空から、白いものが舞い降り始めていた。小夜美はふと窓の外に目をやり、そのことに気づいて目を丸くした。
「あ……」
「んー?」
問題集を睨んで頭をひねっている智也は、顔を上げず、声だけで反応した。その肩を、小夜美はばんばんと何度も叩いた。
「ちょ、ちょっと、智也!」
「な……なんだよ、小夜美」
「あれ、あれ見て、ねえ」
「だから、叩くな、痛いって……あ」
ようやく顔を上げた智也も、小夜美が指さすものに気づいた。
「雪だ……」
「イブに雪だなんて、ロマンチックだね……」
ほう、と小夜美がため息をつく。
そう、今日は十二月二十四日、クリスマスイブだった。
恋人たちは、肩を寄せ合って、降り続く雪を眺めている。――そこで行われていたのはパーティではなく、受験勉強というロマンチックさとはあまりに縁遠いものだったけれど。
しばらく、二人は黙ったまま窓の外を見ていた。
だが、やがて小夜美が我慢できないように立ち上がり、智也の腕を引っ張った。
「外! 外行こう、智也!」
「外ぉ!? こんなに寒いのに……雪降ってんだぞ!」
「だからじゃない! 雪の聖夜に、こんな美人とデートできるんだよ? すっごい幸せだと思わない?」
「だから、そういうこと、自分で云うなって……」
「男がうだうだ云わない! さ、早く早く。せっかくのクリスマスなんだから!」
「……受験生にはクリスマスも関係ないって、自分で云ったくせに……」
ぶつくさ文句を云いながら、智也は立ち上がってコートを手に取った。不機嫌そうな表情を作ろうと、無駄な努力をしながら。
*
「すごいすごいすごいすごい! 雪だよ、雪!」
「わかってるって。だから、このくそ寒い中、出てきたんだろー?」
「もう、ノリが悪いなあ、相変わらず。イブに雪が降るなんて、珍しいんだよー」
頬を膨らまして、小夜美が軽く智也を睨む。そんな表情をされると、智也はいつもこの恋人が自分より三歳年上だということを、忘れてしまいそうになる。
智也の苦笑をどう受け取ったのか、小夜美はあかんべをして、体を翻した。
「ゆーきやこんこん……」
「走ると転ぶぞー」
「平気だよー。……きゃっ」
云い終わらない内に、小夜美は積もり始めた雪に足を取られて、転びそうになった。慌てて駆け寄った智也に、すんでのところで抱き留められる。
「云わんこっちゃない」
「えへへ、ごめーん」
そのまま智也が小夜美を立ち上がらせる。そうすると、自然と智也が後ろから小夜美を抱きすくめるような形になった。
「あ……」
「ん? どうした、小夜美?」
「な、なんでもないよっ」
慌てて小夜美は智也の腕から逃れて、今度は足下に気をつけながら歩き始めた。
少し頬を赤くして沈黙してしまった小夜美を、智也は怪訝そうに眺めた。
「どうかしたのか?」
「なんでもないって。……くしゅっ」
笑顔で振り向くと同時に、くしゃみが出た。
ほんっと、子供と一緒だ。
智也は微笑みながら自分のマフラーを外し、小夜美の首に巻いてやった。
「風邪引くなよ」
「ダ……ダメだよ」
なぜか小夜美は慌ててそのマフラーを取り、智也に戻そうとした。智也は軽く眉をひそめて、小夜美を見つめた。
「なんで」
「智也のほうが風邪引いたら大変じゃない。受験生なんだから」
「その受験生を、この寒空の下に連れだしたのは誰だ?」
わざと意地悪く智也は笑ってみせる。
智也はいつもどおり、小夜美の拗ねたような、照れたような笑みを期待していた。しかし、小夜美は真顔になって、智也の顔をじっと見つめた。
それだけでも不思議だったのに、その瞳にじわっと涙がにじんでくるに及んで、智也は完全に狼狽してしまった。
「なっ……ど、どうしたんだよ、小夜美? どっか痛いのか?」
「……ううん、違う、ごめん」
乱暴に涙を拭うと、小夜美は智也に背を向けた。
小夜美の吐く息が、白い。
その後ろ姿が急に心細げに見えて、智也は理由もなく胸が痛んだ。
「小夜美……?」
「ごめんね、大事な時期なのに、わがまま云って引っ張り出して」
「な……お前、そんなの、本気にしてるのか?」
「ほんとのことだもん」
「小夜美……」
智也は小夜美に近づいて、そっとその肩を抱いた。小夜美は一瞬、体をびくっと震わせると、面を上げて智也をじっと見つめた。その瞳には、まだ涙が湛えられていた。
「智也と、雪の中を歩きたかったの」
「……俺だって、そうさ」
「うん……」
倒れ込むように、小夜美は智也の胸に顔を埋めた。冷えた体を温めるように、智也は小夜美を強く抱きしめた。
「焦っちゃダメだって……あたしのほうがいつも偉そうに云ってるのに……、ほんとは、あたしが焦ってるのかもしれない……」
「……」
「智也と、ずっと一緒にいたい……。だけど、ほんとにずっと、一緒にいられるのかなって……」
「……あったりまえだろが」
智也は小夜美の頬を両手で挟むと、上を向かせた。そして、驚いて目を丸くする小夜美に、微笑んで見せた。
「俺は絶対浪人なんかしない。焦りもしないけど……これ以上、小夜美を待たせたりもしない」
「智也……」
「ずっと、一緒にいる。俺が、一緒にいたいんだ」
「……うん」
ようやく、小夜美が笑顔を見せた。
雪の中、かすかに涙を浮かべて微笑む小夜美は、本当に綺麗だと智也は思った。――口には、出さなかったけれど。
そのとき、何かに気づいたように、はっと小夜美が息を飲んだ。
「……ああっ」
「ど、どうした?」
「プレゼント」
「――は?」
「クリスマスプレゼント。くれないの?」
子供のような笑顔で、小夜美が両手を智也の前に差し出す。
智也は茫然とその手を見つめ、次いで苦笑し、最後に小夜美の頭を軽く叩いた。
「いったぁい。なにすんのよ、もう」
「勉強勉強って、怖い家庭教師にずっと部屋に閉じこめられてるのに、いつそんなもん買いに行くんだよ」
「ちぇっ」
「そういうお前は、なんか用意してるのか?」
「あたし? んーとね……」
小首を傾げる小夜美。智也が、ほら見ろ、どうせお前も――と、云いかけた瞬間。
不意に背伸びをして、小夜美が智也に口づけをした。
「……!」
目が点になった智也に、小夜美がはにかんだ笑みを向ける。
「メリークリスマス、智也」
「……メリークリスマス、小夜美」
腕を伸ばして、智也はもう一度、小夜美を抱きしめた。
聖しこの夜。真っ白い雪が、恋人たちの上に降り注いでいた。
あとがき
智也に甘える小夜美ねーさんが書きたかったんです。
たまには難しいこと考えず、萌えだけのSSを書きたかったというのもあります(^^ゞ。
小夜美ねーさんのキャラが変わってるとか云う人は嫌いです。
それにしても、不意打ちのキスは私の中でブームになっているらしい(^^ゞ。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。