ぎんいろのもり



誰も知らない森の中、一人の男の子が住んでいました。
「きゅ」
きゅ、という言葉しか持たない彼には名前がありません。でもそんなものなくても平気。だってここには彼しか住んでいないから。男の子は気付くとこの森で一人きり暮らしていました。

ある寒い冬の日の事。寒い寒い、氷の花があちらこちらで咲いた朝。
「きゅ、きゅ?」
男の子の森で、何か音がします。朝からお昼になっても聞こえる音が不安になった男の子は茂みの陰から目を凝らして音のする方を覗き見ました。すると
「みい、みい」
みい、と言いながらきょろきょろ周りを見回しては泣いている女の子が一人、ぽつんと座り込んでいました。白い手足に白い髪はまるで今朝咲いたばかりの氷の花のよう。
男の子はどきどきしながら初めて見る自分以外の生き物に見とれています。
「・・・きゅ」
溜め息のように思わず漏れた声が、彼の隠れた茂みを突き抜けて彼女の耳に届いてしまいました。
「み?」
みいみい響いていた泣き声が止んで、まっすぐ隠れているはずの男の子に近寄ってくる女の子が見えました。男の子が慌てて逃げようとすると、
「みいっ」
その女の子は、男の子よりもずっと遅い足で追い掛けてきました。
「みい、みい、みいっ」
「・・・きゅ」
女の子があんまり必死に追い掛けてくるので、男の子は可哀想になって、逃げるのを止めました。しばらく待って、女の子が男の子に追い付くと、
「きゅ、きゅ」
「みい」
男の子と女の子は、一緒に暮らし始めました。
空を見上げると星や月が、周りを見れば木や花が、そして時折ちらつく雪さえも女の子にとっては全てが初めてのもののようでした。
「きゅ」
「みい」
「・・・み、い」
「・・・き、ゅ」
二人は毎日一緒にいました。そうして、お互いの言葉を言えるようになりました。
「みい」
「きゅ」
二人はもっと一緒にいました。そうして、男の子は女の子を「みい」と、女の子は男の子を「きゅ」と、呼ぶようになりました。
「みーい」
「きゅっ、きゅ」

楽しい日々があっと言う間に過ぎて、最初に出会ったあの寒い朝がまたやって来ました。綺麗な氷の花がそこら中に咲いた朝。
みいは、とことこ歩き出します。
「み、い・・・?」
首を傾げて見つめているきゅを振り返って、みいはニコッと微笑いました。その笑顔が傍らに咲いている氷の花に映ってきらきら光っています。きゅはそれがとても綺麗に想えて、見とれてしまいました。
「み・・・」
もう1度、みいの名前を呼ぼうとしたきゅは、ゆっくりとそのままその場に倒れてしまいました。きゅの瞳からはもう光が消えて、幸せそうな微笑みだけが口元を飾っています。 みいも、それから、ゆっくりときゅに重なるようにして倒れました。 二人はずっと一緒にいました。ゆっくりゆっくり時間をかけて、みいの身体ときゅの身体は、やがて溶け始めました。ゆっくりゆっくり時間をかけて・・・そうしてすっかり溶け合って、どこからどこまでがみいで、どこからどこまでがきゅか全く誰にも解らなくなった頃、またあの寒い朝がやって来ました。
「きゅ?」
咲き乱れた氷の花に埋もれるようにして、一人の男の子が現れます。
「きゅ、きゅ」
きゅ、と言いながらきょろきょろ周りを見回しては泣いている男の子が一人、ぽつんと座り込んでいました。白い手足に白い髪はまるで今朝咲いたばかりの氷の花のよう。

誰も知らない森の中で、一人の男の子が住んでいました。
「きゅ」
きゅ、という言葉しか持たない彼には名前がありません。でもそんなものなくても平気。だってここには彼しか住んでいないから。男の子は気付くとこの森で一人きり暮らしていました。


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