チュニジアの遺跡


チュニジアには、多くの遺跡があります。
特にカルタゴの遺跡は有名です。
素晴らしい地中海に面した丘にひっそりと
ただずんでいました。

カルタゴは貿易で栄え、
大国古代ローマを脅かしていましたが、
結局ローマに敗れ消滅した小国です。
日本の繁栄がカルタゴの繁栄に非常に似ていた
と云われています。

バブルのころ「カルタゴを日本の教訓とすべき」
という意見もあり、
日本の行く末が案じられたこともありました。
バブルが崩壊して昨今の状況を見ると本当に
その方向にあるのかもしれません。


西暦5〜6世紀、チュニジアは、
ローマ帝国からヴァンダル族、
さらに下ってビザンチン(東ローマ帝国)の
支配下へと移行します。

西暦7世紀にはイスラム教がチュニジアに達し、
ケロウアン(Kairouan)の街は宗教生活の
中心地となりました。

この街にはイスラムで最も古く、
神聖なモスクの遺跡の一つがあります。
その後数世紀で、5つの民族と、
オスマン朝がチュニジアのイスラムの遺産を
豊かなものにしていきました。

この時代は、チュニスでの大モスクの
建設や歴史家であり、かつ現代社会学の父で、
今日でも学問に影響力をもつ研究を残した
イブン・カルドゥンなど偉大な思想家の活躍の場
となったゼイトゥーナのイスラム大学の設立、
スペインからのアンダルシア系イスラム教徒
の移民の開始などがあります。

            在日チュニジア大使館HPより

 phot by 1978〜1980
チュニジアの宗教

チュニジアの宗教はイスラム教が99%を占め、
キリスト教やユダヤ教の小集団もあります。

[イスラム]
平和・従順・放棄・素直・受諾・純粋・遂行示しており、
アラビア語でal-Islam
「平和である事」、「絶対に帰衣すること」。
一切を上げて、神アッラーに任せ、他人に対して善行を施す事
これがイスラムの真の意味である。

[伝導の継続]
 
神はこの世に時を越えて異なった使徒を送りたもうた。
ダビデ(詩偏)、モーゼ(法律五書)、イエス(副音書)
そして最後の使徒(予言者)として
全人類の為にマホメットと聖コーラン(啓典)
を授けられた。

 イスラム教徒には、
信じる事と共に五つの柱である行の勤めがある。


  1. hhadah信仰告白:
   アッラーの他に神はなく、マホメットはその使徒
である。
 2. Salat 礼拝:
   一日五回神を拝む。

 3. Zakat 喜捨:
   宥恕と相互扶助及び貧困者への施し。

 4.Saum 断食:
   第9月ラマダン月は日の出から日没まで飲食を絶つ。

 5.Haji 巡礼:
   ゆとりのできた者は一生に一度メッカ巡礼。


これらの宗教的教えを実践反復する事
これこそ日常生活である。
 信仰ただ一筋、アッラーが唯一の神、
永劫不滅のアッラー、
全知全能のアッラーは天地大宇宙の根源である。

              (宗)日本ムスリム協会HPより
 phot by 1978〜1980
 
これは、自分が見たものの一部です。
これをもって「チュニジアの遺跡、宗教」というのはおこがましいと思います。
私が触れて、見た「チュニジアの遺跡、宗教」の一部ですが、
1980年代初めの古い記憶で忘れてしまい多くを語れませんでした
あしからず!

右の写真は、ラマダン前の羊市場です。
金を持っている者は、
多くの羊を買い貧しい人に
肉を振舞うそうです。

ラマダン(断食)をすると、
金持ちも貧乏人もみんな空腹感を持ちます。
お金を持っていても食べられない
だから「人間は皆平等」であることがわかる
と教えてくれました。


[ラマダン]
イスラム教の断食月。
月の満ち欠けによる太陰暦をもとに作られた
イスラム暦の9番目の月で、最も神聖な月とされる。
断食で一年間に犯した罪を償うとされる。

食べ物やたばこなど、口から体内に入れたら
断食は成立しない。
しかし、断食するのは夜明けから日没までの
間で日没後から日の出までの飲食は許される。
 断食は信仰の一つの形とされ、
貧富の差にかかわらず、
すべてのイスラム教徒が断食することで
平等を意識付ける。
ラマダンはお祭りの面もあり、
日没後はにぎやかな雰囲気につつまれる。

                  毎日新聞HP「ニュースの言葉」より