深い深い森の奥に、1匹の。 やまあらしが、棲んでいました。 以前は川の向こうに棲んでいました。 その前は砂漠の方で棲んでいました。 またその前は海の近くに棲んでいました。 いろんな場所で、棲んで来ました。 やまあらしは、いつでも。 その耳で辺りを伺っていました。 例え眠っていても。 いつでも、いつでも。 何者からも、自分を守れるように。 いつでも、いつでも。 身体にある無数の針を逆立てて。 敵を刺す事が出来るように。 やまあらしは、いつでも、伺っていました。 情けない程寒い夜が明けた頃。 がさがさっ。 洞穴の中で眠っていたやまあらしは、何かの音を聞きました。 『・・・・』 ぴく、と動かした耳をじっと澄ませて、そのまま。 やまあらしは、じっと固まったまま動きません。 しばらくして。 また、何かの音がしました。 がさがさっ。 がさがさっ。 『・・・・』 ぴくぴく、と耳を動かして。 やまあらしは、少しずつ。 その身体にある無数の針に集中しました。 いつでも。 いつでも、自分を守れるように。 がさがさっ。 今度はすぐ傍で聞こえた気がして。 やまあらしは、思わず、全身の針を逆立てました。 緊張しながら辺りを伺っていると、ふと。 洞穴の入り口に、茶色い塊を見付けました。 『・・・・』 針を逆立てたまま、ゆっくりと近付くと。 茶色い塊は、まだ幼い仔犬のようでした。 『・・・・』 ぐったりと倒れているそれに、思わず。 やまあらしは触れてみました。 がさがさっ。 仔犬は、顔をしかめてもがきました。 『・・・・』 やまあらしは、あわてて手を引っ込めました。 見ると、仔犬の手から紅い玉が滲んで来ました。 それから、やっと、自分が逆立てた全身の針が。 何故だか、どうしても直らない事に気付きました。 『・・・・』 『・・・・』 『・・・・』 やまあらしは困りました。 仔犬の顔色はどんどん青ざめて行きます。 早く運んで風のあたらない場所で。 夜の寒さに浸された身体を暖めてあげれば。 がさがさっ。 がさがさっ。 苦しそうな仔犬の爪が土を掻きます。 『・・・・』 その音がますます、やまあらしを焦らせます。 がさがさっ。 がさがさっ。 がさがさ、がさ、がさ。 がさ、が、さ。。。 海の近くで友達を刺しました。 砂漠の方で仲間を刺しました。 川の向こうで恋した相手を刺しました。 『・・・・』 やまあらしは泣きました。 大声を上げて泣きました。 あまりにそれが大声だったので、 やまあらしの耳は耐えきれないで鼓膜を破ってしまいました。 やまあらしは泣きました。 涙を流して泣きました。 あまりにそれが大量だったので、 やまあらしの心は耐えきれないで息をする事を止めました。 やまあらしは泣きました。 そこら中暴れて泣きました。 あまりに暴れ過ぎたので、 やまあらしの針は全て内側に向かって深く深く食い込んでいました。 深い深い森の奥に、1匹の。 やまあらしが、棲んでいました。 以前は川の向こうに棲んでいました。 その前は砂漠の方で棲んでいました。 またその前は海の近くに棲んでいました。 いろんな場所で、棲んで来ました。HOME | TOP