夏の終わりというものを、寂しいと感じるのは俺だけだろうか。
別に秋が嫌いな訳じゃない。夏は好きだけど、終わるのが嫌って程でもない。だけど、夕暮れの訪れが少しずつ早くなっていくことを実感したり、いつの間にかセミの大合唱が聞こえなくなっていたことに気が付いた時なんかに、ふと、何ともいえない寂しさを感じてしまう。
それはきっと、どの季節にも属さない、この短い期間だけの特別な感情なんだろうと思う。
そして俺は今、そんな寂しさを持て余して、途方に暮れていた。
毎年感じていたものとは、少しだけ、だけど確実に違う、そんな寂しさを。
Written by Jimmy
「──立真」
運動公園の原っぱ。想い出のこの場所で何となく風景を眺めていた俺に、不意に背後から声が掛かる。
顔を向けるとそこには、俺のよく知るポニーテールの少女が佇んでいた。
「……奈瑚か。どした?」
「……立真こそ、こんなところで何してるのよ?」
俺の問いには応えず、逆に問い返される。
けれど、その表情が何よりも雄弁に奈瑚の気持ちを物語っていた。
けれども俺は、それに気が付かないふりをして答える。
「うん、ちょっとな」
「……そっか」
俺の返事に、奈瑚は少しだけ哀しげな表情で笑った。似つかわしくないその表情に胸の奥がずきりと痛む。けれど、彼女にそんな顔をさせているのは誰でもない、俺自身なのだ。
一瞬躊躇うように視線を彷徨わせた後、奈瑚は歩を進めて俺の隣に並んだ。
話をするでもなく、そのまま二人でこの風景を眺める。
「もう、夏も終わりなんだね」
暫くして、奈瑚がぽつんと呟く。
その視線の先には、一匹のとんぼ。それは昔から、夏の終わり、そして秋の訪れを告げるものだ。
そうだな、と俺が返すと同時に、もう一匹のとんぼが姿を現す。やがてそのとんぼ達は、寄り添うようにしてどこかへ飛び去って行った。
その姿を見送ると、俺は静かに口を開いた。
「……なあ、奈瑚」
「ん?」
俺の呼びかけに、奈瑚がこちら振り向く。
「ごめんな」
「え?」
「心配かけて」
「ちょっ、そ、そんなんじゃ無いわよっ。なんで私があんたの心配なんか……」
「でも、ごめん。……それと、ありがと」
「あ……。……うん」
奈瑚の気持ちには気付いていた。
いくら俺が超が付くほどの鈍感だとは言っても、最近の奈瑚の態度を見ていれば解る。
伊勢が逝ったあの日。
俺の心にぽっかりと穴が空いたあの日から、奈瑚は影に日向に俺を支えてくれていた。
だからこそ、俺は思う。
「俺は……卑怯だよな。なんだかんだ言って結局、奈瑚に甘えてるんだ」
そう。俺は卑怯だ。
伊勢を想って今でも心の中で泣いているくせに、奈瑚の優しさに心を安らげている。奈瑚の傍にいることが、心地良いと思ってしまう。けれど。
「……いいんじゃない? 大体立真さぁ、何でも一人で頑張りすぎなのよ。そりゃあね、あんたの境遇を考えれば、そんな風に何でも自分一人で、ってなっちゃうのも判るけど。だけど……せめて私達にくらい……ううん、私にくらいは、甘えてくれたっていいじゃない……」
ほんと、バカなんだから。そう呟くと奈瑚は、寂しそうに笑った。
そんな奈瑚を見ているのが辛くて、俺は視線を再び周りの風景に向ける。……それも甘えでしかないことは、解っていたけれど。
と、その時。
「あーあ、やぁっぱりこうなってたかぁ。ちぇっ」
……え?
不意に背後から聞こえたその声に、一瞬身体が硬直した。
だってそれは、聞こえるはずのない、声だったから。
俺が慌てて後ろを振り返ると、そこには。
「はおっ。お久しぶりぃ」
さらさらの綺麗な髪を風になびかせて立つ、一人の少女。
どこか照れたような表情で笑う、その少女は──
「伊勢!?」
「涼葉!?」
「いやん。そんなに見詰めないでぇ(はぁと)」
あの日、俺達の前で確かに消えたはずの、伊勢涼葉だった。
§§§
「どーしたの、二人とも? あ、もしかして久しぶりに見る涼葉ちゃんスマイルに胸がどきどき? ああん罪なわたし」
そんな事を言いながら身をくねらせる伊勢を、しかし俺達は呆然と見詰めることしか出来なかった。
言葉が……出ない。出るはずが、ない。
だって、目の前に。
もう二度と逢えないと思っていた彼女が、立ってるのだから。
ずっと片想いで。
知らない内に死んでしまってて。
でも、それなのに幽霊になってでも逢いに来てくれて。
やっと両想いになれた途端に消え去ってしまった、彼女が。
「な……なんで? 涼葉、成仏したんじゃなかったの?」
やがて、先に我に返った奈瑚が、俺の気持ちを代弁したように震える声で訊ねる。
それに対して伊勢は、にっこりと満面の笑みを浮かべると、
「やーねぇ、成仏なんてできるわけ無いじゃない」
爆弾を、投下した。
「死んでもいないのに」
………………………………………は?
一瞬、意識が飛んだ。
「今……何て?」
「だからね、私……死んでなかったの。てへっ☆」
死んで……なかった……?
それじゃあ……それじゃあ、今、目の前にいる伊勢は……。
「じゃ、じゃあ、あの日の出来事は……何だったの?」
「何だったって言われてもぉ……」
呆然自失の状態からようやく復帰した奈瑚が半信半疑って感じで訊ねるけど、しかし伊勢は、のらりくらりとその質問に答えようとしない。
暫くそんな会話が続いた後、やがて焦れたように奈瑚が叫んだ。
「大体涼葉、足無かったじゃないっ!」
「ああ、あれね。あれは……えっとー」
人差し指を唇に当て、んー、と少し考えると、一言。
「生霊、ってヤツ?」
「…………こ」
「こ?」
「こ、こ……」
「ここ?」
「こんのぼけぼけゴーストが──────っ!!!」
「ゴーストじゃないもーん」
「くっ、あー言えばこー言う……」
「……奈瑚は私が生きてたこと、喜んでくれないのね……」
「え、あ、そ、そんなわけじゃ」
「ううん、いいの。私、奈瑚にいっぱい迷惑掛けちゃったし、嫌われて当然よね」
「だ、だからそんなことないってば!」
「やっぱり私、死んだほうが良か───って、え? ちょ、ちょっと五代君?」
気が付くと、俺は伊勢を抱きしめていた。
伊勢が焦ったように身を捩ったが、構わずぎゅっと力を込める。
……暖かい。本当の、生身の身体だ。ほんとに伊勢は、生きてたんだ。
「……よかった」
知らずに口をついた言葉は、震えていた。
「五代君……」
伊勢が、ハッとしたように顔を上げた。
次いでその表情が、少しずつ歪んでいく。
「ばかね……何も泣くことないじゃない……」
そう言う伊勢の瞳からも、涙がつーっと流れ落ちた。
その涙が嬉しくて、切なくて、愛しくて、だから俺は───
「よかったね、立真……」
思わず、背後を振り向く。
そこには、優しい笑顔を浮かべながら俺達を見詰める奈瑚の姿があった。
……しかしその表情とは裏腹に、瞳には零れ落ちそうなくらいの涙。
「あ、あれ? あはは……泣くつもりなんてなかったのに……」
慌てたように目元をごしごしと擦る。
「ご、ごめん、邪魔しちゃ悪いから私、先に帰ってるね」
そして泣き笑いの表情でそう告げると、奈瑚はばっと身を翻した。
「待って、奈瑚!」
けれど、間を置かずに掛けられた伊勢の声に、びくん、と固まってしまう。
伊勢はそんな奈瑚に歩み寄ると、俯いてしまった彼女の正面に回り込んだ。こつん、と軽くその頭を小突く。
「もお……」
心底呆れたような。
「ほんっと、お人好しなんだから……」
けれど、大切な何かを慈しむような声で伊勢は呟くと、奈瑚の身体をそっと抱き締めた。
そして。
「五代君。私のこと、好き?」
顔を上げ、唐突に俺にそう訊ねる。
「……当たり前だろ」
返事が遅れたのは、不意の質問に驚いたからだけでは無かった。
俺は間違い無く伊勢の事を好きだ。伊勢がいなくなってからの俺は、まるで抜け殻のようだったと思う。
けれど。
けれど、そんな俺を、奈瑚はずっと支えてくれていたのだ。
俺はそんな奈瑚のことを───
「でも、奈瑚のことも好きなんでしょ?」
思わず、ぽかんと伊勢の顔を見返してしまった。
「ね、正直に答えて。奈瑚のことも、好きなんでしょ?」
……ははっ、まったく、こいつは。思わず苦笑が漏れる。
一ヶ月振りの再会だってのに、ちゃんと俺の気持ちに気付いてたんだな。
ホント、敵わないと思う。
ならば俺も、正直に告げなければならない。不誠実なヤツだと思われるかもしれないけれど、それでも、俺は目の前の二人を、同時に好きになってしまったのだから。
「ああ、そうだ」
意を決して俺がそう答えると、奈瑚が驚いたように目を見開いた。
「立真……」
「まー私も、もう消えちゃうと思ってたとはいえ、『五代君のこと、よろくしくね』なんて言っちゃったしね」
そんな俺たちを見比べながら、伊勢がやれやれといった感じで苦笑した。
そして、とんでも無いことを言い出す。
「だからね、奈瑚。勝負しましょ」
「へ?」
「五代君を賭けて、ね?」
「……ええっ!?」
驚く俺と奈瑚を他所に、伊勢はいかにも名案だと言わんばかりの、得意げな表情で俺たちの顔を見回した。
「かたやスタイル抜群の美少女。かたや胸がぺたんこな幼馴染。まあ互角の争いなんじゃない?」
「……あんた……互角だなんてぜんっぜん思ってないでしょ……」
「とおんでもない。奈瑚、あなたは幾ら胸がぺたんこでガサツで男の子みたいだとは言っても、五代君と同じ、一つ屋根の下で暮らしてるのよ? それなのに私の方は、スタイル抜群でルックスにも恵まれてるとはいえ、暮らす家どころか通う高校まで全然別。どっちかって言うと奈瑚の方が有利なんじゃないかと思うわよ?」
「胸がぺたんこでガサツで男の子みたいで悪かったわねっ!」
「だってぇ、事実でしょ?」
「んくっ……だ、大体、私が有利だって言う割には随分と余裕あるんじゃない?」
奈瑚のもっともな問い掛けに、伊勢はんふふーと笑うと、俺にちらりと流し目をくれる。
「だって私、一度は五代君と想いが通じ合ってるしぃ♪」
───ぶちん。
なんかそんな音が聴こえたような気がした。
「立真!」
ギロン、とこちらを振り向く。
……なんか目が座ってるし。
「な、なんだ?」
「ぜぇったいに私の方に振り向かせてやるんだからっ! 覚悟しなさいよぉ……」
ふふっ、ふふふふふふっ、と不気味な笑いを漏らす奈瑚。
あのー奈瑚さん、ちょっと怖いんですケド。たらーりと冷汗を流しながら、心の内で呟く。
「がんばってねー」
そんな奈瑚に動じる様子もなく、伊勢がにっこりと笑いながら声援を送る。……なんだかなー。
あー、奈瑚もなんか握りこぶしをふるふると震わせてるし。
「くっそー、本気でムカついてきたっ! ぜ────ったいに負けないんだからっ!!」
「……ぷっ、くくっ、あははははっ」
むきーって感じで腕を振り回す奈瑚の姿に、遂に声を挙げて笑い出す涼葉。
それに食って掛かる奈瑚。
そんな二人の姿に、俺も自然と笑いが込み上げてくるのを抑えることができなかった。
晴れ渡った空の下、二人分の笑い声と一人分の怒声が響き渡る。
やがてそれが、三人分の笑い声に変わるまでに時間は掛からなかった。
これから俺たちがどうなるのかは解らない。
泣いたり、笑ったり。喧嘩したり、仲直りしたり。良いことや悪いことが、たくさんあるのだと思う。
けれど、きっと。
これからの夏の終わりを、さっきまでのように寂しく感じることは無いのだろう。
この二人の少女がいる限り、季節は輝き続けるのだから。