「信じがたい話だな」
口元にだらしなくくわえた煙草に火をつけながら、佐々木道元は呟いた。
診察室というこの場所で、しかも医者であるという彼の立場からは、当然、その行為はふさわしくない。
しかし、彼はそんなことを気にかけてもいなかったし、診察台から降りた小町つぐみも、咎め立てはしなかった。
ただつぐみは、着衣を直しながら、皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
「あなたって、意外と頭が悪いのね」
「……ずいぶんだな」
「だって、そうでしょう? 事実を前にして、信じるも信じないもないわ」
にべもない言葉に、道元は肩をすくめて見せた。
そう、確かに信じがたい話だが、貴重な実例を前にしては、その話を受け入れるしかなかった。
「キュレイ……不老不死の肉体か……」
「……」
道元は公に医者として名乗ることのできない、いわゆる「闇医者」の類だった。
そして、世の中には、公の医者に頼るわけにいかない者も、大勢いる。つぐみも、その一人だった。
つぐみと道元のつきあいは、それなりに古い。つぐみは決して道元を信用してはいなかったが、裏社会にコネがあるわけでもないつぐみには、ほかに当てがなかったのだ。
LeMU脱出後三カ月、体の不調を覚えたつぐみは、道元の診察を受けた。自身の体の秘密――キュレイについて知られる、とわかっていながら。
どうせ死ぬことのできない体だからと、どんな病気も怪我も放置してきたけれど、今度はなぜかそうできない胸騒ぎがあった。
「道理で、初めて会った頃から変わらないわけだ。若作りだと感心していたんだが」
「……」
意味のないことに、つぐみは答えない。
道元は再び肩をすくめた。
「学説は聞いたことあったが、こんな稀有な例に出会えるとはね。まさに神の奇跡って奴かな」
「……」
道元の言葉を聞いて、つぐみが不思議そうに振り返った。そして、首を傾げる道元に、嘲笑して見せた。
「ほんとに、頭悪いのね」
「……あん?」
「神様なんて、いないのよ」
――瞬間。
不覚にも、道元は寒気を覚えた。
ほんの軽い冗談のように呟かれたその一言。それを口にしたときの表情、その瞳。
そこに秘められた、暗く、激しい狂気に。
「人が本当に神様の作ったものなら、こんなに罪深い生き物のはずがないわ」
命をほしいままにもてあそび。
同胞である人でさえ、ためらいもなく切り刻む。
そして。
この世でただ一人、かけがえのないあの人を、私から永遠に奪った――。
「……」
勢いに飲まれて絶句した道元は、何かを振り払おうとするかのように、軽く頭を振った。そうして、ことさら皮肉な調子で言葉をはき出した。
「なるほど。お前の呪われた運命も、そして、その腹の子も、すべて人の営みの結果に過ぎないというわけだ」
「……え……?」
はじめ、何を云われたのかわからなかった。
きょとんとした顔で見つめてくるつぐみに、道元はやはり皮肉な笑みを向けた。そんな顔をすると、意外に可愛いじゃないか。
「間違いないな。三カ月といったところか」
「あ……」
思わず、つぐみは自分の腹に手を当てた。
そこに、命が宿っているという。
「生きろ」と勝手なことを云っていなくなってしまったあの人が、残してくれた、命。
「……」
怖かった。
不老不死という呪われた運命を、この子にもまた負わせてしまうのではないかと。
けれど、それでも。
つぐみは、至福の笑みを浮かべていた。
そして、聖母のように優しい涙を流すその横顔を、道元は突き刺すような視線で見つめていた。
*
「信じられないよ、そんな話」
弱々しく頭を振って、桑古木涼権
そんな少年に対し、びしっと彼女は細い指を突き立てた。
「私だって、信じられないよ! だけど、信じるしかないの!」
「……どうして?」
「どうして? 倉成とココがまだあそこで助けを待ってるかも知れないっていうのに、それこそどうして、そんなことが云えるかなあ?」
「だ、だって、それならなおさら、十七年も待つとかじゃなくて、今すぐ助けに行くべきじゃないか」
「知らないわよ! 十七年待てって、云われたんだから!」
「……めちゃくちゃだよ、優……」
深いため息と同時に、少年は彼女の愛称を呼んだ。
そう、「優」はあくまで愛称である。彼女の本当の名前は嘘のように長い。
田中優美清春香菜。
それが彼女の名前だ。
二人は今、優の家にいた。
彼女たちがLeMUの圧潰から救出されて、三カ月。様々な検査や事情聴取からようやく解放された時期だった。
少年は優に呼び出され、ブリックヴィンケルなる人物(?)から優が託された話を聞いたのだった。
一緒に逃げられなかった倉成武と、八神ココが生きている。そのことは少年を驚喜させたけれど、彼らを助けるためには、十七年後、あの悲劇を再現して見せなければならないと云われては、すぐに納得できるはずもなかった。
「だから、めちゃくちゃだろうとなんだろうと、そうするしか――!」
優自身、すべてを納得して話をしているわけではない。その苛立ちが、つい声を大きくさせてしまったが、そのとき、ちょうど小さい子供の泣き声が聞こえてきて、はっと二人は口をつぐんだ。
その部屋にいたのは、二人だけではなかったのだ。
「ああ、ごめんごめん、びっくりさせちゃったね……」
慌てて優はもう一人の「彼女」に駆け寄り、優しく抱きしめた。
女の子は――もうじき二歳だと優は云った――まだ少しべそをかきながらも、優の体に抱きついてきた。そして、優が優しくその頭を撫でてやると、ようやく嬉しげに微笑んだ。
その様子を見て、少年は今度も軽く頭を振ってため息をついた。
「信じられないって云えば、優に子供がいたってことも信じられないな……」
「うふふ、まあねー」
いたずらっぽく笑いながら、優は自分の分身を見つめた。
分身――まさに言葉通り。
不治の病に冒された自分の命をつなぐために、優が選んだ行為。
だから、「彼女」の名は田中優美清秋香菜。
「……ねえ、少年」
「なに?」
「確かに十七年も待つなんて……って、私もそう思う。でも、倉成とココがあそこにいるって話を信じるなら、十七年後じゃなきゃダメなんだって話も、信じるしかないじゃない?」
「……」
「それに……もしも今すぐ助け出せるとしても、それだけじゃダメなんだよ。それじゃ、何も解決しない」
「……え?」
思いがけない言葉に、少年は思わず顔を上げた。
優は娘の頬を撫でてから体を離すと、少年に向き直った。恐ろしく真剣なその表情に、少年はなぜか鳥肌が立つのを覚えた。
「ライプリヒがやったことを、このまま許しちゃいけない。倉成たちを助けると同時に、あいつらの罪をさらけ出してやらなきゃ。さもないと、何度でも同じような悲劇が繰り返されるわ」
「そんな、ライプリヒみたいな大きな組織を相手に、ぼくらだけで……」
「だから、時間が必要なの。あいつらは、私たちを手放したくないはずよ。なんたって、『キュレイ』に感染してるんだからね。そこが逆に、つけ込む隙になるはずだわ」
「無茶だよ、優……」
「協力して、少年。――ううん、嫌だなんて、絶対云わせないから」
「……優……」
このとき、少年はまだ知らなかった。優の父親の命を奪ったティーフブラウウィルスと、ライプリヒの関わりについて。ただ人が変わったような優の迫力に押されて、息を飲むばかりだった。
やがて、少年は優の勢いに押し切られるように、頷いた。冗談ではなく、ほかに逃れる術はないように思えた。
「わかったよ……。ココと武が助けられるなら、なんだって協力する」
「……ありがとう」
ふっと優が微笑む。ようやく視線をそらせたことにほっとしながらも、少年にはその優の笑顔が、さっきの真剣な表情より、ずっと恐ろしいものに思えてしまった。
狂気をはらむ、とはこんな笑みを云うのではないだろうか……心に浮かんだそんな考えを振り切るように、少年は大きなため息をついた。
「それにしても十七年か……。長いね……」
「……」
「二人が無事であるように……神様に祈るしかないのかな」
「……神様?」
怪訝そうに、優が首を傾げる。そして、再び少年の鼻先にびしっと指を突きつけた。
「神様なんて、いないのよ」
「……ゆ、優?」
「祈りなんて、役に立たない。私たちを救ってくれたのは、倉成の強さと、つぐみの優しさ。だから、今度は私たちが、私たちの力でそれに応えなきゃいけないの」
「……」
「人を傷つけるのも、人を救えるのも、人だけなのよ」
「……うん」
今度こそ、自分自身の強い意志で、少年は頷いた。
そうだ、ぼくはココを助けたい。愛する者のため、ためらわず命を投げ出した武のようでありたい。
そのためには。祈ってなんか、いられない――。
少年の決意に、優は微笑んで頷き返した。
先ほどの笑顔とは裏腹に、優しく包み込むようなその微笑。それはまるで聖母のようだと、少年は思った。
end
2002.10.28
あとがき
2017年と2034年をつなぐ長いながーいお話のプロローグ……的な位置づけなんですけど、続きを書くのはきっと無理です(^^ゞ。
ゲームをやられた方なら、やはり優春の変貌ぶりに驚かれたと思うので、その辺を書いてみたいなあと思ったりしました。
その点、つぐみはいくら年食っても変わらないので(外見じゃなく、性格も(^^ゞ)、あまり想像する余地がないですね。
云うまでもないですが、「佐々木道元」はオリジナルキャラです。ココ編でちょっとだけ出てきた「闇医者」ですね。ビジュアルイメージは『月姫』のロアです。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。