催眠再考察

Ⅲ.催眠は日常の現象の凝縮版

 まるで魔法でもあるかのような印象の「催眠」がなぜそのようなイメージを持つようになったのか、そしてなぜそのように不思議に見えるのかについてはⅠ章とⅡ章で解明しきました。催眠とはその気になってもらう(感情移入してもらう)ためのテクニックであってそこで起こる一見不思議な心理現象、それらは全て日常で起こる通常の心理現象となんら変わりがないことを述べてきました。

 この章では、その日常にある心理現象をピックアップしながらそれらがどのように催眠状態と同等なのかを詳しく述べてみます。


感情移入と自我放棄

 催眠に入った状態を「催眠トランス状態」と言いますがこの状態は「感情移入状態」と「自我放棄状態」の二つの言葉でほとんど説明がつきます。

 トランス状態とは「その気になったり夢中になって、我を忘れてしまった」状態であるといえるのです。

 日常で何かに夢中になり我を忘れていく状態と、催眠誘導によってトランス状態に入っていく流れは上に述べた「感情移入」と「自我放棄」の言葉を使えば同じものとして説明ができます。まず注意集中状態から感情移入が強まって同時に自我放棄状態が高じてくる。そしてそれがもっと深まってくると自我放棄の極端な形の乖離(ある心的傾向を意識外に保つ作用)に至る場合もある、などといえるのです。

 我を忘れたというよりも我がなくなってしまった状態といえるこの乖離状態はとても不思議な感じを起させます。この極端な自我放棄状態は催眠でいうと記憶支配と言われる状態と同じレベルです。そこでは時に、覚醒後に催眠時の記憶を自然に失っている場合もあります。それは二重人格的状態なのです。

 お酒を飲んで酔っぱらって次の日に、昨日どのようにして帰ってきたのかよく思い出せないのと同じです。又、内容は別にして、憑依現象と同等の心理現象と思われます。だれでもが催眠に入るとこの状態に直ぐなるわけではなくて、お酒の酔っぱらい方と同様に個人差があります。催眠の方はそのような状態を人為的、意識的に誘導者がリードして作っていくというだけの違いでしょう。

 このような極端な例でなくて、何かに夢中になってあっという間に時間が過ぎていた、などというようなちょっと我を忘れている状態(浅いトランス状態)は日常に頻繁に起こっているわけです。

 Ⅱ章でコンサートに夢中になっている状態を催眠トランス状態と全く同一の心理状態であるとして例えましたが、より日常的なところでテレビドラマを夢中で見ている時を考えてみましょう。

 テレビドラマの物語がフィクションであると分かっていても、私たちはいつの間にかそれに感情移入して半無意識的にその主人公になったつもりでいます。そしてその主人公が様々な困難や試練を受けるときには、主人公が感じるであろう所の辛さや悲しみや怒りなどの感情、その他様々な感覚が見ている私たち自身の心身にもわき起こってきます。時にはテレビドラマが終了してもその余韻が強く残る場合があります。多くの人が子供時代にヒーロー、ヒロイン物のテレビドラマを好きになり、そのヒーロー、ヒロインの真似をして遊んだ経験があると思いますが、それは催眠で言われる「暗示効果」と全く同等の心の動きによるものなのです。

 また格闘技中継を見ている時に思わず自分の身体が、まるで自分が戦っているかのように動いてしまっているのに気づく場合があります。でももっともっと自分で気づいていない微妙な心身の動きは非常に多く起こっているのです。そしてこれらの無意識的な心身の活動は感情移入の程度が高くなるに従ってより強大となっていきます。

 好きなことに没頭して徹夜してしまう人もいますが、夢中で小説を読んでいて気がついたら夜が明けていたなどというように時間の感覚が変わってしまいます。催眠を体験したその直後に催眠を行っていた時間はどれくらいだったと思うか確かめると、多くの人が正確な時間よりも短く感じたと言います。ここには通常の自我意識の働きが薄れている点が伺えるのですが、人は我を忘れる度合いが強くなるにつれて通常の時間に関する感覚はなくなってしまうようです。

 お酒には元々自我意識を麻痺させて自己解放を即すところがありますが、例えば同じ様にお酒を飲むにしても、気心の知れた仲間とだと良い感じに酔っぱらえて楽しいのに、接待の席や気の使う上司とだと全く酔わなかったりする場合があります。誰でも日常的に、我を忘れて夢中になれる心の働きは持っているけれど、その働きは時と場合によって変化するのが普通なわけです。これと同じに催眠状態に入る入らないや、またそのトランス状態の深い浅いは、時と場合でかなり違いのあるものです。

 学術的な催眠に関する著作では被暗示性テストと言って催眠状態に入りやすい人と入りにくい人の統計を取って個人差があることを結論づけています。確かに生まれつきの個人差はある程度否定出来ませんが、基本的には、生まれてから今現在までの生活の中で、感情移入や自我放棄することに慣れている人と、それに慣れていない人がいるということが事実のようです。

 映画や舞台での演技にしても、素人や下手な役者の場合にはセリフの棒読みになってしまいますが、上手な役者だと本当に気持ちがこもっています。昔流行った映画「極道の妻たち」で役を演じている女優の岩下志摩は、その撮影期間中プライベートにおいても、自分の演じる役柄のように男言葉がつい出てしまう、と言っています。名優と呼ばれる人は役になりきる(感情移入)にたけているようですが、そのような役に気持ちを入れ込む(感情移入する)能力は日々の努力や訓練によって高めることもできるのです。

 この点は催眠講座などで催眠について学んだり催眠に入れるように訓練していくうちに催眠状態に深く入れる人の割合が急速に増えてくることからもうかがえます。

 逆に極端な例として、全くといっていいほど催眠状態に入れない人がいます。イメージすること感情や感覚を感じることなどが、どうもピンとこないタイプの中にそのような人が時々います。意識的自我の働きがとても強いようで、いざ催眠をやろうなどと思うと、その意識がさっと頑張りはじめてしまうようです。自我放棄状態に入るのでなくて正反対の自我強化状態に入り込んでいくのです。

 またその反対にあまりにも催眠に早く入りすぎる人で、通常でも外界の影響を受けやすく、それによって意識状態もいろいろ切り変わる感じで、その時々によって人格もかなりハッキリと切りかわるようなタイプの、多重人格的(これは良い意味のところもあります)な人がいます。我を忘れやす過ぎる人と言えるのかも知れませんね。

 はじめて催眠を体験した人でそれも浅い催眠状態だと、体験する前に想像していたのと違って、催眠にかかっても意識はなくならないのですね、とよく言われます。我を忘れても意識はそうそうなくならないともいえるのですが、日常において「その気になっている」時や「我を忘れている」ことに気がつくのは常にその状態から抜け出している時なわけです。夢中になっているときにはそれと気づかないのが普通だし、浅いトランス状態では感情移入して我を忘れたり、我に戻ったりと行ったり来たりが頻繁になるようです。

 催眠状態が深くなればなるほどに意識はなくならないにしても自我意識的なものはより弱まっていくといえるでしょう。我にかえることが少なくなるのです。それは睡眠中に夢を見ている状態に似ているのではないでしょうか。深い催眠から醒めるときにまるで夢から覚めたように感じる人もいるのです。


イメージ活動の活発化

 小説を読んでいて優れた描写に出会った時や、その文章が自分の経験にうまく合致したとき、その場面や景色がありありと思い浮かびます。そして時には、あたかもその風景の中に立っているかのように、風景の美しさやその雰囲気まで感じられる場合さえあります。

 Ⅱ章の中の「暗示言葉の不思議」のところでも述べましたが、この様な時のイメージ状態と、催眠トランス状態にあって風景などをイメージしている場合の違いは小説か催眠誘導者の暗示言葉かの違いだけであってイメージしている当人の内界では、リアルさはそれぞれ違っていても、イメージ活動としては同じ働きなのです。

 催眠状態にうまく深く入れた体験を「夢のようだった」という人が時々いますが、催眠トランス状態にある人は非常にイメージ活動が活発であることが、当人の報告やその状態における眼球活動の観察などからも良く分かっています。同じように睡眠中の夢の観察結果からでも、レム睡眠期といわれる時には、夢をよく見ているらしく、眼球活動もとても活発になっている事も報告されています。

 また睡眠から目覚めた後、当人が夢を覚えているかどうかは別にしてですが、リアルな夢の場合だと、それにともなって身体の活動も活発になり、体を大きく動かしたり、寝言をハッキリ言ったり、時には起きあがって行動して、また寝てしまう人までいます。この様な行動はまるで深い催眠トランス状態で起こるところのものとそっくりなのであって、イメージをリードする誘導者がいるのといないのの違いだけなのです。

 ・・・・余談ですが、夢は目に見えない誰かが誘導しているのでは。そしてそれは誰か、と考えてみると非常に面白いですよ。夢は私が見ようと思って見られるわけではないし、夢の物語の内容も私たちが想像もしなかったものだったりもしますよね。なにやら神様か運命か潜在意識か、はたまた他の何かが私たちを催眠にかけているのだ、といえなくもないような・・・・

 イメージ自体のことについてはここではこれ以上立ち入りませんが、このようなイメージ活動の中でより強力なリアルなイメージが心理療法や能力開発にとって非常に役立つのです。ということはリアルイメージが出現しやすい状態が得られるなら何も催眠でなくとも良いとも言えるわけです。例えばスポーツ界で常識となっているイメージトレーニングにしてもより良い感情移入状態が起るならば自然と強力なイメージトレーニングが出来るのです。

 ここで注意しなければならないのは、より強力なイメージを理想として、それにこだわり過ぎると、そのような状態にならなければ、とか、これは違うのではないか、などと意識的な働きが強くなりがちな点です。一番大切なのは感情移入することであって、その気になっているから自然にイメージ活動が活発化するわけだしリアルにもなっていくのです。

 自己催眠やメンタル・トレーニングなどをする時、人にそれを手伝ってもらうと自分だけでやるよりも数倍集中がしやすくなります。信頼できる催眠誘導者にリードをしてもらってイメージ練習などの手続きをふめば、通常より、よりリアルなイメージが得られやすくなり、そのコツも会得しやすくなるのです。ここに催眠の存在価値があると思います。

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