玄関の鍵を静かに回して、音羽かおるは明かりの消えた家に、そうっと忍び込むように入ってきた。
時刻はすでに午前二時近い。この三連休も結局すべて仕事でつぶれた上、連日の深夜残業、おまけに今日は午前様だ。その仕事量より、また父親に小言を云われるかと思うと、そっちの方が気が重い。
でもまあ、幸いなことに、明日は午前中は少しゆっくり出られる。まだ自分が寝ている間に、父親は出勤してしまうだろう。
そんなことを考えながら、すでに寝ている家族を起こさないよう、抜き足差し足でかおるは階段を上った。
自分の部屋に入ると、さすがに安堵のため息が漏れて、全身の力が抜ける。そのままベッドに倒れこみたい誘惑と必死で戦いながら、かおるは椅子に腰掛けた。化粧を落としておかないと、また肌が荒れる……。
洗面所までまた降りるのが面倒なので、鞄の中からかおるが化粧落としを探していたとき、コンコン……と、控えめなノックの音がした。
「……え?」
まさか、お父さん、説教するためにわざわざ起きてた?
一瞬、憂鬱げにひそめられた眉は、しかし、聞こえてきた小さな声にほっと開かれた。
「お姉ちゃん……いい?」
「うん、どうしたの?」
声を返すと、ドアが静かに開いて、非常に小柄な少女が入ってきた。
かおるの三歳下の妹・さやかだ。
パジャマにカーディガン、という格好が、いつもよりさらに幼い印象を与える。普段はポニーテールにしている長い髪を、今は結ばずに下ろしていた。
どちらかといえば、すらっとした美人であり、髪も短めにしているかおるとは、あまり似ているところがない。
けれど、この愛らしい妹が、かおるには何より自慢だった。
「お帰りなさい、お姉ちゃん。疲れてるのに、ごめんね」
「ただいま。私は平気だけど、さやかこそ、どうしたの、こんな時間まで起きてて?」
「うんっとね、これ」
そう云って、さやかは小さな包みを差し出した。綺麗な金のリボンで結ばれ、包装紙は赤と緑の――。
「あ……」
「メリークリスマス、お姉ちゃん」
さやかは自分がプレゼントをもらったかのように、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
半ば呆然とその笑顔を見て、かおるはようやく今日の日付に気づく。
「そっか、イブなんだ……」
「そうだよ。忘れちゃってたの?」
「もうすっかり。……ごめん、さやか、お姉ちゃん、何にも……」
「いいのいいの、そんなの。開けてみて」
「うん」
リボンをほどき、包みを丁寧に開けると、出てきたのはシルバーのネックレスだった。
正直、すでに社会人であるかおるが身につけるには少し子供っぽくて、チープな印象があったのだが、かおるはそんなこと気にも留めず、すぐ首にかけた。
「可愛いね。ありがとう、似合う?」
「うん、お姉ちゃんは何でも似合うよ」
相変わらず自分のことのように、嬉しそうに笑うさやかを、かおるは思わず抱きしめてやりたくなる。本当、自分が男で、血が繋がっていなかったら、絶対に放っておかないんだけど。
「……あ、それとね、これも……」
「ん?」
廊下に置いてあった、今度は少し大きめの包みを取ってきて、再びさやかはかおるに差し出した。
プレゼントが二つあることより、さやかの表情が少し翳ったことに不審を抱いて、かおるは首を傾げた。
「これは?」
「渡しといてくれって頼まれたの。……大吾から」
「上條くん? 相変わらず、マメって云うか、なんて云うか……」
おどけて見せながらも、かおるは内心、まずいなあと顔をしかめていた。
上條大吾は、さやかの中学時代の同級生だ。現在は違う高校に行っている(澄空を受けたのだが、残念ながら受からなかったらしい)彼に、さやかが好意を寄せていることはかおるも知っていた。
……そして、どうしたわけか、当の大吾はかおるに気があることも。
「さやかは? 何もらったの?」
「……あたしは、何も。お姉ちゃんにって、預かっただけ」
「……」
鈍感すぎるのは無神経だ。身近にいる、もう一人の似たようなタイプを思い出したこともあって、かおるはむかっ腹が立った。今度会ったら、ぶん殴ってやろうか(……どっちを?)。
少し涙目になってうつむくさやかの前に、かおるはやや乱暴な手つきでその包みを置いた。
「そーゆーことだと、これは受け取れないな。返しといて」
「ダ、ダメ、そんなの」
慌てて、さやかがかぶりを振る。かおるは眉をひそめて、尋ねた。
「どうして」
「だって、あたしが意地悪して渡さなかったって思われたら、嫌だし……それに……」
「じゃあ、私が直接返してあげる」
「ダメだよ、お姉ちゃん」
「だから、どうして?」
今度こそ本当に涙目になって、さやかはかおるをじっと見つめた。
これじゃまるで、私がいじめてるみたいじゃない。
困惑しつつ、かおるはさやかの言葉を待った。
「だって……大吾が悲しむもん……」
「……さやか……」
驚くと同時に、かおるは深く納得もしていた。そう、私の自慢の妹は、こういう子だった……。
かおるは手を伸ばして、頬にこぼれたさやかの涙をぬぐってやった。
「さやかは、いい子だね」
「ゆめちゃんには、アホって云われたよ。そんなもん、帰りに川へ捨ててしまえって」
「……あの子も、相変わらず容赦がないわね」
妹の親友を思い出して、かおるは苦笑する。その言葉に笑顔を返すさやかが愛しくて、かおるはやっぱり彼女を抱き寄せてしまった。
「お姉ちゃん……?」
「アホは上條でしょ。女を見る目がないったら」
「……そんなこと、ないよ。見る目があるから、お姉ちゃんのこと、好きになったんだよ」
「……もう、可愛いこと云ってくれちゃって」
ぎゅ、と腕に力を込めると、さやかがくすぐったい、と笑った。
「でも、そんなお姉ちゃんに、見向きもしない男がいるんだよ?」
「えっ、ほんとに?」
「そうなの。世の中、つまんない男ばっかりだよねー。どうして、こんな美人姉妹が売れ残ってるんだか……」
「あははっ。じゃあ、もう寝るね、お姉ちゃん」
「うん。……あ、一緒に寝ようか、今日は」
「ほんとっ? いいの?」
「もちろん」
「わーいっ。枕持ってくるね」
満面の笑顔を浮かべると、ぱたぱたとさやかは自分の部屋に戻っていった。
ああいうのを見てると、子供の頃と全然変わらない……小さく苦笑しながら、かおるは手早く化粧を落とし、寝巻きに着替えた。ネックレスを外し、そっと机の上に置く。
枕を取ってきたさやかは、先にベッドに入って、かおるを待っていた。
「じゃ、電気消すよ」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」
電気を消してベッドに入ると、さやかが寄り添ってくる。先ほどからもうかなり眠そうにしていたので、すぐに寝息を立てそうだ。
早く寝かしてやりたいとは思ったが、かおるはふと疑問に思ったことを訊いてみた。
「それにしても、さやか、どうしてこんな時間まで待ってたの?」
「……うにゃ……だって……朝、あたしが学校行くまでに、お姉ちゃん起きてこないし……」
「……面目ない」
「夜も……遅いと思ったから……『イブ』の内にどうしても……渡したかったんだ……」
「さやか……」
「おやすみなさい……」
そこまで云うのが限界だったようで、さやかはたちまち眠りに落ちていった。
かおるはその寝顔を眺めつつ、優しくそっとさやかの髪を撫でた。
視線をベッド横の机に向けると、さっきもらったネックレスの銀が、光っている。
明日は、早めに出て、出勤前にプレゼントを買おう。
そして、絶対夜中の零時を越える前に帰ってくるんだ。イブが終わってしまう前に、この子の喜ぶ顔が見たいから。
そう決意して、かおるもまた目を閉じた。
「おやすみ……さやか」
せめて素敵な夢が、聖夜のあなたに訪れますように――。
あとがき
掲示板にも書きましたが、メモオフオンラインや小説版コンチェルトによると、かおるには妹がいることになっています。
が、詳しい設定どころか、名前さえ不明という状態なんで、勝手に作らせてもらいました(^^ゞ。
ビジュアル的には『悪魔のミカタ』の小鳥遊恕宇の幼年時代……ってのを、最初イメージしてたんですが、できあがったのはむしろ、まんまハピレスのみなづきだったかもと思ったりします。反省(-_-;)。
なお、本作は「あんなに一緒だったのに」シリーズではありませんので(^^ゞ、オフィシャルな流れを汲んで、澄空卒業後、働いているかおるさんです。彼女が惚れているのは、智也か信か……ってのは、読まれる人の心しだいってことで。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。