1
その黒髪の女剣士が入ってきたとき、聖堂内には静かなざわめきが広がったようだった。
密かに注視しつつも、人々は彼女と目を会わそうとはしない。避けるように、道を空けた。
けして彼女が物騒な雰囲気を醸し出していたわけではない。ややきつい美貌ではあったが、険しさはなかった。背に差した身の丈ほどの大剣も、確かに大聖堂という場所には不似合いであったけれど、今のご時世では珍しいことでもない。
それにも関わらず、人々は彼女に何か不吉なものを感じていた。それは、そこにいる人々が、修道士であったからか。
彼女はそんな周りの空気を意識した素振りもなく、まっすぐに前を見て歩き続ける。奥の階段を下りて、地下へ下った。
彼女は地下の収蔵庫に入った。そこには様々な遺跡や文献に囲まれ、熱心に目を輝かせている若いエルヴァーンの修道士がいた。
彼女が歩くに連れ、ガチャガチャと鎧や剣が音を立てる。その騒音に不愉快げに眉をひそめて顔を上げた修道士は、しかし、ここに至るまでの人々とは全く違う反応を見せた。
「ジョルジュ! 帰ってたのかい」
「久しぶり、ユージーン」
笑顔で手を振るユージーンに、ジョルジュ、と男の名前で呼ばれた女剣士も微笑んで挨拶を返した。そのままユージーンの横に回り、行儀悪く机に腰を下ろす。
その不作法にユージーンは一瞬、顔をしかめたものの、しょうがない、というように苦笑して見せた。
「いつ、サンドリアへ?」
「たった今よ。飛空挺が着いたところ」
「ジュノにいたんだっけ。どうだい、あそこは」
「相変わらず。人は多いし、関税は高いし」
肩をすくめるジョルジュ。ユージーンはもう一度苦笑する。
「でも、ちょうどよかったよ。今、サンドリアである噂話があってね」
「へえ、奇遇ね。私もそこでちょっと妙な話を小耳に挟んだの」
ジョルジュはいわゆる「冒険者」と呼ばれる身分である。
冒険者とは具体的に何者なのか、というのは、個人個人の印象と、その時々の状況によって大きく異なる。あるときは文字通り冒険を生業とする者であったり、あるときは国家に雇われた傭兵であったり、あるときは町から町へ物品を運ぶ行商人であったりする。
よく云えば己の腕一本で生き抜いていく自由人であり、悪く云えば流浪の無頼人であったろう。
そんな彼らの大きな収入源は、町の人々の依頼を果たすことだ。危険な地に出向き、手に入れがたい貴重品を入手することで、報酬を得る。情報収集が彼らの命綱だ。
ジョルジュとユージーンも、元々は単にそうした冒険者と依頼人、という間柄だった。
「どんな話? 僕が聞いたのはね――」
「私が聞いたのは――」
次の瞬間、二人の声はぴったりとハモった。
「「竜騎士の話」」
思わず、お互い目を丸くして見つめ合う。そして、ジョルジュは軽く肩をすくめ、ユージーンはやや深刻そうに腕組みをした。
「もうサンド中はその話で持ちきりってことかな」
「どうかしらね。私がたまたま聞いただけかもしれないし」
「あるいは、誰かが意図的に流しているか――」
「考え過ぎじゃないの?」
茶化してみても、ユージーンは難しい顔をしたままだった。ジョルジュも真顔になって、言葉を続ける。
「竜騎士の復活、か……。どの程度、信憑性のあるものなの?」
「まだ全然噂の段階だよ。そもそも竜騎士になるには、竜と契約しなきゃいけないんだけど、その竜自体がどんどん減ってるんだ。ここ数年、全く目撃例がない。そんな状況で、新しい竜騎士が生まれたなんて……」
「――シラヌス、という人物については?」
ジョルジュが口を挟むと、ユージーンはわずかに息を飲んだ。そして、ためらいがちに数秒視線をさまよわしたものの、結局、ため息と同時に言葉を続けた。
「耳が早いな。本当に、今、帰ったばかりなの?」
「地下牢の番人にも用があってね」
「……なるほど、確かに噂の出所はあそこだ」
ほう、とユージーンは深いため息をついた。
地下牢とは、サンドリアの王城・ドラギーユ城の地下に作られたボストーニュ監獄のことだ。王家の闇に深く関わり、血生臭い話には事欠かない。
「今度の話も、ただの噂話にすぎないと、思いたいんだけどね」
「前置きはいいから」
「……そう、ボストーニュ監獄に囚われていたシラヌス。同室の獣使いが呼び出した化け物に殺されてしまったんだけど……彼が竜騎士だった……そう云う者もいる」
「……」
「そして、その死は、親友に謀られたものだったと……」
「親友?」
「ああ、シラヌスが竜騎士となったことを妬んで謀殺した……ってさ。こうなると、もうただのゴシップだよ」
うんざり、という様子で、ユージーンは首を振った。
「ただ、そんな噂が流れるのは、ドラゴンスレイヤーの存在があるからだ。竜と竜騎士を憎む彼らは、竜を見つけ次第、抹殺してしまう。竜族がほぼ絶滅状態なのは、彼らのせいだ」
「なんのために、そんなことを?」
「さあね。理由はないんじゃないか。人と獣人が憎み合うのだって、理屈じゃないだろ」
口にした瞬間、ユージーンは己の軽口を後悔した。ジョルジュが一瞬、唇を噛み、拳を握りしめたのに気づいたからだ。
少なくとも彼女には、獣人を憎む理由があった。
「……ごめん」
ジョルジュは答えず、軽く頷いた。先ほどの激しい感情もすでに面にはなく、ただつまらなそうに吐息を漏らした。
「仕事になりそうな話じゃないってことね」
「いや、それがそうでもない」
「え? どういうこと?」
「竜騎士の話なんかが噂になったのは、そもそもの発端になった出来事があったってことさ」
いたずらっぽく、そして少し得意そうな笑みを浮かべて、ユージーンはそう云った。そんな彼を、ジョルジュは眉を寄せて軽く睨む。
「……だから、あんたはいつも前置きが長いって云うの」
「ごめんごめん、それは――」
「――お話中、失礼する」
低い落ち着いた声に、二人の会話は中断された。振り向くと、そこには甲冑に身を包んだ壮年の騎士が立っていた。
いかにも騎士の鑑、と云った、峻厳な趣がある。さすがにユージーンも姿勢を正して礼をしたが、ジョルジュは机の上に腰掛けた行儀悪い姿勢のまま、訝しげな視線を投げかけるだけだった。
「これは、ラーアル様。このようなところに、何かご用でしょうか」
「いや、用と云うほどのことはないが……この辺りに、最近、不審な人物が現れはしなかったか?」
ラーアル、と呼ばれたその人物は、見た目にそぐわない、歯切れの悪い口調でそう尋ねた。何かを迷っている様子が見て取れた。
「不審な人物……ですか? こちらには修道士か学者か、さもなければ、時たまこうして冒険者が訪れるぐらいですが……」
云いながら、ユージーンはジョルジュに目配せをした。ちゃんと挨拶ぐらいしろ、という意図を読んで、ジョルジュは面倒そうに机から降り立つ。
堅苦しいことは嫌いだったが、ユージーンに迷惑をかけるのも本意ではない。少しわざとらしいぐらいの恭しさで、ジョルジュはラーアルに頭を下げた。
「冒険者のジョルジュと申します。この通り、王家から認印を受けております」
冒険者はならず者のように捉えられることもあったが、常に兵力不足に悩まされる各国にとって、その戦闘力は魅力あるものだった。そこで、各国は冒険者に公式の身分保障を与え、代わりに討伐軍や伝令の助けとして、彼らを利用していた。
ラーアルはジョルジュが差し出した認証を確認しつつも、訝しげな視線を彼女に向けていた。その理由が、身分を怪しんでいるためではないと気づいて、ジョルジュは挑発的に微笑んだ。
「何か?」
「ジョルジュ、と申したか。貴公のその剣は、大聖堂に持ち込むには、少し血生臭すぎるようだな」
「血を吸わぬ剣に、どれほどの価値がありましょうか」
「――ジョルジュ」
面を蒼白にし、ユージーンがジョルジュを制そうとする。しかし、ジョルジュは強い視線をまっすぐラーアルに向けたままだった。
ラーアルもしばしその視線を受け止めていたが、やがてふと面を逸らし、ため息をついた。
「……いや、邪魔をしたな。失礼する」
鷹揚に、しかし、決して尊大ではない仕草で礼をし、ラーアルは踵を返した。ユージーンも深く頭を下げる。ジョルジュはそのままの姿勢で立っていた。
「……冷や冷やさせないでくれよ」
ラーアルが部屋を出たのを確認してから、ユージーンは大きく息を吐きながらそう云った。怨みがましい目で、ジョルジュを睨む。ジョルジュは涼しい顔で、肩をすくめるのみだったが。
「王立騎士団長相手にケンカを売る奴がいるかね、まったく」
「売ったのは向こうじゃない? 血で汚れた人間が、聖サンドリアをうろつくなってね」
「そこまでは云ってないだろう。ラーアル様は、そこまで横柄な人物ではないよ」
「あ、そ」
もうラーアルのことなどには興味がない様子で、ジョルジュは軽く首を傾げただけだった。しかし、ユージーンは沈鬱な表情で、言葉を続けた。
「そう……少なくとも、あんな噂を立てられるような方では……」
「噂?」
「ああ、さっき云っただろう? 竜騎士シラヌスは親友に忙殺されたという噂があると……その親友が、ラーアル様だよ」
「……」
「くだらない中傷さ。さて、話を戻そうか」
「――そうね」
ジョルジュはわずかに目を細めて何かを思案したものの、すぐそれを振り払い、ユージーンの話に耳を傾けることにした。王室のゴシップなど、一介の冒険者にはなんの関わりもないことだ。
2
世界ヴァナ・ディールには、二つの大きな大陸がある。
東に広がるのがミンダルシア、西に開けているのがクォン大陸だ。
ジョルジュの故郷であるサンドリア王国は、クォン大陸の中部やや北寄りにある。そこからミンダルシア大陸の中央に移動するには、両大陸の狭間に位置するジュノ大公国まで飛空挺を利用するにしても、数日がかかる。しかもそこは荒涼とした大地、入念な準備をしておかなければ、水も食料もすぐに底をつくだろう。
「そんなところに、噂一つを頼りにやってくるなんて……自分で云うのもなんだけど、酔狂な話よね」
薄暗い地下洞窟の入り口を前にして、ジョルジュはぼやいた。
長い前置きの末、ユージーンが語ったのは、この洞窟――複雑な内部構造から「シャクラミの地下迷宮」と呼ばれている――で、『竜の卵』が発見されたという情報だった。
「『竜の卵』からは飛竜が孵り、飛竜と契約した者は竜騎士となれるという」
「……という噂、でしょ?」
「ま、その通り。だが、竜騎士云々は置いておくにしても、学術的に非常に興味ある素材であるのは間違いない。ドラゴンスレイヤーが見つけて破壊する前に、それを見つけて保護してほしい」
「……」
「成否に関わらず、報酬は払うよ。もちろん成功すれば、その分上乗せする。悪くない話だろ?」
そう云って、ユージーンは人の悪い笑顔を浮かべたものだった。
確かに、悪い話ではない。こんなタロンギ大峡谷の端まで行かなきゃいけないってことを最後に打ち明けられていなければ。
「ま、暇つぶしと思えばいいか」
呟いて、ジョルジュは迷宮に踏み込んでいった。
このところ、冒険者に課せられる仕事には、政治向きなものが多い。獣人と戦うことに異存はないけれど、それを口実に国家間の勢力争いに利用されるのは、ジョルジュは気に入らなかった。ジュノを少し離れる気になったのも、そのせいだ。
だから、これは一種の骨休みであり、もっとはっきり云えば、物見遊山のようなものだった。
ジョルジュは辺りを警戒する様子もなく、ぶらぶらと周囲を見回しながら迷宮を歩いていく。この辺に現れるものなら、獣人だろうがモンスターだろうが、ジョルジュを脅かすほどの連中ではない。
そもそも、『竜の卵』なんて、どうやって探せばいいかもわからないのだ。ユージーンには悪いけれど、むしろジョルジュは宝箱でも見つかった方がいい、ぐらいの気分だった。
しかし、ジョルジュのそののどかな観光気分は、間もなく、甲高い悲鳴で破られることになった。
「いやぁぁぁぁっ、誰か、助けてぇぇぇ!!」
「――!」
素早く背の大剣を抜き、ジョルジュは声のする方向に走った。
ここシャクラミの迷宮は、ミンダルシア大陸に存在する唯一の国・ウィンダスからほど近い。身の程を知らない冒険者が奥へ踏み込みすぎて、命を落とすことも多いと聞いていた。
迷宮は少し走ると、意外に大きな空洞が開け、広間のようになっていた。そしてそこに、巨躯を誇るガルカ族さえ優に上回る巨大な蠍と、そいつに壁際まで追い詰められたヒュームの少女がいた。
少女は幸い、大きな怪我はまだないようだったが、それも時間の問題だった。大蠍が、鋭い棘の生えた尻尾を振りかぶっている。少女の顔が、恐怖で引きつる。
――その姿が。誰かに、重なって見えた瞬間。
ジョルジュの大剣が、大蠍の背に叩きつけられた。
「……!」
少女が声もなく、ジョルジュを見つめる。大蠍は苦悶の叫びをあげながらも、ジョルジュに向き直った。
繰り出されるハサミの攻撃を受けながら、ジョルジュは少女に叫んだ。
「今の内に逃げて! 早く!」
「………………」
少女はふるふる、と力無く首を振るばかりだった。立ち上がろうとするも、足が震えて、すぐに座り込んでしまう。完全に腰が抜けていた。
まずいな、とジョルジュは考える。この迷宮にはこの蠍だけでなく、クロウラーやコウモリ、リーチ、ゴブリンまで現れる。自分一人ならどうということはないが、この蠍に手間取っている内、ほかのモンスターに少女が襲われたら、手遅れになるかも知れない。とにかく一刻も早く、この大蠍を倒す必要があった。
(しょうがない)
大剣を構えたまま、ジョルジュは大きく息を吸い込んだ。強く念じる。来たれ。来たれ。――来たれ!
「……!」
少女が驚愕に目を見開いた。ジョルジュの周囲に、黒い気配が蠢くのが見えたからだ。あれは、まるで――。
「――はぁっ!!」
裂帛の気合とともに、ジョルジュが大剣を振り下ろした。その刃にまといつくように、黒い闇が蠢き、そしてその一閃で大蠍の硬い甲殻は紙のように切り裂かれ、その巨体は真っ二つに両断されていた。
「……はぁ……はぁ……」
血だまりの中に膝をつき、ジョルジュは大剣を地に刺して身体を支えた。精気をごっそり吸い取られていた。
だが、ここで時間を取ってしまっては、あの技を使った意味がない。ジョルジュは額の汗を拭いながら立ち上がり、少女に面を向けた。
「大丈夫?」
「……」
少女は答えない。目を大きく開いたまま、ジョルジュを見つめている。
ジョルジュは首を傾げ、少女に手を差し出した。しかし。
「立てる?」
「――!」
少女は、反射的に後ずさった。その表情には、先ほど大蠍に襲われていたとき以上の恐怖が、ありありと浮かんでいた。
「……」
一瞬、眉をひそめたものの、ジョルジュはすぐに納得して苦笑した。そうか、あれを見ちゃったのなら、しょうがない。
「暗黒騎士を見たのは初めて?」
「暗黒……騎士……!」
少女が息を飲み、さらに面を蒼白にする。
――暗黒騎士。
それは 光
見たところ、少女は白魔道士のようだった。女神アルタナの力を借りて人を癒すその力は、暗黒騎士のあり方とは到底相容れない。きっと彼女には、ジョルジュが振るった大剣に悪霊がまといついているように見えたことだろう。
「回復は自分でできるわね」
「……」
「気をつけて帰りなさい。次も丁度よく誰かが通りかかるとは限らないわ」
「……」
少女は未だ答えられない。何度か口を開こうとするのだが、まるで酸欠状態であるかのように、ぱくぱくと動かすのみだった。
ジョルジュは苦笑しただけで、少女に背を向けて歩き出した。
そうした反応は、すでに慣れっこだった。暗黒騎士が人に疎まれるのは、承知のことだ。
――承知の上で、その道を選んだ。選ばなければ、ならかった。
3
迷宮は、堅い岩盤でできている。
各所にすでに滅亡した巨大生物の骨がつきでていて、そこはまるで墓場のようだった。
骨と岩と土で固められた地面を踏みしめて、ジョルジュは歩く。頑丈な鎖靴が土を削る、堅い足音。
そして、その背後に、軽い足音が続いていた。
ジョルジュが一定の歩幅で規則正しく歩くのに対し、その人物の足音はいかにもおっかなびっくりという感じで、進んでは止まり、遅れを取り戻そうと走り、何かにつまづいて転ぶ……と騒がしかった。もちろん、そのたびに小さな悲鳴や驚きの声が上がる。
ジョルジュは、はじめ、それを無視することに決めていた。自分の行動はすべて自分で責任を負うのが冒険者だ。危険だとわかった上で迷宮に踏み込むからには、そうしなければいけない理由があるのだろう。ならば、どのような結果を招こうと、他人が口を出すことではない。
しかし、どうやら自分をつけているようだ、とわかると、そうも云っていられなかった。
それがさっきの少女だということはわかっている。いったいなんのつもりだろうか。私に露払いをさせれば、危険がないと思っているのか?
迷宮探索はそんなに甘いものではない。冒険者ならいつでも死を覚悟していて然るべきだが、自分の目の前で人が死ぬのを見るのは、いい気分はしない。
ジョルジュはため息をつくと足を止め、振り返った。きつい視線で見据えられて、少女がびくっと体をすくませる。
「何か用?」
「あ、あの」
「私は誰かと組むつもりはないし、あなたの護衛をしてあげるほど暇でもないの。怪我をしないうちに早く帰りなさい」
「ち、違うんです、あの、わたし」
少女は体を細かく震わせ、目に涙を浮かべながら、懸命に言葉を紡ぎ出そうとしていた。
その様子を、ジョルジュは軽く首を傾げて見つめる。わざと怖がらせるつもりはないが、勝手に怖がっているのだからしょうがない。それにしても、何を云いたいのか。
「あ、あの、その、わたし、……あ、謝りたくて」
「……は?」
辛抱強くしばらく待った末、ようやく少女が口にした言葉は、ジョルジュの意表をついていた。ジョルジュは腕組みをして、さらに首を傾げる。
「謝る? 何を?」
「あの、わたし、助けてもらったのに、あんな、失礼な、こと、……ご、ごめんなさいっ」
少女は云い終えると、思いっきり頭を下げた。迷宮内に、彼女の叫びがこだまする。
一方、ジョルジュはぽかんと口を開けてその姿を見ていた。
「そんなことを云うために、わざわざ……?」
「そんなことじゃありません! ほんとに、ほんとにごめんなさいっ。わたし、動転してて、その、暗黒騎士という方にお会いしたのも初めてで、びっくりして、あの、それで……」
相変わらず目に涙を溜めたまま、必死に云い募る少女。
その姿は――。
(……似てる……)
ふと思い出したその面影を振り払うように、ジョルジュは苦笑して肩をすくめた。
「気にしないで。暗黒の技を初めて見れば、誰だって怖いと思うわ」
「で、でも……」
「いいから。さ、これで気が済んだら、早く帰りなさい」
「――いいえ!」
「そう、それじゃ気をつけて……って、え?」
少女はさらに思いがけないことを云い出そうとしていた。涙をぬぐい、拳を握りしめ、強い決意で面を緊張させて。
「命を助けていただいて、お礼もせずに帰ることはできません」
「……えっと……」
「きっとお役に立ちますから!」
「……」
自分の身も守れない者は、足手まといにしかならない。とっさにジョルジュの脳裏に浮かんだのは、その率直な感想だった。
けれど、そうはっきり云えば――彼女自身の安全を考えれば、はっきり云った方がいいことは確かだが――、この少女はみるみる意気消沈するだろう。そして、かえってムキになって、無茶なことをするかもしれない。――あの子と、同じように。
「じゃあ、一つ訊いてもいいかな」
「はい!」
「『竜の卵』がここで見つかったって噂を聞いて、私は来たんだけど……何か知ってる? ほかになんにも手がかりがなくて、正直、途方に暮れてたのよね」
「『竜の卵』……ですか」
少女は頬に指を当てて、しばし考え込んだ。何度か瞬きを繰り返し、そして最後には残念そうに首を振った。
「ごめんなさい、わたしは聞いたことはないです。ウィンダスでは、そういう噂は……」
「……そう」
特に期待してた訳ではなかったので、ジョルジュは落胆はしなかった。それより、この子はウィンダス出身だったのか、と少し意外な思いで少女を見つめ直した。
もちろん、ここからいちばん近いのはウィンダスだから、可能性としては最も高い。しかし、ウィンダスはタルタルとミスラの国で、ヒュームは珍しいのだ。もっとも、ジョルジュ自身、サンドリアでは珍しいヒュームであるが。
「ありがと。所詮、噂は噂かな」
「……あ、でも、その、何か、強い力を感じます」
「力?」
この少女は本当に意表をつく。ジョルジュは軽く目を見開いた。
「はい、今まではそういうのありませんでした。それに気を取られて……その、さっきは、あんなことに……」
決まり悪げに微笑んで、少女は頭をかいた。
意外な成り行きに、ジョルジュは思案する。この少女が嘘をついているとは思えない。ただの与太話だと考えていたが、ひょっとしたらひょっとするのかも。
「その力がどの辺から感じられるか、わかる?」
「あ、はい、だいたいの方向は……もうちょっと奥だと思いますけど……」
「わかったわ。行ってみるわね。ありがとう、あなたはもう――」
「ご案内します!」
「帰って……って、あの、だから」
「こっちです! 行きましょう!」
云いながら、少女はもう歩き出していた。さっきまでの怯えた様子はもう微塵も残っておらず、意気軒昂、鼻歌でも歌いそうな雰囲気だ。
ジョルジュはため息をこぼしながらも、後に続くしかない。困った拾いものをしてしまった。
「――あ、そうだ」
少女がぽんと手を合わせて、何かを思い出した。振り向くと同時に、ジョルジュに頭を下げる。そして、次に上げた面には、満面の笑顔。
「わたし、ロザリアっていいます。よろしくお願いします!」
そんな風な笑顔を向けられたのは、いつ以来だっただろうか。茫然とするより先に、思わず笑い返してしまいながら、ジョルジュは名乗った。
「ジョルジュよ。……よろしく」
その言葉を口にしたのも、久しぶりだった気がした。
4
「そっかー、ジョルジュさんは、冒険者さんなんですねー」
「……ロザリアもそうなんじゃないの?」
「あははっ、そうですね、一応シグネットは持ってますけど、ジョルジュさんみたいに世界を股にかけて飛び回ってるわけじゃありませんから」
「……そういう表現もどうかと思うけど……」
ロザリアが差す方に歩きながら、二人は会話を交わしていた。主にロザリアが喋り、ジョルジュはほとんど相づちを打つばかりだったが。
こんなに誰かと話をしたのも、ジョルジュは久しぶりだったかもしれない。ロザリアははじめの印象とは違い、屈託なく、いつも笑顔を浮かべていた。
「でも、ジョルジュさんって、男の人の名前ですよね? ……あ、あ、ごめんなさいっ、失礼なこと……」
「……いいわよ、よく云われるから。親は男の子がほしかったみたいね。騎士の家系だから、跡を継がせたかったんでしょう」
「サンドリア騎士ですか! すごいですねぇ」
「堅苦しいだけよ」
「あ、じゃあ、ジョルジュさんも、騎士団員なんですか!?」
「……だったら、こんなところをほっつき歩いてるはずないでしょう」
「あ、そっか……。って、ご、ごめんなさい、またわたし、失礼な……」
「いいから」
ロザリアはくるくると表情が変わる。鈴を転がすような笑い声、エメラルドの瞳、プラチナブロンド。
まさに女神の祝福を受けたような子だ――ジョルジュは、そう思う。そしてそれは、あの子も同じだった――。
「……ジョルジュさん?」
「――え、なに?」
気がつくと、ロザリアが気遣わしげにジョルジュの顔をのぞき込んでいた。たちまち暗い表情になってしまう。
「どうかしましたか? ……やっぱり、わたし、気に障ること……」
「ううん、そんなんじゃないの、ちょっと考え事。ごめんね」
「本当ですか?」
「うん。――それより、ロザリアはどうしてここに? その「強い力」を感じたから?」
思い出話をする気はなかったので、ジョルジュは話をそらした。元々気になっていたことでもある。白魔道士が単独でダンジョンに踏み込むのは珍しいのだ。
「あ、いえ、気づいたのは中に入ってからで……本来の目的は、採掘です」
「採掘……?」
「はい」
ニコニコと頷くロザリアを、思わずじっとジョルジュは見つめてしまった。
採掘というと、バストゥークの鉱山で働いていた屈強なガルカを思い出す。こんな可憐な少女とは結びつきにくかった。
「ここって、鉱石だけじゃなくて、骨細工の材料とかも手に入るんですよ。結構いい実入りになるんです」
「……意外と俗っぽい聖職者ね」
「あ、ひどいですー。聖職者って云ったって、教会で働いているわけじゃないんですから。自分の食い扶持は自分で稼がなきゃいけないんですよー」
「まあ、それはそうね」
可愛らしい口から「食い扶持」なんて言葉が出てくると、思わず笑ってしまう。ますますロザリアはむくれて、頬をふくらました。
「わたしみたいな白魔道士は、モンスターや獣人を退治して稼ぐのが難しいから、採掘や伐採がとっても重要なんですぅ。もー、この細腕で、鉱石担いでウィンダスまで帰るんですからねー。大変なんですよー」
我慢できず、ジョルジュは大爆笑してしまった。ぶんむくれ状態になったロザリアに謝りながらも、なかなか笑いを納められない。本当に、こんなことは久しぶり――。
「……あ」
ぷいっとジョルジュから顔をそらしたロザリアの表情が、何かに気づいて真剣になった。ジョルジュもそれを見て、面を引き締める。
「何? もしかして……」
「はい……そこです」
ロザリアが指さした先には、例の巨大生物の骨があった。その骨に包まれるように、淡い光を放っている物体がある。そして、その光を伺っているものが。
「ドラゴンスレイヤーじゃないのは、いいんだけど……」
呟きながら、ジョルジュは大剣を抜いた。
そこにいるのは、三匹のゴブリンだった。好奇心旺盛な彼らは、その光がなんなのか探るように周りを取り囲んでいる。やがて、一匹がそれを掘り出そうと、ナイフを構えた。
壊されたら、たまらない。
「ロザリア、下がってて」
指示を出しつつ、ジョルジュは踏み出す。三匹程度なら、どうにかなるはずだ。
だが、今回もロザリアはジョルジュの云うとおりにしなかった。
「サポートします!」
「……」
口論している暇はない。とりあえず、連中の注意を自分に引きつけるのが先だ。
ジョルジュは大剣を振りかざし、手近なゴブリンの背に叩き込んだ。たちまち三匹の敵意がジョルジュに向けられる。ジョルジュは大剣を振り回し、さらにその敵意をあおった。
今度も、速攻で決めないと。ジョルジュが再び暗黒の技を使おうとしたとき。
ロザリアの詠唱が響き、ゴブリンの一匹の動きが鈍くなった。続いて一匹も、麻痺したように動きを止める。
(スロウに、パライズ……か)
続いて、今度は光がジョルジュを包む。体力が少しずつ内からわき出してくるような感覚を覚える。――リジェネ。
(意外に、わかってる)
微笑んで、ジョルジュはいっそう激しい剣撃を繰り出した。
なすべきことを心得ている仲間と戦うことほど、心強いものはない。こんな感覚も、本当に久しぶりだった。
長大な刃が唸りを上げて回転する。降り注ぐ斬撃は衝撃波
「すごい……!」
ロザリアが息を飲む気配がする。しかし、ジョルジュはその戦果に満足していなかった。一匹、仕留め損なっている。しかも、そいつは技の隙をついて、ジョルジュの体にナイフを突き立てた。
「……! 今、ケアルを……」
「大丈夫」
青ざめるロザリアをよそに、ジョルジュは不敵に微笑んで見せた。そして、次の彼女の行動に、ロザリアはさらに言葉を失った。
ジョルジュは右手を剣から離し、ゴブリンの頭を掴んだのだ。
ゴブリン自身も驚き、その手を振りほどくため暴れようとする。が、その前に、ジョルジュの口から低い詠唱が漏れた。
「……」
叫びを上げることもできず、ゴブリンが崩れ落ちる。そして逆に、ジョルジュの傷は癒えてしまっていた。駆け寄ってきたロザリアが、傷の跡を確認して瞠目する。
「え……これって、もしかして……ドレイン……?」
「暗黒騎士は黒魔法も使えるわ。中でも暗黒魔法が得意。知らなかった?」
こくりと頷き、ロザリアは倒れ伏したゴブリンに視線を向けた。致命傷は負っていないのに、ミイラ化したようにひからびた死体。
相手の生命力を奪い、自らを癒す暗黒魔法――それが、ドレインだった。
祈りによって他者を癒すことを務めとする白魔道士にとって、それはある意味、対極にある行為だと云えるだろう。
茫然としているロザリアの姿を見て、再びジョルジュの胸に苦い思いがよみがえった。もう先ほどの高揚感はない。自分にはこうした戦い方が染みついているのだと、再確認した。
「ごめん、嫌なもの見せちゃって」
「……いいえ」
ゆっくり首を振って、ロザリアは顔を上げた。またさっきのように怯えた眼差しを向けられることをジョルジュは想像したが、しかしロザリアは、悲しげにもう一度首を振るだけだった。
「いいえ」
「ロザリア……?」
「無事で……よかったです」
そう云って、ロザリアは微笑んだ。今度はジョルジュが茫然とする番だった。
「ロザリア……」
「あ、これですね、「力」の源は。間違いありません」
たちまち元の明るさを取り戻したロザリアは、跪いて、淡い光を放つ物体を見つめた。塚のように土が盛り上がっている。ちょっと掘ってみましょう、と気軽に云い放って、ロザリアは土を掘り返し始めた。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫ですよー、わたし、採掘慣れしてるって云ったでしょー? 貴重な原石や骨を壊さないよう掘り返すの、とっても上手なんですからー」
壊される心配をしたのではなくて、何か危険なものが現れる可能性を危惧したのだが。ロザリアにはジョルジュの意図は通じず、愛用の採掘道具で奇麗に土を除いていった。
そして、その下から姿を現したものは――。
「これが……『竜の卵』なんですか?」
「……さあ……」
確かに、見た目は「卵」だった。両手で抱えるほどの大きさである点を除けば、食用として手に入る卵と見た目は変わらない。あまりに普通すぎて、拍子抜けした。
「力は……まだ、感じる?」
「そうですね……はい、確かに。力強い脈動があります」
「ふうん……」
ロザリアから手渡された卵を抱えてみたが、ジョルジュにはそうした感覚はわからない。本当、なんの変哲もないただの卵だ。
「ま、素人がどうこう云ってもしょうがないか。とりあえずこれを持って帰れば、依頼は完了」
「サンドリアにお戻りになるんですか?」
「そう。……ああ、これ持ったままじゃ、チョコボにも乗れないわね。ウィンダスまで歩いて、飛空挺使うしかないかな……」
その道のりと手間を思うと、再びため息が漏れる。まあ、ついでにロザリアをウィンダスまで送っていけばいいか。
そう考えたジョルジュだったが、今度もやはりロザリアの云うことは、ジョルジュの想定外の言葉だった。
「じゃあ、テレポします!」
「……え?」
「サンドリアなら、ホラの塔まで行けば、そこから遠くないって話ですよね? わたしは、実際には行ったことないから、わからないんですけど」
「そう……だけど」
目をしばたたいて、ジョルジュはロザリアをまじまじと見つめる。ロザリアが不思議そうに首を傾げた。
「テレポ……できるの?」
「はい!」
満面の笑顔で頷くロザリア。
この世界には、いくつかの場所にゲートクリスタルと呼ばれる謎のクリスタル柱がある。不可思議な魔力を秘めたそのゲートクリスタルと波長を合わせることで、空間を転移する魔法、それがテレポだ。
当然、誰もが使えるようなものではなく、高位の白魔道士だけが可能とする業だった。
「テレポが使えるぐらいの魔道士が、なんであんな大蠍程度に……」
「――だから、あれは油断してたんですっ」
顔を真っ赤にして、ロザリアが叫ぶ。ジョルジュはいつの間にか苦い気持ちを忘れ、再び笑顔を浮かべていた。
「ありがとう。でも、ほんとにいいの?」
「もちろんです! わたしも、サンドリアに行ってみたいって思ってましたから」
「……え、ちょっと、サンドリアまでついてくる気?」
「はーい、じゃあ、行きますよー」
慌てるジョルジュの声など聞こえないふりをして、ロザリアは詠唱を始めた。ジョルジュはため息をついて、ロザリアの傍らに立つ。魔法の有効範囲から外れたら意味がない。
まあ、サンドリアを見てみたいというのなら、お礼に少し案内をするぐらいはいいだろう。どうせこの卵をユージーンに届けたら、この依頼は終わりなのだから。
ジョルジュは気楽にそう考えていた。まだこれが事件の始まりにすぎないことなど、このときの彼女には知る由もなかった。
あとがき
ネタ出ししてからもうどれぐらい経ったんだろうと思いますが、ようやく「竜の守護者」前編登場です。ネタ出しただけで放置されてるのはこれだけじゃないだろうっていうツッコミは聞こえません。
竜騎士クエストがベースになっています。が、これに限らず、FF11のクエストはすべてプレイヤーは傍観者なので(不特定多数がプレイするから当然ですが)、ストーリーに深く関わりません。ですから、お話としてはほぼオリジナルです。クエストの手順だけ踏んでるって感じでしょうか。
クエストをくれる修道士も、ユージーンって名前じゃないですし。ほんとは「Morjean」って人です。「モージーン」と読むんだろうか……?
彼はジョルジュの数少ない友人で、彼女の過去を知っている貴重な人物、という設定にしたので、オリジナルのキャラと差し替えました。ラーアルはそのまま、ゲーム中に出てくるNPCです。
ちなみにジョルジュは「Georges」、Odinサーバーで暗黒騎士メインでやっています。見かけたらパーティに誘ってやってください(T_T)。ロザリアは睦月さんの「Rosett」さんがモデルですm(__)m。
今回はキャラ紹介編って感じでしたので、次は怒濤の展開……になるといいなあ。いつも云ってる気がしますが。がんばります、はい。
ご感想など、いただければ幸いですm(__)m。