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| はじめに 雑記帳 別冊の雑記帳 |
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| <今日の雑記帳> |
| 2005年6月10日(金曜)<半日断食 26ヶ月目> |
ちょっと実験です・・・(別冊作ってます)。 |
| 2005年1月20日(木曜)<半日断食 22ヶ月目> |
静かな冬の朝(その2) 「大河の一滴」に出てくる次の文章を読んだ時、 「少年時」につながる何かが私に目配せをしました。 それは敗戦時の作者の体験が述べられている次の一節でした。 そして中学一年のときに敗戦という、驚天動地の大事件に遭遇し、それから引き揚げてきて、戦後の日本で焼け跡・闇市からの出発に出会います。ドラマチックといえばいえるのでしょうけれども、実際には言葉に尽くせないくらい、つらい目にもあいましたし大変な体験もしました。 でも、戦争の時代、その時代のことをいまふっと思い返すときに、なぜか不思議な実感があるのです、生きていたという実感が。 (「大河の一滴」五木寛之) この「生きていた」という言葉が何かのボタンを押したようです。 「言葉に尽くせないくらい、つらい目」にあう中で、 「生きていた」という実感をもったという、 これは「少年時」に通じるあの心境ではないだろうか。 そのまま読み進めると、次の決定的な文章が 私の目に飛び込んできたのです。 A と非A とが同時に存在しているような状態、これが生きた現実なのではなかろうか。プラスとマイナスがお互いに反撥しあい、また引かれあうような、そういう物の考えかた。両極端のどちらかではなく、<どっちも>という考え方を、このへんで、もう一ぺんふり返ってみたいという気がします。 (「大河の一滴」五木寛之) 今まで、もやもやとしていた何かを、 分りやすく解説されたような気分になりました。 極端な言い方をすれば、まるで「少年時」で抱いた私の疑問に 答えてくれるための文章とさえ、思えるような記述でした。 A と非A の<どっちも>という感覚。 これが、今まで私に欠如していた感覚であったようです。 五木氏はそれこそが「生きた現実」だといい、 自分の体験を通じてそれを確信しているようでもありました。 そう思ってもう一度「少年時」を声に出して読み返したのです。 そうして、びっくりしました。 そこには、A と非A の<どっちも>が満載だったからです。 そのことに今まで私は全く気が付きませんでした。 黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、 庭の地面が、朱色に睡つてゐた。 (「少年時」 中原中也) 冒頭のこの一節から、「青と黒」の石に照りつけた 夏の日が、何故か非A の「赤(朱)」に睡って いる、というのです。 その後も、「おぼろ」で「灰色」の模糊とした光景と 「翔びゆく雲の落とす影」のようにくっきりとした 光景が<どっちも>共存し、 誰もが昼寝をしている中、作者は反対に 「走って」行ったのです。 そうして、最後の一節にたどり着きます。 私は希望を唇に噛みつぶして 私はギロギロする目で諦めていた・・・・・・ 噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた! 五木氏がいうように、 この「生きてゐた、私は生きてゐた!」という実感は A と非A の<どっちも>の中にこそ 強烈に感じることができる。 ・・・そういう詩なのかもしれない。 そう思ったのです。 そうしたうっすらとした感覚が芽生える頃、 私はまた何冊かの詩集をひもとき始めました。 (つづく) |
| 2005年1月14日(金曜)<半日断食 22ヶ月目> |
静かな冬の朝(その1) あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・・・・ 吹き来る風が私に云う (「故郷」 中原中也) ・・・それは、今思えば一遍の詩から始まりました。 詩とは誠に不思議なもので、目にした途端に、 理屈を越えて ふと心の中に飛び込んできては いつのまにか心に根を下ろしてしまう。 そういう力と作用があるような気がします。 「故郷」のこの一節は、まさに そのような作用を私に及ぼしました。 あゝ おまへはなにをして来たのだと・・・・・・ 吹き来る風が私に云う がむしゃらな毎日を過ごし、ふと立ち止まる時 いつのまにか私にも、 同じ声が風から聞こえるようになっていました。 すっかり心に根付いてしまったこの言葉が まるでずっと昔から心の中にあったかのように、 ひょこりと風とともにあらわれるのです。 ちょうど同じ頃に 心に棲みついた一節があります。 「少年時」と題された詩の最後の一節です。 私は希望を唇に噛みつぶして 私はギロギロする目で諦めていた・・・・・・ 噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた! (「少年時」 中原中也) 最初に読んだ時、私には正直いって その意味するところが分りませんでした。 ですが、ただ強烈な印象とともに、 その一説が私の心に根を下ろしたのです。 希望を噛みつぶす様(さま) 「ギロギロする目」で諦める様 しかしそのどの様も私の貧相な想像をはねつけるのです。 なぜならば、諦めるさまといえば、肩を落とし、目を伏せる、 そうした光景のはずなのに、 伏せる代わりに目は「ギロギロ」しているという まるで正反対に思えること。 失望し、諦めているはずの作者が、何故か 「私は生きてゐた!」と繰り返し賛歌を叫ぶこと。 本来、並んで立つはずのない2つのものが、 鮮烈な印象で次々と並んでいるのです。 どういう意味なのだろう? 何が作者に起こっているのだろう? 強烈な印象の後に残ったのは、 そうした素朴な疑問でした。 その疑問は 長い間私の胸に眠っていたのですが つい最近のこと その疑問へのヒントが、思わぬ形で得られたのです。 それは五木寛之氏の「大河の一滴」を読んでいるときに 突然のように訪れました。 (つづく) |
| 2005年1月7日(金曜)<半日断食 21ヶ月目> |
<す>と<し> 5歳になる息子だが、まだ発音がおかしなところがある。 例えば「〜する」というところを何故か「〜しる」という具合。 例)どう<し>るの?(どうするの?) 「する」という動詞は確かサ行変格活用だから し し する すれ する しろ と活用するはずだった。あえて厳密に解釈すれば 「未然・連用形と終止形がごっちゃになっている」と言えそうだ。(← 言っても仕方ない。) 一方でこんなのものある 今日(きょう)→ <ち>ょう 例)<ち>ょうはなに<し>る?(今日はなにする?) 不思議なのは、意識すればちゃんと今日(きょう)と発音できるし、「しる」じゃなくて「する」と言えるところである。 ハードウェアには問題がない、ということだろう。 ・・・ということは、「変な習慣」になってしまったのだろうか。 だとすると、今の内からちゃんと直しておいた方が良いかも知れない。 親としては、何となく義務感すら感じて来るではないか。 でも、一方的な言い方をして意地になられても困るし、 後々のトラウマになっても逆効果だ。 ここは言い方が難しいところだが・・・。 私「ねぇ、<し>る、でもいいけど<す>る、って言う方がいいと思うよ。」 ある日、試しにそう言ってみた。 息子は、すかさずこう返答した。 息子「そうそう、でもどっちでもいいんだよね!」 私「・・・。(え?そうくるか?)」 返答に困っている私にたたみかけるように息子がこう言った。 息子「『<それは>駄目だよ』でも『<そりゃ>駄目だよ』でもどっちでも同じなのと一緒でしょ。」 私「・・・。」 確か、大学時代に論理学で習ったが 「間違った前提からは、どのような結論でも導けるが、その文章自体は論理学的に正しい。」というのがあった。 つまり、「君がキムタクなら、僕はブラッド・ピットだよ。」 という文章は、間違った前提から自由な結論をしている良い例だが、この文章自体は論理学的に正しい、ということだ。 そんな 気を取り直して息子に向き直る。 どうあれ、こんな所で そこで、 私「そうだね(と認めつつ)。でも、<す>る、の方がかっこいいぞ。」 と、ロジックで負けそうになったので、感性に問題をすり替えてみたりして。(← すでに負けてる) それを聞いた息子は顔を輝かせてからこう言った。 息子「そうか!わかった!じゃ、<ち>ょうから<す>る、に<し>る!」 _| ̄|○ ・・・。日暮れて道遠し、とはこのことかと・・・。 |
| 2004年12月23日(木曜)<半日断食 21ヶ月目> |
響く言葉 日比谷線の日比谷駅。 ホームから上る階段は狭く、加えて工事中のようだった。 「階段が狭くなっております。お昇りの際には 片側通行をお願いします。」 いつものことだ・・・、が、その時は違った。 繰り返されるその言葉が、何故かとても心に届くのを感じた。 ふと見ると自分の父親ほどの年齢の人が、 直立不動でその言葉を真剣に繰り返していた。 チェーン展開の「マニュアル通りの言葉」に慣れた私の心に、 その素朴だが生真面目で、たどたどしいが真摯な語り口が 不思議な作用で心に響いた。 一日に何千回繰り返すだろうその言葉。 その一回、一回に心を込めることは、 普通の人には出来ないことだ。 ・・・そう、思った。 普段は、追い越しながら駆け上がる階段だったが、 その時私はとても素直な気持ちで 列に従った。 ------- 階段が終る頃、上の方からもう一つの声が聞こえた。 いかにも棒読みの若い声だ。 「降てくる方がいらっしゃいますので、 右側通行にご協力下さい。」 それを聞いて私は、おもむろに列を離れると、 左側を一気に駆け上がってしまった。 ・・・勿論、いくら見渡したところで、 降りてくる人など一人もいなかったからだけど。 |
| 2004年12月18日(土曜)<半日断食 21ヶ月目> |
そういうことだったのか とある代行業者が、11時に大切な書類を届けに来るという。 必ずオフィスに居て欲しい、とのことで日時を約した。 電話の向こう、その人は何度も会社の場所を聞いては 詳しく道順を確認し、復唱までしていたが、 最後に「でも約束の時間は多少前後するかもしれない」という。 ・・・ひどい業者だな、と思いながら電話を置いた。 当日、約束の時間を30分過ぎてもその人は現れなかった。 遅れること40分。 一本の外線が掛かってくる。 「遅くなりました。今駅にいます。ところで地下鉄の出口は 2番で良かったでしたっけ?」 ・・・。 (神様、キれてもいいですか?) (「何番でもいいから、さっさと来んかい!!」って 怒鳴っていいですか?) ・・・ひどい業者だな、と思いながら、 それでも道順の説明を繰り返して電話を置いた。 程なくして、その人は現れて、 一目見て、私は自分の過ちを悟った。 その人は足が不自由だったのだ。 道順を詳しく聞いたわけも、 時間の約束が出来ないわけも、 ・・・そして地下鉄の出口の確認をしたわけも、 全ての疑問と怒りが一瞬で吹き飛ぶのを感じた。 私には何でもない道程が、 その人にとってどんなに大変か。 地下鉄の出口の選択がどんなに重要か。 ・・・そういうことだったか。 「どうぞ、椅子にお掛け下さい。」 いつまでも立ってまごまごしているその人に 私は声を掛けた。 その人にとって、椅子に座ることさえ、 そんなことさえ 時間のかかることだ と そんなことにも気が付かずに・・・。 「自分が絶対に正しい、と思いこまないこと。」 これが幸運の女神に見放されないコツだ、 とは勝負師の米長名人(将棋)の言葉だっただろうか。 (まだまだ修行が足りませんことよ。) 女神様がそんな言葉を残していった、 ・・・そんな気がする金曜日。 いつもより少しだけ真面目な自分がいた。 |
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| 主な更新情報 | |
| 2004年2月12日 | 足跡に「ふじてんスノーリゾート」を追加 |
| 2004年2月5日 | 仮面ライダー剣コーナーを新設 |
| 2004年1月27日 | 足跡に「千葉県こどもの国」を追加 |
| 2004年1月23日 | 足跡に「龍宮城スパ/ホテル三日月」を追加 |
| 2004年1月23日 | 足跡に「こどもの国(横浜)」を追加 |
| 2004年1月17日 | リンクのページにちゃっぴさんのHPを追加 |
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