ねこ猫ヒカル
第2部

【10話 縛ってみて】

「縛れだって?」
 アキラは耳を疑った。ずきずきと鈍痛のする腹を押さえながら、ヒカルを見る。ヒカルの目は真剣だ。
「だってさ、オレ、塔矢がしたいようにすると・・いっぱい触られたりすると、どうしてもさ・・殴ったり蹴ったりしちゃうでしょ?・・オレ、いやな訳じゃないんだ。塔矢に触られるの、本当はすごく嬉しい。でもどうしてもダメなの。多分、これは猫の闘争本能ってやつなんだと思う!」
「闘争・・本能?」
 アキラはますます頭の中がごちゃごちゃになったが、正直ヒカルが自分に触られるのを本当はいやじゃないと再確認できて、ほっこりと嬉しい。
「猫はさ、なわばり争いとかする時にとっくみあいのケンカをするんだけど、その時、頭で考えながら攻撃してたら追いつかないでしょ?だから、そういう時はとっさに自分でも知らない先祖からの記憶が蘇って、無意識のうちに攻撃するんだって。オレ、王子様だったから、他の王子達とケンカになった時にちゃんと怪我しないで勝てるように、小さい時からいろいろ訓練してたんだ。だからかも。だから、塔矢がかぶさってきたりすると、オレ、落ち着かなくてどうしようもない気持ちになって・・それで暴れちゃうんだと思う。」
 ヒカルは一生懸命だった。
「だからさ、縛ればいいと思うんだ。オレを縛ればさ、塔矢のこと殴ったりできないでしょ?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど・・縛るなんて・・。」
 アキラはそんないじめているようなことはできないと思った。それに、抵抗できないヒカルに自分はどこまでやってしまうかわからない。
「オレがいいって言ってるんだから、いいの!ねぇ、塔矢。オレだって、塔矢に我慢とかさせたくないの。塔矢の好き・・いっぱい感じたいもん。」
 ヒカルのねだるような視線にアキラはドキドキする。縛るという行為が「イケナイ事」めいていて、それもさらにドキドキを増大させる。アキラは暴走した血流に頭がくらくらしてきた。
「で・・でも縛るったって・・そんな縛るものなんか・・。」
 アキラはしどろもどろでそう言った。ヒカルは、
「物置にあったキラキラしたヒモは?たくさんあったよ。」
と提案した。キラキラしたヒモというのは本などを縛って廃品回収に出す際のビニールヒモだ。確かにあれなら長さは自在だし、しっかり縛れるだろう。
「オレ、とりにいってくる。」
 ヒカルは、すくっと立って、物置にヒモをとりにいった。暗い中積んであった本にでもぶつかったのか、どさどさっという音がした。
「えへへ。なんか落としたけど、あとで拾えばいいよね。」
 ヒカルはとってきたヒモを早速アキラに渡して、手首に巻いてもらう。アキラは、慣れない手つきでヒカルの両手首を一つに締め上げた。
「じゃあ、足も。」
 そう言って、ヒカルは自分から足を出す。アキラは、妙な気分になって、
「足はしなくても・・。」
と、小声で言ったが、ヒカルは俄然やる気である。
「足も!だって、さっき蹴っちゃったじゃん。」
 アキラは、しょうがなく足にも紐を巻く。手も足も縛られたヒカルの姿は、なんとも尋常ではなく、アキラをめまいが襲った。ヒカルはごろんと寝転がって、芋虫みたいにゴソゴソしている。
「あ、しまった。塔矢ぁ、歩けないから、お布団まで連れてって。」
「・・・。」
 「はやくぅ。」と催促しながら、自由にならない体をくねくねするヒカルを目にして、アキラはどう反応していいのかわからない。しかし、ヒカルがいらついてまるで人魚のように縛られた足をバタバタと畳にたたきつけるので、アキラはあわててお姫様だっこをして、すぐそこの布団の上まで連れて行く。
 布団にぱふっと置くと、一層背徳感が高まる感じがした。アキラは、直視できなくて思わず目を手のひらで覆った。
「あれ?塔矢、大変!」
 ヒカルのすっとんきょうな声にアキラが視線を戻すと、
「とれちゃった・・。」
と、ヒカルが、自由になった腕を見せた。どうやらビニールのヒモだったので伸びてしまい、すんなりはずれてしまったらしい。
「ダメかぁ。」
 残念そうなヒカルとは裏腹に、アキラはほっと胸をなで下ろす。
「やっぱり、縛るなんて事、しなくていいよ。そんなこと不自然だしね。」
 アキラは急に気持ちに余裕ができて、笑みを浮かべながらヒカルの手足に絡みついているヒモを取り除いてやる。もうこれでヒカルも気が済んだだろうと思ったが、ヒカルは口をとがらせて
「じゃあ、違うヒモでやろ!」
と言い出した。
「そんなこと言ってもヒモなんかないし・・。」
「あるよ。あれは?」
 そう言って、ヒカルは部屋の一角を指差した。
 部屋の中にヒモなんかないはずと、アキラがその先に目をやると、そこには鴨居にかけた、明日アキラが仕事に着ていくスーツがあった。
「ヒモなんかないじゃないか。さ、もう寝よう、進藤。」
「あるよ。いつも塔矢が外に出かける時に首に巻いてるヒモ・・あれなら長いし、伸びないかも!」
「いつも首に巻いてるヒモって・・まさか、ネクタイ?」
 アキラは、めまいを通り越して頭痛がした。ネクタイはただ仕事の気合いを入れるための決まったユニフォームの一部であるだけで、手足を縛るためのものでは断じてない。ここはなんとかヒカルにあれで縛るのはあきらめさせなければならない。だいたい、あんなもので縛って、ネクタイがくしゃくしゃになったら、勘のいい母が真っ先に変に思うだろう。
「進藤あのね・・。」
「まーた、ダメって言うんでしょう!塔矢はさ、オレといっぱいキスとかギュッとかしたくないの?!1回さ、いっぱいやって慣れればもう殴らなくなるかもよ!」
 『慣れれば殴らなくなり、キスし放題、抱きしめ放題』ときけば、さすがにアキラの心もぐらりとくる。背徳感に悩む理性の頭痛などなんのそのである。
「・・・じゃあ、試してみようか・・。」
「うん!」
 甘い誘惑に負けた自分の意志の弱さを恥ずかしく思うが、『キスし放題』の特典にはやむをえないと、自分を無理矢理納得させながら、アキラはヒカルの差し出された両手首にネクタイをぐるりと巻き付けた。1回ぎゅっと結んで、ほどけそうな気がしてもう一度ぎゅっと結ぶ。さっきのビニールヒモに比べて、ヒカルが痛々しくない感じがした。
「足もー。」
「も、もう一本とってくるよ。」
 アキラは、隣の部屋にあるタンスまでネクタイをもう1本取りに行く。戻ってくると、ヒカルはさっきのことを学習して、足が自由になる内に、先に布団へ移動していた。
「今度のははずれなさそうだよ。塔矢ぁ。」
 ヒカルは嬉しそうに手首の締まり具合を試しながら言った。
「そう。」
 アキラは、にっこり笑って、もう一本を足にかける。その時だった。
 突然、アキラの部屋のドアがノックされ、
「まだ起きているのか?いいかげん早く寝なさい。」
という声と共に、父がドアを開けたのである。
 その前にギシギシと階段を上ってくる音がしていたのに、二人はネクタイ縛りに夢中で気が付いていなかった。
 足にネクタイを巻き付ける途中の格好で凍り付くアキラ。ドアを半分開けたまま視界に入った光景に目を見開く父。ヒカルだけはきょとんとして言った。
「あれ?お父さん。」
「おま・・おま・・お前達・・。」
 父の顎ががくがくと震えている。父の頭の中ではその異様な光景に対する認識とそれが誤解であって欲しいという気持ちがぐるぐると渦巻いて判断が付かなくなっている。
 アキラはアキラで一瞬驚きで真っ白になったが、なんとかこの場を言い逃れなくてはと瞬時に頭を使う。
「何をやっているんだ!!」
 父のやっとの思いでだした怒鳴り声に、アキラはにっこりと笑う。
「いやだなぁ、お父さん。何を怒鳴ってるんですか?僕たちは、縄抜けのゲームをしているだけですよ。」
「な、縄抜け・・だと?」
「え?違・・んぐ・・。」
 声を上げようとしたヒカルの口を父からは見えないように塞ぐ。
「進藤は猫で体が柔らかいでしょ?だから、縄抜けのマジックができるんじゃないかと思って。今度お父さんの誕生日に見せて驚かせようとこっそり練習していたのに、しまったな。見つかっちゃった。あははは。残念。進藤、また違うマジック考えような。」
 アキラのさわやかでてきぱきした物言いに、父はすっかり信じてしまった。
「そ、そうか。それは悪かった。いや、さっきからどたばたとうるさいので、2階でケンカでもしてるんじゃないかと思ってな・・心配になって見に来たんだが・・。ああ、もういいから、寝なさい。二人とも。」
「はーい。」
 アキラは良い子の返事をした。
 父が降りていくのを確認して、ようやくアキラはほっと安堵のため息をついた。
「あぶなかった・・。」
「なんで口塞ぐの!」
「進藤・・・じゃあ、お父さんに叱られたかったかい?」
「え?」
「お父さん、怒らせると怖いんだ・・。キミのこと、また捨ててこいって言うかも・・。」
「お父さんが?」
「そう。さ、もう今日は寝よう。おとなしく。」
 アキラは、そう言って、ヒカルの不自由を取り除いて、寝かせた。

 後日、父が、ヒカルに
「お父さん、オレを捨てる気なんだ!」
とか睨まれて、身に覚えのない敵意に悩むことになるとも知らず、二人は枕元にくしゃくしゃのネクタイを放りだして、ぐっすり眠ったのだった。


2章完結・・かな?

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