ねこ猫ヒカル
【2話 ほっぺにチュウ!】
「塔矢ぁ、塔矢ぁ。」
ヒカルは、塔矢の後ろでつまらなさそうに名前を呼ぶ。
アキラは今学校の宿題中だった。ヒカルは、はじめはおとなしく碁盤に棋譜を並べて遊んでいたが、アキラの事が気になってしょうがない。自分の方に関心が向いていないとイヤなのが猫である。猫の姿ならぽんと机の上にでものって、ノートの上にどでーんと寝そべって妨害するところだが、今は幸せなために人間の姿である。猫耳としっぽはあるが。この大きな姿でそんなことをしたらアキラに嫌われてしまうことくらいわかっている。
「ちぇーっ。」
アキラが構ってくれないので、ヒカルは、ごろんと寝ころんだ。天井をしばらく眺めていたが、やっぱりアキラを見ていたくなって、すぐに起きあがる。
「塔矢ぁ。」
小さく名を呼んでみる。しかし、勉強に集中しているアキラの耳には届かない。ヒカルは、そーっと立ちあがって、そーっとアキラのそばに近づいた。
塔矢のさらさらの髪が目の前にある。ヒカルはくんくんと鼻を利かせた。
『塔矢の匂い・・いい香りー。』
ヒカルは、うっとりとした。シャンプーの香りに混じって、しっとりとアキラの香りがする。ヒカルはもっとよく嗅ごうと、耳の辺りに鼻を近づけた。
「うわっ。」
アキラが、びくっと飛び跳ね、耳に手をやった。
「あれ?気づいた?」
「び、びっくりした・・。ぞわそわしたよ・・。」
アキラは、鳥肌が立った腕をシャツの上からこすった。ヒカルは、
「ははーん。」
と、にやーっと笑った。そして、塔矢の肩に後ろから手を置いて、耳元に口を近づけ、ふーっと息を吹きかける。
「ひっ!!」
塔矢は、肩をすくめた。
「塔矢、もしかして耳弱い?」
ヒカルは、新しいことを見つけた嬉しさに目を輝かせた。アキラは、耳を押さえたまま、悔しさとはずかしさで頬が上気する。おもしろがって、もっと息を吹きかけようとしているヒカルを、アキラは、
「ふざけるな!いい加減にしろ!」
と、立ちあがって押さえつけた。
「うわぁ。」
油断していたヒカルは、バランスを崩して、後ろにつんのめって、しりもちをついた。ごちっと壁に頭が当たる。
「いってー。」
ヒカルが、痛みに顔が歪ませると、アキラははっとなって、ヒカルの顔を心配そうに覗いた。
「大丈夫か?ごめん。」
ヒカルは、横目でちらっとアキラを見て、
『心配してる顔の塔矢もかっこいいなー。』
とか、のんきに思ったりした。実はぶつけた頭はたいして痛くない。ヒカルは自分を心配しているアキラに何ともいえないきゅぅーんとした気持ちがこみ上げてきて、思わず、がばっと抱きついた。さっきだって、結構近くに顔があったのに、抱きついたせいで、ヒカルのぷにぷにのほっぺがアキラの頬に当たる。頬を通して、ヒカルの体温がアキラに伝わってくる。人の体温よりは少し高い猫の体温。そんなことにドキドキ胸が高鳴って、なにかどうしようもない気持ちにかられる。アキラは、
『猫なんだ・・猫なんだ・・落ち着け・・落ち着け・。』
と、一生懸命自分をなだめた。
その時、せっかく自分を冷静に戻そうとしているアキラの努力むなしく、ヒカルがとんでもない行動に出た。
「っっっ!!」
ヒカルが塔矢の頬にキスしたのだ。いや、舐めたと言った方が正しいか。猫のざらざらとした、それでいて湿っぽく、頬以上に暖かい舌で、アキラの頬をペロペロと舐めた。
アキラは、瞳孔が開くくらい驚いて、がばっと、無理矢理ヒカルを引きはがした。
「およ?」
ヒカルは愛らしい舌を出したまま、きょとんとしている。アキラは体中が心臓になったかと思うくらいにドキンドキンして、震えが走った。そして、
「き、君は・・君はぁ・・・。」
と、言いながら、目を回して倒れてしまったのであった。
どれくらい倒れていたのだろうか。アキラはうとうとと目をさましはじめた。周りで声がする。
母と、ヒカルの声だった。
「にゃーん。どうしようーー。塔矢ぁ塔矢ぁ。」
「ヒカルちゃん、大丈夫よ。これくらいで倒れるなんて、アキラも子供ねぇ。」
なんだか、目を開けにくい状況だ・・・。すると、ドアが開いて、父もやってきた。足袋の擦る音がする。
「アキラはなんで気絶しているんだ?」
「ヒカルちゃんがね・・。」
「オレが、塔矢のこと大好きってほっぺを舐めたらね・・アキラふらふらして・・。」
「な、舐めた?!」
父が思わず声を荒げる。
「にゃーん。お母さん、お父さんが怖いよう。」
「あなた、ヒカルちゃんが怖がってるじゃないですか。アキラも起きちゃいますよ。」
「起きた方がいいだろう。しかし、お前は猫を甘やかしすぎだ。」
「いいじゃありませんか。ねー、ヒカルちゃん。」
「ねー。」
「アキラ・・かわいそうに・・驚いたんだろう。」
「あら、あなた、猫にほっぺを舐められたくらいで気絶するなんて・・アキラももう中学3年生ですよ。」
「うむ・・。ちょっと問題かもしれんが・・。」
ますます起きづらい。アキラはもうとっくに目が覚めていたのだが、目を開けるタイミングを逸してしまった。
「そうだ!」
ヒカルが、きらきらした声を出した。
「オレ、本で読んだことある!眠って起きない人を起こす方法!」
一瞬、部屋に緊張が走る。母が、
「まさか、まさか、ヒカルちゃん・・。それって・・。」
「えっと、確か、口と口をつけるんだよ!」
「・・それはやめておいた方がいいと思うぞ・・。余計にアキラは起きなくなるかもしれん・・。」
「えー、なんでー?」
がばっ
「およ?」
アキラは、キスされてなるものかと、勢いよく起きあがった。
「起きましたよ・・。おちおち気絶もしていられない・・。」
キッと3人を睨んだアキラだったが、母にため息をつかれ、そして言われた。
「アキラさん、本当はずっと起きてたの??」
「起きてたのか、お前。」
父もため息をついた。そうして、二人に、
「心配して損しちゃった・・。」
とがっかりしたように言われて、アキラはガーンとなった。
「じゃ、ヒカルちゃん、もうすぐお風呂わくから、入りなさいね。」
「えー、オレ、お風呂きらいー。」
「風呂に入らんような奴は、家におかんぞ。」
「えー、でもイヤだよぅ。」
だだをこねるヒカルに困って(顔に決して困った感じは出していないが)、父は、アキラに命令した。
「アキラ、猫を風呂に入れなさい。」
アキラは驚いて、思わず声を荒げた。
「えええ!!!!」
「お前が拾ってきたんだ。お前が面倒を見なさい。猫もお前と一緒なら入るだろう。」
と、言いながら、ヒカルの猫耳をつんつんと触っている。ヒカルは、にぱっと笑って、
「入るー!!塔矢と一緒なら入るぅ!」
と、はしゃいでいる。
塔矢アキラ15歳・・猫を拾ったことでなんだか受難の青春がはじまったような気がしていた。