私は、今、夢を見ている。


 目の前に広がる新しい景色。
見たこともない道。見たこともない林。見たこともない町並みが
眼前に迫ったかと思いきや、次々と背に流れてゆく。

幼い私にとって、それは異世界への旅のようなもの。
何があるのか、家に帰れるのかさえもわからない
あまりにも広すぎる世界への旅。


 でも、どんなに遠くに行っても怖くはなかった。
なぜなら、
この自転車の後ろが
私の帰るべき場所だから。


いつもいつも寄りかかってきた背中がそこにある、
それだけで良かった。

幼い頃から、自然にそう感じていた。
まるで、生まれる前からの事のように、
それが当たり前だった。


でも、これからは・・・

そこで、目が覚めた。

Destiny's Child

St.Flavaさん・作

気がつけばそこはベットの上。今は11月も終わりを迎えようとしてる季節だった。
部屋の空気は冷たく、手を伸ばしただけで全身にヒヤリとした感覚が走る。


ここ最近、いつも昔の夢を見る。
理由は、簡単なことだ。
夢の登場人物がすぐ隣で寝ていたから。
あの頃と同じように、一晩中一緒にいたから。


朝を迎えるたび、何年たっても時が止まってるような空間が
ここにあるような錯覚におちいる。
何か面白おかしくなり、栞は彼に微笑みかける。
武はそんな彼女の視線を意にも介せず
夢の世界から抜け出してこようとはしない。


そんな彼の体を再び抱きしめると
やはり自分の居場所はここにしかないという気持ちが
強く沸いてくる。
一生追いかけたい背中がそこにある。


だけど、これからは・・・


後ろを追いかけるだけじゃだめ。
寄りかかるだけじゃだめ。
これからは、時には彼を追い越し、
正面から向き合い
瞳と瞳で、話し合うようにしよう。

お互いが、お互いの痛みを分かち合える
二人になろう。
それが、私があの朝、
心の中で誓ったこと。
時は、決して止まってなんかいないんだから。



 少しのためらいの後、栞は一人で起きあがる。
母は仕事の都合でこの一週間、家を空けていた。
ここ数日の朝食は全て栞が作っている。
あと20分ほどもすれば、彼が眠気眼をこすりながら
コーヒーの匂いにつられて起きてくるのだろう。

「明日から、かぁ。」

独り言にしては妙に重みのある声が、部屋に響きわたった。
明日で自分たちに課せられた停学期間は終わる。
それは、夢心地の日が終わることと、
現実と向き合う日が始まることを同時に意味していた。
この数日間、一瞬たりとも目から離れたことのない
光景が浮かぶ。


 それは彼女が、万葉さんが泣いている姿。
きっと今も、ひとりぼっちの部屋で泣いている。
彼の近くに居たからこそ、その想いの強さは
誰よりも知っていた。
あの人は今何を想っているのだろう。
あれだけ強い心が砕かれた今、
彼女は彼女でいられるのだろうか。


あの人に、明日から私はどう接してゆけばいいのか。
一週間、頭の中で考え続けても
結局、答えは見つからないまま。


もちろん、もうすぐ階段を下りてくる人に
尋ねる事など、出来ようはずもない。
彼が同じ悩みを抱いているのは間違いないから
だからこそ、自分の力で答えを出さなきゃいけない


 鏡に、暗い顔の自分が映る。

いけない、いけない。
気持ちを表に出すことは大切だけど、
全てをあからさまにしちゃいけない時だってある。
今までかけすぎてきた彼への負担を
少しでも和らげるよう努力しなくちゃ。


栞は、季節の移り変わりと共に
新しい自分のあるべき姿を見いだそうとしていた。


 だけど・・・

自分が出来ることの少なさに気づき、ついつい顔が暗くなってしまう。


気分転換がてら、散歩にでも出かけようかと思った瞬間、
栞は玄関のポストに、小さな封筒が入っているのを見つけた。
ふと目をやると、丁寧な文字で自分への宛名が書かれている。
その横に控えめに記された差出人の名前を見て
顔が不意に明るくなる。

「天野先輩!」



 その名は、栞が慕い続けていた先輩のものだった。
京都から帰るやいなや、真っ先に旅先の出来事を
語りたかった栞のもとに届いた知らせは

「天野先輩が両親の急な都合で、再び外国へ飛んだ。」

というものだった。
残念な知らせに栞は心底悲しんだ。

せめて手紙だけでもと思うも連絡先がわからず
半ばあきらめかけていた矢先に届いた知らせ。


栞ははやる気持ちに抗する事が出来ず、
冷え切った玄関先で封を開いた。

・・・

「拝啓、斎 栞様。

こんにちは。突然、別れることになってしまって
ごめんなさいね。両親の都合で、私は今遠い国にいます。」


 嬉しかった。
これで先輩と連絡が取れる。昔のように、電話でも手紙でも
たくさんお話が出来る。


「本当は口で伝えたかった事がたくさんあるけれど、
このような形になってしまったのは残念です。
まずは、おめでとう。」


 え? なんのこと?


「栞さんが、隣にいる人と一生幸福でいられるよう
遠い国から、祈っています。」


 ・・・知っている?
京都のこと。でも、なんで?
相変わらず不思議な先輩。
それでも、そんな疑問にはおかまいなく
栞の顔は反射的に朱くなっていた。
純粋に、嬉しい気持ちの方が勝っていたのだ。
褒めて欲しい人に褒めてもらった。
それだけでよかった。


「あなたは優しいから、きっと大丈夫でしょうね。
そして、優しいからこそ今悩んでいる。」


栞の内面を、事もあろうに手紙でぴたりと言い当てた先輩。
やっぱり、この人は凄い。


「悩むことではないのよ。
あなたがそういう心を持っていれば
”どう接するか”なんて、時間をかければ
自然にわかってくるものだから。
人の心を救うのは言葉や態度じゃなく、心そのものよ。
あなたには、それが出来ると思うの。」


栞は、自分の暗い気持ちが徐々に洗われてゆくのを感じた。
まるでその場で諭されてるような気分、
強いエネルギーを持った手紙だった。


「一つだけお願いね。彼女から逃げないで。
彼女の目を見て。そうすれば、彼女の望む答えを
感じることが出来るはずだから。」


「先輩・・・」

まるで天野先輩がその場にいるような気分。
手を伸ばせば、届いてしまうのではないかと思えるほどの
存在感、そして彼女の暖かみを感じ、
栞はしばらくの間、幸せに包まれていた。



「帰ろかな。」

手紙に読みふけっていたため気づかなかったが
無意識のうちに、家から少し離れた場所へ歩いてしまったようだ。


 ・・・この場所?
栞はふと周りを見渡した。
ここは、どこかで見たことがあるような気がする。



見覚えのある道。見覚えのある林。見覚えのある町並み・・・
気づけばそこは、あの日自転車の上から見た景色だった。


 私はもう、たった一人で、ここまで来れるようになってしまったんだ。


栞は、嬉しいような、寂しいような
不思議な気持ちになる。
距離的にはたいしたことはない、家から数分の近所だった。


「きっと私の心があの頃と違う、遠い場所へ行ってしまったから
この場所を近くに感じるようになったんですか?先輩。」


「そうね。だけどその移り変わった心が、今のあなた
の力になるならば、それでいいんじゃない?
あなたは、一歩前に前進したのよ。」


最後の言葉は、栞の耳に直接入ってきた。
栞は、もはやそれを不思議とも何とも思わない。


ただ、純粋な感謝の気持ちと
新しい誓いを胸に抱き
意気揚々とした足取りで、家路を急いだ。



明日、具体的に何をすればよいかなんて思いつかない。
だけどいつか、万葉さんと笑って話し合える日が来る。
私にはそれが出来る。


先輩が勇気づけてくれたから。

そして・・・

ここから、一人で家に帰れるようになったんだから。


to be continued...

2003.2.6

読んでいただいた方、ありがとうございます。
ベクトルはかなり違いますが
八神さんの「ここより永遠に」の栞バージョンみたいなものになりました。
万葉の感情、聡子の役回りが大きく異なってきますが。
後編は、栞に引き続き万葉のもとに聡子(not 薙)からの手紙が届きます。

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