近畿支部便り
【2007年2月】
【関西におけるスクエアダンスの黎明期】日下 碩

 スクエアダンスの歴史は古く、その端はイングランド初期のカントリーダンス、 フランス宮廷の舞踊カドリール等に遡ることが出来る。これらがアメリカ初期の 開拓者たちによってもたらされ、そして開拓者たちと大陸で移動を続けているう ちに、これらの国々の踊りの特徴を吸収してモダンスクエアの原型である伝統的 なスクエアダンスが形成され、さらに古い伝統的なスクエアダンスから時と共に 変化し新しい形のスクエアダンスへと進歩発展し、現在において踊られているの は戦後急速に発展したモダンスクエアダンスである。

 そしてスクエアダンスの特徴は伝統の中に生かされた即興性、流動性にあり、過 去の伝統的な殻に閉じこもることなく現在もなお成長し意外性や、都会的センス 等を加味して、進歩発展を続けていることである。 日本においては終戦後昭和21年秋に進駐軍の民間教育担当官として長崎に赴任し たウインフィールド・P・ニブロ氏によって米国のフォークダンスとして紹介さ れた。

 ニブロ氏はアメリカ、デンバー市の出身であり、スクエアダンスの父と言われた ロイド・ショウ教授の系統に属するSDコーラーであり、同氏により伝えられたSD はその指導を受けた体育教師たちの活動により、当時敗戦下にて娯楽らしい物が ほとんど無かったこともあって民衆に熱狂的に受け入れられ、長崎を中心に周辺 一円において、絶好のレクリエーションとして急速に広まり一大ブームとなった。 これが各種新聞に取り上げられ、更に占領軍当局のレクリエーションの重要性を 評価していた民間政策とも合致するものとして、文部省がタッチするところとな り、そして東京国立体育館において、同省の主催にて日本体育大学、並びに日本 レクリエーション協会の協力の下、全国47府県より各1チーム(4カップル)の 派遣参加がなされ、三笠宮殿下・妃殿下も出席して「日本フォークダンス講習会」 が開催され、また各教育委員会にSDの教科書を作成するように通達が出される・ ・・等々もあって、大々的な普及運動が展開された。

 これを期に各地にて学校をはじめ婦人会、青少年団体を通じてSDの講習会が開催 され、混乱と困窮の中にあって疲労しきっていた一般民衆に一服の清涼剤とし、 開放感を与え、唯一のレクリエーションとしてSDは瞬く間に一般の間に爆発的に 野火の如く炎え広がり、20年前半でほぼ全国的に踊られるところとなった。また 同時に各地において多くの同好クラブが結成された。

 ニブロ氏が教えたSDは、イースタン系のオールドタイムSDと、ロングウェーズダ ンス、そしてプレイパーティ的なフォークダンスだった。そのSDは極く簡単な、 開拓時代の最も基本的なものであり、踊り方も、先づ初めに各曲に決められたフ ィギュアと踊り順を教えたうえで、曲に合わせて踊る・・・といった方法であり、 いわば「フィギュアを覚えてから踊る、コールのないシンギング」といったもの であった。代表的な曲には、●Divide the Ring (あの町この町) ●Nellie Bly (テキサススター) ●Bird in a Cage (大きい篭の鳥)  ●Hinky Dinky Parleevou (ヒンキ・ディンキ・パーリーブ)・・・等があった。 このSDと同時に教えられたフォークダンス(インターナショナルFD)は、その容 易性からより多く取り入れられ、各地の大部分のクラブにおいても、段々とFDが 主体的に踊られ、SDはその一部分としてFDの間に挟まれて行われるようになった。 更に20年代の後半から30年代前半になると、米国・英国等からFDの専門家として、 マイケル・ハーマンとその楽団(26年、28年)E・R・バックリー、リッキー・ホ ールデン(32年、35年) カール・スチュワート(34年)・・・等々が来日し、 その紹介によってFDがより大きく普及され、また専門化されるようになり、初歩 的SDから本格的なFDの時代へと移り、その全盛・黄金期を迎えるところとなった。 このFD最盛の流れの中にあって、27年〜30年頃に東京・横浜の一部の人たちが、 東京渋谷ワシントンハイツ、麻布六本木、立川、横田、神奈川座間、横須賀、千 葉白井・・・等各地の米軍基地内において催されていたSDクラブに出入りして交 流するようになった。

 また一方では、九州においても26年〜28年頃に原田裕氏(日本FD連盟理事)が各 地の米軍基地(板付、春日原、芦屋、西戸崎、岩国・・・等)のSDクラブに出入 りしてSDを吸収し、それを各地において教えていた。当時ではパターコールで指 導を行う者は少なく、同氏のテープを駆使して、マイクとミックスして行う独特 のSD講習会は人気があり、福岡、大磯、大阪、名古屋、東京、東北・・・等で度 々と開催され、特に大磯ロングビーチホテルで行われたキャンプ(第一回は35年) は人気が高く、全国よりSDファンが多数参加して毎年開催されていた。
米軍キャンプのSDクラブでは、30年頃から本国における流れに順じて、徐々にウ ェスタン調のモダンSDに変化して踊られるようになり、そこに参加している人達 によって日本人の中にもそれが伝えられるところとなり、36年に東京ワシントン ハイツでSDクラブ・アノネズ・ディジィーズ(コーラー=ハリー・ベンソン)が 発足、更にラッキー8スクエアーズ(コーラー=カール・シームス)東京FD普及 会(熊田)大鳥FDの会(原)横浜のゴールデン・フリッパーズ(牧野)学連のキ ャンパス・スインガーズ(能勢、横山)等々のクラブにおいてモダンSDが踊られ るようになり、また全国各地においても続々とSDクラブが設立されて、モダンSD が普及浸透されるようになってきた。

 そして36年からは、日米交歓SDジャンボリー(全日本SDコンベンションの前身) が開催されるようになり、更に39年5月にSD界の大物ボブ・オスグッド(セッツ インオーダー誌主幹)ボブ・ヴァン・アントワープ、一行80人が来日したのを期 に、その後、矢継ぎ早に、米国よりコーラー並びにSDツアーが来日して、盛んに 交流が行われたこと等々もあり、現在のモダンSDの隆盛へと続くこととなったの である。

 関西各地にあっても、30年代前半頃にはFDが盛んであり、数多くのFDクラブが活 躍していた。33年3月に豊中の服部緑地公園で催された”フォークダンスカーニ バル”には4000人余りのFD同好者が集まり、また同年10月には大阪西区靱公園に おいて、大阪FD連盟主催にて”10,000人のフォークダンス大会”が開催される等、 種々のFDイベントが盛大に行われていた。

 当時のFD界には二つの流れがあって、大阪地域では、一方は教育委員会系の大阪 FD協会(和佐、真保・・・教職員・婦人団体)YMCA(石坂、若木)淀川善隣館 (柳原)北市民館青年クラブ(小谷)・・・等々があり、また一方には同好グル ープとして、労音FDの会(小西)電電公社FDC(岡本)旭FDサークル(中村)東 大阪FDC(馳崎)凡々クラブ(徳田)OTD研究会(森田)青桐会(北島)南大阪 FDC(松浦)守口FDC(興津)生野FDC(山田)南海FDC(山川・河合)吹田FD協会 (樋口)をはじめ各地に多彩なFDグループがあって、公立体育館、公民館、学校 講堂、等で、各地毎週50〜200人を集めて例会を開いていた。

 これ等の同好クラブにおいては、一般のFDと同時にポピュラーと称してラウンド ダンスも盛んに踊っていた。勿論のことキュー等は無く、また現在のRDとは少々 異なるものも多くあるが、中には仲々ユニークなものが数多くあった。
当時の各例会の参加会費は30円〜50円というところが通例であり、他に安易な娯 楽が少なかった若者達が多く参加して盛況を呈していた。

 また一部では、他県のグループ、神戸灘FDC(永井)兵庫FD普及会(吉沢)スク エアクラブ(河音・奥田)神戸労音FDの会、神戸YMCA(柳井)姫路FDC,京都北区 FDC(桂)滋賀FD協会(佐々木)名古屋FD愛好会(筑間)等とも交流されていた。 35年12月に大阪地区の主だった同好グループ9団体が参加して、大阪FD連絡協議 会(会長・岡本、事務長・日下)が結成され、合同の行事を行ったり、機関誌の 発行を行っていた。

 この頃には、学生の間においてもFDが盛んに行われ、京大KVK、大阪市大フロイ ント、同志社大、学芸大(現教育大)、厚生学院、京看短大、等のクラブがあっ て、社会人との交流も行われていた。36年4月、関西学生FD連盟が発足。 その様な状況の中にあって、34年〜35年頃から各クラブのベテラン有志、並 びに学連OB有志、約20名位が集まって、月に1〜2回程度、この頃より漸 く一部において勃興しだした”モダンスクエアダンス”の開拓、研究を行ってい た。

 この時期、日本ではまだモダンSDが開拓初期の時代であって、その具体的な内 容は殆ど不明にて、米国においてすらベーシックはまだ現在の如く段階別に纒め られていて整理がなされてはなく、次々と新規発表が無秩序に行われ3000余りの ベーシックが散在する状態にて、辛うじてMSだけが選定されていた位のもので あり、故に系統的な資料は無く、況して我々ではバラバラな知識しか無かった状 態であり、従ってその研究方法も全く手探りの様相であった。

 関東、九州の米軍基地SDクラブより入手したSDの録音テープや、漸く手にし た米国のSD機関誌「Sets in Order ・ SQUARE DANING」 を頼りに四苦八苦し ながらも夢中になって行っていたものであり、最初の頃は、コールを出来る者は 誰もいて無く、入手したテープを片っ端から流し、間違えるとテープを何度でも 巻き戻して踊る・・・といった方法で踊っていたものであり、ベーシックについ ての理解もなく、MSもADも訳も判らずゴチャマゼに行っていたものであった。 関西地区には米軍基地も無く、関東地区とは異なって習いに行くこと等は不可能 なことであり、当然のことながらビギナークラス等は全く無かったものである。 京大KVK出身の寺田隼人君の努力もあり、そのリードによって何とか勉強する につれて、やっとベーシックムーブメントについての系統的な理解をも得るとこ ろとなり、やがて同君を始めととして若干の者がコールを行うようになり、さら に各地において開催された原田氏の講習会に参加したり、関東地方、名古屋、福 岡・・・等の同好グループとの種々交流、情報交換も盛んに行われたりしたこと もあり、徐々にその型を整え、急速な進歩が見られるようになっていった。

3月号に続く

 
近畿のパーティ情報
2/9〜11 レークサイドスクエアーズ★大津プリンスホテル
友定弘子◎077-578-4382
3/18(日) 京都サタデーナイツ★京都府婦人教育会館
伊藤 俊◎075-956-3159
4/1(日) 奈良ワイルドキャッツ★生駒はばたきホール
笠井由美子◎0743-56-3869(大久保)
4/8(日) 姫路SDC★網干市民センター
万代克巳◎079-276-6736
4/29(日) 守山ツインクルスクェアーズ★ライズビラ都賀山
中川 裕◎0748-74-1953
5/13(日) 堺光明池SDC★国際障害者交流センタービッグアイ
金子裕行◎072-294-8857
 
第16回 近畿支部ジャンボリー
  2007年2月18日 大阪リバーサイドホテル

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