ねこ猫ヒカル
第3部

【1話 およめさんになるんだもん】

「あらぁ。懐かしい。ほら、あなた。見て、見て。」
 塔矢家の母明子は、父行洋の碁打ち部屋で何か探し物をしていると思ったら、何かを見つけたらしい。父に駆け寄ってほこりだらけの箱を差し出す。
 古いが随分丈夫で和紙の貼られた綺麗な箱は何か大事な物をしまってある事を感じさせる。
「なんだったかな。」
 父は、碁石を打つ手を止めて、じっと箱を見た。
「あら、あなた。覚えていらっしゃらないの。いやぁね。ちょっと待って。このまま開けると中にほこりが入ってしまうわ。」
 母はパタパタとぞうきんを取りに行き、戻ってきた時にはヒカルを連れていた。
「何か宝物が見つかったの?」
 ヒカルはワクワクと目を輝かせている。
「そうよ。こんな所にこれがあったなんて、お母さんびっくりだわ。」
 綺麗に汚れをぬぐった箱を開けると、中には美しい鶴の刺繍の入った布張りの本のような物が入っている。
「ああ。これか。」
 父は、すぐにピンと来て、声をあげた。わからないヒカルは乗りだして、
「なになに?」
と母をせかす。母はニコニコしながら、取りだしてヒカルの方に見やすいように向けて、表紙を開けた。
「うわぁ!」
 そこには雪のように白い着物に身を包んだ明子と、同じく白い着物の行洋がいる。うっすらと微笑んだ顔は神々しいほどに汚れのない美しさで輝いている。幸せを焼き付けたような写真だった。
「綺麗!綺麗!これ、お母さん?!」
「そうよ。十六前なの。こっちはお父さん。」
「お父さんはわかる。全然変わってないね。いつもの着物の色が違うだけだし。」
 ヒカルが無邪気にそう言うと、母はぷっと吹きだした。
「お父さん、昔から老け顔だから、そういう人は年とってくるとそうは見えなくなるのよねぇ。うらやましいわ。」
「明子・・。」
「お母さんは綺麗でしょ?この時はまだ二十歳だったしね。若かったわねー。」
 母はそう言いながら、父の方をちらりと見る。父はドキッとした。その目は、
「今だって十分綺麗だし、若いよ。」
と言って欲しげである。二人きりなら言ったかもしれないが、今は目の前にヒカルがいる。人前で妻を褒めるほど図太い神経は持ち合わせていない。父はほんのり頬を染めながら、こほんと軽く咳をして誤魔化した。
「お母さんは今だって綺麗だけど、これはまるでお姫様みたいだね。」
 父が言えなかったことをヒカルはさらりと言ってのけた。父はさらにバツが悪くなってむやみにコホンコホンと咳をした。
「どうして、今はこういう格好しないの?とっても綺麗なのに。」
 ヒカルは不思議そうに聞いた。ヒカルは猫の国から来た王子様。人間界の事は良く知らない。この写真を見ても、これが結婚式の写真だとはわからない様子だった。
「あら、ヒカルちゃん。普段こんな格好してたらとてもじゃないけどお掃除もお料理もできないでしょ?これは特別な時に着る着物なのよ。」
「特別?」
「そう。これはねぇ、結婚式の写真なの。」
「結婚?」
「そうよ。お父さんとお母さんが若かった時に・・お父さんはあんまり若くなかったけど、二人でこれからずーっと一緒に暮らしていきますって言う誓いのお式をしたのよ。その時にこんな格好をするの。この着物の色みたいに気持ちを真っ白にして、これからお父さんのお嫁さんになって新しい色に染まっていきますっていう儀式なのよ。」
「ずっと一緒に暮らしていきますっていう・・誓い・・かぁ・・。」
 ヒカルは母の言うことを整理して考えた。
『「およめさん」っていうのになったらずっと一緒にいられるのかな?誓いって難しい言葉だけど、すごくいい響きだな。絶対一緒にいるんだもんってみんなにわかってもらえそうな・・。お父さんとお母さんは「結婚」したから十六年も一緒にいるんだ・・。』
 ヒカルは想像した。
『ってことはぁ・・・オレも塔矢の「およめさん」になったら、ずーーっと一緒にいてもいいって事になるんだ。』
 ヒカルはアキラと二人で並んで白い着物を着て、誓いの写真を撮る姿を頭の中に描いて、ほわほわとした気持ちになった。
 いつもアキラと一緒にいて楽しくて大好きなのに、大好きな気持ちと裏腹に小さな不安をヒカルは持っていた。白雪姫の絵本と同じように寝ころんでチューをしてもらっても、シンデレラをまねて階段で靴を拾ってもらっても、「ずっと一緒にいられる」という確信を持つことはできなかった。この方法はかなりの名案だ。第一、目の前にいる仲睦まじい塔矢家の父と母が実際に行って今も幸せに暮らしているという具体的な事実もある。
 ヒカルはパァッと顔がほころび、猫耳をピーンと立てて、しっぽは興奮のあまりぱたんぱたんとメビウスを描きながら畳に打ちつけている。
「よし!」
 ヒカルはすっくと立ちあがった。
「あら、なぁに?ヒカルちゃん。」
「しっぽが激しく動いているぞ。獲物でも見つけたか?」
 父母ののんきな言葉をかき消すように、ヒカルは拳を天井に突きだして叫んだ。
「オレ!「およめさん」になる!」


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