日曜日の黄昏時。澄空駅の前で、手をつないで立つ智也と小夜美の姿があった。
本当は智也はこんないつ知り合いに会ってもおかしくない場所で手をつないでいるなんて、恥ずかしくてしょうがなかったのだが、そうと知っているからこそ、小夜美は手を離さないのだった。
「遅くなっちゃったね。晩ご飯、どうする? 今日もひとりなんでしょう?」
「そうだな……。でも、さすがに今日は早めに帰らないと、まずいんだろ?」
「うん……正直云うと、そうなんだけどさ」
名残惜しそうに、小夜美が智也とつないだ手に視線を落とした。
智也が高校生である以上、平日のデートはどうしても夕方から夜になってしまう。智也はほとんどひとり暮らし状態だから問題はなかったが、小夜美のほうは自宅暮らしだ。いくら大学生だからとはいえ、若い娘の帰りが連日夜更けだと、さすがに親もいい顔をしない。
そんな小夜美の葛藤を察して、智也はわざと明るく微笑んだ。
「俺もおばちゃんにパン売ってもらえなくなると困るしさ。……また明日、逢えるんだろ?」
「うん……」
不承不承、指を一本一本外していく小夜美。
そこへ、後ろから声をかけられた。
「――小夜美?」
「えっ?」
智也と小夜美が同時に振り向くと、ひとりの青年が目を丸くして立っていた。
歳は、小夜美と同じぐらいだろうか。二枚目と云っていい。智也よりわずかに背が高かった。
「やっぱり、小夜美か。久しぶり」
「……一城……くん」
小夜美の表情が硬くなるのが、智也にもわかった。ほどこうとしていた智也の手を、強く握ってくる。
それだけで、智也には何となくわかってしまったが、できるだけ平静を装って小夜美に尋ねた。
「知り合い?」
「う……うん、高校の同級生……」
「……御堂一城です、よろしく」
その紹介のされ方にやや不満そうに見せながら、一城は智也に軽く頭を下げた。
智也もその目を見返しながら、会釈する。
「三上智也です」
「三上くん……ね。こよ……霧島とは、どういう?」
「彼よ」
智也が口を開くより早く、小夜美が答えていた。智也にぴったりと寄り添い、一城をきつい視線で見つめている。その姿は、怯えているようでさえあった。
「へえ……それは邪魔したな」
一瞬、驚きの表情を浮かべたものの、すぐに一城は屈託なく笑った。智也には特に悪意は感じられなかったが、それでも小夜美は硬い顔をしたままだった。
「久しぶりだからお茶でも、と思ったんだけど。じゃあ遠慮しとこうか」
「いや、俺はもう帰りますから」
思わず、智也はそう答えていた。余裕のあるところを見せたい、という子供っぽい見栄があったのかもしれない。だが、目の前の男が、そう悪い人間にも見えなかったのも確かだった。
「――智也!?」
小夜美が驚いて、智也を見上げる。智也は微笑んで見つめ返した。
「久しぶりなんだろ? せっかくだから、ゆっくりしてこいよ」
「でも……」
「大丈夫だよ」
ぽん、と智也は軽く小夜美の頭に手を乗せた。それだけで小夜美は気持ちが急に楽になったような気がして、智也の手をそっと離した。
「それじゃ。失礼します」
「悪いね」
「あとで……電話するね」
「うん」
手を振りながら、智也は改札を抜けた。その姿が人波に飲まれて見えなくなるまで、小夜美はじっと見送っていた。
そして一城も、そんな小夜美を促すでもなく、そばに立って待っていた。
*
「卒業以来だから……ほとんど2年ぶり、かな」
「そうね」
駅前の喫茶店に入っても、小夜美は硬い表情のままで、言葉も少なかった。
一城は苦笑しながら、言葉を続けた。
「智也くん、だっけか。小夜美があんな子供とつきあってるとは、ちょっと意外だったよ」
少しからかうような口調だった。
小夜美は珈琲を一口飲むと、呟いた。
「大事にしてくれるわ」
カップから顔を上げて、一城のほうを見る。きつい視線のままで。
「あたしも、大事に想ってる」
「……そうか。ならいいんだけど」
ほとんど喧嘩腰の小夜美の態度に腹を立てた風もなく、一城は穏やかに微笑んだ。
その笑顔が懐かしい何かを思い出させるようで、慌てて小夜美は目をそらした。
「でも、俺だって、今でも小夜美のことを大事に想ってるぜ」
「……え?」
弾かれたように、小夜美が顔を上げた。一城の真剣な眼差しを受けて、心臓が高鳴ってしまう。
今更……今更、何を云い出すつもりなのだろう?
一城は真剣な表情のまま小夜美の前に手を差し出し、人差し指と中指を立てた。
「小夜美は、俺にとって2番目に大切な女だ」
「……」
小夜美が大きなため息をつく。頭を抱えつつ、上目遣いに軽く一城を睨んだ。
「……で、1番と2番の差はどれぐらいあるのかしら?」
「そりゃちょっと言葉では表現しづらいな」
腕組みをして、首を傾げる一城。小夜美はついに吹き出してしまった。
「……まったく……全然変わってないのね」
肩の力が抜けて、自然と笑みがこぼれる。
その笑顔を見て、一城はまた優しく微笑んだ。
「やっと笑ってくれたな」
「……え?」
「ずっとこーんな怖い顔してるからさ。びびったぜ」
両手で目の端をつり上げて見せる一城。小夜美は頬を膨らませて答えた。
「失礼ね。そんな顔してないよ」
「いーや、してた。迂闊なこと云うと、殴られるかと思ったよ」
「……バカ……」
苦笑しつつ、小夜美はガラス越しに外を眺めた。高校生ぐらいのカップルが歩いているのが見える。その姿を目で追いながら、小夜美は呟いた。
「笑って話せるようになることなんて、絶対ないって思ってた」
「……」
「だって、そんなの悲しすぎる。あんなに苦しんで、あんなに……」
愛したのに。そこまでは小夜美は口にしなかった。
面に浮かんだ憂いを振り切るように、一城の目を見ながら、小夜美は微笑んだ。
「でも、そうじゃないんだね」
「……そうだな」
相変わらず穏やかに、一城は笑顔を見せる。
ああ、この笑顔が好きだった――そんなことを静かに考えられる自分に少し驚きながら、小夜美は珈琲をもう一口飲んだ。
*
30分ほどで、ふたりは喫茶店を出た。
「それじゃ。デートの邪魔して悪かったな」
「ほんっと。次からは遠慮しなさいよね」
屈託のない笑顔でそう云ったあと、小夜美は真顔になった。
今なら、云えるかもしれない言葉。
「瑞穂は……元気?」
「……ああ。俺が小夜美に会ったって云ったら、残念がるだろうな」
「大事にしなさいよ」
「してるよ」
何のてらいもなく答える一城の姿に、今度はほんの少し、小夜美の胸が痛んだ。
けれどそれが、一城なりの思いやりだとわかっていたから、とっておきの笑顔を浮かべた。
「今度、電話するって……瑞穂に、伝えといて」
「OK。……ありがとな」
一城の瞳に、一瞬、隠しきれない憂いが走る。小夜美は目をそらしてそれを見ないようにした。
「じゃあ、またね」
「ああ、また今度」
軽く手を振って、ふたりは別れた。友達同士のような、当たり前の挨拶を交わして。
小夜美は家に向かって歩いていたが、ふと立ち止まると、駅のほうに引き返した。
携帯電話を取り出して、リダイヤルを使って何度もかけた番号にダイヤルする。
短い呼び出し音のあと、すぐに相手は電話に出た。
「あ……智也? うん、あたし……。え? もう終わったよ。……なあに、やっぱり妬いてたの? ……無理しちゃって。ふふ、はいはい。……ねえ、やっぱり今からそっちに行っていいかな? 逢いたいんだ……」
あとがき
ユーミンの歌です。「♪笑って話せるの それはなんて哀しい」というフレーズがすごく好きなので。小夜美ねーさんは後悔してるわけではないので、心情はかなり違いますけど。
小夜美ねーさんって、意外と昔、大失恋してるんじゃないかなってふと思ったのがきっかけです。
あと、実は小夜美ねーさんのうれし恥ずかしセーラー服時代(^^ゞのお話書けないかなあと考えてまして、そのテストケースでもあります。いつか書けるといいな(いつだ)。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。