2011年の11月に電子書籍(有料版)として新たに「あがり症克服のコツ その1~17」を作成しました。このコラムには、その中の前半部の「その1~9」までをアップしてあります。
1ページ内にまとめてありますが、読みたいところだけ読むこともできるように、目次にリンクを貼りました。興味ある目次をクリックして、そこを読んで頂いたりしながら入り込んでいただければ取っ付きやすいかと思います。
横浜心身健康センター心理療法室には心から来るさまざまな問題で悩んでいる方がその解決のために来談されています。そしてその中にはあがり症やスピーチ恐怖症で悩んでいる方もかなりの数にのぼります。
人前であらたまってスピーチをしたりすると、ひどく緊張して、動悸が強くなり、体が震えたり、頭が真っ白になったりして、人前でこうありたいと思う理想の半分くらいもできない。そしてその後は穴があったら入りたいような恥ずかしさにおそわれたりしてしまう。そのためにもう人前が恐怖になってしまって想像するだけでも動悸がしてくる。など、このような問題で苦しんでいる人は実際はとても多いのです。
この悩みは他人に気軽には相談しにくくて一人で長年悩んで来たという人も少なくありません。そしてこんなふうにあがってしまうのは自分だけではないかと思い込んで強い劣等感にまで陥り自信喪失している場合もあるのです。
そのような問題で悩んでいる方々と長年、個別の心理面接でその解決に取り組んできたのですが、そんな中から次第にあがり症やスピーチ恐怖に共通の心のパターンやその特徴として見えてきたところがあります。
実は、この見えてきたものは、あがり症やスピーチ恐怖症に限らず、人が行為するときには全てにおいて陥りやすい問題でもある、といえるのです。それは神経症的な問題の根本にもある、心とからだが切れてしまっているために起こってくる問題なのです。
こころとからだが切れてしまっているからあがってしまう。というのをより詳しくいうと、『人前に出ていざスピーチしようという段階に至っているにもかかわらず、心はまだ葛藤し迷っているのでそれに連れてからだも身動きが取れなくている、つまりあがった状態にある』といえます。
この所をよくふまえた上で対策を立てていくことで真に適切なあがり症の克服方法が見いだせるのです。この根本にある状態を良く把握しないままに一般にあるハウツウ的な解決策をやっても的外れになってしまってほとんど役立たないでしょう。
人前に出たということは行為すべき時がきているのです。それなのに、いろいろ相反する考えが思い浮かび、心と身体がバラバラになり一丸となって事に当たれなくなっているのです。
このような状態を競泳をする時で例えてみます。もし泳ぎがあまり上手でない人でも、競泳に参加して「用意ドン」とプールに飛び込んだら後はもうゴール目指して一生懸命泳ぐしかありません。ところでプールに飛び込んだ後に「自分は上手に泳げるんだったっけ?泳ぐの止めたいなぁ、でも泳がないと、どうすれば上手く泳げるかしら?、、」などと考え葛藤してしまったとしたら、手足はまともには動きません。悪くすれば水中にズブズブと沈んで溺れてしまいます。
このように競泳に例えるとあり得ないようなおかしな状態が、実は人前に立ったときにあがってしまう人の内面でそれと知らぬ間に起こっているのです。
水の中なら、とにかく手足を動かさないことにはおぼれてしまいますから一生懸命泳ぐこと(心身一如)にならざるを得なくなるわけですが、人前では溺れて死にそうになるまでいかないからでしょうか。心身一如でない葛藤したまま(あがり)の状態に終始してしまうわけです。
あるやり方を他にも役立てようとするときには表面的なものを見ていくのではなくて、その根本(本質)を見抜いてそこから普遍化、一般化しなければ、ある人に役立つものでも他の人には役立たないということになりかねません。
ここでは、個別のあがり症や対人恐怖症に関する心理臨床を重ねる中からわかってきた『あがりとは、心の葛藤によって心とからだが一体でなくなっている状態である』というのをその根本にして考えていきます。
あがり症の原因(本質)は心が葛藤して心身が一体になって物事に向かう状態(心身一如)になっていないということですから、それを克服するには人前に出たときに心身一如になるように工夫すればよいということになります。
例えば催眠療法などで用いるイメージトレーニング技法などは、それによってより強い心身一如の状態になることをねらっているのです。また例えば自信がつけばあがらないというのも自信があれば迷ったり葛藤しないからあがらないということです。
また時には、今から大事な試合に臨む直前にコーチから強い言葉で叱咤激励されて、それで迷いが吹っ切れ心身がひとつになったために、あがらないで試合がやれたということも起こるわけです。
これら以外にも様々なあがり症克服の手法があるわけですが、それら全てが心身一如の状態に持って行くための工夫であるとみてよいでしょう。逆に言えばどんなに良いといわれる方法でも心身一如にならなければ役立たないのです。
ある青年は絵を習っていましたが、絵の教室の少々厳しいその先生が見ている前だと手が震えて絵が描きづらくなってしまいました。
カウンセリングしたりイメージ面接をしてみて解ったことは、自分はまだ先生の期待するほど充分な絵は描けないなぁ、、と思っている部分と、でも先生の前では自分の実力以上に描かないと怒られるのでは。と思っている部分があるというのでした。先生の前だとその二つの心が「怒られるのでは、そんなに上手には描けないし、、なんとかうまく描けないものか、でも無理だ、、」と葛藤してしまい手の動かしようがなくなってしまったというわけです。
そこで先生の期待位に上手く絵を描くという今の自分にできそうもない所はあきらめよう。自分のできる範囲で精一杯描けばよいのだ。と心を決め、催眠療法でもそれを自分に強く言い聞かせるように暗示して絵の先生の前でもなんとか震えないで描けるようになったのでした。
また、ある壮年男性は研修会においてふと皆の前で発言してみようと思いつき、手を挙げて発言をはじめたのでした。ところがすぐに自分が意見を明確にまとめていないことに気付いてしまったのです。「自分の考え意見を早くまとめなければ、、でもすぐにはできない、、もう発言を止めようか、、いやなんかまとまったことを言わなければ、、」などと葛藤し焦り、体が固まり口がこわばり終いには焦るばかりで中途半端なままに発言を終えたのでした。
この壮年男性の人前での心の葛藤状態はまさに、その2の章で述べた例えのように、すでにプールに飛び込んでいるにもかかわらず、泳ごうか止めようか考え込んで溺れてしまう人と全く同じ状態であるのがわかります。
あがり症で長年悩んでいる人は「私は話し下手だ」との苦手意識や人前であがってしまうことが劣等感となっています。また過去に人前でとても苦しかったり恥ずかしい思いをしたトラウマがそのつどよみがえり、それを思い出すだけでも、体がこわばり心臓の鼓動が早くなったりすることも起こってきます。
このような場合には、その4の章で述べたような葛藤状態は心の奥にいってしまってすぐには意識されません。
この頃にはもう人前に出ることが大嫌いになっています。心の葛藤状態もかなり変化して「なんとか人前に立たないで済ませられないか、、なるべく早く終わらせたい、でもちゃんとやらねばならないし、、」と、立ち向かう気力も出ないで、それから何とか逃れたい気持ちが強く働いてしまいます。
人前に出るということは、そこで何かを表現したり伝えたり訴えたりするということです。それは前にその2の章で述べたように、ヨーイドンでプールに飛び込んだらとにかく手足を動かしてゴールまで泳ぎ切ることと同じなわけです。
人前に出たらとにかく何かを表現する必要があるということ(プールに飛び込んだらとにかく手足を動かしてゴールを目指す)を再確認して、そして逃げないでそれに前向きになるというような基本の所から立て直して行く必要があります。
あがり症でも症状が重い(対人恐怖症を伴うようだったりする)場合には個別の心理療法でその克服に取り組まれるのがよいのです。
何事もですが、問題が難しくなればなるほど簡単なアドバイスや「こうすれば良くなる」というようなハウツウ的な解決策は通用しなくなります。なぜかというと頭に知識を得て、それで外界や自分の心身をコントロールするという事ができないレベルにあるからです。
神経症でも重くなればなるほど心と身体の亀裂が強く複雑になっているといえるでしょう。
心と身体がうまく繋がっていなければ、いくら良い知識を頭に入れたとしても頭で思うことと心身のエネルギーやその動きとが噛み合わないので「努力逆転の法則」などと言われるような空回りに終始します。時にはそれでより心が複雑になって、ますます心と身体の繋がりが遠のいてしまう場合さえあるのです。
ここでは本格的な心理療法の説明が主ではないので詳しくは述べませんが、気持ちをよく解ってくれる信頼できるカウンセラーに共に歩んでもらい支えられることではじめて心身まるごとが変化していける場ができあがります。その中で次第に心と身体が繋がる事を体験し、治癒が起こり、その個人の個性にあった心身一如を会得できるわけです。
真面目で正直で誠実であればあるほど自分に厳しくもなりますから、人前に出たときにも「自分の内面にはみんなに表現するほどのものや自信を持って見せるようなたいしたものがないなぁ、、」と弱気にならずにはいられません。
そのうえに、日本ではその場での一体感を優先しますから、みんなの前にひとりで立つ時にさえその場の一体感を壊さないようにしようと気をつかいます。冠婚葬祭などは粗相のないようにふるまわねばなりません。また個人的にも「恥をかきたくない、みんなに良く見られたいし認められたい」などとと思えば、ありのままの自分とはかけはなれた理想的な格好いい行動や発言をしなければならない、とプレッシャーがかかります。
それに真面目で正直で誠実だと、嘘がつけませんから格好だけうまくやらねばならないとか本音や自然体と違うところを見せなければならないという状況に耐えられなくなったりして葛藤もより強くなってあがってしまうのです。
逆に他人がどう見ているかは関係なく「自分は凄いんだ、天才なんだ」などと思いこんで反省することのない人はあがらないわけです。
また極端な例えですが、どこかの政治家やプレイボーイのように、自分は口がうまくて何とでも誤魔化せる、などと思っている人も自分の内面がどうあろうとそこの反省はしないので、葛藤も起こらずあがりもしないのです。
その5の章で「人前に出るということは、そこで何かを表現したり伝えたり訴えたりするということです」と言いましたが人前であがっている時にはこの基本の部分がどこかに行ってしまいがちです。
それは例えばラブレターを書くときに時に陥ることのある心理状態と同じでもあります。ラブレターは好きになった人への自分の愛する思いや気持ち伝えるのが本来の目的です。ところが「その手紙を読んだ時相手にガッカリされたくない。嫌われないようにしたい。できればこの手紙を読んで自分を好きになって欲しい、、」などと思いが膨らんでくるとします。すると次には「相手が自分を好きになるように書くにはどうしたら良いだろう、、」などと考えます。
この時にはもう元にあった自分の素直な思いや愛情とは分離したところで文章を考えるようになっています。そしてもちろん恋愛小説家ではないのだし、ましてや相手が自分を好きになるような文章なんてわかるわけないので筆はいっこうに進まず、行き詰まってしまいます。
これと全く同じことといっていいわけですが、人前で「みんなに変に思われたくない、良く見られたいし認められたい、、」などと思えば、見た目の格好良さがどうなのか気になりだします。またより緊張が強くなってくると今度は焦りの中であがっていることを知られたくない、バレないようにしなければとそちらが気になってきたりさえしてしまうのです。
上に述べたように人前に立ってから本来の目的から外れたりブレ(葛藤)たりしないためには、まず人前に出る前に、人前に出たらそこで自分が何を表現するのか、みんなに何を伝えたいのかなどをシッカリと意識し準備しておく必要があるのです。
その7やその8の章で述べたことと重なるのですが、ここでは少し違った側面から考えてみます。
あがり症が癖となってしまって長引いたり、その症状が強くなったりしてくるとそれが劣等感となります。そして人前を避けるようにもなってきます。そうなると自分自身に自信がないことがクローズアップされてくるのです。そこで見過ごされがちになるのが『表現したり伝えたり訴えたりするその内容の方に自信がない』という点です。
考えてみれば人前で何かやる時、伝えたいもの(内容)に自信がなければ、よほど嘘が上手で誤魔化すことに自信があるか、逆に自信がないことを正直に告白するのでなければどうして良いか分からなくなってしまうでしょう。葛藤して身動き取れなくなったり、焦ってしまう方が自然なのです。人前に出ることが嫌で本音のところでは何も人に伝えたいことがないのに仕方なしにやらなければならない時など緊張が強くなって当然なのです。
この側面から考えてみても、人前に出たらそこで自分が何を表現するのか、みんなに何を伝えたいのかなどの中身をハッキリ意識していること、そしてその中身を人に伝えたい!と強く思っていることがとても大切なことであるのがわかります。
人前に出た時には、人に聞いてもらいたい、見てもらいたいなどと思えるような伝えたい気持ちがこもった中身がなければ始まらないのです。
参考電子図書 : 『あがり症克服のコツ 1~17』
