〜原案 A・R・U・K・A・Sさん〜
1
さわやかな朝に、目覚ましのベルが鳴り響いた。
三上智也はほぼ無意識の動作でベッドから腕を伸ばし、時計を沈黙させる。そしてそのまま布団をかぶり直し、再び安らかな眠りに入ろうとした。
しかし、そのすぐあとに、今度は違うベルが鳴った。電話の音だった。
智也は寝返りを打って電話に背を向け、無視を決め込んだ。しかし、電話は辛抱強く鳴り続けた。
「……だぁぁぁっ、なんだよ、こんな朝っぱらから……」
ついに根負けして起きあがると、机に置いてあった電話の子機を取る。
「もしもし」
いかにもぶっきらぼうなその声に答えたのは、聞き慣れた、けれど今日は少しかすれた声だった。
「……あ、智也、起きてた?」
「……今、起きた」
ぶっきらぼうなのはそのままだったが、幾分智也の口調は柔らかくなっていた。この声で起こされるなら悪くない。そう思った。
「どうしたんだよ、かおる。こんな朝から」
「うん、ごめんね、私、風邪引いちゃってさ……」
そこで、電話の相手――音羽かおるは、何度か咳き込んだ。
智也はベッドから起きあがり、受話器を握りなおした。眠気はすっかりどこかへ行ってしまっていた。
「風邪? 大丈夫か?」
「うん、熱がちょっとあって……。だから、今日はお休みするから……」
「わかった。――だけど、そんなことでわざわざ電話してこなくていいんだぞ。病人は、ちゃんと寝てろ」
「うん……でも、駅で待っててもらったら悪いから……」
「……バーカ。つまんない気の使い方するなよ」
内容とは裏腹に、智也の言葉は優しくいたわるように囁かれた。
かおるにもそのことはちゃんと伝わっていたから、彼女は微笑んで頷いた。
「うん、そうだね。たまにはヤキモキさせてやればよかった」
「なに云ってんだ。……今日は土曜だから、学校終わったら、見舞いに行くよ。ちゃんと寝てろよ、ほんとに」
「うん、ありがと。……じゃあ、気をつけてね」
「おう。あとでな」
「……待ってる。行ってらっしゃい」
電話を切って、智也は子機を机の上に戻した。
かおるの病状は心配だったが、それでもなんとなくにやけた気分になってしまう。
(行ってらっしゃい……か)
そういうのも悪くない……微笑みつつ立ち上がり、智也は登校の準備を始めた。
*
智也が駅に着いたとき、いつも通り唯笑はもうそこで待っていた。智也の姿を認めて、大きく手を振っている。
「智ちゃん、おはよう」
「おう。行こうぜ」
唯笑に挨拶を返すと、そのまま改札に向かう智也を、慌てて唯笑は追った。
「あれ? 音羽さんは?」
「風邪で休みだって。電話あった」
「そうなんだぁ。大丈夫そう?」
「うん……電話で話した感じでは、めちゃくちゃ悪そうって風でもなかったけどな」
「そっか。よかった」
そんなことを話しながら、ちょうど到着した電車にふたりは乗り込んだ。
かおるの電話のおかげで智也はいつもより早く起きていたので、電車は若干空いていた。そのせいか、唯笑は智也とほんの少し距離を置いて立っていた。
しばらくは、今日の宿題の話や昨日見たテレビの話など、とりとめのない、いつも通りの会話が続いた。
だが、電車が澄空駅の一つ手前の駅に入ろうとしたとき、激しい急ブレーキがかけられ、電車が大きく揺れた。
「きゃあっ」
「……おっと」
たまらず転びそうになった唯笑を、智也が支える。
ホームから人が落ちたため急停車を……というアナウンスを、智也は舌打ちしつつ聞いていた。
「ちぇっ。たまに早起きするとこれだ。でもまあ、これで電車が遅れることを考えれば、ちょうどよかったってことか」
「……」
「……唯笑?」
返事がないのを訝しいと思って智也が振り向くと、唯笑は真っ赤な顔をしてうつむいていた。
そのとき、智也は今の体勢が、唯笑を胸に抱いた形になっていることに、ようやく気づいた。
「あ……悪い」
「う、ううん、唯笑こそ、ごめんね。ありがと」
慌てて体を離すと、唯笑は先ほどよりまた少し智也と距離を置いて立った。
なんとなく、奇妙な沈黙が降りる。唯笑がこんな風に黙ってしまうことは、今までなかった。智也はバツ悪げに頬をかきつつ、話題を探した。
「……あ、今日さ、放課後、かおるの見舞いに行くつもりだけど……唯笑も行くだろ?」
「え……」
唯笑はゆっくりと面を上げ、智也のほうを見た。
意外そうな表情のあと、一瞬、唇を噛み――、そして、笑顔を浮かべた。
「ごめん、今日は友達と約束があるんだぁ」
「……そっか、じゃあ仕方ないな」
「うん、ごめんね。音羽さんによろしく云っといて」
なんとはない不自然さに、智也も気づいた。しかし、ちょうど口を開こうとしたとき、運転再開のアナウンスが流れ、気勢をそがれてしまった。
結局、それきり無言のまま、ふたりは一駅間、車窓を眺めて過ごした。
2
かおるが退屈のあまり何度目かの寝返りを打ったとき、インターホンを鳴らす音が聞こえた。
「……あ」
期待に頬を染めつつ、かおるは布団を直した。髪が乱れていないか、今更気になってしまったが、今からでは間に合わない。
そんなことを考えていると、ドアがノックされ、母親が顔をのぞかせた。
「かおる、起きてる? 智也さんがお見舞いに来てくださったけど……」
「あ、うん、大丈夫だよ」
照れ笑いを浮かべつつかおるが答えると、母は頷いていったんドアを閉めた。そのあと、智也を案内してくる足音が聞こえ、再びドアが開かれた。
「わざわざすみません。ごゆっくりどうぞ」
「あ……はい、すみません」
照れ臭そうに頭をかきつつ、智也が部屋に入ってきた。かおるを見て、笑顔で軽く手を挙げる。
「すぐにお茶をお持ちしますね」
「あ……いえ、お構いなく……」
「もう、お母さん、いいから」
そうかおるが云うと、母は残念そうにしつつ部屋を出た。ドアを閉める前にかおるにウインクする。
智也とかおるは同時にため息をついた。
「……ごめんね、相変わらずで」
「いや……いいお母さんじゃん。何しに来たって冷たくされるよりは全然いいよ」
苦笑しながら、智也はベッドのそばにかおるの椅子を持ってきて座った。
実際、彼女の母親が好意的なのは、男の子にとっては非常にありがたいことだ。それがわかるほどには、智也は女の子とつきあったことがなかったが……。
かおるはベッドから上体を起こし、カーディガンを羽織った。
「思ったより具合よさそうだな。安心したよ」
「ありがと。午前中にお医者に行ってきたからね。薬飲んで寝てたら、だいぶ熱も引いたみたい」
「そっか」
他愛のない話をしていると、かおるの母が珈琲とお菓子を持ってきてくれた。談笑の輪に加わりたそうな母をかおるがどうにか追い出すと、ふたりはまた目を見交わして笑った。
「……でも、ひとりで来たんだ。智也のことだから、照れ臭いとか云って、今坂さんと一緒に来るかと思ったけど」
「ああ……」
そこで智也は、今朝の出来事を思い出した。不自然な唯笑の態度。今思えば、ああいう不自然さは、今朝が初めてではなかったような気がする。
沈黙して珈琲に口をつける智也を、かおるは小首を傾げて見つめた。
「誘ったんだけどさ、約束があるって断られたんだ」
「ふーん」
「……でもさ、なんか変なんだよな、あいつ」
「……変……?」
一瞬、かおるの瞳をよぎった不安。うつむいて自分の考えに没頭している智也は、それに気づかなかった。
「うん……なんて云うんだろ……。極端に云えば、俺たちを避けてるっつーか……」
「……」
「考え過ぎかな」
顔を上げて、智也は笑った。しかし、かおるの真剣な、そして悲しげな視線にぶつかり、やや戸惑った。
「やっぱり……つらいのかな、今坂さん」
「え……?」
「私たちといることが……というか、私といる智也を見ていることが」
「……」
「だから、距離を置こうとしているのかも……。なんとなく、そんな気は、してた」
「……そんな……」
苦い笑みを浮かべて、かおるは智也から目をそらした。智也は言葉もなく、その横顔を見つめていた。
確かにかおるとつきあい始めたとき、唯笑との関係も変わっていくかもしれない、と考えた。しかしそれはリアリティのある考えではなかったし、実際、唯笑は何も変わらない風に接してくれた。
これまでと同じように。ただずっとそばにいるのが当たり前だった、子供の頃と同じく。
「私がこんなこと云うと……すごく自分勝手に聞こえちゃうかもしれないけど……」
智也から目をそらしたまま、かおるが言葉を続けた。
智也は自分でもよくわからない不安を抱えたまま、話の続きを待った。
「しょうがない……ことなのかなって……思う……」
「しょうがないって……?」
「うん……」
そこでかおるは智也のほうに向き直り、正面からその目を見つめた。
かおるのその瞳は悲しみや痛み、そして不安で潤んでいるように見え、智也は訳もなく胸が痛んだ。
「今坂さんは……やっぱり、智也のことが好きなんだよね……?」
「それは……」
自分でも驚くほど狼狽し、今度は智也から目をそらしてしまった。
そのことは、3人が3人とも気づいていながら、これまで決して話題にしなかったことだった。
仲のいい3人の友達。その枠組みを壊したくなくて。
けれど実際には、変わっていくものに気づかない振りをしていただけなのかもしれない。そしてその変化を望んだのは、「新しい日常」を掴んだのは、ほかならぬ智也なのだ。
その新しい日常に、唯笑がいないだなんてことは、考えもせず――。
沈黙した智也を、かおるはやはり悲しげに見つめたまま、話し続けた。
「報われないと知ってて……それでも好きなひとのそばにいるのは、つらい……。彼女がそう考えたのなら、私たちにはなにも……」
「……」
「ごめん。勝手なことばっかり云ってるね、私」
「かおる……」
瞳に涙をためてうつむくかおるの手を、智也は思わず握った。
かおるが顔を上げて、智也を見る。
かおるがそんな風に胸を痛めることではない。俺が自分で、ケリをつけなければいけないことだ。
様々な迷いを抱えながらも、そのことだけは智也にもわかった。
「すまなかった。かおるにも唯笑にも、俺は甘えてたな」
「智也……」
智也は立ち上がり、かおるを抱きしめた。かおるは目を閉じて、智也の胸に頬を寄せた。
「もうこんな想いはさせない。約束する」
「うん……」
智也の腕の中で、かおるは小さく頷いた。
智也のその気持ちに、嘘はなかった。
なかったけれど……まだ、迷いがあった。
その迷いが、智也からそれ以上の言葉を奪い、ただ彼はかおるの髪を撫で続けた。
かおるもまた何も云わず、智也の腕に抱かれていた。
3
「三上くん、次はそちらをお願いします」
「……」
「……三上くん?」
「……」
「……」
「……あ、あれ?」
手にしていた本の重みが急に消えたことで、智也は我に返った。顔を上げると、智也から本を取り上げた詩音が、背伸びをしながら書棚の上のほうにしまおうとしている。
「あ……悪い」
慌てて智也は詩音に近づき、その本を取って書棚にしまった。
さて、次は……と振り返ると、詩音がじっと視線を注いできていた。
「な……なに?」
無言の詩音には、奇妙な迫力がある。智也はややうろたえつつ尋ねた。
詩音は答える前に、軽くため息をついた。
「……手伝ってくださるのはありがたいですが……こう、ぼーっとしっぱなしでは……」
「え……そんなに? 悪い……」
頭をかきながら謝る智也を、詩音はまた少し見つめた。その表情には咎めるようなものはなく、ただ気遣わしげに眉をひそめていた。
「双海さん?」
「……休憩しましょうか」
智也の返事を待たずに、詩音は図書室の隅の机に向かった。そこは以前、智也と詩音が一緒に試験勉強をした場所でもあった。
途中、貸し出しカウンターを経由して、詩音は自分の鞄から愛用の魔法瓶を取り出して持ってきた。カップに紅茶を注ぎ、向かいに座った智也に差し出した。
「どうぞ」
「サンキュ」
智也は香りをしばらく楽しんだあと、一口紅茶を飲んだ。
相変わらず極上の味だ。ただうまいだけでなく、心身の疲れが癒されるような気がする。鬱屈した気持ちも、つかの間、晴れるような。
「やっぱ双海さんの紅茶がいちばんだな」
「ありがとうございます」
小さく微笑んで、詩音はもうひとつカップを取り出し、自分の分を注いだ。その様子を、智也は少し感慨深げに眺めていた。
カップをふたつ持ってくるということは、誰かとお茶を飲むことを想定しているということだ。それが常に自分のためだと思うほど自惚れてはいなかったが、かつては他人との交渉を完全に拒んでいた詩音の変化を思うと、智也は嬉しかった。
今日も、詩音のほうから本の整理を手伝ってほしいと頼まれたのだった。かおるも一緒に手伝おうとしたのだが、まだ少し熱があったようなので、智也が帰らせた。
本当は、土曜にあんな話をしたばかりだから、智也は少しでもかおるのそばにいてやりたいと思ったのだが、あんな話をしたばかりだからこそ、いつも通り自然に振る舞うべきなのかも、という気もしていた。
放課後の図書室には、今日も人気がない。
沈黙が降りると、どうしても智也は自分ひとりの考えに沈み込んでいってしまった。
詩音も何も云わずただ智也を見つめていたが、ややあって、意を決したように話し始めた。実際、他人の感情に踏み込もうとすることは、彼女にとって勇気のいることだったに違いない。
「何か……ありましたか」
「……え?」
「ふさぎ込んでいらっしゃるようですから」
「あ……」
詩音がそんな風に気を遣ってくれることに、智也は感動を通り越してほとんど茫然としていた。けれど、すぐに感謝の意を込めて、笑顔を浮かべた。
「悪い。なんでもないよ」
「そうは見えません。それに……」
「?」
「今坂さんも……最近、なんだか元気がないようですし……」
「……」
智也は正直、驚いて目を瞠ってしまった。そんなことにまで気づいていたなんて。
そういえば、詩音は唯笑とは割とよく話していた。唯笑が一方的に話しかけているだけかと思っていたが、こうして気にかけてくれていたのだ……と思うと、智也はまた嬉しくなった。
同時に、そうやって「友達」として誠意を見せてくれている彼女に白を切り通すのは、不誠実なことのように思えた。
「そう……変なんだよ、唯笑の奴さ……」
肩の力を抜いて、智也は話し始めた。
*
「かおるはどうしようもないことだって云うんだ。それは俺にもわかる。だけどさ……」
土曜日のかおるとの会話を、智也は包み隠さず詩音に話した。
詩音は途中で言葉を挟むことをせず、智也の言葉に耳を傾けていた。そして、言葉を切って少し考え込んだ智也を促すように、軽く首を傾げた。
「……彩花のことは、知ってるかい?」
不意に問いかけられ、詩音は少し戸惑いながら頷いた。
「少しだけ……今坂さんから伺いました」
「うん……」
智也は窓の外に目をやり、空のどこかを見つめた。
今はもういない誰かを想うその姿は、なぜか詩音を少しだけ悲しくさせた。
「彩花と……俺と……唯笑と……俺たち3人は、いつも一緒だった……。それが、自然だったんだ……」
空に目を向けたまま、智也は少し淋しげに微笑んだ。
「そんな風にいられないのかなって思うのは……俺のわがままなのかな……」
「……」
詩音は眉をひそめて、うつむいた。
答えようのない話をしてしまった。そう思った智也は、物思いを振り切るように、明るい笑顔を作った。
「ごめん。変な話して」
「……」
けれど、詩音はやはりうつむいたままだった。唇を噛み、迷いを浮かべているように見える。口にするべきなのかどうかを。
「双海さん……?」
不審に思った智也がその顔を覗き込むと、詩音は面を上げた。智也の目を見つめ、ためらいながら言葉を紡ぎ出した。
「本当に……自然だったのでしょうか」
「え……?」
その意味が、とっさに智也にはわからなかった。問い返すように、詩音を見つめる。
詩音は悲しみを瞳に宿しつつも、智也から目をそらさなかった。
「あなた方3人がいつも一緒にいたこと……それは本当に、自然なことだったのですか?」
「それって……どういう……」
思いがけない言葉だった。
これまで智也は、そのことを疑ったこともなかった。ただあるがままの姿が、突然壊されてしまったのだと。――そして、それが自分のせいだと思っていたからこそ、長い呪縛に囚われていたのだ。それなのに。
智也はやや責めるような視線で、詩音を見ていたかもしれない。
しかし、それでも詩音はまっすぐに智也の目を見て話し続けた。
「私に何がわかるのかと、思われてもしょうがありません。あなた方の絆は、私になんて計り知れないものなのでしょう。だけど……」
「……」
「だけど、それでも……今坂さんの気持ちは……」
「唯笑の……気持ち……?」
「そうです」
詩音は強く頷いた。
智也の戸惑いは深まるばかりだ。唯笑の気持ちもまた同じだと、当たり前のように思っていた。ずっと一緒だと。だからこそ、今の状況をこうして悩んで――。
(え……?)
そこでようやく、智也も気づいた。
一緒にいるのが当たり前なら……なぜ、今、唯笑は、離れていこうとしているのだろう?
智也の心にわいた疑問に気づいているのか、詩音は相変わらずまっすぐに智也を見つめていた。そして、言葉を続けた。
「音羽さんと一緒にいる三上くんを見ていることは、今坂さんにはつらいときもあると思います。……私にはわかります」
「……」
「そして、その痛みは……彩花さんがいた頃から、変わらずあったのではないのですか……?」
「……!」
智也は息を飲んで、詩音を見つめ返した。
幼い頃からの想い出が、よみがえってくる。
いつも唯笑は、智也と彩花のあとをついて歩いていた。
智也と彩花が、ふたり並んで歩く姿を、いつも見ていた唯笑。
そのとき、唯笑がどんな気持ちだったのかなんて……智也は考えたこともなく……。
「じゃあ……じゃあ、やっぱり……『しょうがないこと』なのか? そんな風に、諦めてしまうしかないのか?」
「三上くん……」
「彩花を失ったとき……俺を救ってくれたのは唯笑だった……。それなのに……俺は……何もできないのか? ただ……諦めることしか……」
思わず叫ぶように、智也は云ってしまった。詩音は静かに、そして痛ましげに、そんな智也の視線を受け止めている。
その目の色に、智也は冷静さを取り戻した。吐息とともに、頭を何度か振る。
「……悪い」
「いいえ。私のほうこそ、勝手なことを散々申し上げました」
「いや……全部、双海さんの云うとおりだ。俺は何も……わかっていなかった……」
「……」
「諦めたくないなんて、奇麗事だ……。俺が、かおるを選んだんだから……。唯笑を選ばずに、かおるを選んだ……。今度は……今度は、唯笑が選ぶ番だ……」
「……」
「それが唯笑の出した答えなら……俺はもう……。……だけど……」
「だけど……?」
小さな声で繰り返し、詩音は続きを促した。
けれど、智也はまだその答えを持っていなかった。
唇を噛んでうつむく智也に、詩音が柔らかい微笑を向けた。
「……よかった」
「――え?」
思わず顔を上げた智也は、詩音の笑みを受け止めかねた。どこに安堵する材料があるのだろう?
「私は、今坂さんの痛みを、三上くんに知っておいてもらいたかったんです。……お節介だって、わかっていましたけど。……でも」
「でも?」
「『しょうがない』なんて、諦めてほしくもなかったんです。……ごめんなさい、本当に勝手なことばかり云って」
「あ……いや……」
「あなたならきっと、正しい答えを見つけられると思います。今はわからなくても、きっと。だから……」
「双海さん……」
「おかわり、入れましょうか」
少し照れたように頬を赤くして、詩音は智也のカップを取った。
おかわりを注いでくれる詩音を見つめながら、けれど、智也は迷いを深めていた。