チュニジアには、多くの遺跡があります。
特にカルタゴの遺跡は有名です。
素晴らしい地中海に面した丘にひっそりと
ただずんでいました。
カルタゴは貿易で栄え、
大国古代ローマを脅かしていましたが、
結局ローマに敗れ消滅した小国です。
日本の繁栄がカルタゴの繁栄に非常に似ていた
と云われています。
バブルのころ「カルタゴを日本の教訓とすべき」
という意見もあり、
日本の行く末が案じられたこともありました。
バブルが崩壊して昨今の状況を見ると本当に
その方向にあるのかもしれません。
西暦5〜6世紀、チュニジアは、
ローマ帝国からヴァンダル族、
さらに下ってビザンチン(東ローマ帝国)の
支配下へと移行します。
西暦7世紀にはイスラム教がチュニジアに達し、
ケロウアン(Kairouan)の街は宗教生活の
中心地となりました。
この街にはイスラムで最も古く、
神聖なモスクの遺跡の一つがあります。
その後数世紀で、5つの民族と、
オスマン朝がチュニジアのイスラムの遺産を
豊かなものにしていきました。
この時代は、チュニスでの大モスクの
建設や歴史家であり、かつ現代社会学の父で、
今日でも学問に影響力をもつ研究を残した
イブン・カルドゥンなど偉大な思想家の活躍の場
となったゼイトゥーナのイスラム大学の設立、
スペインからのアンダルシア系イスラム教徒
の移民の開始などがあります。
在日チュニジア大使館HPより
[ラマダン]
イスラム教の断食月。
月の満ち欠けによる太陰暦をもとに作られた
イスラム暦の9番目の月で、最も神聖な月とされる。
断食で一年間に犯した罪を償うとされる。
食べ物やたばこなど、口から体内に入れたら
断食は成立しない。
しかし、断食するのは夜明けから日没までの
間で日没後から日の出までの飲食は許される。
断食は信仰の一つの形とされ、
貧富の差にかかわらず、
すべてのイスラム教徒が断食することで
平等を意識付ける。
ラマダンはお祭りの面もあり、
日没後はにぎやかな雰囲気につつまれる。
毎日新聞HP「ニュースの言葉」より