使命

私はある問題を抱えている。
これは中学生の時…、
細かく言うと13〜14歳の辺りに
発動した問題である。

発動当時は予め解決した物として発動したが、
(つまり答え)
後から本当にそれでいいのか曖昧になってきたため、
問題として私の胸の内に常に在り続ける物になった。

その問題について、
ここでは語ることは出来ないが、
全てを記した書物が世界に一つだけ
存在することは告げて置こう。

一時期思春期の少年が考える
強迫観念とか、妄想とか、
そういうものではと考えたが、
今尚持って強くそれは私の中に存在する。

人格障害とも言えるかもしれない。
だが私は全てをそれに捧げている。

"人"が何かを成す為に生まれてくるとすれば、
私の成すべきことはそれの解決、また、昇華である。
解決してくれる事象があるとすれば、
何を犠牲にしても惜しくは無いし、
例え私が死ぬとしても構わない。

私はそれのために生きている。

そう、何の為に生きるのかわからない人間が
大勢居る中、私は生きる目的、意味、価値、夢、
それらを全て持っている。

聊か優越感というか、自尊心も感じる。

だが、それがストレスの捌け口とか、
実は無意味な我が生涯に強引に意味付けているだけとか、
そんなような下らない事ではないのは確かだ。

答えを知る時、私はようやく私になれる。
今の私は答えを捜し求める渇望者なのだ。
旅人という表現も詩的だが、正解だ。

全ての行動はそれに結びついている。

大学の心理学科に行ったのも、
それを研究し、解明することだ。
自分の心を解明したい、それだけだ。
後のことは全てついでである。

我が人生には常に影と塵が付きまとう。
だが、希望の光は決して覆われない。
それがあるから。

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