ルルージュの一日は、涙で始まる。
「――――――っ」
悲鳴にもならない叫びとともに、ルルージュはベッドから跳ね起きた。
恐怖に震える面は蒼白となり、瞳からはとめどなく涙があふれる。
爪が突き立つほど強く自分自身を抱いてみても、体の震えは止められはしない。
夜ごと繰り返される悪夢。
毎夜毎夜、喪われる、大切なひと。
――けれど。
「……」
小さく吐息を漏らしたルルージュの口元には、確かに笑みが浮かんでいた。
今夜も、逢えた。
夢の中でしか、あのひとにはもう逢えない。
つらく苦しいこの夢こそが、私にとってあのひとが無二のものだと教えてくれる。
狂気に蝕まれていることを自覚しつつ、ルルージュは嘆きと悲しみと憎しみと怒りと、そして、紛う方なき歓びの中で、小刻みに体を震わせていた。
「もうすぐ……もう少しですわ……あなた……」
*
北都の一日は、とても早く始まる。
目覚ましが鳴ったその瞬間。素早く伸ばされた腕が、ぱしっとその音を止める。
同時に、北都はすでに体を起こしている。瞳はぱっちり。
うん、今日も気分爽快。
大きく伸びをしながら、北都はキッチンへ向かった。
冷蔵庫からミルクを取り出し、愛用のカップに注ぐ。棚からパンを持ってきて、朝食の準備はできあがり。
「いただきます」
一人きりだが、ちゃんと声に出して手を合わせて、北都は食べ始める。
シンプルな食事には慣れているけど、先日、ジョルジュの部屋で振る舞われた朝食を、ふと思い出した。
「やっぱ女の子は、料理とかできた方がいいのかな?」
これまでは格別意識したことがなかった。今も実はそう意識しているわけではない。
ただ、あんな風な温かい食事には、憧れた。
――いや、むしろ。
憧れていたのは、誰かと共にする食事だったろうか。
「ジョルジュは、ルルージュと暮らしてたんだよね……」
どんな事情があったかはわからないけれど、きっとそこにはぬくもりがあったのだろう。
うらやましい、と素直に思う。たとえその想い出が、今ではかえって小さなトゲになっているとしても。
もし。もしも。あたしとルルージュと千鳥と、三人で暮らすことができたなら。
「きっと、楽しい……」
と云いかけて、不意に北都の表情は暗くなった。いや、きっと大変なことの方が多いかも……。
それでも。一緒にいられたらいいな。
*
千鳥の一日は……。
目覚まし時計の音が響く。
一つだけではない。連鎖するように、次々と、たくさんの目覚まし時計が。
しかし、その部屋の主は天使の笑みを寝顔に浮かべたまま、ちっとも起きる気配がない。
鳴り続ける目覚まし。増え続ける騒音。
さすがに千鳥も不快げに眉を寄せ、手を伸ばした。
不思議な文様を描くように、指先が動く。
次の瞬間。
ほとばしる雷撃が、すべての目覚まし時計を粉砕した。
あまりに的確なギゾンデの一撃。
千鳥はシーツをかぶり直し、再び幸せな夢に戻っていった。
――千鳥の一日は、なかなか始まらない。
* * *
「お待たせしました〜」
「千鳥、おっそーい!」
「……」
そうして、また一日が始まる。
そんな風に一日が続いていくと、
――当たり前のように信じ、
――祈るように願い、
――夢ほども考えていなかった、
そんな一日。
2003.5.21
あとがき
ずっと前から書きたかったネタだったのですが、ストーリーの時間軸的に入れる場所がなくなってしまい、途方に暮れていたのでした。
だから番外編ってことで、その辺りは無視(をい)。
「その名はルージュ」と「それは、失われた詩」の間に、もうちょっと時間をおくべきだったんですよね。今更ながら、ちょいと反省です。
「intermission - II」で「ルルージュは絶対に、誰かがいる場所で眠ろうとはしない」と書いたのは、こういう理由なのでした(T_T)。
ご感想などいただければ、幸いですm(__)m。