余興でこの曲を歌い終わり会場を出た私に、一人のボーイさんが近づいてきて「今の歌、感激しました。僕はこの歌が大好きです」と言われたことを覚えています。朝ドラ「エール」を見て、古関裕而さんが作っていたんだと感慨深いです。

(ヴェネチア近郊在住)