STAY

(チケット、無駄になっちゃったね)

(無駄じゃないよ)

 少しかすれた彼の声が耳によみがえり、小夜美は頬杖をしたままため息をついた。

「4回目」

「……え?」

「ため息。それで4回目だよ。どうかしたの?」

 大学の図書館で、小夜美は休んでいた間のノートを友達に見せてもらっていた。しかし、すっかり手のほうがお留守になってしまい、いつの間にか窓の外をぼんやり眺めていたようだ。

「あ、ごめんごめん。なんでもないのよ」

 慌てて笑顔を作り、再びノートに向かう。けれど意識がどうしてもほかのことに向かってしまい、小夜美の口からまた吐息が漏れた。

「5回目」

 小夜美とゼミを同じくする彼女は、肩をすくめると、ノートを閉じてしまった。

「あ……ごめん、許して」

「これは貸してあげるから、持って帰っていいよ。今日はそんな気分じゃないでしょ?」

「ほんと? ……ごめんね、ありがと」

 ノートを鞄にしまう小夜美を、彼女は興味深げに見つめた。その視線に気づいて、小夜美が決まり悪げに首をかしげる。

「どうしちゃったの? ひっさびさに学校出てきたと思ったら、ぼーっとしっぱなしでさ」

「え……そ、そうかな。今までのんびり過ごしちゃってたから、ギャップが……」

「こ・よ・み・ちゃ〜ん」

 両手を組んでその上に顎を乗せ、彼女はやや上目遣いに小夜美の顔を覗き込んだ。心配しているというより、嬉しそうに目が輝いている。

「私の目はごまかせないよ?」

「……どういうこと?」

「恋、しちゃったんじゃないの? 小夜美ちゃん」

「……!」

 耳まで赤くなる小夜美。それを見て、彼女はここが図書館だということも忘れて、大笑いした。

「あー、図星だぁ。ゼミの男連中が聞いたら悲しむねー」

「ち……違うよ、そんなんじゃなくてっ」

「じゃなくて?」

「じゃなくて……でも……そうなのかな……?」

 だんだん小夜美の声がか細くなっていく。うつむいてしまった小夜美に対して、彼女はずいっと身を乗り出した。

「悩んでるねー。よしっ、おねーさんが相談に乗ってあげよう!」

「……同い年じゃないの……」

「細かいことは気にしないの。で? なになに?」

     *

「それって告白じゃないの」

「やっぱり……そう思う?」

 強引さに押し切られたのと、やはり誰かに聞いてもらいたかったことがあって、小夜美はマリンパークでの出来事を彼女に話して聞かせた。
 小夜美と来られたのだから、チケットは無駄じゃなかった。
 智也のその言葉に対し、小夜美は曖昧に頷いただけだったのだが……。

「なるほどね……。でも、その子、頑張ったよね。おねーさんは彼を応援してあげたいなっ」

「え……どういうこと?」

「自分だってわかってるんでしょ? 酷なことしたって」

「それは……」

「その子は小夜美のことが好きなのに、ほかの女の子をデートに誘えって、チケットあげちゃったんだもんね」

「……」

「でもそれでへこまないでさ、そのチケットで小夜美を誘うなんて、根性あるじゃない。私は好きだなー、そういう子」

「もう、他人事だと思って」

 憮然とした顔で横を向いたのは、彼女に云われるまでもなく、わかっていたからだ。
 でも、あのときはほんとに、気づきもしなかった。ただ、弟の恋愛を応援してあげたいようなつもりで。そりゃあ、ちょっとだけ寂しかったけど……。

「……歳下なんだよね」

 横を向いたままで、小夜美が呟いた。
 だから?と訊き返すように、向かいの席の彼女が首を傾ける。

「歳下だから嫌だってわけじゃないんだけど……、3歳下っていうのがね……」

「……弟さんのこと?」

「うん……」

 目を伏せて、小夜美はうつむいた。そのまましばし沈黙が訪れる。
 小夜美の友達は背もたれに体を預け、三つ編みにした栗色の長い髪の先を手でもてあそんでいた。髪を下ろせばきっと素敵なのに、と小夜美はいつも思うのだが、彼女は「邪魔くさい」と笑い飛ばしてしまう。そうしながら、彼女は口を開いた。

「歳下って、めんどくさいよね」

「え?」

「基本的には甘えたいくせにさ、時には立ててあげないとすねるし。めんどくさいよ」

「……」

「でも、それは女のわがままかも。女も甘えたいし、甘えさせてあげたいものね。最悪なのは……」

「?」

「相手の目に映っている自分を憐れんでるだけって奴かな。まあ、これは相手が歳下だとかは関係ないけど」

「……!」

 さりげなく吐かれた言葉に、小夜美は胸を衝かれる衝撃を覚えた。
 そう、それが怖かった。彼を見ていると、どうしても弟を思い出してしまう。
 照れくさくて、弟には優しくなんてしてやれなかった。あの日も喧嘩したままで……逝ってしまった。
 あたしはその償いがしたくて、智也のそばにいるのかもしれない。彼の本当の想いなんかおかまいなしで。

「なーんて。私も偉そうなことは云えないんだけどね」

 小夜美がうつむいて黙りこくってしまったのを見て、彼女はわざとおどけて見せた。
 小夜美は黙って首を横に振り、小さく呟いた。

「もう……逢わないほうがいいのかな」

「……」

 困ったように、眉をしかめる彼女。

「さあ……それは私にはわからないけど」

 いったん言葉を区切ると、彼女は小夜美の顎に手をやって上を向かせた。少し驚いて小夜美が彼女の瞳を見つめる。瞳の中に映る自分。

「小夜美は、彼を見つめるとき、誰を見てた? 自分? 弟さん? それとも、彼自身?」

「それは……」

 小夜美は彼女の手から離れて、目をそらした。またうつむいて、言葉を続ける。

「それは……」

 繰り返したが、その続きは出てこなかった。
 わからない。弟を重ねて見ていたのは確かだったが、果たしてそれだけだったかどうか。心なんて、あとからどうにでも説明をつけられるような気がする。
 そんな迷いを見透かしたように、彼女は微笑んだ。

「わかんないならさ、ひとりで勝手に決めるのはやめなよ。それこそ彼に失礼じゃない?」

「……」

「もう一度彼に逢って、彼の目の中の自分を見て、考えてみれば。……あ、ごめん、私、もう行かなきゃ」

 云いながら、彼女は立ち上がった。荷物を手早く片付けて、脇に置いたヘルメットを取る。

「ノートは次のゼミのときでいいから」

「あ……うん、ありがとう、たまちゃん」

「じゃね」

 手を振って立ち去る彼女を見送ったあと、小夜美はまた大きくため息をついた。

「6回目、か」

 自分で数えて、小さく笑う。そして荷物を片付けて、席を立った。

     *

 考え事をしていたら、一駅乗り過ごしてしまった。そのままなんとなく降りてしまい、駅前の商店街をぶらぶらと歩く。気分転換にいいか、と思ったのだが、結局、考えるのは智也のことだけだった。
 そのとき、視界をふと見覚えのある後姿が横切った。

「……嘘?」

 あんまり考えすぎて、幻覚が見えたのかと思った。
 違う。本物だ。こちらに気づいた様子もなく、智也が歩き去っていく。
 考えるまでもなく、小夜美は走り出していた。

「智也クン!」

 彼も考え事をしているのか、小夜美の呼びかけにも気づかないで、足早に歩いていく。人の流れにその姿を見失わないよう、必死で目で追いながら小夜美は駆けた。

「智也クン!」

 やっと追いついた。腕をつかむと、目を丸くして智也が振り向く。

「……小夜美さんだ」

「小夜美さんですよ。……もう、智也クン、歩くの速すぎるよ」

 息を切らしながら答える。思わず、笑顔がこぼれていた。

「逢いたかったんだ」

 そんな言葉が、自然と口をついて出てくる。
 そう、逢いたかった。逢いたかったんだ、あたしは、智也クンに……。
 少し驚いた表情の智也を、小夜美はじっと見つめた。
 瞳の中には、自分が映っている。そして自分の瞳には、智也が映っているはずだ。
 そのことが、なぜだか無性に嬉しかった。
 彼を傷つけてしまうかもしれない。だけど、だけど、彼のそばにいたい。彼とふたりで答えを出す、その日までは。
 冬の気配をのぞかせる北風に吹かれながら、小夜美は、強くそう考えた。




2001.3.10

あとがき

メモオフ、小夜美ねーさんシナリオ終了記念に勢いで書きました。エンディング見て、速攻で書き始めたのって初めて。一日で書き終わったのも初めて、かな。
今回も、実はすごい反則しています……って、そんなん読んだらもうバレバレ(^^ゞ。
まあ、今回はお遊びってことで、勘弁してください。
このふたりはきっとこれからがすごい大変なので、その辺もいつか書けるといいなあと思います。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。

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